終末世界の過ごし方_15 晩夏の奇跡
1ポンド。約450ℊは、昔の欧州で人ひとりが一日に食べる麦を表した重量を基に定められた。一部文明が中世水準まで後退した以上、生活に根差したヤーポン法もまた一定の復権を成しているが、兎も角も麦1キロが食料2日分と少しと考えて貰えば、間違いはない。
ポレシャにおけるおおよその日当の相場は、麦紙幣1キロ半から、食事と寝床付きで麦紙幣1キロ相当である。この日当から調理に使う薪代や水代などが差し引かれるが、路地裏の住人は安い麦粥を買うか、集団が共同で調理することで薪や水などを節約していることが多い。ちなみにポレシャの麦はかなり安く、賃金は高めに支払われているので、小さな居留地などでは、一日の賃金が麦換算でポレシャの半分程度となるのも珍しくない。
働いてポレシャ紙幣を稼ぎ、休日には息抜きをして、偶にビールを楽しみ、廃墟を漁り、使えそうな品を持ち帰って、幾らかは金に換える。晩夏に差し掛かる頃には、ニナとマギーの貯えはポレシャ紙幣だけで麦百キロ相当に達していた。
ある日の路地裏にて、マギーとニナは冬越えについて話し合っていた。
「寒さの厳しくなる冬。特に12月、1月、2月の3カ月を乗り切るのに、わたしたちが取りうる選択肢は大きく二つ」とマギー。
「ズールで過ごすか、ポレシャで過ごすか」と、ニナの言葉にマギーは頷いた。
「ポレシャで過ごす場合は、簡易宿泊所に泊まることになる。
その場合、冬の宿泊費は薪代込みでかなり上がるので、貯えを殆んど吐き出すことになるけれど、逆に言えば貯えを出せば一冬を越える事が出来ます」
マギーとニナは、路地裏で冬を過ごすつもりはなかった。そして一冬を暖かな屋根の下で過ごせるか、露天で過ごすかは、貧しい
簡易宿泊所とは、広大な部屋に幾つもの寝台が並んでいる宿泊施設であった。布で仕切りがされたり、足元には小さなロッカーがついてることもあるが、基本的には寝台に寝るだけでお金を取られるのでいい商売だな、わたしもやりたいとマギーは思っている。しかし、その分、宿泊料もかなり安い。
「冬を越えるに必要な食料が80キロ。宿泊料が薪代込みで麦50キロ相当。130キロ相当のポレシャ紙幣で冬を越せます」
なんとか冬は越せそうだと頷いたニナだったが、それは少々早合点だった。
「利点はポレシャ紙幣で泊まれること。移動の必要が無い事。治安が良い事。
ただし、早めに埋まるので、泊るならば遅くとも中秋までに予約を入れておきたいです」予約を入れそこなった場合には他に探さないとならないし、そちらが予算内に収まるとも限らないとマギーが言う。
なら、早めに予約してしまえばいいのでは、と首を傾げるニナだったが、マギーが結論してないからには相応の理由があるのだろうか。
マギーは少し考えてから喋っている。頭の中で言葉を纏めているのだろう。
「ポレシャの簡易宿泊所が、選択肢の一つ。対して、ズール滞在のメリットは、より強固な壁の内で過ごせること。かつ図書館なども利用できることだけど、ズール滞在にはさらに幾つかの選択肢があります」とマギー。
「うん」とニナが頷いた。
「まず、壁内の廃墟に潜り込むこと。主として流民や貧しい
思わずニナは吹き出したが、案外、これは冗談でも無かった。
遊牧民や金のない傭兵団、流れ者の一党なども廃墟や空き地に天幕を張って冬を越える事があり、近隣の住人との揉め事が絶えないのだと言う。そもそもズールは
「……ズールで過ごす利点があるの?図書館は魅力的だけど」
ニナは首を傾げながら、真っ当な疑問をぶつける。
「……冬の野生動物や餓えた
「例え百匹の
鉄板を張ったり、廃車を積み上げて、丸太で補強した高さ三メートルの防壁。ライフルを持った有能な歩哨。ポレシャの防壁も防備もけして悪くはない。だが、遠目だけにせよ、同規模の居留地が滅びた痕跡もまた旅の途中で目にしている。
「理解した。続けてください」
異論はなかった。数十秒の黙考の末、ニナは頷いた。
「まず、木賃宿です。ポレシャの簡易宿泊所に泊まるより、より安く済みますが、雑魚寝です。色々な宿がありますが、客層の良くないところでは、物を盗まれたり、夜這いを掛けられたり問題もあります。
ただ、金のない行商人たちが利用する所を知っているので一応、安全です」
あまりお勧めという態ではなかったが最悪、何処も確保できなかった場合、駆け込みでも泊まれるとの事だった。
「ズールの簡易宿泊所は、安くてそれなりですが、逆に常連が大体決まっています。予約しても、寝台が無くなったとか、酷い時には予約してなかったとか言われて追い出されます。これも、わたしに伝手があるので泊まれます。一応、お勧めです」
補足したマギーが、ニナに視線を送った。
此処までで特に質問はないと、ニナは頷き返した。
「あとは、冬の間だけ下宿を探すくらいか。安く済む屋根裏などを借ります。値段は交渉次第ですが、簡易宿泊所より高くつくでしょう。代わりに盗みの被害にあう可能性は低くなります」
そう説明してから、マギーは最後にこう付け加えた。
「いずれにしても、早めに決めておいた方が少しだけ安く済みます」
冬越えについて要点を踏まえてニナも頷いた。
来るべき冬には貯め込んだ蓄えの殆んどを吐き出さざるを得なかった。ただ、逆に言えば、二人は餓える事もなく、風雨に悩まされることのない部屋で薪で暖まりながら冬を越えるだけの金を貯めてもいた。
金か、食料のどちらかが足りない
(……老人や子供にとっては厳しい季節にゃあ)
来るべき冬を憂いながらも、ニナは時々あばら家の幼子二人を連れて昼食を食べさせ、ついでに防壁の内側を連れ立って散歩している。
週に二、三度の頻度ではあるが度々、広場を訪れていれば、いずれは子供軍団と会うのも時間の問題だった。
「あら、可愛いわね!」遠慮なく踏み込んでくる友人との遭遇。こうなるのではないかと危惧していた通りの反応に、ニナは天を仰いだ。
「あんたたち?お名前は?」目線を合わせるようにしゃがみ込んだ路地裏の王女が、目を輝かせて二児へと尋ねているがどうにも圧が強い。
「うぅー」
広場の遊具で遊んでいた二人は口ごもってニナのもとへと駆け戻ってくると、その背中へと隠れた。
「えぇー」不満そうに唸り声を上げる路地裏の王女さま。
「なに?マギーが子供でも産んだの?」と子供の一人がとんでもないことをほざいた。
「なに、とんでもないこと言って……」マギーの子ではないと否定する。
「おらの姉ちゃん。マギーより年下だけども、もう子供産んでるぞ」棒切れを振り回してる少年は、それからポッと頬を染めた。
「マギー恋人おらんの?おれが成長したら、結婚して欲しい」
うぅー、と怒りの声を上げたニナは、棒切れを奪うや少年の尻をぺしぺし叩いた。
「な、なにをするぅー?!」
「拾ったの。ほら、あの家を持ってるお爺さん。あの子たち、南の畑の方から来て」
奪った棒切れを地面に放り捨てながら、ニナは友人たちに事情を説明した。
「子供二人で自宅に留守番させるわけにもいかない?だから、広場に連れてきた?
それは正解ね。あたしたちが守ってあげるわ」子供らが賛同の叫びを上げる。
現在、進行形で脅かしているように見えるのですが。
「親はいないの?」路地裏の王女がずけずけ聞いてきた。
「おぉ、踏み込む」眼鏡の子供が驚愕していた。
「大事なことよ。保護者の有無って」臣下どもを振り返って、王女さまが宣った。
「だっていないなら、私たちが面倒見ないと!」
時々、凄いな。こいつ。と思いながら、ニナは子供二人を眺めた。
庇うべきか、こいつらと一緒に遊ばせてみるべきか。
わやわやと騒ぎ立てながら、子供一同は広場の隅。老人と幼子らが出会った場所まで移動した。
「ここで出会ったんでございますよ」とニナ。
何故か、幼児たちとの出会いを説明させられている。
幼子たちはお爺さんから貰った小さな碗を二つ、ポケットへと入れていた。
広場を取り囲む石垣を背に二人きりで座り込んで、お爺さんのお椀を握りしめながら少し大きい子供たちを眺めている。
「ちょっと緊張してるから」ニナが警告しつつ、守るように立ちはだかった。
ちゃんと相手してくれるならいいが、玩具にされたら溜まらない。
「あたいたちで人馴れするべきよ。でも、そうね。みんな!ちょっと静かに!」
「弟や妹もいると思うけど、そちらは構わないの?」幼子たちを撫でながら、ニナは興味を逸らそうと試みた。町はずれには若夫婦も少なからずいる。赤子の泣き声だって響いてくるのだから、幼児もいるだろう。
「いるのはいるけど、それくらいの子は家から出てこないからね」
目を離すと危険な年齢の子は、親の目が届く範囲からは離されないそうだ。大人でも時々、家に入り込んできた巨大鼠や穴鼠などに齧られたなんて話を耳にするので、さもありなん。裏庭で放置される二人に抱いた危惧は、やはり間違ってはなかったのだろう。それはそれとして、ニナがこの二人を守り切れるとも限らないが。ニナは二人の頭をキュッと抱き寄せた。二人が抱きしめ返して来た。お姉ちゃん力が湧いてくる。
路地裏の王女がポシェットをごそごそして、食べ物を取り出した。
「美味しいもの食べる?」
蜂蜜を縫った小麦焼きのパンに、お姉ちゃんパワーは敗れ去った。
きゃっきゃと纏わりついてくる幼子二人に、王女さまがお姉さんぶっている。
取り巻き共は、微笑ましく見守っていた。
NTRは好きではないとニナは思った。姉の隠し持っていたHな本で、あれだけは理解できなかった。
幼子二人が完全に奪われてしまったので、手持無沙汰のニナは前から気になっていたことを周囲の子に尋ねてみた。
「皆は、お小遣い貰ってるの?」
「あたしは家の手伝いをして、お金をもらってるわ。自立した女に成れるようにね」
多かれ少なかれ、貰ってるらしい。予想はしていた。お菓子を買う子に、木彫りにしろ玩具を持ってる子も多い。
近代以前。子供は労働力であったが、今の時代に子供だけで居留地の外でできる仕事なんて存在していない。野良仕事の手伝いは勿論、水汲みや薪拾いさえ武装した大人の警戒が必要だった。野外で薪を拾う独り者などが時々、死体になって転がっているのを見かける。二、三匹の
どの家の父親も……家庭によっては母親や兄、姉も壁外の仕事に従事している。大人になれば、危険に満ちた野外での作業をせざるを得ない。
ズールへ赴く途中、立ち寄る村落や農場の多くは、子供も労働力として活用している。より小さく貧しい居留地では、生きる為にそうせざるを得ないだろうし、子供を厳しく育てるのと、優しくするののどちらが正解かは分からない。兎も角も、
「あんたたちを、あたいの家来にしてあげるわ!」王女さまが叫んでいた。
出たよ。これさえなければいい子なのに。
兎も角も、その日は、新しい仲間二人を加えて大いに遊んだ。
(子供は何時の時代も、禁じられた場所を見つけるのに才能を発揮するものだが)一応、入ってはいけないと言われている地域で、しかも、危険ではない廃墟を見つけ出し、スカベンジャーごっこなどを行ったりした。
戦車を拾ったハンターやミュータント軍団を倒した英雄になりきって遊ぶ子供たちの中で、二人は清潔な服を着て、手を繋いで歩き回っている。
きっと、幸せに違いない。
この中の何人と冬明けにまた会えるかなぁ。思いつつ、ニナも楽しんだ。
木の影から羨ましそうに眺めていた小僧がいたので、仲間に加わるか声を掛けたが、バーカ、怠け者と叫びながら、逃げ出してしまった。変な奴だった。
農業を主な産業とするポレシャにおいて秋は農繁期となる。野菜類の収穫と冬麦の種まきが行われ、大きな都市から仕入れる幾らかの窒素肥料に大崩壊前の品種改良。ばん馬や役牛を用い、進んだ農業知識や器具を活かしての農作業で、かなりの収穫を上げることが出来るが、麦の播種に冬野菜の苗植えや野菜や果実の収穫作業には多くの人手が必要とされている。
秋を目前とした晩夏は、比較的に農閑期であるが水路の浚渫やら居留地内の建物の修繕、気温を利用してのレンガ制作や製鉄の手伝いなど、一年を通して仕事が絶える事はない。
あばら家の老人は、疲れた足を引きずりながら帰宅の途へと付いていた。今日の仕事は、冬の播種を前にしての麦畑の雑草や雑穀の処理作業で、比較的に軽作業に廻されたにも関わらず、郊外での野良仕事を終える頃にはクタクタになっていた。
(……何か作ってやらんと)
ニナが面倒を見てくれているが、子供らに与えるのは昼の麦粥だけだった。
一食だけなら、麦にして二人で精々百から二百グラム。粥にすれば増えるので、月に七回から八回の面倒を見ても一キロと少しで済む。
それだけでも、充分に有難いことに違いない。なにより一緒にいた日は顔が明るい。それでも、子供らは帰宅時には腹を空かせているのが常であった。
あばら家の敷地に足を踏み入れる、と子供らが幸せそうに椅子の上に眠っていた。
夕食前にも拘らず、子供たちは何か食べたようだ。
そこら辺に生えてる木の実でも口にしたのではないか。有毒の実も混ざっているのだ。老人が慌てて駆けよると、子供たちの口から甘い香りが、けぷ、と漏れた。
あばら家の老人は顔を綻ばせる。蜂蜜と小麦の匂いだった。
それからも時々、幼子二人を連れたニナと顔を合わせると、路地裏の王女さまと子供たちは、年下の子たちに色々と食べさせてくれた。
「よかったね」やや複雑な心持ながら、ニナは言った。毎日、という訳にもいかないだろうけれど、二人の栄養状態が良くなってきているのは間違いない。
「家に放置は感心しないのだわ」と王女さま。
「他にやりようがないよ。家の中に閉じ込めるわけにもいかない」
防犯上、子供だけを留守にするのも、危険だった。かと言って、家の周りの誰かに預けると言う訳にもいかない。皆、似たり寄ったりの貧乏人ではあるし、当たり前だが、必ずしも善良とは限らない。食べ物を予め与えておいても、下手をすれば、悪ガキなんかは子供たちから奪いかねない。
子供たちの全てが、穏やかな庇護を享受している訳でもない。辛うじて居留地へとたどり着き、一人で生きてる浮浪児などもいる。自活して信用を得る者もいるが、盗みなどで評判の悪いものもいる。子供も働かざるを得ない家もあれば、子を甘やかすのを好かない親もいて、助けられるだけの幼子を面白い目で見てないかも知れない。
父親が路地裏の顔役である王女さまに、何人か、注意すべき子の名前を教えてもらった。とは言え、辛い境遇だからこそ、幼い子などに優しくなる人もいるので、決めつけるべきでもないと釘を刺される。たかが数百人の共同体でありながら、なんとも複雑な人間模様だわ、とニナは驚嘆するしかない。
兎も角も、王女さまの私たちが面倒見るのだわ!は、ただの放言でなく、子供らは色々と持ち寄っては、幼子たちに与えていた。
けして裕福ではないだろうに、親に怒られないのか。それでいいのかとも思ったが、冬までも続くとも、なんとかなるとは思わなかった。
所詮は、物珍しさに違いない。面倒を見続けるのは大変なことだったし、いずれは飽きる。なにより小遣いが続くはずもない。
そう考えていたニナが違和感を覚えたのが毎日、子供の誰かしらが立ち寄って、野菜や肉の煮込んだものまで与えるようになってからだ。
どうやら、大人が色々と持たせてくれているらしいと気づいた時に、ニナは衝撃を受けた。自分が助けていると言う自負があったのかも知れない。
なので、王女さまの父親が屈みこんで、幼子二人の頭を撫でつつ、あばら家の老人と話し込んでいるのを見た時には何故か、思わず足が立ちすくんだ。
路地裏に暮らすうちの十数家族が食べ物など都合して、あばら家の老人たちの生活を手助けするとの事だった。毎日の昼食を持ち回りで誰かしらが用意するとの事で、あばら家の老人の生活が厳しいことに変わりはないけれど、負担は随分と軽くなる。
なんとか、なるのだろうか?助け合う。そう言う解答もありえたのか。
それにしても、路地裏の
勿論、喜ばしい事であるのに、まるで自分のしたことが余計な事だったようにもニナは思えた。下手な手出しをしなければ、もっと早く手助けしたのではないだろうか、などと思ってしまう。
その日の午後。ニナとマギーは、あばら家の老人の家へとお邪魔していた。天井には小さな電灯が室内を照らしており、電池式のようだがマギーはびっくりしていた。
二人の子供はベッドの中で穏やかな寝息を立てていた。奥の部屋で老人が何か作業している音だけが夜の静寂に響き渡っている。
「子供と言うより、幼児だね」あどけない顔で涎を垂らしている二人を眺めて、マギーが呟いた。
老人が聞き取ったところでは、子供たちには親はいない。二人とリッキーだけで彷徨いながら偶々、居留地にたどり着いた。
リッキーと言う、誰かは分からないがもう一人いたようだ。その彼が水を取ってきたり、食べ物を与えてくれた。だが、何時しか、そのリッキーもいなくなり、居留地へと向かう人の流れを見て、ついてきたと。
「ああ、そう考えると、最初から色々な人に助けられたんだねえ」
ニナは感慨深く呟いてから、小さく付け加えた。
「私は、まあ、その一人と……」
「奇跡が起きたよ」と、あばら家のお爺さんがお茶を運んできて、差し出してくれた。
お茶に口をつける。子供たちの未来が開けた。ニナの喜びはほんのわずかな苦みを伴っていた。或いは、廃墟にいては、けして知ることのなかった人生の醍醐味かも知れない。
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