第5話 図書室の令嬢

「ちょっ……どこまで連れて行かれるんです? 陽夏さん?」


 力強く腕を引き、廊下を突き進んでいく陽夏さん。平然と腕を掴み、胸の近くまで抱き寄せ、それを公衆の面前に晒すことに全く躊躇がない。それに加え、軽々に呼び捨てまで許可する始末。

 彼女はきっと、他の男子に対してもこの距離感なのだろう。恐ろしい女子だ。クラス中の男子を惚れさせてそうだな。


 これで恋愛経験がないなど、有り得るのか? 三年のイケメン先輩辺りと付き合ってるパターンだろ?


「お金持ちっぽい女の子を探してるんでしょ? それなら心当たりがあるから!」


 そう言って連れて来られたのは、図書室だ。他の高校の図書室がどんな感じなのか知らないので何とも言えないのだが、かなり規模が大きいように見える。

 蔵書量も相当な物だろう。その割には、利用客は見る限りほんの数人程度で、やけに寂しい空間となってしまっている。まあ、図書室が賑やかでも困るか。


「ほら、あそこに座ってる子」

「……あそこ?」

「椅子に座ってる、おかっぱの」


 陽夏さんの指差す先には、大人しそうな雰囲気の女子生徒が座っていた。


 透き通るような白い肌、冷たく突き刺すような鋭い目。明るい感じの陽夏さんとは対照的に、物静かな空気を纏う少女である。


「どう? あの子、お金持ちっぽくない?」

「え、そう……かな?」

「なんかさ、老舗和菓子屋の跡取り娘って感じしない?」

「あぁ…………あぁ~! ちょっとわかるかも」


 着物を着て、和室に座っている姿が目に浮かぶようだ。茶道とか、華道とかに詳しそうな感じもある。

 そういう意味では、名家の出のような上品な気質を備えた少女であると言えるだろう。


(あの人が、俺の婚約者……?)


 少なくとも、顔を見た限りではピンとこない。顔を見た瞬間、全ての記憶を思い出すのが理想ではあるのだが……やはりそう上手くはいきそうにないな。


名張なばりしのぶちゃん。私たちと同じ二年生で、三組の子だよ。で、どうなの? あの子なの?」

「さぁ……まだわからない」

「え? なんでわからないの? 道案内してもらったんでしょ? 顔は知ってるんだよね?」

「あっ……いや……その、顔をよく見てなかったんだよねぇ……」


 咄嗟にでっち上げた言い訳のせいで、段々苦しくなったきた。こっちのややこしい事情を全て説明するわけにはいかなかったとはいえ、流石に無理があるか……?


「と、とりあえず、確認しに行ってみるよ」


 追求から逃れるように、俺は読書に熱中している少女に声をかける。


「────あ、あの、名張さん?」

「………………」

「名張さん?」


 返事がない。どうやら読書に夢中のようだ。


「よっすー! 忍ちゃん!」


 代わりに陽夏さんが声をかけると、名張さんは一発で顔を上げた。図書室内なので音量を絞っているとはいえ、やはり彼女の声はよく通る。


「今、ちょっと話いいかな?」


 名張さんは渋々といった様子で読んでいた本にしおりを挟みつつ、小さく頷く。


「私、二組の日向陽夏。こっちは霞青斗。よろしくね」


 えっ、自己紹介から? この二人って知り合いじゃないの? 嘘でしょ? さっき忍ちゃんとか言ってなかった?

 どれだけフレンドリーなんだよ……人との距離感おかしいだろ。流石、初日から転校生にぐいぐい詰め寄れるだけのことはあるな。


「……あなたのことは知ってる。有名人だから。でも、そっちの男は知らない」

「え、私、有名人? たはは、それほどでもー。青斗は今日転校して来たばかりだから、知らなくても仕方ないかな。これから仲良くしてあげてね」

「……………………はぁ」


 俺を見て、不機嫌そうに目を細める名張さん。仲良くする気など微塵もないと、その視線が物語っている。


 なるほど、こういう反応か。俺のことを知らないと言ったばかりか、読書の邪魔をした外敵として認識されてしまっている。これが久々に婚約者と再会した反応とは思えないな。


「でね、青斗から話があるみたいなんだけど……」

「ああ、いや、そのことなんだけど、ごめん。人違いみたいだ」


 違うとわかれば、これ以上時間をかける必要もない。こっちは三百人近くの女子を調べないといけないのだから、テンポは大事だ。


「そう? じゃあ私は読書に戻っても?」

「もちろんどうぞ。ごめんな、邪魔して」

「……別に、構わない。ところで………………」

「……?」


 口を開けたまま制止する名張さんに、俺と陽夏さんは首を傾げる。


「いや、いい。図書室は静かに過ごすところだから、用事が済んだなら早く帰って」


 そう言われ、俺たちは追い出されるように部屋の外へと出た。


「なんだぁ、人違いだったのかぁ。残念。お金持ちっぽい感じの子といえばあの子だと思ったんだけどなぁ」


 図書室から出た途端、室内で声を潜めていた分なのか、怒涛の勢いで喋り出す陽夏さん。

 長時間潜水した後、久々に水面に顔を出して、酸素のありがたみを噛み締めているかのようだ。


「他にはいないの? そういう感じの人」

「うーん、お金持ちっぽい女子だよね? お金持ちっぽい、お金持ちっぽい」

「お金持ちっぽい……というか、実際にお金持ちだと思うんだけど……」

「実際に? 雰囲気がお金持ちっぽい人って話じゃなかったっけ?」

「そう……なんだけど」


 クソ、適当に取り繕ったせいで余計にややこしくなっている。人を頼ろうとするとどうしても、事情を明かせないが故の問題点があるな……。


「あっ、お金持ちっぽくはないけど、ゴリゴリのお金持ちならいるよ?」

「ゴリゴリのお金持ち?」

「そう、なんせ病院の理事長の娘らしいからねぇ。それも普通の病院じゃないよ。日本最大級の規模を誇る大病院────」

「おいおいおい‼ メチャクチャそれっぽいじゃねぇか‼」


 俺の婚約者は、本来は助からないレベルの重傷だった俺を、ありとあらゆる手を尽くして助けてくれたと聞く。

 具体的に何をしたのかはわからないが、病院関係者となるとできることは色々ありそうだ。


 凄腕ドクターを優先的に回したり、海外の凄い医療技術を大金はたいて買い取ったり、まだ認可されていない治療法を試してみたり、そんな感じのことができたりするんじゃないのか?


「その人! その人は今どこに? ぜひ会いたいんだけど‼」

「お、おお……食いつき具合がヤバすぎてちょっと引くけど、いいよ。紹介してあげる。ついてきて」


 もしかしたら、俺は早々に当たりを引いたかもしれない。有力な情報を前に興奮冷めやらぬ中、また陽夏さんに腕を引かれて向かった先は、生徒会室だ。

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