第7話 ワガママな婚約者

「────ふむふむ、それでナンパ男と間違えられてしまったと。それは随分と迂闊なことをしましたね」


 帰宅後、今日のことを報告した俺は、十文字さんにこれでもかとなじられていた。


「自分の立場がわかっているのですか? 全く無関係の人を婚約者だと言えば、それはもうあなたが愛を失ってしまったことの証明なのですよ? その情報がお嬢様の耳に入れば、その場で婚約の完全破棄を言い渡されてもおかしくありません」

「そうなれば……俺には二億の借金が降りかかると」

「ええ、それに、怒り心頭のお嬢様には土下座も通じないでしょう。下手をすれば借金を倍にされるかもしれませんね」


 二億が四億に……そこまで来ると、もはや大差ないようにすら思えてくるな。どっちにしろ一生借金地獄であることに変わりはない。


「そもそも、その婚約者って、俺を見たらどういう反応をするんです?」

「……どういう意味ですか?」

「俺の気持ちを試さないといけないので、向こうから名乗ってくれるわけではないんですよね? かといって、見つけて欲しくないわけでもない。そうなると、どういう行動に出るのかなって」

「……そうですね。当然ながら、私はお嬢様とは別人格なのでハッキリとしたことは言えませんが、全力で隠れようとするのではないかと」


 隠れる? それはつまり、俺に見つからないようにするってことか?


「なぜです? 俺に自分のことを思い出してほしいんじゃ……?」

「その通りですが、何度もお伝えしていますように、あなたが自主的に思い出さなくては意味がありませんからね。正確には、お嬢様はあなたに記憶を取り戻してほしいのではなく、心の底から愛し合っていたかつての関係に戻りたいのです」

「……じゃあ、必ずしも思い出さなくてもいいってことですか」

「お嬢様はそう考えているようですよ。もちろん、記憶が戻るのが理想ですが、もう一度恋人同士になれるのなら、それより優先することはないでしょう」


 つまり、その人は自分の身分を徹底的に隠そうとするわけか。


 理想とされているのは、俺が婚約者を見つけ出すというより、記憶を失った俺が改めて純粋に好きになった人が、かつての婚約者だった……という形なんだな。


「……それ、ロマンチックかもしれないですけど、非現実的じゃないですか?」


 思わず、正直な感想が零れてしまった。


「私もそう思いますよ。お嬢様はちょっと夢見がちな節がありますから。特にあなたに対しては」

「俺を過大評価してるってことですか?」

「過大……かはわかりませんが、高く評価していることは確かです。あなたを世界最高の男だと信じ切っていますからね。例え月面に置き去りにされても、深海に沈められても、記憶を失っても、愛した女のために戻って来るスーパーヒーローだと思われているんですよ」


 一体記憶を失う前の俺は何をしでかしたんだ……? どうすればそこまで純粋で重たい愛を向けられることになるのやら……。


「どうします? そんな面倒臭い女放っておいて、新たな恋でも探します?」

「あんたは一体どの立場なんだよ……」


 お嬢様の味方をしてやれよ。なんで婚約を解消させる方向に誘導しようとしてるんだ。マジで首にされるぞ?


「けれど、それはお互い様ですからね」

「……お互い様?」

「あなたも同じくらい面倒くさかったということです。ズブズブでヤバめのカップルだったんですよ。あなた方は」


 本当に、俺は一体何をしでかしたんだ⁉ 大丈夫なのか? 俺は過去の俺のことが怖くなってきたぞ?


「このまま記憶喪失になりっぱなしが一番平和だったりしません?」

「一理あります」

「あるのかよ」

「お嬢様があなたをそう簡単に諦めるとは思えませんがね。莫大な借金は、いわば首輪の役割なのですよ。全額返済されることを望んでいるのではなく、あなたが他の女になびかないようにするためのね」

「愛されてる割には信頼されてませんね……まあ、記憶がないんだから当然か」


 それだけ深く愛していた相手が自分のことを忘れるだなんて、俺が逆の立場だったら耐えられないかもしれない。きっと大いに苦しむことだろう。

 その苦しみを癒すには、多少強引な手段を取ったとしても、もう一度愛してもらう以外に方法はない。そういう考えに至るのも、仕方ないのかもな。


「幻滅しましたか? 婚約者のワガママぶりに」

「いいや、むしろ燃えてきたよ。そんなにも俺のことを想ってくれている人がいるのなら、早く見つけ出してあげたい」

「……そうですか。やはり、記憶を失っても、あなたはあなたですね」


 果たして褒められているのか、呆れられているのか。十文字さんの内心は、無表情過ぎて読めない。


「今後はもっとシンプルに、婚約者を探すというよりは、普通に恋愛でもするつもりでいた方がいいかもしれません」

「それで好きになった相手が、婚約者だってことですか?」

「ただ、これだと外した時が厄介ですよね。お嬢様からすると完全な寝取られ展開ですから。しかも同じ学校内でそれが行われるわけで……あなた、刺されてもおかしくないですよ」

「……怖い事言わないでくださいよ。アドバイスするのか、脅すのかどっちかにしてください」

「では、くれぐれも背後にはお気を付けください」

「脅す方を選ぶの⁉」


 俺の婚約者は、どうやら一筋縄ではいかない相手らしい。そうと分かれば、攻め方を変える必要があるな。

 直接話をして、鎌をかける作戦は効率が悪い上に白を切られる可能性も高い。しかも失敗すれば、ナンパ男の汚名を背負うことになる。


「……普通に恋愛でもするつもりで……か」


 十文字さんは冗談交じりに言ったつもりなんだろうが、案外それは悪くない方針なのかもしれないな。

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