第2話 エリートメイド

「ここが、今日から我々が住むマンションです」


 病院を出て、メイドさんの運転する車に乗って向かった先は、いかにも高級そうな高層マンションだ。


 とにかく部屋が広いし、家具も上質なものばかり。俺が入院していた病室もやたらと豪勢だとは思ったが、ここまでくると家にいるのに緊張感があって、ゆったり寝転がることもできない。


 以前の俺がどんな暮らしをしていたか知らないが、ここを贅沢な住居だと感じるということは、割と標準的な金銭感覚の持ち主だったのかもしれないな。


「我々がって……あなたも住むんですか?」

「もちろん、そうでないとお世話できないじゃないですか」

「い、いや、でも、男女が一つ屋根の下というのはどうかと……」


 記憶が無くなっても、倫理観まで失ったわけではない。俺はまだ10代。医者から聞いた話では16らしい。そして彼女も、俺とそこまで歳が離れているわけではなさそうだ。

 そんな恋人でもない若い男女二人が、同棲するというのはいかがなものか。特に俺は他に婚約者もいるというのに。


「これはお嬢様──あなたの婚約者様からのご命令ですし、誰に咎められることもないと思いますが」

「い、いや、でも……」

「私はこれでもプロですから、若い男の子のパンツだって真顔で洗濯できますし、無防備な寝顔を見ても劣情を煽られることはありません。間違いなど万に一つも起こりませんよ」

「改まってそう言われると逆に不安なんですけど⁉」


 あんまり考えてなかったけど、身の周りの世話をしてくれるってことは、掃除や洗濯もするってことだもんな。……せめてパンツだけでも自分で洗うことにしよう。


「ああ、逆ですか。私は確かに世間一般でいうところの美人の枠組みに該当する人間ですから、思春期真っ盛りのあなたには刺激が強いかもしれません」

「自信満々だな……おい」


 だが否定はできないところが悔しい。顔立ちの良さもさることながら、ゆったりとしたメイド服を着ていてもわかるほどのスタイルの良さは圧巻だ。


「しかし、もしあなたが性欲を抑えきれず私に襲い掛かってきた場合、その時点で例の金額が請求されることは確実でしょうからね。危険はないかと。それとも、二億払ってでも私に手を出したいと思いますか?」

「……勘弁してください」


 タダだったとしてもそんな不埒なマネをするつもりはないが……しかし、二億というのはやはり莫大な額だな。到底一介の高校生に払える額じゃない。


 記憶を失う前の俺が大富豪ならどうにかなったかもしれないが、このマンションにドギマギしている時点でその可能性は潰えた。


「治療費と生活費って言ってましたよね? こんな豪華な部屋に住んでるから余計にお金がかかるんじゃないんですか?」

「そうでしょうけど、メイドをつけるにはそれなりの格が必要ですから」

「格?」

「安いアパートにメイドが出入りしていたら、変な噂が立つでしょう。そうなればあなたのお世話を充分にすることができなくなる可能性もありますから」


 それは……まあ、一理あるかもしれない。


 記憶がない中でいきなり病院を追い出されたらどうしようかと思っていたし、俺を引き取ってくれたことについては感謝のしようもないが、だとするとなおさら、俺の家族は何をしているのかが気になる。


「あの、俺って事故で記憶喪失になったんですよね?」

「……ええ、そうですが」

「その前はどこに住んでたんですか? 前からずっとここに住んでいたわけじゃないんでしょ? 今までと同じ生活をした方が、記憶が戻るきっかけも掴めるかもしれないじゃないですか」

「あなたが元々住んでいた家は、その事故で無くなりましたよ」

「……無くなった? 家が?」

「火事で焼けてしまったんです。背中に火傷の痕が残ったと伺っていますが、気づいていなかったんですか?」


 そんな話は初耳だ。……いや、どこかで聞いたかもしれない。記憶喪失のショックに比べたら、火傷のことなんて印象に残ってなかっただけかもな。


「えっと、じゃあ……俺の家族は? まさか、その火事で……?」

「いえ、火事で怪我をしたのはあなただけです。家族は……今はいませんよ。親類が一人でもいれば、記憶が戻るきっかけになるかもしれませんし、引きずってでも連れて来たのですが」

「そ、そこまでしなくとも……じゃ、じゃあ、友達とかはいなかったんですか? 家族がいなくとも、仲の良い人ぐらいは……」

「ぷぷぷ、あなたに友達なんているわけないじゃないですか。嫌ですねぇ」


 そう言って彼女は棒読みな笑い声をあげた後、口元を手で抑え、吹き出しそうになるのを堪えるようなポーズをとる。


 なんで俺、冗談言ったみたいな感じになってんの? え? 友達がいるかどうか聞いただけで?


「おっと、失礼。今はあなたが私の仕えるべき主ですから、おふざけもこのくらいにしておきましょうか。そういえば、まだ名乗っていませんでしたね。私、今日からあなたの身の回りのお世話を担当させていただきます、十文字じゅうもんじ八重子やえこと申します。覚え辛ければ十八子おはこと呼んでください」

「え、あ、ああ、こちらこそよろしくお願いしま────」

「ねえ? どうです? ちょっと上手くないですか? ほら、十文字の十と、八重子の八を足して十八で、十八番おはことかけてるんですよ。このあだ名、私ちょっと気に入っているんです。自分でつけたんですけれどね」

「いいよ解説とかしなくて! わかってるから‼ なんか悲しくなるから‼」


 友達いないのって、俺じゃなくてこの人の方じゃないのか……? 第一印象ではバリバリ仕事のできる敏腕メイドのイメージだったのだが、今となっては真顔でズレたジョークを言う残念お姉さんになってしまった。


 本当に、黙ってれば美人を体現したような人だな。俺、今日からこの人と一緒に住まないといけないの?


 なんか色々な意味で先が思いやられるのだが、果たして大丈夫なんだろうか……?

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