終末世界の過ごし方_13 未来への道
瓦礫転がる
木箱に座り込んだ隻眼の娘が、素っ裸でシケモクを揺らしながらぽつりと呟いた。
「……あの子らぁ。早めに売った方がいいと思うね」隻眼の娘が漏らした言葉に、その場に居合わせた全裸のニナと下着姿のマギーは、人格を疑うような眼差しを向けた。
「……
「……人買いに伝手でも」
ぼそぼそと囁きあうご近所二人を前に、隻眼の娘は焦ったように言い訳する。
「ち、違うんじゃ!居留地の子供のいない夫婦とか……!」
小さい居留地の出だと得てして訛りがあったり、場合によっては単語や文法が異なっている事もある。もっとも、隻眼の娘からするとマギーたちが訛って聞こえるのだろう。
「言い方ぁ……まぁ、分かるよぅ。養えないなら、別れるのは早い方がいいよね」
あまり揶揄い過ぎてへそを曲げられてもよろしくない。程々にとマギーが目配せして、ニナも揶揄うのは途中でやめる。老人が幼子二人を養いきれまいと言う見立ては、三人の共通見解でもあった。
老人が幼子たちを拾って、十日ばかり。噂話に興じてる三人娘のみならず、一帯に暮らす者らときたら老女からおばさん、若い娘に到るまで寄って集って顔を揃えればあばら家の老人とその二人の養い子についての話題ばかりであった。
あばら家の老人が働きに出ていた。居留地でも特に裕福な者たちは井戸なり、農地の権利を持って上がりの一部を受け取るか、店舗を持っていた。マギーも過去に隊商に投資していたが、破綻している。これは忘れたい記憶だった。
いずれにしても路地裏では名士と見做されているあばら家の老人だが、不労所得とは無縁か、在っても子供二人を養えるほどではない身のようで、週に三、四日を働きに出れば贅沢ではなくても口を糊する程度の生活は出来ていたのが、幼児二人を養うにそれでは足りなくなったのだろう。今は、ほぼ毎日のように野良仕事に出ている。元気には見えるが、何時まで続くかは分からない。
「手助けしてやりたいのは山々じゃけんど、うちの懐もなぁ」と隻眼の娘がため息をついた。
「私たちみたいなものは、
「そうなんよ……新しい煙草もずいぶんと吸ってないし」
言いながらシケモクを途中で消して、鞄から出した金属の箱に大事に仕舞い込んでいた。またあとで火をつけて楽しむのだ。手元くらいの短さになったら分解し、他の葉っぱと合わせて紙で巻いてまた吸うらしい。
地下水の豊かな
世の流れや周囲の人間がどうあれ、大半の人間にとって、まず自分たちの生活を糊するのが大事なことだっだ。
あばら家の老人が幼児二人を養うことに感心はするけれど、かと言ってマギーたちにどれほどの手助けができる訳でもない。所詮は、路地裏住まいの
マギーたちと隻眼の娘は、水と洗剤の節約のために、お金を出し合って一緒に洗濯していた。洗濯の途中、全財産の入った鞄や背嚢を抱えて、空き地で全裸待機しているのが
「乾いたかなぁ」服を手にしたマギーが首を傾げた。
「乾いた。乾いた。いい感じ!」綺麗な服を着れるのが嬉しいのか、ニナがはしゃいでいる。
夕方に入り、洗濯物を取り入れたマギーたちと隻眼の娘は、街路をのんびりと歩いていた。
「今日は一緒に飯食わん?昨日、野良仕事で人参と蕪貰ったん、新鮮やで」
「おすそ分け?それなら麦はこっち出すよ」
「おおきに。煙草と交換するか悩んだんけどな。農場主に煙草にするなよって釘刺されて……」
何を想像してるのか、突然にそこで停止した隻眼の娘が虚ろな目で人参を凝視しながら涎を垂らした。
「どうしたん?」と戸惑うマギー。
「どうせ、碌でもない事だよ。この人参で煙草何本買えるかな?とか考えているんだ」冷たい口調でニナが告げた。
マギーとニナは、けして生活のリズムは崩さない。多少の余裕はあるけれども、大きな病気や怪我でもしたら、あっという間に詰んでしまう。
三日に一、二度は働きに出て、麦と
此処二度の探索……というより、
幸いにも、フライパンや鍋は既に所有している。使い比べて、鍋は新しい方が深くて使い勝手が良かったので、古い鍋と見つけたフライパンを雑貨屋へと持ち込んだ。
交渉の結果、売却額は麦およそ18キロ相当のポレシャ紙幣となった。晩秋の時期に麦へと両替できるよう、売却時にしっかり伝票も発行してもらっている。
二人はその場で小躍りしたりはしなかった。雑貨屋を出た直後、掌の小銭にため息を漏らし、酒場で安いレモネードとビールだけ陰気な顔で飲んでから、とぼとぼと塒へと戻って、完全な日没後に抱き合った。
「11月まで残り4カ月を残して、わたしたちの保有するポレシャの通貨は麦80キロ相当に達しました。これは冬を越えるのに最低限必要な備蓄量です」
マギーが小さい声でそっと耳元に囁いた。
星明りだけで顔がよく見えないが、丁寧語を喋ってるマギーは、きっと真剣な表情となっているだろう。
きゃあああ!ニナが狂を発した。これほど不安のない状態で冬を迎えるのは初めてなのだ。
「落ち着いて」再びマギーがそっとニナを抱きしめる。
「……落ち着いた」時折、痙攣し、ふーふーと息を荒げながらもニナは頷いた。
「私たちが貯め込んでいる事、ズール紙幣に一部両替してる事。すべて秘密ですよ」
「うぃ」頷いた毛布に包まってもぞもぞとしつつ、ニナからも抱き着いた。
「序盤に貯蓄できたのは偶々、状態のいい本を見つけられたから。此処二回も運が良かった。これからも続くとは限らない。やり方は変えません。大物も狙わない」とマギー。
「異議なし」と密着しながらニナ。
「ただ、目標を上方修正します」毛布に包まりながら、夜の暗闇の中でマギーがそっと囁いた。
「うい」
「百二十。出来れば、百五十キロ欲しいです。ちょっと難しいかも知れないけれど、運が良ければ……」マギーの言葉の途中で、ニナが口を挟んだ。
「百二十キロの麦を貯えたとして……」
「うん」とマギー。
「輓獣も駄獣もないのに、どうやって運ぶの?
冬を過ごすのは、ズールの予定でしょう?」ニナが質問して、闇の中でマギーが頷ずいた。
「……それについては、幾つか考えています」
ニナは黙って聞いている。
「冬越えはズールの予定だけど、移動が危険ならポレシャでもよし。
百二十あれば、食料の余りで簡易宿泊所に一冬を泊まれます。
或いは、晩秋にズールからキャラバンが訪れ、麦を運びます。同行するのも一つ。
あとは……」
「うん……うん……」毛布の中、二人は互いの思いやりを感じながら、か細く囁くような声で何時までも開けた未来について話し込んでいた。
日々変わらず、誰の身にも平等に時間は流れていく。
七月中旬のある日。ニナは
一人は、随分と久しぶりだった。マギーの野良仕事や土木作業の時も、傍についてなにくれとなく世話を焼いていたし、休日には当然に一緒に過ごしていたからだ。
(ふ、不安を感じる……心が弱くなってるぅ)
気持ちが弱くなっているのをニナは自覚したが、それさえも本当は不快ではない。
現在、マギーは水汲みの仕事に赴いてた。
飲用とするに当たっては煮沸するにしても、かなり綺麗な水が大量に手に入る。大事な仕事だけに大勢が同行し、武装した護衛も随伴しているのだが、とはいえ曠野が危険なことに違いはない。出来るだけ早く帰って欲しいと思いつつ、ニナは久方ぶりの一人の休日に何をするか頭を悩ませていた。
(……巨大蟻と遭遇しなければ、いいのだけれど)ニナは心配している。
現在、湖の方面には巨大蟻が出没している。とは言え、ある程度、綺麗な水を大量に補給できる近い水場は他にないし、充分に警戒していれば、荷を捨てた人間の足で逃げ切れない怪物でもない。
鈍足の巨大蟻にやられるとも考えにくいが、無事を祈りつつも気分は優れないので、ニナは気分転換を兼ねて路地裏の一帯を散策することにした。
近所の人間はおおよそ顔見知りだが、時折は入れ替わる。出来るだけ家族構成なども把握しておきたい。親しくない相手にも一応、挨拶は交わしつつも、取りあえず人目のない所には近づかず、深入りもしない。
先日、路地裏の無邪気な若い娘が、楽器を手に優しく話しかけてきた若い男の誘いに乗って処女を散らしている。怒鳴り込んだ親と少女の泣き声で、事情は近所に筒抜けであったが、マギーはあの器量の処女ならレオーネの店で三百は固いだろうにとか呟いていた。三百とは何の金額かは分からないが、ポレシャ紙幣ではあるまい。そしてレオーネの店とは、一体……?
恐ろしい金額と深まる謎に身震いしたニナだが、マギーがいる時は視界に近寄りもしない楽器男が路傍から微笑みかけてきた。
「やあ、ニナ。美味しいクッキーがあるよ」
自治会めいた路地裏の大人衆に締め上げられて結婚するか、相当額の賠償を支払うよう命じられたにも拘らず、懲りずに楽器男はニナにまで話しかけてくる。
「マギーが男は全員、狼だから近づくなって言ってた」
特にお前、とはニナも口に出さない。
「姉さんの言う事なら、何でも聞くのかい?」楽器男の声は、確かに甘かった。
「うん」とニナ。
それで話は終わった。常にまともな。少なくともそう見做されている大人や老人の視線のある場所を歩き続ける。楽器男は、追ってはこなかった。
約一名を除けば取り立てて怪しい人間がいた訳でもないのに、家の周りの散歩だけで、少し精神的疲労を覚えてしまった。
変な人とのやり取りは、廃墟の探索とはまた異なる部分で疲れてしまう。
(妙な言い方になるが)路地裏と名付けられた貧民窟一帯の表通りを大体、歩き回ったので木箱の上に座って一休みする。抜けるように青い空をゆっくり眺めながら、穏やかに時間を浪費する。【住宅街】に居た頃には、絶対に出来なかった贅沢な時間の使い方だった。それだけでも、マギーについてきてよかったとニナは思う。
(……マギーいないと退屈だな。それに感じ方も結構、違うや)
なによりも安心感が違った。
子供たちの弾けるような声にニナが振り返ってみれば、町はずれの街路を子犬と子供たちが一群となって笑いながら駆け抜けていた。視線の届く範囲にはいずれかの保護者が見守っていて、それは居留地で遊ぶ時も変わらない。
言うならば、大人たちに守られている。それも壁内の子も、出稼ぎ労働者の子も関係なく。
残念ながら、ポレシャといえども善人ばかりではない。殺人や強盗、強姦などはそうないが窃盗や喧嘩くらいは起こっている。それでも、子供の被害は滅多に起きない。壁内の大人たちもやけに寛大で遊具はやたらと多い。防壁内の公園には、今も持ち帰ったゴムでブランコやら、木工の作ったシーソーやらの遊具が設置されている。
(妙な資金の掛け方だけど……単純にいい人たちなんだろうか?)
居留地の運営の思惑が読み切れないながらも、ニナだって満喫はしている。
ドラマなどでありがちな実は子供が裏で売られて行方不明になる、などと言う噂も耳にしない。そもそも人身売買したければ、堂々とやってる連中がいるくらいなので、裏でこそこそやる意味が殆んどない。
巨大鼠やら野犬、
野外で焼いたそうだが、ゾンビの犠牲者では仕方ない。
つまるところ、今のニナは優しい世界に守られて暮らしていた。
(……こんなに幸せでもいいのかなぁ)と、穏やかに過ぎる日々に幸せ過ぎて恐いとも思うのだが、大分に慣れてきてもいる。
無論、
「……いい人すぎる。
流石に元交易商人で、何十もの居留地を訪れた経験のあるマギーが『ポレシャを基準に慣れ過ぎると、後で苦労する。まぁ、一生の大半を過ごす気なら問題ないか』と言いながら、お勧めしてきたベスト5の居留地だけのことはある。
治安は悪いが、守りが鉄壁の
ニナにも、無理をして覗くつもりはない。一緒にいてくれるだけで充分だった。
治安がよくて怪物もあまり見かけない。居留地に運営も含めていい人が多い。この安心感は、何物にも代え難かった。例えば、ズールのような都市級居留地の富裕層でも、中々に買えないものではないかと思う。
マギー曰く、訪れた居留地の大半はもっと殺伐としており、半分以上は二度と訪れたくないとのことなので、無理をして外に出る理由も益々無くなってくる。
兎に角、ポレシャが暮らしやすい土地であることに間違いはない。
(……だけど、冬をポレシャで過ごせるほどのお金はないんだよね)
正確に言えば出せなくはないけれども、冬を越えるなら、
街路では老婆が揺り椅子に座って、編み物をしていた。
穏やかな風が吹いている。近くの塀の上で猫が誘うように鳴いていた。
(まぁ、いいや。全部、マギーに任せておけば、きっとなにもかも上手くいく)
木箱の上で、ニナは小さな幸せを噛みしめながら欠伸を噛み殺した。
木箱の上で瓦礫の壁に寄りかかり、暫くをうとうとしていたニナだが、小腹が減ったので、お粥でも買って食べようと居留地の中心部へと向かった。マギーと暮らすようになって、ニナはお小遣いという存在が実在することを知った。
(……愛されてるぅ)
防壁を越えて商店街とも言えなくもない広場へとやってきた。
広場に面した大型建物、居留地の集会場で秘密のSF大作映画三日連続上映と書いた垂れ幕が翻っている。
保安官が入り口に椅子に座って、頑張っていた。椅子の横では普段は歩哨をしている傭兵が壁に寄りかかっている。なんでも、交易商人から買い取った映写機で、安い値段で映画を見せてくれるそうだ。入場料として釘一個とか、飴玉一つとか、古いコインが籠に入ってる。無料にしないのは、寝床代わりにする不届き者が出るからだそうだ。人件費は愚か、真面目に映写機の電池代ですら採算は取れないに違いない。
「SF映画だ。中身は見てのお楽しみだぞ」
入場係をしている保安官がにやりと笑った。
髭の傭兵が地面に唾を吐いた。
「同じ金額なら、スターウォーズの初期三部作買えばよかったんだよ。
SF三本とか謳うから期待してた子が、呆然としてたじゃん。可哀そうだろ」
「分からん奴だな。そんなもの、でかい町なら何処でも見れるだろう。
この三本は滅多に手に入るもんじゃないんだ」
建物の内部から、クイーンのフラッシュのテーマが響いてきている。
ニナは恐る恐る尋ねてみた。
「もしかして……フラッシュ・ゴードン?」
「ほう、分かるか?」
保安官が感心した様子で頷いた。
サム・ジョーンズ主演のフラッシュ・ゴードンは、亡き姉とマギーの二人が口を揃えて傑作と称える名作映画だった。
「凄い!凄いぃ!お姉ちゃんも、マギーも、ルーカス三部作にも負けない最高の映画だって!」
顔を輝かせたニナに、保安官がにやりと頷いた。
「見ろ。分かってる子は分かってるんだ」
「ほ、他の二本は?」マギーは恐る恐る尋ねた。
「特別に教えてやろう」
顔を近づけて、保安官はそっと囁いた。
「デイヴィッド・リンチの砂の惑星と、不思議惑星キン・ザ・ザ」
「いあああ!?ホント!マギーが88点と85点つけた映画だよ!」
はしゃいでいるニナは、スターウォーズを見たことが無かった。
弾むような足取りで映画館へと入っていった少女の背中を、傭兵は憐れむような視線で見送った。
「洗脳されてるよ……マギーちゃんは糞映画愛好家かな?」
傭兵のそんな呟きに、保安官の額に血管が浮かんだ。
「なんだァ?てめェ……」
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