終末世界の過ごし方_12 巣別れ

 自由都市の安酒場に屯する廃墟漁りスカベンジャーたちが、まことしやかに語るところでは、世の中には無人にみえた街並みに数千ものゾンビが潜んでいて、発砲音一つで殺到してきたと言う例もあるそうだ。手つかずの廃墟の町を見つけたと小躍りした廃墟探索者スカベンジャーたちは、今は屍者の町の仲間入りをしているとの事だ。


 少なくともマギーとニナが今踏み込んでいる廃墟は、そんな心配をしないでよかった。湖畔の町は、随分と昔から知られている無人の廃墟であったからだ。

 その分、戦利品は漁られつくして殆んど残っていないが、金属製の食器の一つ、二つは見つかるだろう。或いは折れた釘の数本でもいいのだ。それだけでも、今日の食事代を補って赤字も幾分かマシになる。


 朽ちた邸宅が左右に連なっている街路をそっと進んでいた。随分と昔に略奪者レイダーの襲撃に耐えかねた住人が逃げ出した町とも言われているが、それにしては弾痕もなく、建物はどれも痛みが少ない。多分、他の理由があるのだろうが……。マギーは、周囲に延々と続いている住宅へと視線を走らせた。


 気配は感じられなかった。少なくともマギーには。異常を察知する感覚は、ニナの方がずっと長けている。だが、数歩後ろをついてくる少女からも、押し殺した小刻みな呼吸音以外になんら合図は聞こえない。


 廃墟特有の微かに埃っぽい空気の味に、口の中に不快な感触の唾が湧きだして来た。口マスクを外して吐き捨て、左右の窓や物陰に視線を走らせるも、不気味なほどに静かだった。

 単に、誰も、そして【なに】もいないのか。それとも怪物が息を潜めているのかは、区別がつかなかった。


 足音を殺して歩くことを、マギーはそれほど得意ではない。なので時々、瓦礫の多い箇所や室内の固い廊下などを歩く際には、靴の下に布を巻きつけることがあった。

 見つからないことを優先すべき、と考えての判断だが、状況によっては必ずしも正解とは言い切れない。足音は立ちにくくなる一方で、走る速度は落ちるからだ。


 元より、怪物が確実に彷徨っている廃墟で生き残るために、なにが正解かなんて誰にも分からない。無事に生き残った者が正解なのだ。想像上の怪物に怯えて逃げ帰ろうが、偶々、本物の怪物に出くわさないだけだろうが、生き残った者が勝者であり、正しい。


 兎に角、その日は正解だった。


 相棒のニナは、つま先を立てて歩く事が癖になっていた。猫のように足音の立たない歩き方だ。マギーは、親指の付け根に力を入れて歩くことが、やはり癖になっている。長時間、重い荷物を背負っても疲労しにくい。


 廃墟の町の十字路に差し掛かる直前でマギーが足を止めて、聞き耳を立てた。

 少し後ろを歩いているニナの方が耳はいいけれど、怪物に襲われた場合、体格的に一たまりもないのでマギーが先頭を進んでいた。


 十字路の左右をそおっと覗き込んだマギーが硬直し、次いで数秒観察してから、ゆっくりと後退りした。同時に、右手を真横に伸ばし、上腕を上方向に向けると、左右へと振る。


【←掌→】は、二人で決めたハンドサインの一種。

【それ以上、前進するな。停止】

 

 さらにマギーは、腕を下に向けて、掌を背後へと振りだした。

【掌↓ は後退しろ】


 (……何かいた。或いは、なにかあった。)

 無言で悟ったニナは頷くと、気配を探りながらやはり音もなく後退した。


 ニナのすぐ背後から、マギーが追ってくる。バットを手に握りしめ、時々、背後を振り返っている。緊張しているようだが、少なくとも表情は強張ってはいなかった。


 どの程度、後退すればいいのか。そこまで細かいハンドサインは決めていない。実践の少なさの弱みが出た形だったが、さして大きくない町の出口に差し掛かるとマギーが足を止めた。

 マギーは背後を見て、何もいないのを確認し、やっと安堵にため息をついたが、それでも口を利かぬまま、右手で離れた曠野の小高い場所を指示した。

 どうやら今日はこのまま退却らしい。



「……蟻。四匹以上いた」マギーはぽつりと呟いた。

「道の真ん中、十字路から離れていたから、様子を窺ってもよかったけど」そう言葉を続けてから、思い直したようにかぶりを振った。

「いや、他にもいたかも知れないと思うと、すぐに離れた方がいいと判断したんだ。アレで正解だった」


「それでよかったと思う」ニナも囁くように合意した。

 危険を冒したとしても稼げるのは精々、数日分の食料でしかない。

 何処にでもいる渡り人オーキーに過ぎないとしても、マギーも、ニナも、自分たちの命の懸け所は、もうちょっとは価値のある状況がいいと思っている。

 もっと切羽詰まった人間や、食い詰めた人間であれば、命を懸けるかも知れないが、二人にとってはリスクとリターンが割に合わない状況だった。


 今はちょっと小高い断崖に廻って、小さな町だっただろう廃墟を観察する。退路を塞がれでもしない限り、怪物に気づかれても、撤退する時間は十二分に取れる位置だった。


 街路に視線を走らせる。巨大蟻の姿は見当たらない。

「……いない」

 ニナが呟いた時に、発砲音が響き渡った。ただの一発。それで途絶えている。

 途端、湖畔の町の気配が変わった。

「町の方から響いてきたね?」やや上ずった声でマギーが確認する。

「うん。十中八九」ニナが冷静に頷いた。


 何処に潜んでいたのか、と思わせる数の巨大蟻が街路に出没していた。

「……五……六……七……」

 十まで数えたところでマギーは諦めた。灰色を巨大蟻がうぞうぞと街路に入り乱れて正確な数は分からないが、間違いなく二桁。もしかしたら十七、八匹はいるかも知れない。


 そして、蟻たちに追い掛け回されている人影が三つ。一人は手に単発式長銃を握っている。残り二人。一人が肩を貸して、片足を怪我したらしいもう一人を必死に運んでいた。


「……同業者だね」ニナが低い姿勢を維持したまま、囁いた。

 何処の居留地から来たかは分からないが、廃墟漁りスカベンジャーの一党だった。

 装備は大したことない。恐らくは、マギーやニナと同じ部類の小銭稼ぎの素人廃墟漁りスカベンジャーに違いない。


 人数は、三人。逃げ惑いながら、不安定な姿勢で発砲するも当たらない。

 むしろ発砲音が巨大蟻を引き付け、包囲がさらに厚くなっていく。

 三人組は周囲を徐々に囲まれつつあったが、気づいているのかいないのか。

 クロスボウが突き刺さるも、巨大蟻には大して効いた様子も見えない。


 上から見れば突破できそうな箇所も分かるが、挙動からするに彼らは完全な恐慌状態に陥っているように見えた。周囲の状態が分からなくなっていると思しき様子が、遠距離から見ている者らにさえ恐怖を催させた。廃墟漁りスカベンジャーたちが、反射的に寄ってくる蟻とは反対方向へと逃げ出した。


「……ああ、拙い。右手に逃げれば」マギーが身を起こして呻いた。

 蟻が寄ってきた方向こそ、包囲が薄かったのだ。しかし、多数の蟻が待ち構えている逆の方向へと飛び込んでしまった。

 一瞬叫ぼうかと考えたがマギーだが、左手の袖が強くニナに引っ張られた。

「無駄。手遅れだよ」ニナは前方を見ながら冷淡に告げた。

 十重二十重の蟻に囲まれた廃墟漁りスカベンジャーたちが泣き叫んでいた。

 包囲の輪が閉じられ、締め付けられていく。

「助けられない」廃墟の民として似たような光景を幾度と目にしてきたのか。ニナの冷静な呟きを耳に、マギーは目を閉じて顔を背けた。

 人が肉団子になる光景には、どうにも耐えられそうにない。

「撤退しよう」最後まで見ずにマギーは腰を浮かせた。

「りょっ」ニナが了解を短く区切って返事した。




 居留地ポレシャの雑貨屋は、相変わらず閑古鳥が鳴いていた。

 店内に入れば一目理解できるが、品揃えが乏しい上に、兎に角も、商品の入荷が少ない。

 中世でも作れた革製品の水筒や油紙を張った傘などは仕入れられて隅に置かれているが、居留地の住人は大方が既に持っているし、出稼ぎの渡り人オーキーなどは余計な荷物を増やす余裕もなければ、買う金も持っていない。


 それでもやっていけるのは、税金がほぼ掛からないのと、なければ困る程度に日用品も売られているからだろうか。


 初夏の穏やかな風が吹く中、雑貨屋の扉のベルを鳴らして客が入ってきた。

 パイプを吸いながら新聞を読んでいた老店主が顔を向ければ、来店した見すぼらしい服を纏った渡り人オーキーの男性が、背にした小さな頭陀袋から、その日の収穫物をテーブルの上に広げた。


 こうした自称・廃墟探索者スカベンジャーは、大きな居留地であれば、老若男女を問わずに必ず何人かいるもので、彼らの言う【戦利品】を売りつけに来ては、小銭や幾らかの安酒、煙草などに換えるのだ。


 折れ曲がった鉄の釘に汚れたコップや幾つかの空き缶。いつも通りの二束三文しかならないガラクタだが、老店主は買い取って棚へと仕舞い込んだ。


 釘などは、打ち直すことでまた使用できるし、空き缶なども最悪、鉄としてリサイクルできる。もっとも、今の時代、廃墟を探せば出て来る鉄ではなく、燃料として消費する木材や石炭、コークスなどの方が調達するのに苦労するかもしれない。


 対価として僅かなポレシャ紙幣に貨幣、そしてレゴート産の煙草を一本、ビニールパックから取り出した。男に差し出すと、部屋の隅に座って煙草を吸いだした。

 天井を眺めながら時折、生き別れた女房と子供の名前を呟いている。

 金を貯めて奴隷狩りスレイブハンターに浚われた女房と子供を買い戻すのだと、そう啖呵を切った男は、居留地に流れてきて三年目の今、何もなせずにただ日々を生きているようにも見えた。


 時折、遊牧民や行商人に話を聞いている姿を見かける事から、まだ諦めていないのかも知れない。

 家族の持ち主を探しているのか。生きてるのか、死んでるのか。

 仮に見つけて、どうするのか。一介の渡り人オーキーが貯めた大した価値もないポレシャ紙幣などで買い戻せる気なのか。

 麦を首尾よくズール紙幣に換えられたら、武器を買うか、傭兵でも雇うのか。

 老店主は、他人の事情に興味は示さなかった。片眼鏡をつけると、ふたたび新聞に目を落とす。


 程なく、扉のベルが再び鳴った。

 立て続けには珍しい、次の来客が扉を潜ってきた。

 「はーい、げんき?」

 馴れ馴れしい挨拶を送ってきたのは、渡り人の姉妹だった。

 姉は長身で六フィートに近いだろう。対する妹は小柄で髪色からなにからまるで似てないが、非常に仲が良い。例によって自称廃墟漁りスカベンジャーの一組だが、よくいる他の連中と違って、いつも楽しげに笑っている。


「なんか面白そうな本あるぅ?」と妹の方が尋ねてくる。

「さっき、漫画。星を鉄道で旅する話の全巻セットが持ち込まれた。」と老店主。

「おう」

 読書狂の気のある妹が興味を示した。実用書も読むが漫画も嗜んでいる。

「農場の息子が秒で借りていった」続いた老店主の言葉。

「……おぅ」妹は見るからに落胆して肩を落とした。


「……ニートがよぉ」妹が悔しげに唸りだした。

「あーあ、金持ってる奴には勝てん」姉がぼやいている。

 二人の物言いはいつも楽天的で、渡り人オーキーにしては相場を知っており変にごねる事も少ない。身ぎれいにしている事もあって老店主も嫌いではなかった。


「一応、十日遅れのノーラ市の週刊新聞が入ってるぞ」と老店主が隅に視線をやる。

 活字なら何でもいい気分なんだ、と妹が姉に強請るような視線を向ける。

「一部、立ち読みで」

 妹の願いを断った姿を一度も目撃された事がない姉が、ポケットを探って、ブリキや錫製の安っぽい貨幣を数枚、じゃらっと机の上に置いた。折れた釘にコーラのキャップも混ざっている。

「あいよ」老店主が、立ち読み用の新聞を手渡した。

「別のもあるぞ?ズール市の新聞じゃなくていいんか?」

 ズール市はもっとも近隣の自由都市なので老店主は一応、念を押す。

「そっちは知り合いの家行ったら読めるからね」姉はかぶりを振った。

 姉妹は、仲良く並んで新聞を読み耽ってる。煙草を吸ってる男は、店の隅の椅子で陰気に沈黙していた。


 店主は、受け取ったキャップを眺めてうなずき、貨幣の重さを天秤で測ってから手動式キャッシャーへと仕舞い込んだ。工業化社会では、子供の玩具と見做されそうなそれらは、天然資源の枯渇と工業インフラが崩壊した終末社会では、一定の価値の通貨として通用していた。


 古代ヨーロッパでは、蜻蛉玉は琥珀や翡翠の宝玉などに並ぶ価値を有していたと言われる。そうして今、崩壊前の遺産。例えば、一部の高性能半導体チップなどは、人の命以上の価格で取引されていた。廃墟漁りスカベンジャーたちにとっては、最大の成果の一つだ。もし男が見つけられれば、妻子を買い戻せるかもしれない程の価値があった。とは言え、目の前の素人廃墟漁りスカベンジャーたちがそんなものを見つける事は万に一つにもあるまいし、仮に見つけてもこんな居留地の雑貨屋に持ち込まれることはない。むしろ、手に余るので持ち込まないで欲しい。


 農村の雑貨屋の身の丈に合ってるのは、食器の取引程度だろう。今の技術で作るよりも上等なナイフやフォーク。包丁、フライパン。皿と鍋。特に大きな調理鍋が増えると便利だ。古いのが一つ、穴が開いので広場の食堂が欲しがっていた。大きな居留地には大体、馴染みの廃墟漁り《スカベンジャー》やら交易商人がいるものだが、辺鄙な土地にある為か。規模の割には、居留地ポレシャに寄り付かない。その意味で目の前の終いには、少し期待できた。


「今日は売り物はないんか?」老店主の問いかけに、姉妹が視線を見合わせた。

 微かに緊張の気配を醸しだしたが、すぐに霧散する。

「廃墟には行ったんだけど、収穫ゼロでしたぁ」姉が言った。

「なんの成果も、上げられませんでしたぁ」と妹。

「私だけ生き残ってすみませんでしたぁ」さらに姉が迫真の心情を籠めて吐き出した。

 妹が、すぐに姉に抱き着いて小鳥のように囀ってる。

「一応、生きて帰ってきたし。次があるよぅ。次が」

「そうだね。次は頑張ろうね」と抱き合って姉が妹の頭を撫でている。


 姉妹こいつらが空振りは珍しい、と、老店主は思った。

 何だかんだ言って、そこそこに価値のある品を持ち込んでくるし、怪我をすることもなく帰還してくる。居留地ポレシャにいる有象無象の自称廃墟漁りスカベンジャーのなかでは、ほぼ唯一、手堅い手腕の持ち主だと見ていた。

 

「もう、ホント蟻が沢山出てね」新聞に戻りながら、姉がぼやいた。

「逃げてきた!私の逃げ足を見せたかった!」と妹。

「十二匹以上いたね。十五匹?」姉が具体的な数を上げた。

「十七匹はいたよ。二十匹はいなかった」妹が補足しながら、言葉を重ねた。

「最近、蟻よく見るねぇ。先週も見たし」



「何処で見た?」老店主の尋ねた声には、思ったよりも険が出た。

 だからという訳でもないだろうが、廃墟漁りスカベンジャーの姉妹はほぼ同時に振り向いた。

「……なに、恐い顔して」

 場をなごますようにやんわりと姉の方が言いながら、姉妹は顔を見合わせる。

「んー、何処で見たか話せば、何処で漁ってるかも話すことになる。たかの知れた狩場と言っても一応、飯の種だし」珍しく、妹の方が長々と話す。


 もっともな話だったが、姉の方は迷った態度を見せた。

「ただ、確かに、この時期の蟻の出だし……」

 首を傾げた姉が、ちらりと隅に腰掛けてる同業者を眺めてから

「三人で話せる?」と老店主に尋ねた。


 雑貨屋の少し奥まった場所へと三人で移動する。

「……こっちに」老店主が促がされて、姉妹がテーブルを囲んだ。

 姉が小声で説明を始める。

「湖の畔の廃墟かなぁ。ガラクタでも漁ろうと思ったけどなんもなかった。

「薪拾って帰って来たよ」どうでもいい話をする妹。



「……他の場所も覚えてるかね?」雑貨屋の老店主の質問に、

「ちょっと待ってね」妹の方がノートを取り出して、開いた。

 老人が覗き込もうとすると、妹は手で押さえた。

「探索する時の情報も載ってるから見せられないよ」

「すまん」老人は素直に謝った。


「書くものある?」

 妹に促されて白紙とペンを出した。

「ええと、此処で十匹、と……」

 白紙の上にノートを見ながら、妹がすらすらと概略図を描いていく。

 妹の方は絵心があるらしく、思ったよりも精密な地図と怪物のイラストが出現する。

「ここで十五匹。先週は三匹、丘陵で……」指さしながら、姉妹で説明していく。

「五匹見たのが半月前。農道だっけ?」

「クレイの農場の農道」時々、姉が補足を入れる。


「まてまて」思ったよりも詳細な情報に、老店主が何故か制止しだした。

 カウンターの下から、居留地を中心とした大きめの地図を取り出して広げる。

「正確に思い出せる限り、書いてくれ」

 老店主の言葉に、妹がちょっとした躊躇を見せた。

「えええ。地図じゃない。書き込んでいいの?」

「他にも持ってる」

 さあ、描け!と促されて、妹がしゃがみこんだ。

「一週間前に2、3匹。確認したのは2匹だけど岩陰から物音がしました。で半月前が……農場で五匹。どちらに向かっていたっけ?」妹が言った。

 他人には聞かせなくないのか。姉妹はぼそぼそと囁くように話している。

「背後が農場で、クレイのおじさんが騒いで発砲してた。

 で、右手に小さな木立だから。北東に向かっていたね」

 姉が指さした方角には居留地があった。


 煙草を吸い終わった廃墟漁りスカベンジャーのおじさんがふらふらと寄ってきて覗き込もうとしてみたが。

「お前はあっち行け」老店主に冷たくあしらわれて、肩を落として店から立ち去った。

「蟻を見た、場所と数と時間。他の怪物は?」姉の質問。

「必要ない。蟻だけでいい」老店主の言葉に頷いた妹が、日付と種類に数をテーブル上の地図へと書き込んでいく。


 取りあえずの地図が完成して、それを見た老店主は黙り込んだ。

「参考になった?」と妹が尋ねるも、何も言わない。

 情報を抜くだけ抜くと、何も言わずに地図と睨めっこしていたが、雑貨店の奥で薪割の作業していた小僧を呼んで、保安官を呼んで来いと言伝。

「今日は店じまいだ」と無愛想に姉妹に告げて、礼の言葉もなかった。

 姉妹は、扱いに怒りは見せなかった。

 所詮は、一山幾らの渡り人オーキーに過ぎないと弁えているのだろう。


 居留地の顔役の一人としては、迂闊なことを漏らして言いふらされても困るのだ。妙な噂が出るのも面白くない。だから何も言わない。そう姉は推測していた。

 それに姉も姉で、無言のうちに店主の反応からおおよその推測はつけていた。

 きっと他の旅人なり、木こりなりかも、蟻の目撃情報が入っていたに違いない。


「……巣別れかも知れんね。しばらくは湖の方は止めておこう」店を出た直後に妹に告げる。

 一般に蟻の巣別れは、初夏から秋に掛けて行われることが多かった。

「巨大蟻も、初夏?」妹が首を傾げた。

 巨大蟻の巣別れはどうなのだろう。十数匹から多い時には数十匹の巨大蟻が、幼い女王蟻と共に大地を移動すると言われており、小規模な居留地が吞み込まれることもあった。とは言え、ポレシャほどに防備が整った居留地であれば、万が一が起きようはずもない。一方で、仮に巣別れが起きているのであれば、旅人や巡礼が犠牲になるのも時間の問題だろう。

「そこら辺の習性は、大きくても変わらないのかな」ぼやいてる妹を姉は背後から抱き寄せて、耳元にそっと囁いた。

「しばらくは近隣も騒がしくなるかもだよ……用心は怠らないようにね」

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