終末世界の過ごし方_11 残酷で優しい世界

 フードの子らは、僅かな麦粥を分け合って口にしただけでお腹がくちくなったようで、ついにはうとうとと船を漕ぎだした。


 広場の石壁を後ろにして寄り添って眠る二児が、穏やかな寝息を立て始める。

「子供と言うより、幼児だね」とあどけない顔で涎を垂らしている二人を眺めてマギーは呟いた。


 あばら家の老人は、やはり石壁を背に、フードの二児の傍らに姿勢よく座っていた。老人は、もう一時間近くはこうして見守っている。時折、近くを人や家畜が通りかかると、そのたびに子供たちはビクリと肩を動かして目を覚まし、脅えたように辺りを見回すのだ。


 そして、自分たちがどうやら安全な場所にいるらしいと思い至り、傍らに片割れを見つけては、また安心したように眠り込む二児らの姿は微笑ましくはあったけれど、また、同時に、今までにかなり過酷な環境で生き延びてきたことも見るものには窺えた。


「どうしようかねぇ」あばら家の老人は、困ったように微笑んだ。

「どうしましょうか」とマギーも放置して帰宅するのはいかにも気が進まないと言った風情で寄り添う二児を見守っている。長い奇妙な沈黙が舞い降りてニナは一瞬、首を傾げた。今の二人の会話に変なところなど、なかった筈なのに。


 夜も更けて、焚火もほぼ消えつつある。本来、日没後の中央広場を出入りするのは好ましくないのだが、収穫直後の初夏の時節なので、度を過ぎなければ居留地の保安官らも多めに見てくれるのは幸いだった。ただ、出会いの季節とは言え、物陰で蠢いている若い男女たちにはいい加減にしろと思う。


 ポレシャの中心部となれば日没後でも滅多なことはないが、街中に入り込む巨大鼠やら野犬の類には何処の居留地でも対処に頭を悩ませている。夜の町はずれに二人きりの幼児を放置して、穴鼠あたりでもに襲われたら後味が悪いなどと言うものでは済まなかった。


「……おや、困ったねぇ」保安官が寄ってきて穏やかな口調で話しかけてきた。

「え、おぉ?……はい」ニナはびっくりしつつ、頷いた。

 小さな居留地で、保安官と住人の距離が近いのも幸いしただろう。路地裏住まいでも、あばら家の老人も、マギーも、日ごろの行いが好印象を与えていたようで、追い出されるどころか時々、様子を見に来ては二言、三言と話しかけてきた。


 一時的には目こぼしされているようだ。かと言って、時までも甘えてる訳にもいかない。夜も更けてかがり火が防壁の上の一つだけとなっても、子供たちが起きる様子はなかった。すーすーと安らかな寝息を立てている。


 焚火の近くでマギーとニナは、ニナの毛布に包まった。マギーの毛布は、老人と子供たちに貸し出した。返してくださいよ。貸すだけですよ。と、けち臭く繰り返しつつ、マギーが背嚢から取り出した毛布に二人で包まっている。


 夜も更けて、広場からは殆んど人気が消えた。見回りの歩哨たちがカンテラをかざしつつ近寄ってきたので、追い出してもいいんですよ、とニナは思ったが、丸まって寝ている子供と見守る老人を見ると、足音を立てないようにそっと離れていった。

 普段は、流れ者が勝手に広場に泊まると追い出されるのだが、幸いと言っていいのか。歩哨たちは、老人の顔見知りだったようだ。

(……人治国家がよぉ)ニナは思いつつも、まだ暖かい季節なのが幸いした。


 ニナは途中でうとうとしたが結局、あばら家の老人は朝までずっと子供たちの手を握っていたようだ。マギーも一睡もしなかった様子で、ちょくちょく水を飲みながら、最後までずっと見守っていた。


 横になっていたニナが、欠伸をしながら起き上がった。短時間ではあったが、マギーの膝枕は気持ちよかった。カモシカみたいに逞しくて、力を入れると樫みたいな太腿だけど、いい匂いがするし、安心するのだった。


 居留地の中央広場に怪物は滅多に出ないと知っていても、夜の街で一晩過ごすのは、緊張を強いられた。今は兎に角、路地裏に帰って安心したい。


 徹夜が辛いだろうに、あばら家の老人は、まだ頑張っていた。

 ずっと起きていたのだろうか。しかし、子供たちには起きる様子が見られない。

「よほど疲れていたんでしょう」あばら家の老人は穏やかに言った。マギーは歩哨の近くへと行って火を借りると、鍋で湯を沸かし始めた。


 暖かいお湯をカップに入れて持ってくると、あばら家の老人に差し出した。

「……どうしますか?」マギーが再び尋ねた。何故か、真剣な表情だった。

「どうしましょうかね」老人は困ったように微笑みを浮かべた。

 悲しげに微笑み返すと、マギーは立ち上がった。

「毛布は……後で取りに行きます。子供たちが目を覚ましたら」

 子供たちは、毛布の隅をしゃぶっていたのでニナは無言で目を剝いてる。

 あばら家の老人が深々と頭を下げた。

「ありがとう。お嬢さん」と穏やかに感謝の言葉を送る。

「何をした訳でもないけど。マギーです」マギーが自己紹介していた。

「さよなら、マギー」別れを告げるあばら家の老人にマギーが頷いた。



「ビールください。それとナッツ」

 昼飯時が過ぎ、夕方にはまだ間のある時間帯。居留地ポレシャの食料品店兼簡易食堂兼酒場に入ったマギーは、開口一番。ビールを注文した。

「ホットレモネードぉ!」ニナも叫んだ。

 地下水を除けば、もっとも安い飲み物を二人揃って注文し、カウンター席からやや遠い隅の空いてるテーブルに陣取ると、ラジオから流れてくる音楽に耳を傾ける。

 随分と昔の音楽なのだが、荘厳な響きがニナには気に入った。

「いい曲、ホルストの火星かな?」

「いや、確かSFゲームの曲だぞ、これ」マギーに秒殺される。

 件の曲はホルストをカバーしていたのだが、そんなことは知らずにニナは呻いてテーブルに伸びた。

「猫みたいだねぇ」言ったマギーだが、別に咎めない。

 ちょっとだらしないが、くつろげる場所も時間も少ない。人目もないので気にしなかった。客もおらずにガラガラなテーブルの隅。空いてる時間帯は、ビール一杯で粘ろうと追い出されないで済む。

「あー、猫。そう言えばキャットフォークって……」テーブルにだらしなく顔を載せながら、ニナは疑問を口にしたところで、目の前に飲み物が置かれた。

 

「はい、ホットレモネード。こちらはビール」

 女主人が態々、持ってきてくれた。

 マギーは札入れからポレシャ紙幣を数えて渡したが、女主人はそのまま手近な椅子に座って音楽に耳を傾けている。

「仕事しないでいいの?」ビールを一口ずつ吞みながら、マギーが尋ねてみる。

「暇だもの。この時間帯」肩を竦めた女主人。マギーとニナを見比べた。

「そっちはいいの?」

「たまには骨休みしないと」椅子に寄りかかって、マギーが右手をプラプラと振った。


 町はずれの一帯は家賃は格安だが、少なからず怪物が入り込む危険をはらんでいる。危険を嫌って金が溜まれば引っ越すものも多い。普通は怠け者か、節約する理由でもなければ、長くは暮らさない。

 マギーとニナは、肉と野菜をちょくちょく買っているし、お茶も飲んでいる。偶にビールとジュースを楽しんでいる。

 渡り人や流れ者には、刹那的。或いは享楽的な気質の者らも少なからずいて、マギーとニナも、他人には怠けているか、宵越しの銭は持たないタイプに見えているかも知れない。とは言え、女主人にとって渡り人オーキーの懐事情など心配する筋合いでもなく、口を挟んで来ることはなかった。


 一応、二人は路地裏にバリケードを作って安全を確保している。加えて、ニナの工夫で薪と水代をかなり大きく節約していた。なので、三日に二日を働くだけでも十分にポレシャ紙幣を貯めて、偶にはのんびりすることも出来たが、暮らしが上手くいってっても、一々、他人に内情を語る趣味は二人とも持っていなかった。



「さっきの子供たちさ」ホットレモネードを傾けながら、ニナがポツリと口にした。

「うん」とマギー。

「……痩せてたね」心配する響きをはらんだ言葉に、マギーは肉の薄いニナを一瞥して苦笑する。

「他人の心配してる場合じゃないよ」

「あー、うん、だけど……」ニナは煮え切らない。

 ニナも痩せている方だが、二人の浮浪児は、骨が浮いて見えた。廃墟の民とは言え、一応は畑や罠で食い繋いできたニナとは栄養状態が比較にならない。

「まあ……気持ちは分かるよ」そう言うマギーも、気に掛かってはいたのだろう。ナッツを摘まんだ後に皿をニナの方へと追いやった。

 ナッツを摘まむニナに向き直って、マギーも感嘆を隠さずに頷いた。

「あんな小さな子供二人が、ポレシャまで辿り着けたとはね……よくぞ、と言うべきいうべきかな」

 ニナも深々と頷いた。コヨーテに狼。盗賊バンディットに悪名高き奴隷狩りスレイブハンターなども曠野を彷徨っている筈だ。

 よくぞ見つからなかったと感心する一方で、地理も他所の社会も知らなかったとはいえ、自分が【住宅街】から出なかったことと思い比べて、ニナは深々と息を吐いた。

「ああ、そう考えると、あの子たちは運がいい。あ、この時期、人の流れが向かうから、ついていけばポレシャに来たのも偶然じゃないかな?」とニナ。

「いや、それでも奇跡的だと思う」本気で思ってるのだろう、マギーがそう断言した。


「先刻から、なんの話?」女主人が、興味を示して首を突っ込んできた。

「話してもいいかな?」小首をかしげたニナに、マギーは頷いた。特に隠すような話でもない。頷いたニナが女主人に説明する。

「路地裏。南の入り口に、あのあたりだとちょっといい木製の小屋に住んでいるお爺さんがいるんだけど、知ってる?」ニナの言葉に、女主人が頷いた。

「子供の頃からの知り合いよ」

「……あの人が子供を助けてね、曠野から来た子供たちのようだ」とマギーが説明を引き継いだ。

「……そう、あの人が」女主人は感慨深そうに頷いて、相変わらずね、と呟いた。


「老人。もしかして子供らの面倒を見るつもりかな?」

 何気なく呟いてから、マギーは自分で否定するように首を振った。

 人ひとり養うと言うのは、大変なことだった。お金も時間も大きく削り取られる。

 路地裏の渡り人オーキーにも子沢山の大家族がいて、大人四人に対して子供六人。夫婦二人に祖父に叔父と一家総出で働いてるのに中々、肉や野菜も買えないで難儀している。

 件の子供たちは、老人一人に対して子供二人。肉体的な負担も考えれば到底養えるものでもないとニナは思った。

「……すると、あの子たちも奴隷になるしかないかな」ニナがぽつりと呟いた。


 居留地ポレシャにも、浮浪児はいる。豊かなポレシャの噂を聞きつけ、他所から子供だけで何とか辿り着いたり、或いは、身内を事故や病気で亡くした渡り人オーキーの子らなどだ。


 見目が整っていたり、伝手があったりと、運の良かった一握りは誰かに拾われたり、仕事にありつける事もあるが、大半の子供には食べていける術などない。比較的豊かな居留地ポレシャでも、無制限に孤児を養う余裕はない。いつの間にか姿を消すか、或いは奴隷として自らを売ることになる。


 居留地ポレシャの住人たちは、奴隷商人スレイバーを好んでいない。大勢で来た時には曠野へと留めて、町へと入れないほどだ。それでも食べていけない子供が自らを売り込むのを止めはしないし、比較的にまともと思われる奴隷商人スレイバーが定期的に居留地ポレシャを訪れてくる。今では、ニナも生きる為に自ら奴隷になるものがいる事を知っていた。


「ニナ。わたしたちは、自分たちの面倒を見る事だけしかできないよ」

 多少はゆとりがあるとは言え、マギーたちも怪我や病気一つで詰みかねない不安定な身の渡り人オーキーだった。他人を助けられるほどの余裕はない。

「分かってる」ニナは頷いた。人を助けようとしても、一緒に沈むだけだ。

 それきり二人は静かに飲み物をちびちびと吞みながら、音楽に耳を傾けていた。


 夕方に近づくと、ぽつぽつと客も増え始めた。二人が席を立って店を出ようとした頃に、見知った顔がやってきた。

 昔馴染みのあばら家の老人が訪れたのを見て、女主人が顔を綻ばせた。

「あら、今日は早いのね。いつもかしら?」と バーテンに他の接客を任せ、女主人がカウンターから話しかける。

「いや、今日は買い物をしに来たんだよ」申し訳なさそうに言いながら、あばら家の老人が尋ねてきた。

「消化のいいものが欲しいんだがね」

「林檎とか?」と女主人が小首をかしげた。

「そう、林檎だね。それに子供服を二つ」老人の言葉を前に、ニナとマギーは黙って場の成り行きを見ていた。二人にとっても多分、起きないと考えていた出来事が起きている。

 老人の言葉に女主人が考え込んだ。

「……大きさは?」

「ああ、参ったな。計ってない。あとでメモを持ってくる」

 灰髪を撫でてから、老人が注文を続ける。

「それに毛布を二枚に……」


「卵、ジャガイモとかぼちゃ。人参、それに柔らかいパン。と」

 老人の注文をまとめた女主人が、微笑みを浮かべた。 

「こんなことは言いたくないけれど……お金はあるの?」


 そう、金だ。路地裏基準では立派な家を持っていても、所詮は町はずれの住人。稼ぎはマギーたちと大して変わらない筈だ。偶にビールとつまみを楽しんでいるので、ゆとりはあるにしても、子供二人を抱えられるほどではないとマギーも、ニナも思っていた。


「これを……」言いながら、あばら家の老人が懐に手を入れた。

少し離れていたバーテンが腰に吊るしてる銃にそっと手を伸ばしたが、何故か、女主人に恐ろしい目で睨まれて硬直した。

 あばら家の老人が、ハンカチに包んだ指輪を二つ取りだした。

 女主人が、沈黙した。多分、金だろう二つの指輪が、窓からの夕日に反射して鈍く輝いていた。


 じっと見つめてから、女主人が穏やかな声で問いかけた。

「……いいの?大事なものでしょう」

「ああ、大事なものだ。だから、いいんだ」と老人が訥々と語った。

 淡々と語る老人よりも、むしろ切なげなくらいに指輪と老人を見比べた女主人が小さく頷いた。

「分かったわ」


(老人……凄いことをする)とマギーは思った。

 金の指輪を換金して、どれだけ養えるだろう。

 数週間か、数か月か。もしかしたら半年か、一年。

 だけど、その先はどうするのか。指輪を売った金もいずれ尽きる。


 マギーも、ニナの面倒を見てるけれど、これは色々と事情が異なっている。

 ニナは命の恩人で、マギーが稼ぐのを手伝ってもくれる。

 廃墟の探索では、用心深くて打てば響くような得難い相棒であった。

 簡略化したものだが、地形を測量して地図を描けるし、怪物たちの習性や活動時間にも詳しい。石斧を作って、薪代やその他を節約してくれる。もしかして一人で生きていけるかも……いや、流石に曠野で一人は厳しいか。

 兎に角、普通の子の面倒を見るよりも、負担は遥かに小さい。寒い日は抱きしめて暖めてくれるし、いい匂いまでする。ニナがいないとマギーは生きていけない。

 そんなニナでも、月に十キロ以上の麦を食べる。


 家族を失った孤独な老人が、幼い子供二人と出会って入れ込むのは、気持ちとして分かるが、その性根はどのようなものだろう。

 例えば、略奪者レイダーの集団で育った子供は、性悪だったり、恩知らずな性格がどうしても多くなる。人は朱に交われば赤くなるものだ。或いは、これまでの他者との交流がほぼ最低限だとしたら、言葉や所有権もあまり知らないかも知れない。最低限、共通の常識やルールを知らなければ、居留地での生活は困難で、他所からやってきて、適応できずに追い出される放浪者や廃墟の民など、何処の居留地でも枚挙に暇がない。


 我ながら、ひねくれたものの見方をしていると思うマギーだが、恩を仇で返すような者たちも、世には少なからず蔓延っている。伝説的な交易商人であった【大胆不敵なオー】も、忘恩の輩の裏切りで命を落としていた。

 幸か不幸か、二人はまだ幼い。両親が悪人でも、逆に善良でも、その影響は限定的なはずだ。そして、手は掛かるとしても愛されれば大半の子供は応えてくれる。


「……子供たちが、素直な性根だと良いけど」マギーはつぶやいた。


 善意に善意が返ってきてくれれば、どれほどいいだろうとマギーは思う。

 老人の金と稼ぎがどれほど持つかは分からない。そして、例え、あばら家の老人との生活が一年ほどで終わりを告げたとしても、愛される生活が子供らの将来にとって心の救いになればいいと願っていた。


「子供服。後で測りに行くわ。一々、買うよりも、定期的に仕立て直す方が安くなるから」女主人は優しい言葉を掛ける。

「済まない」と老人。

「それは、ありがとうの方がうれしいわね」女主人が笑った。

「ありがとう。マリー」あばら家の老人が真情を込めて礼を言った。


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