ep8 浩と直子

 窓から朝日が差し込んでいる。最近になってやっと、思い切りカーテンを開け放して生活できるようになった。愛する妻との生活が今日も穏やかに続いていることに、俺は安心した。食卓には香ばしいパンのかおりが漂っている。向かいに座るは「いただきます」というやいなや、クロワッサンにかぶりついた。


「直子は本当に好きだな、それ」

 俺は幸せそうな顔をする直子に話しかけた。

「ええ、浩さんの作るパンの中で、これが一番好き」

 クロワッサンを一口頬張る。今日も完璧に再現されている。パンも、妻も。

「今度は廃棄じゃなくて、焼き立てを食わせてやるよ」

 そう言うと、直子は「ほんとう?」と少女のような笑顔を見せた。出会った頃から変わらない、右頬のえくぼが愛らしい。

「でも、こんな生活続けてたら、ダイエットできないわね」

「直子はそのままで綺麗だよ」

 直子のふっくらとした手を取り握りしめる。今日は直子を三十歳の誕生日のディナーに連れて行くつもりだ。今日もたらふく美味しそうに食べてもらわないと困る。


「ねえ、一つ気になってたんだけど」

 食器を片付けながら、直子が言う。

「店のパンは、パンを分裂させて、いわば複製品を作ってるんでしょう」

「ああ、そうだよ」

「……その、オリジナルって、浩さんが作ったものよね?」

 ためらいがちに直子が言った。その視線の先には、閉ざされた客間がある。もう開けることのない部屋だ。俺は動揺を隠して「当たり前だろ」と答えた。全国の名店のパンを買い漁ってそれを元にしたなどと言ったら、直子は落胆するかもしれない。

「そうよね。浩さんのパンがあまりに美味しくて、元のはどうやって作ってるんだろうって気になっただけで……深い意味はないのよ」

 直子はなぜかしどろもどろだった。直子の大好きなクロワッサンは、掘り出し物のように見つけた、夫婦が営んでいた小さなパン屋のものだ。とっくの昔に閉店したし、バレることもないだろう。

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