終末世界の過ごし方_17 天高く馬肥ゆる秋

 広場のベンチに腰掛けたマギーが、路地裏の王女さまとニナが遊んでいる光景を眺めながら呟いた。

「子供たちが遊ぶ姿はいい。心が洗われる」

「同感だ」ベンチの隣には王女さまの父親が座っており、揚げたパンを口に運んでいる。


「今年も残りもう僅かだ。冬籠りの準備は出来てるかね?」王女の父親が問いかける。

 冬の到来は、渡り人や貧しい人々にとって厳しい季節の到来を意味していた。

「私たちはね」物憂げな口調で応えてから、マギーは父親を眺めた。

「ご老人と子供たちなら問題ない。あの人は年齢の割には働き者だ。

 それと、もう二、三人であれば、私たちは引き受ける余裕がある」

 遊びに興じてる子供たちを変わらず眺めながら、王女の父親は微笑みを浮かべていた。

 それから、マギーを値踏みする視線で眺めて、淡々とした口調で誘ってくる。

「良ければ、一緒に来ないかね。べつに若い女性だから言ってるのではない。

 君たちは、廃墟を探索するのが得意だし、いてくれると役立ってくれるだろう。

 見返りに関しては……わたしたちの集団は冬を越える為の準備も大分、整っている」

 マギーはベンチに肘をつきながら、ニナの動きを目で追っていた。廃墟に居た頃よりも、ニナは動きが鈍っているように思えた。しかし、ニナの身長も伸びている。体重の増加に筋肉量が追いついてないだけだろう。

 食べものに困らず、それなりに安全なポレシャを離れる考えは、今のところ、マギーにはなかった。


「あなたが誰彼と手を差し伸べているのは知ってる。何処で冬越えをするかは知らないが……」マギーの言葉に、王女の父親が少し考えてから応える。

「安全な土地だ。食べ物は少ないが、少なくとも薪には困らない」

 受けるかどうかは別として、父親の言葉に嘘はないだろうとマギーは判断した。

 森か林の近くか、泥炭なり、石炭が採れる場所なら、悪い条件ではないとは思う。


「こんな時代だ。人は助け合わなければ……ただ、わたしたちも誰でもいいと言う訳ではない」誘いの言葉がもう少し早ければな、と考えつつマギーは応えた。

「わたしたちも冬には備えている。なんとかなると思うが、難しいようであれば頼らせていただくかもしれない」

「そうか。気が変わったのなら、早めに言ってくれ。では」

 マギーの言葉にうなずいて、父親は立ち上がった。

 娘に声を掛け、手を繋いで雑踏へと消えていく背中を、マギーは静かに見送ってから、ベンチの上で行儀悪く胡坐をかいた。


 父親の集団は、何処か離れた土地で冬を越える予定と思える。

 多分に土壌の痩せた農村か、寂びれた小集落。もしかしたら、放棄された居留地や守りの固そうな大型建築物でも見つけているのかも知れない。


 出稼ぎ労働者が仕事を求めて大きな居留地で共同生活を営み、仕事が無くなる冬には故郷へと帰って、また春になれば大きな居留地へとやってくる。

 大きな居留地では、よく聞く話だった。父親の集団も毎年、春になって居留地ポレシャにやってきては、秋の終わりに去っていくのだろう。そして時折、曠野に去ったまま、二度と姿を見せなくなる者たちがいることもマギーは良く知っている。


(……あの人たち、嫌いではないな。また、会えるといいけれど)

 別れはまだ先だが、なにはともあれ、マギーは王女さまとその父親の一団の無事を祈った。独りになったニナが駆け寄ってきた。息を切らしつつも、楽しげに笑っている。マギーも、額を合わせてニナへと微笑みかけた。




 居留地の空に雲は高く、早く流れていた。畑で有輪犂を牽く牛や馬も肥え太り、力に満ちている。

「天高く馬肥ゆる秋、だね」マギーは空を見上げて呟いた。

 前漢の名将・趙充国の言葉で、後に日本においては過ごしやすい秋の素晴らしさを謳う季節の言葉として用いられていた。


 秋の収穫期を前にして、マギーとその他大勢の作業員たちは、麦畑を守る垣根の修繕作業に従事していた。木製の杭を打ち込み、植物性の枝や蔦で隙間を塞ぎ、牛糞や土、粘土などを混ぜ込んで小動物なども通り抜けられないようにして完成となる。

 広い範囲の囲いを連日、点検、修復する簡単な作業で比較的に力のいらない仕事なので作業員には老人や若年者も少なからず混ざっていた。

 中には、成人仕立て。十五歳ほどに見える青年もいたが、彼は既婚者で、腹を膨らませた新妻さんが近くでお茶を入れる準備を手伝っていた。


 食物が少なくなる冬の季節、狼は群れを作って獲物を狩ると言われている。野生動物や怪物の多くが冬に狂暴化するのは自然の摂理なのだが、狙われる側の人間としては溜まらない。獲物である人間たちとしては、冬の前に防御設備に色々と手を入れて補修しておく必要があった。


 一メートル半に満たない高さの木柵は、曠野と麦畑を区切る形で大地を縦断していた。大型の獣の体当たりには耐えられず、また狼や変異獣ミュータントの類などは飛び越えてくるかも知れないが、そこは秋から春に掛けて雇用される狩人や傭兵たちの出番であって、彼らは畑地と曠野の境の見張り小屋に常駐して、近寄ってくる怪物や野生動物など追い払うのだ。射殺された獣は買い取られて冬の間、貴重な肉として居留地の住民たちに提供される。


 張り巡らされた木柵も、さしあたって小型獣や巨大鼠の侵入などを防げれば充分であって、また破られたらはそれはそれで破損部分が異常を教えてくれる。

 マギーは悪い仕掛けとは思わなかったが、他の作業員にはぶつくさ言ってるものもいた。


「こんなもん、作っても無駄だ」吐き捨てている男性がいた。

「毎年、毎年、でかい奴には簡単に破られる。猪やら熊やら……小さい奴は地面に穴を掘って入ってくる。どのみち、畑には、もう鼠やらが巣食っている。馬鹿馬鹿しい」

 賢しら、というよりも、やけに実感が籠っている悔しげな感からするに、別の土地で農民をやってたのかも知れないとマギーは思った。


 銃を持った人間であれば、辛うじて撃退できるかも……みたいな巨獣どもが集団で畑を荒らすこともしばしばあると聞いている。それはポレシャのように十数人もの居住者が、ライフルやら拳銃やらを保有している居留地であれば、巨獣だって撃退できるかも知れない。広大な農地の一部が荒らされても、立て直せるかもしれない。

 だけど、小さな集落や農場で巨獣の群れに囲いをぶち破られて、畑を完全に掘り返されて作物を食い荒らされては、もう零細農民では生活の立て直しようがない。そうして遺棄された農場は、街道沿いで幾らでも目にすることが出来た。


 マギーは、何も言わず、聞かないことにして手を動かしていた。彼の無念を感じ取ったのか。他の作業員も聞き流してやって作業に励んでいた。


 頑丈な杭と杭の間に、組み違えに太い枝や蔦を挟んで、ハンマーを打ち下ろして隙間を塞ぐ。もしかしたら、交易商人より向いていたかも知れないと思う程度には、マギーは工作や土木作業も嫌いではない。なので連日、仕事を貰っていた。

 何処かに土地でも買えたら、自分でも家を造れそうだった。まあ、今知ってる工法と買える資材だと、怪物に襲われたら簡単に破られてしまいそうな壁しか作れないのだが。


 野生動物や怪物の類が、居留地の町はずれを襲ったり、畑を荒らすのが増えるのも主に冬での出来事だった。


 作業に一段落つき、額の汗を拭きながらマギーは薬缶の水を口にしていると、地平線の彼方に黒い影がポツンと見える。

 目を細めたマギーが振り返ると、言われるまでもなく作業を監督していた農家の娘さんが肩に担いでいたライフルを両手に取っていた。


「……人間かな?」 

 曠野の赤茶けた地面をこちらに向かって真っすぐに近づいてくる二人組の人影と気づいて、農家の娘さんが声を掛けた。

「そこで止まれー」

 畑の囲いのすぐ外に立ち止まったのは、革のジャケットに大型のクロスボウを担いだ男女二人組だった。

「おーい!ハンター?」農家の娘さんの呼びかけに、二人組が応えた。

「ああ、ハンターだ!仕事はあるか!?」

「幾らでも!ようこそ、ハンター!」農家の娘さんが歓迎の声を上げる。


 秋の中頃からは、街道上を行き交う狩人ハンターの姿も見掛けられるようになる。畑を荒らす怪物などを退治して金を稼ぐことを生業としている者たちで、時には賞金を懸けられた怪物などを狙って狩りたてもする。


 流石に変異獣ミュータントの群れなどには敵わないが、充分な報酬を支払えば、町はずれに近づく変異獣ミュータントやゾンビ、コヨーテなどに目を光らせてくれる、それなりに頼りになる連中だった。間近で活躍を見た居留地の子供にとっては憧れな職業の一つで、冬の時期には無鉄砲な我が子が勝手についていかないかと気を揉む親も少なからずいる。実際は、狩人ハンターとなるのは居留地でも代々が狩人ハンターの一家か、もしくは親が流れの狩人ハンターの子女などが大半であった。


 肩で風を切って真横の農道を通り過ぎていく二人組の狩人ハンターを見送ってから、労働者たちは口々に好き勝手言いあった。

「へぇ、狩人ハンターだってよ」

「ようこそかぁ、おいらも言われてみてえや」

「今年は何人くらい雇われんだべ」と小柄なガスマスクのフードが首を傾げる。

「まあ、七、八人だろうな」と、痩せた男が訳知り顔で言うと、他の労働者から驚きの声が上がった。

「まさかよ。前にケセの居留地で働いてたが狩人ハンターなんざ精々二、三人だったぞ」

「そうだ。歩哨の傭兵だって四人だよ」口々に否定されるが、痩せた男は古参労働者で、居留地ポレシャの事情に色々と通じていた。

「境界の小屋貸して、冬越えの薪と食料支給して。

 後は獲物仕留めたら、弾薬と幾らかのギルド通貨。

 そんな危なくない割のいい仕事ってんで結構、来るのよ」落ちついた口ぶりで説明されると、残りの作業員たちも顔を見合わせた。

「なぁる。そんなもんかね……」

「だからって来る奴全員、雇い入れる気かぁ?」

「ハンターが多けりゃ、ならず者もその町は避けるからなあ。

 それも期待しての事よ」痩せた男の説明に、ついに納得した様子で頷きあっている。


「冬越えの心配もなしに、金も貰えて、肉もたっぷり食えるんだろうな。はぁ。俺もハンターになりたいもんだなぁ」新婚の青年が洩らした言葉に、お腹を抱えたお嫁さんがギョッとしたように旦那の顔を見るが。

「やめときなよ。真面目に働くのが一番だよ」

 手を動かしながらのマギーの言葉に、新婚のお嫁さんが我が意を得たりと頷いている。

「廃屋漁りのマギーさんが言っても説得力がねぇやな」

 一人の作業員が揶揄からかうように言って、へへ、と笑った。


 マギーが、ぴたりと静止した。

「おいおい、恐い顔しねぇでくれよ。冗談だって」作業員は困ったような顔をする。

「……静かに」囁いたマギーは地面に耳を当てた。

 しばし後、舌打ちしながら身を起こすと、今度は目を細めて地平線をじっと眺める。

 それから修繕中の壁に乗って、近くの灌木に手をつき、目を凝らして十数秒も彼方を見続けていた。

「ちょっと……マギー?」困惑しながらも、咎めるように声を掛けた監督役の農家の娘さんを無視してマギーが呟いた。

「……ヤバイ」

「な、なにが?」農家の娘さんが歩み寄って尋ねる。

「ヤバい。ヤバい」語彙が消えたみたいに繰り返してるマギーの顔は、やや青ざめていた。

「……蟻だ。何匹もいる」

「蟻?」噓でしょ、と言いたげに農家の娘さんの顔も強張った。

「蟻って……なんかの冗談じゃなくて?」と、お腹を抱えた奥さんが困惑しながら、旦那と顔を見合わせてる。

「間違いない。足音に聞き覚えがある!糞ッ!ニナならもっと早く気づけたのに」マギーは周囲を見回してから、農家の娘さんのライフル銃を指さした。

「撃って。撃っててっば」マギーの視力でもまだ地平に蠢く小さな点だが、農家の娘さんには見えなかった。

 他の者も「足音?聞こえた?」「さあ」などとざわついている。

「いるとしても無駄よ。此処から撃っても当たらない」きっぱりと拒否する娘さん。

「違う!発砲することで他の人に知らせるんだ!」マギーが喚いて、他所の畑を指さした。

「此処が一番端の畑だから、他の人はまだ気づいてない!」


 言い争ってる二人を他所に、大半の作業員たちも、まだ半信半疑だった。しかし、数人は逃げ腰になっている。囲いに文句を言っていた男もだ。自分の荷物を掴みながら、他の労働者たちにもすぐに逃げるように促がしているが、どうにも反応が鈍い。

 特に若い夫婦に熱心に逃げるように言ってた男だが、正常性バイアスだろうか。ポレシャで長く暮らすものほど、恐ろしい怪物や野生動物でもあっさりと仕留められるので、大したことがないと思ってしまうのかも知れない。

 二、三度悲しげに首を振ると、文句を言ってた男は駆け去っていった。

「ああ、ちょっと!」農家の娘さんが呼び止めるが、二、三人は逃げてしまった。作業員が仕事を放り出して逃げ出した。農家の娘さんにとっては、親父さんに監督責任を問われる事態だった。

「マギー!間違ってたら、酷いよ!兄貴のお嫁に来てもらうからね!」

 農家の娘さんの脅迫に、マギーは急に自信が無くなったように呟いた。

「……えぇ」

 それからもう一度、確かめるように囲いの外へと視線を投げかけ、今度は確信をもって振り返る。

「済まないけど、私も逃げるよ。給料は後で」

 マギーは背嚢を背負いながら、皆とは違い、反対側へは逃げない。居留地ポレシャとやや距離を保ちながら、町の出入り口がある北へと向かって早足に歩き出した。

 巨大蟻が本当に近寄ってくるなら、その進路を横切る道筋だけに他の者たちはマギーの後を追うのに躊躇いを見せていた。兎に角も危険と考えた者は防壁の傍に向かって動き出しているが、一方でいまだに困惑したり、途方に暮れたように互いに顔を見合わせている者たちもいた。

 判断が遅い、とはマギーは思わない。逃げ出したら、賃金がどうなるかも分からないし、普段は巨大蟻も含めた少数の怪物や野生動物など、武装したポレシャの農民たちは忽ちに駆除してしまうからだ。


 マギーはすぐに早足から、小走りに。そして駆け足へと速度を上げた。

 横目で蟻を見る、と点々と黒い影の横列が押し寄せてくるのが目に入った。

(……嘘だろ、いったい何匹いるんだ。それに蟻って縦列じゃないのか?)


 マギーは、趙充国の故事を思い出していた。前漢の時代、異民族・匈奴と戦っていたその将軍は、秋の時節、遊牧民である匈奴の馬が逞しく肥えて、活力に満ちた状態となるのを恐れて警句を発した。曰く、天高く馬肥ゆる秋。

「……怪物も元気な活動期に入る訳ね。そりゃそうだ」マギーは苦く呟いた。

 今のままの速度であれば、巨大蟻が進路をふさぐより前に潜り抜けられるだろう。

 どうやら、町には無事に逃げ込めそうだ。兎も角もマギーだけは。


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