終末世界の過ごし方_14 半ポンドの麦

 何故、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうんだろう。ねぐらへの帰り道で、ポップコーンの残りを食べ歩きしながら、ニナはしみじみと人生の無常を儚んだ。とは言え、人生は儚いけれど、それはそれとして人生は超楽しい。

 ポップコーンを食べ終わっても、飯盒メスティンには、チーズの掛かった麦粥。蜂蜜を塗った小麦焼きをお土産に買っても、まだ小遣いが残っている。映画まで見て、明日と明後日もSF超大作を見れるなんてヤバいな。

「……マギーは私を甘やかしすぎてる!」ニナは断言した。

 子供のうちしかできない体験があるとか言って、お小遣いを押し付けてきた。

 崩壊後の世界なのに、普通に人生を謳歌してしまってる。

 楽しすぎておかしくなる。隕石堕ちてきて死ぬんじゃないかな?

 ニナは心配になって空を見上げた。汚い変な鳥が飛んでた。


 それにしても、フラッシュ・ゴードンは噂に違わぬ名作だった。他の子たちも呻いたり、叫んだりしてた。きっと楽しんだに違いない。

 夕暮れまで何をしよう。まだまだ遊ぶ時間が沢山ある。広場や公園に行って、遊び相手を探してもいい。楽しすぎて時間を忘れそうだった。

 それでも日没前には、塒に戻って玄関扉バリケードを設置しておかないと駄目だった。マギーだって、今日は帰ってこれないかも知れない。万が一はないだろうけど。


 塒近くまでやってきた時に、ニナはふと足を止めた。

(そう言えば、おじいさん。もう帰っただろうか?)

 あばら家の老人の動向が。正確に言えば、家に残されたであろう二人のおさなごがどうにも気になった。

 あばら家の老人。木こり仕事や水汲みの行事には毎回、参加していた。

 独り暮らしの老人にとって安価な薪や水の確保は生命線だろうけど、水汲みなどは十数人掛かりの大仕事で一日で終わらず、二日掛かりになる事も多い。


(すると、参加してないかな?だけど、安い水や薪が入手できなければ、そもそも世話するどころじゃない。いや、子供たちを誰かに預けたかも……)


 どうにも気になった。どうにもできないとは言え、まったく気にしないのもまた違うと思い、多分、大丈夫とは思いつつもニナは近所のあばら家へと足を向けた。


 あばら家の扉を叩きながら、ニナは呼びかけてみた。

「誰か、いますかぁ?おじいさぁん?」

 誰もいない感じだった。それは老人は勿論、働きに出ているだろう。

 子供たちもきっと誰かに預けたんだな、とほっとして踵を返そうとしたニナは、家の横に裏手に通じる細い道があるのに気が付いた。

「うん?」少し迷ったが、ニナは足を踏み入れた。

 裏手には猫の額ほどの狭い庭があって、奥にはトイレが掘られている。


 子供たちは、家の壁に寄りかかっていた。僅かにぐったりしているようにも見えるが、意識はしっかりしてた。

「んー?」

「だあれ?」

 ニナを見て首を傾げ、尋ねてくる。

 二人とも水筒はちゃんと首から掛けてる。ただ、空のようだ。

「世話が出来ない……って言うのも違うんだろうね。だって、あの人が居なきゃ、この子たち、生きていけるか分からないもの」

 呟きながらしゃがみ込んだニナが水筒を差し出すと、二人とも口をつけた。

 喉を鳴らして水筒を空にすると、猛烈な勢いでお腹が鳴り始める。

「何時から食べてないの?」ニナが尋ねると、二人は首を傾げた。

「食べたよ」

「じーが帰ってきたら、またご飯もらえる」嬉しそうに笑ってる。

「じー、か。じー」ニナは鼻を鳴らした。

 七時か、八時に家を出て……今は、昼に映画を見たから二時半から三時。

 野良仕事だとして、休憩時間に戻ってくるのは無理ではない。無理ではないが、老人だ。肉体労働をしながら、休憩時間に行って帰ってくると言うのはいかにもきつい。

 あばら家の玄関扉には頑丈な南京錠が掛けられていた。今は昼過ぎで、野外の仕事だとしたら子供たちは夕方までは食べられない。


 家の中で留守番をさせないのか、とも考える。トイレは裏にあるが、代用トイレくらいは用意できる。閂を占めて、一日中閉じ込めておいた方がマシなのか?外にいた方がいいのか?


 ニナは首を振った。誰かに押し入られたら拙い。

 ポレシャは暮らしやすい。用心するだけで、滅多に犯罪にも合わないほど治安がいい。逆に言えば、ポレシャさえ不用心では身が守れない。

 幼い子供らに迂闊に留守を任せて、そもそもの財産を盗まれたら、食べさせていくどころではない。


 子供たちを放置してることで、あばら家の老人を責めようとはニナは全然考えなかった。曠野を歩けば時々、人の死体を見かけるのは珍しくない。単独で行き倒れてるならいいけれど、吊るされて調理された人間は、明らかに野生動物や変異獣ミュータントの仕業ではあり得ない。

 食料の乏しい時代に、老人は文字通りに身を削って面倒を見ている。あばら家の老人が引き取らなければ、二人の子供はどうなっただろうか?大方は、碌な未来ではあるまい。或いは、再び曠野に出ていたかも知れない。奴隷狩りスレイブハンターに見つかるなら、まだマシだろう。食人嗜好者カニバルどもの餌食となっていたか、略奪者レイダーに捕まっていれば、最高に運が良くても仲間入りだった。


「……お腹は空いてるかな?」ニナは尋ねてみた。

「じーじがくれたよ」嬉しそうに笑う子供らは、お腹を鳴らしていた。

 ニナの飯盒メスティンは、ずっしりと重たかった。熱々のチーズ粥が入っている。しかし、上げられない。与えられた小遣いとは言え、マギーの稼いだ金を他人に分けるのは、何か違う気がする。

 ため息を漏らして、ニナは立ち上がって……


 結局、幼児二人が蜂蜜のついた小麦焼きを夢中で食べていた。


 ニナには無視できなかった。

「……チーズのお粥もあるよ」飯盒を開けると、子供らは顔を輝かせた。

「あいー」可愛いけれど、ニナは楽しめる心地ではなかった。

「まあ、いいや。今日は特別な日だ……マギーに謝らないと」ブツブツと呟いてるニナは罪悪感と自己嫌悪に一杯の情けない顔で、差し出されたお皿に湯気を立てる粥を分け与えながら天を仰いだ。


 翌日の早朝。マギーは何ごともなく帰ってきて、ニナは子供たちに食べ物を分け与えたことを謝った。瓦礫で固定された【玄関扉】バリケードをガタガタと音を立ててどかしてるマギーに向けて、開口一番。

「ごめんなさい」

「はい?」意味が分からずに、首を傾げるマギー。

「お小遣いの使い道です。せっかく、マギーが稼いだお金なのに、蜂蜜パンとチーズのお粥を近所のお爺さんの子供たちに半分、上げました」

 言われたマギーはまじまじとニナを見つめた。それからクスリと笑うと、ニナを抱き寄せた。

「それは……いや、怒ってない。気持ちは分かるよ」

 それで話は終わった筈だった。


 朝の散歩を兼ねて、居留地の広場へと向かうマギーとニナだが、道すがら。あばら家の老人と二人の幼子おさなごが佇んでいた。二人を見留めるや、老人が片膝をついて跪き、帽子を取って胸に当てるとゆっくりと頭を下げた。


 あばら家の老人に深々と謝意を示され、ニナには耐えられなかった。

「わあ、やめてくださいよぅ!」

 それでも老人は立ち上がらないので、マギーは跪いて老人とほぼ同じ視線で語りかける。

「……同じく出会ったのに、あなたは自分を削ってその子らを助けた。

 わたしたちは、負担のない範囲で気まぐれな慈悲を掛けただけで」

 それからニナを見、また老人へと話しかけた。

「そんな人に頭を下げられるのは、恥ずかしくて苦痛です。だから頭を上げて」

 なんとか立ち上がらせ、老人の足についた埃を払って、マギーとニナは気恥ずかしさで足早に立ち去った。

 幼子二人はよく分からない感じだったが、ニナの事をニコニコして眺めていたのは、昨日のご飯が美味しかったのだろう。きっと。


 居留地の防壁へと続く道を歩きながら、マギーが口を開いた。

「……大人が食べる麦の平均量が、一日に一ポンド(450g)」

 なにを言いたいのか分からずに、ニナはマギーを見上げる。

「子供は大体その半分。昼御飯だけなら、二人で100ℊ少し。

 月に何回か食べさせるくらいなら、1キロもいかない」

 言いたいことを完全に理解して、ニナは頬を染めた。

「……月に一キロまでだよ。

 残念だけど、私もいつもニナと一緒にはいられないし。

 独りで寂しかったりしたら、あの子たちにご飯を食べるといいです」マギーは何気なく言った。

「う、うん」ニナはマギーの手を握りしめた。胸が苦しい程に切なかった。



 所詮は一山幾らの渡り人オーキーで、加えて他人様ひとさま……ではないと思いたいけれど、マギーに養われてる身のニナである。子供たちの面倒を見るにしても週に1度か、2度。昼めしを食べさせるのが関の山だった。


 勿論、他人に食事を与えるのは、大変なことなのだが。所詮は負担の小さい範囲で可愛がっているだけなのに、それでも懐かれたのは、幼子らの生活にあまりにも刺激が少ないからだろう。

「ねぇね」

「ねー」

「懐かないで」とニナは小さく叫んだ。

 ニナを見れば、幼子たちは愛の喜びに顔を輝かせて背中をついて廻ってくる。

 照れくさいし、こそばゆいしで、ついつい対応がぶっきらぼうになった。


 それを見たマギーが、真剣な表情でニナへと忠告してきた。

「愛してるなら、素直に愛を表した方がいい。

 こんな時代だから、後で後悔しても間に合わない」

 その忠告で亡き姉を思い出した。マギーも、誰かを失った傷を抱えている。

(……そうだ。私も何時いなくなるか分からない。せめて、この子らの心にとっていいように出来る事をしてやろう)

 ニナが突然消えるかも知れない。逆に幼子たちと別れる事になるかも知れない。ニナは、なので喜怒哀楽を開けっぴろげにすることにした。


 幼子たちを抱きしめて一緒に散歩して、手製の物語を読み聞かせ、時々は暖かいお湯で身体を拭いてあげる。

「ありがー」

「あいあと」

 声を揃える二児に、ニナは常々言い聞かせておいた。

「……お爺さんに対する感謝も忘れたら駄目だよ」

「あい」

「あい」

 元気のよくなってきた二人の返事に目を細めつつ、ニナはそっと囁いた。

「私なんかの何倍も、君たちに愛と食べ物を与えてるんだからね」



 町はずれには、居住者たちを守るように頑丈な木柵が設置されている。

 5㎝からから7㎝程度の細い丸太。繊維が密集した広葉樹の材木を組合わせた木柵は、ゾンビに体当たりされても中々壊れない程度に強靭なのだが経年劣化は避けられずに所々脆くなるし、巨大鼠に齧られることもあって定期的な補修と見回りが欠かせない。破れた箇所から野犬やらコヨーテやらが入り込むことも有るし、変異獣などは普通に乗り越えて来る。


 それでも定期的に土嚢などを追加して補強されているし、例え町はずれの路地裏居住者でも、防護柵に守られて暮らしていると言う安心感はひとしおだった。

 加えて、ニナとマギーの塒には、高さ一メートル弱とは言え、バリケードが設置されていて野犬やらコヨーテの侵入を防いでくれる。例え、飛び越されるにしても武器を持つくらいの猶予は稼いでくれるのだ。


(……悪くはない、悪くはないんだよね)

 貴重な資材と手間暇かけて、守りを固めた場所に一山幾らの渡り人オーキーを無料で住まわせてくれる。例えそれが労働力を期待しての事で、必需品の水や薪がやや高めの値段であっても、遥かに劣悪な労働環境の居留地なんて幾らでも転がってる。一年、二年働いて、数か月分の食料を貯められる居留地でもあるし、滅多にないとは言わないまでも、上から数えた方がいい程度に暮らしやすい場所であった。



『ポレシャより、安全な居留地はそれはあるよ。ポレシャのように住人が善良で友好的な土地もある。ポレシャより栄えている。ポレシャより給料が高い。より怪物が少ない。より防衛力が高い。より安全。より便利。より移動の自由。より働きやすい』

 そう指を折りながら、マギーは言ったものだ。

『ポレシャは大体の項目が七十点から九十点かな。繁栄や防衛力は除いてね。それらは流石に規模の大きい所には全然、敵わない』

 まあ、凄いわね。とニナは感心のしきりだった。ズール市から都落ちしたから距離の問題もあるのだろうけど兎に角、近隣でもっとも過ごしやすくて安全な居留地だった。


 他所の居留地から逃げてきた、と言ってた逃亡者。禿頭に認識番号の入れ墨をED-471とか掘られてた人が保安官のフレンドリーさに唖然とするくらいには、酷い居留地は酷いのだ。流石に、労働者の頭に認識番号入れるような居留地には住みたくないものだとニナは戦慄している。

 ポレシャを統治するコンピューター様を称えよ。まあ役場にあるコンピューターは、電気不足で動かせないのだが。

 他所の居留地で同じような気持ちで保安官に接したら、やらかしてしまうかも知れないので、そこは肝に銘じておこう。


 兎に角、木柵にゾンビが体当たりすれば、居留地から歩哨や銃を持った自警団が駆けつけてきて処理してくれる。野犬の群れが侵入しても、よほど大規模でなければ、壁外の住人だって幾人かはマスケット銃やクロスボウ程度は持ってる。野生動物であれば弓矢だって通用するし、投石程度だって怯ませることは出来た。


 そもそも人間だってそんなに弱い生き物ではない。路地裏の人間たちも武器は持っている。丸太をもって集まれば、小型の熊くらいは袋叩きにして撲殺できるのだ。

中には錆びたナイフやら、棒切れくらいしか持ってない人間もいるが、野生動物やゾンビの一、二匹であれば、自分たちでも対処できる。しかし、それは大人に限っての事だった。


 そう、こんな町はずれでも、滅多なことはない。滅多なことはないが……マギーがいない状態で子供二人を世話している時、ふと不安を覚える瞬間もあった。

 子供二人は大概の日、裏庭で保護者の老人を待ちわびている。ニナとて、毎日は面倒を見れないし、どこからか変異獣ミュータントなり穴鼠なりが一匹でも入り込んで来たら、それでおしまいだ。連中は、子供の柔らかな肉が大好物で、それもそれで時々は起こる事だった。


 仕方がないとは思いたくない。やはり安全な方が望ましい。せめてニナが一緒にいる時は、壁内に連れて行ってやるべきだろうか。防壁の内部で暮らせればそれが一番いいのだが、ベッドしかない簡易宿泊所でも毎日、泊るには他の支出を大きく抑制しなければならない。


 流石に、それは出来ない。自分たちの娯楽やら食事の楽しみを削るほどには、慈善は施せない。本末転倒だ。ニナやマギーとて、お金を貯めて、もう少しマシな生活を送りたい。


 身は削りたくないけど、助けたいのも真情だから、ニナは足らぬを行動で補う事にした。時々にしても、二人の子供を連れて防壁内部へと赴くことにする。

(マギーが帰ってくるまでは、安全そうな広場にいた方がいいかな)と考えた末のことだった。特に子供の多い広場の辺りには、保安官たちや傭兵の歩哨が目を光らせている。よその土地ではいざ知らず、ポレシャでは子供が大切にされているのは間違いない。


 よし、広場に行こう。そう決めた時には、ニナの歩調も知らず浮足立っていたかも知れない。もしかしたら誰かしら見知った顔がいるかも知れない。何だかんだ言って、友人たちに会うのはニナにとっても楽しみだった。


 機嫌良さそうなニナを見て、二児も笑った。広場に足を踏み入れた時、残念なことに友人たちの姿は見当たらなかったけれど、隅の大木にはロープでぶら下がったタイヤのブランコが揺れており、それを見た子供たちが顔を輝かせながらニナへと振り返った。頷くと、きゃいきゃいと甲高く叫びながら、ブランコへと突撃してしがみ付いた。


 この子たちを邪険には出来ない。ブランコではしゃいでいる姿を眺めながら、自身で思っていたほどに心は強くなかったが、ニナは喜びと共に弱さを認めた。

(まったく……他人の心配なんかできる身分じゃないのにな)

 苦笑を浮かべながら、ニナはタイヤのブランコを押した。

 風が吹いて、木漏れ日が踊るように揺れた。

 子供たちの笑い声が抜けるような青空の下で響き渡った。


 夏も半ばに差し掛かろうとしていた。夏が終われば、やがて秋が訪れる。

 冬小麦の作付けが始まり、それが終われば食糧庫が解放される。

 ニナ自身は、食料の備蓄も間に合い、寝床の手配もマギーは考えている。冬への備えは万全でありながら、だけど、一抹の不安が拭えなかった。

 どれほど恐れていようが、目を逸らそうが、遅かれ早かれ厳しい季節は訪れる。

 ブランコで笑いあう二人の幼子を含めて、路地裏に暮らす友人たちのうち何人が無事に冬を越えられるか。神ならぬ身のニナには、まるで分からなかった。

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