第3話 なすべきこと
「────さて、荷物の整理も終わったことですし、そろそろ真面目な話をしましょうか」
俺に私物などないし、必要な物は最初から全て部屋の中に揃っていたので、荷物の整理にほとんど時間はかからなかった。時間がかかったのは、十文字さんとの無駄話の方だ。
「……こっちはずっと真面目だったんですけど?」
「では、ここからはもっと真面目な話をしましょう。あなたの今後についてです」
できれば前置きなしで、もっと真面目な話とやらに入って欲しかった。
でも、もしかしたら、記憶喪失で落ち込む俺を励ますために茶番を……いや、ないな。この人はそういう人じゃない気がする。出会って数時間で、もうなんとなく理解した。
「あなたの記憶が戻るよう、私は全力でサポートさせていただきますが、それと同時に婚約のことについても考え直さなくてはなりません」
「記憶を失った俺と婚約を継続していいのかどうか……ですよね?」
「その通りです。元々、お二人の婚約には家中で反対意見も多く、今回の一件でその反対派に勢いがついてしまった形ですね」
「反対派って……そんな規模の大きい家なんですか?」
親戚が婚約に口を出してくるなんて、そんなの戦国武将の政略結婚かなんかでしか聞かない話じゃないのか。現代でもそんなことがあるんだな。
「私のようなエリートメイドを雇っていることからもわかると思いますが、あなたの婚約者は相当な名家の娘なのです。誰とでも気軽に結婚できるわけではありません。相当な覚悟と、心構えが必要です。今のあなたにはそれがないでしょう?」
「そ、それは……」
「仕方のないことです。記憶がないのですから。誰もあなたを責められません」
記憶を失う前の俺は、なかなかガッツのある男だったらしい。険しい道のりになるとわかっていながら、名家のお嬢様を口説き落とし、婚約を勝ち取ったというのだから、我ながら大したものだ。
しかし今の俺にはその記憶がない。これはもう、実質的には別人のようなものだと思われても仕方がない。
だって、そんな苦難の果てに愛を誓った婚約者が目の前に現れても、今の俺はきっと気づくことさえできないんだ。固い誓いに亀裂が入ってしまうのも無理はない。
「…………それに、これはあなたの問題でもあります。もし、このまま記憶が戻らなかった場合、本当に予定通り結婚していいのかどうか。お嬢様の気持ちは以前と変わらなかったとしても、あなたがどうなのかはわからない。愛してもいない相手との結婚を、多くの敵を作ってまで押し切れるでしょうか」
「……だから、俺が自分からその人のことを見つけ出さなきゃいけないってことですね」
「はい、記憶が消えても再び結ばれる男女……という流れになれば、この苦難はむしろ反対派を説得するための追い風になり得るでしょう」
婚約者が素直に名乗り出ても、記憶が戻らないままでは、記憶喪失前に行った約束を義務的に果たして結婚するだけになってしまう。
しかし記憶を失った俺が、自らの力でもう一度その人のことを選べば、それは記憶の有無に関わらず本当の気持ちだ。そうなれば、俺たちの愛は本物だと証明できる。
「もちろん、拒否することもできます。あなたがもう、婚約者になど興味はないと言えば、話はそれで終わりです」
「……でも、その場合二億の借金ができるんですよね?」
「まあ……そうなりますね。あなたの治療のためとはいえ、かなり強引な手段を取られたので。そもそも、名家の令嬢といえど動かせる資金には限度があります。それを超える大金を動かすには、大義名分が必要なのです」
「大義名分……そうですよね。俺が結婚しないなら、将来の婿を助けるという大義名分がなくなるわけだから……」
「けど、土下座で頼み込めばお嬢様は多分、なんとかしてくださいますよ? あの方はあなたにベタ惚れだったので、二億踏み倒すぐらいチョロいものです」
「おい、エリートメイド? 大丈夫か?」
雇い主に聞かれたら一発で首になりそうな発言だぞ。澄ました顔して無茶苦茶自由だなこの人。
「いや、命の恩人相手にそんな不義理を働くつもりはありませんよ。絶対にその人を見つけ出します。もし失敗しても……お金はどうにかして払います」
忘れてしまった婚約者を探し出す。簡単なことではないが、何もわからないまま不安な日々を過ごすよりは、明確な目的があった方がずっといい。
それに、家族も友達もいないらしい俺にとって、婚約者の存在がどれだけ大きかったかは計り知れない。
俺自身のためにも、その人のためにも、そして失ってしまった記憶を呼び起こすためにも、何が何でも探し出さなくては。
「……で、どうやって探せばいいんですか?」
「どうやってとは?」
「だから、その、ヒントとか? 何の手がかりもない状況で探し出すなんていくら何でも無理だと思うんですけど」
今あるヒントは、名家の令嬢ということだけ。十文字さんは答えを知っているわけだが、教えてもらっては意味がない。だがせめてヒントくらいなくては、突き止めようもない。
「霞さん。あなたには明日から、学校に通ってもらいます」
「へっ?」
「あなたはまだ高校生ですからね。記憶喪失といっても、知識まで失われてしまったわけではないようですし、きちんと学業に励んでおいた方が良いでしょう」
「それはいいんですけど、なんで急に学校の話を?」
「それがヒントだからですよ」
彼女はピンと人差し指を立て、得意げに語る。
「探すと言っても、何の手がかりもない状態で放り出したりなんてしませんよ。それじゃ見つけ出すのに何年かかるかわかったものではありません。きちんと準備は整えてあります」
「準備?」
「あなたの婚約者がいる高校に、転入の手続きが済んでいます。女子生徒の数は総勢約300名。来年の三月までにこの中からかつての恋人を見つけ出すこと────それがあなたのなすべきことです」
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