終末世界の過ごし方_10 初夏の夜

 仕事も終わり、雇い主の親父さんが作業員たちに賃金と伝票を支払っていく。

 伝票は、贋札対策。役場に提出して記録することで後日、労働者が稼いだのと同額のポレシャ紙幣を麦へと交換できる仕組みになっている。小さな居留地ならではの、通貨と備蓄食料の管理制度だろう。賃金を受け取って、さっさと立ち去る者たちもいたが、流れ者同士で多少、話し込んでいく者たちもいる。


 マギーが薬缶から水を飲んだ。ぷうっ、と大きく息をついている。

「お疲れ様。マギー」

 ニナはずっとマギーの傍について、濡れた布でマギーの身体を拭いている。


 半日仕事で受け取ったのは、8枚のポレシャ紙幣。

 麦4キロ分の価値があり、二人だと4日分の食料になる。

 これで家族を養っている者もいるので悪くない賃金ではあるが、もっと楽して稼げる仕事があればねぇ、なんてマギーは呟いていた。


「人類の夢だね」言ったニナも首を振った。 

「食費補おうと思って小動物用の罠仕掛けたけど、上手くいかないや」

 単に罠泥棒もいるだろうが、曠野には孤立した小さな集落で数世代を暮らしている一族もいるし、中世や古代と変わらぬ暮らしを送っている部族などもいた。


 稀に好奇心旺盛な若者が外の世界に出て来るが、大抵、ちょっとした事件を引き起こしたりする。飼い猫や犬を放し飼いの食べ物と見做すものもいて、新参の入り込む時期、飼い主や家畜持ちは要警戒でピリピリしている。他人のペットが獲物にしか見えない野蛮人からしてみれば、誰の仕掛けたか分からない罠なんて知った事ではない。


 話し込んでいた二人の耳に、警戒の叫びが響いた。

「人影が寄ってくる!」畑の持ち主の娘さんが、ライフルを片手に叫んでいる。

「確かか?」

 駆け寄ってきた親父さんへと頷きながら、娘さんが銃のスリングを肩から外した。

「ボス!」

 娘さんに名前を呼ばれた足元のブルドッグが起き上がり、唸りを上げ始める。


 娘さんの銃は、おそらく大きな居留地の職人製と思われる後装式の単発ライフル銃。単発であるが、金属製の実包を手元で詰める仕組みであり、狙い打っても一分間に十発近く発射できる。銃身バレルも長く、ライフリングが施されていて、精度に優れている。


 傍にいるなら、まず大抵の怪物は撃退できる威力に安堵の念を覚えて、マギーはニナへと頷きかけた。

「大丈夫。あのライフルがあれば、コヨーテや野犬の二匹や三匹。どうにでもなるよ」

 そうマギーが見立てた通りに「皆は私が守る!」かっこよく宣言した農民の娘さんがライフルを構える。脇にストックを挟んで、銃身を抱え込んでいる。下手糞な構えだ。

 槍かな?マギーとニナの目が丸くなった。弾薬が高いのでろくに練習してこなかったに違いない。


「待て。人かも」かざした掌で陽光を遮り、目を細めた親父さんが、幸いにも娘さんを制止した。

「お父さん!でも、こっちは、裏手だよ?!」

 そう喚いている農民の娘さんは、一次戦の塹壕の兵士みたいにトリガーに指が掛かりっぱなしだった。足元では、犬が股の間に尻尾を挟んで後退りしている。

(……重たいトリガーなのだろうか。きっとそうに違いない)

 そうであることをマギーは祈った。正体の分からない人影より農民の娘さんの方がずっと恐かった。

  

 やや離れた地平にふらふらと揺れる人影が二つ。ニナが目を凝らして言った。

「フードをかぶってる。ふらふらしてる。小さい。二人か、二つ」

「目がいいな……なんだ?ちっちゃいな。猫族キャットフォークか?」と親父さん。

猫族キャットフォーク猫族キャットフォークってなに?」ニナが食いついた。


猫族キャットフォークってのはなぁ、ああ。倒れた」

 畑の持ち主のおっさんは大事なことを話さずに、目を凝らして呟いた。

 片方が倒れたもう一人を引き起こして、畑の入り口に差し掛かった。そこで、お姉さんが銃を構えてるのに気づいたのか。慌てて、ひょこひょこ遠ざかっていった。


「……旅人驚かせたのかも。だとしたら、なんか、可哀そうなことしたな」

 銃を構えた農婦の娘さんがそう言ったけれど、発砲すらしてない。

 当たり前の対処をして、誰何の届く前に相手も立ち去ったのだから、誰が悪いと言う事もないだろう。

「ねえ。ところで、猫族キャットフォークって?」ニナがひとり繰り返していた。


 賃金を受け取ったマギーとニナは、防壁沿いを歩いて、町の入り口へと廻った。防壁裏手から歩哨が梯子を下ろす事も出来るが、普段は居留地の人間だけが使用できる。


 遠く、西の果ての稜線に日が暮れようとしていた。あちらこちらの畑で働いた労働者や集団で薪採りを行っていた組が重たい足取りで帰宅する姿が、ちらほらと見かけられる。


「ああ、疲れた。明日はぐっすり寝ます」マギーが伸びをしながら宣言した。

「はぁい」頷いたニナが、町の入り口に設置されてる木柵と木杭を避けて、街路を進んだ。こんな簡素な仕掛けでも、野生動物や怪物を避けるのには一定の効果は持っている。

 夜の間は、木柵を閉じて閂を掛けるので、ゾンビや怪物などは一応、入ってこれないし、群れで押し入ってくるにしても破壊音を発する筈だと期待されている。

「どう考えても……変異獣ミュータントだと昇ってこれるよね。あれ」木柵を通り過ぎる際にニナが呟いた。

 マギーは悲しげに微笑んだ。


 金属板やコンクリートなどの防壁を全体に張り巡らすなど、どうしても途方もない予算と資材が必要となる。到底、一居留地でしかないポレシャに負担できるものではない。結局、外縁部は安価な木柵などでお茶を濁しつつ、居留地の中心部を厳重に守ることで妥協したのだろう。

 以上の理由でポレシャでは、中心部に近いほど安全、かつ地価が高い。ちなみに路地裏の賃貸料は、無料であった。好きな場所を選んで寝泊まりして、後で届け出れば住所として登録される。


 何処の居留地でも、何年かに一度は忍び寄ってきた変異獣ミュータントなどによって被害を出すものだ。そして、流れ者の命はどうしても安い。ポレシャの路地裏の場合、外縁に近いニナとマギーの塒が襲われる可能性もそれなりにあった。


 変異獣ミュータントが襲ってこない可能性。野生動物の群れが流れ込んでこない可能性。路地裏の他の人を襲う可能性。戦って撃退できる可能性。二人は可能性に賭けている。賭けるしかなかった。仕方ない、だ。路地裏に暮らす他の人々も同じだった。もう少し中心に近い位置に土地を借り、天幕など張っている自由労働者の家族となると少しマシだろうが、渡り人オーキーたちは、誰もが明日を知れない日々を生きている。



 そうして塒の近く。夕暮れに薄暗い空の下。廃墟の壁に小さな人影が二つ蹲っていた時も、二人は驚かなかったし、特に心配もせずに通り過ぎた。

 精々が渡り人オーキーの親に待ってるように言われた子供と思い

「……知らん子だ。近所に引っ越してきたのかな」なんてニナが呟いた。


 流浪の民や廃墟の住人には、他人の持ち物や甚だしきは女子供まで盗むのを悪いと思ってないものもいる。なので、マギーもニナも大事な持ち物は、いつも背嚢に入れて持ち運んでいた。


 ぼそぼそと話し合ってる二つの人影を警戒しつつ、塒に戻ったマギーが伸びをした。

「お腹空きました。でも、作る気にはなれません」マギーが言い張った。元より、マギーはそれなりの健啖家だが、今日ばかりはニナが作る時間も待てないらしい。


 鍋や金属の食器は、多少の価値はあった。背嚢から出した鍋を抱えて、マギーとニナは防壁のトンネルを潜り、広場へと向かう。マギーは背嚢が重たい。食い込む。財産を持って移動するのは、家を持たぬ者の習わしであったが、五キロもないとは言え、疲れている時には辛かった。何故か、背後を小さな二つの人影がついてくる。

(……持ち物を狙ってるのかしらん?)それと無くニナに目配せしようとしたマギーだが、思ってたよりも随分と小さいのに気づいて、(子供だろうか)と戸惑いを覚える。


 中央広場へと足を踏み入れる。広場の四方で火が焚かれているのを見て、背後の小さな人影が、わぁ、と幼い声で感嘆を漏らした。

 フードで分からなかったが、思ったよりさらに幼いのかも知れない。マギーとニナの警戒も大分薄れた。世には凶悪子供強盗団などの悪夢みたいな存在もいるので油断は禁物だが、流石に二桁に満たない構成員がいるとは思いたくない。


 湯気を立てている鍋の列に並んだ人々が、ポレシャ紙幣を払って粥を購入している。その日、働いた仕事で雇い主からの伝票を見せる場合もある。

 伝票や紙幣が行き交い、次々と麦粥が食器へと注がれていく。


 マギーとニナも、麦粥を購入した。二人が食べる場所を探していると、近くの長椅子が空いていた。近所の顔見知りである、あばら家住まいの老人が長椅子に腰掛け、手招きしていた。ちなみにこの長椅子は一般的な木製ベンチではない。簡素な軒先の下に設置されたソファで、廃墟から持ち込まれて設置されたものである。


 有り難く、招待に応じた二人が長椅子に腰掛けた。真っ白なノリみたいなお粥に兎に角、塩が振りかけられている。

 疲れて空腹のマギーは、何も考えずに温かいお粥を胃に送り始めた。

「うえー、ひどい味。まずい」とニナが文句を漏らしてる。

「ああ、うちの子がすっかり贅沢になっちゃった。

 ほんの数か月前は、お粥に文句ひとつ言わなかったのに」マギーが嘆いた。

 しかし、肉とフルーツ、焼き菓子に果汁など美味しいものの味をニナに教え込んだのは、マギーであった。


 夕暮れの下。食べ終わったマギーが、ゆっくり食べてるニナと雑談を始めた。話題は、家の守りに関してであった。

「玄関があるから寝ている時に早々、襲われないと思うけど」とマギー。

「もう少し、背が欲しいな。一メートルだと犬が飛び越えて来るかも」

 廃墟で目にしてきた光景を口にしてニナが油断を諫めると、マギーも頷いた。

「次の薪採りで木材を分けて貰うよ。多少、マシになると思う」

 予定通りの木材が手に入れば、おおよそ一メートル二十から三十センチに出来る。一メートル超えは当初からの想定で大型犬でも早々、越えられないだろうと二人は予想していた。ゾンビであれば乗り越えてくるかも知れないが、多少の時間は稼げるはずだ。

 廃屋などで見つかる家具の大半も劣化して役に立ちそうにない。物資の豊富な都市生活者などからすれば、哀れで愚かしい防衛策に思えるかも知れないが、それでも二人にとっては、入り口のバリケードが唯一の命綱であった。


 怪物が来たらどうする?隙間から槍で刺す。乗り越えてすぐなら、頭も潰しやすい。たくさん来たら?ああだ。こうだ。と話し合うマギーとニナの会話を、隣に座っているあばら家の老人は楽しげに聞いていた。


 地平は、まだ夕焼けの残滓が漂っている。

「……屋根の下で寝たいなぁ。星空も嫌いじゃないけど」

 中天に浮かぶ星空を眺めながらニナが切なげに呟いた。

「……家って幾らするんだろう」

 ため息を漏らして、ニナは隣人に話を向けてみた。

「お爺さんはいい考えない?」

 あばら家の老人が広場の中央を眺めながら、ぽつりとつぶやいた。

「私の場合は、ただです」

「ただ?」とニナが耳を疑った。

「町はずれの土地ですからね。一応、使用許可証を貰いましたが。あとは、自分で材料を集めて。三年ですかな」

「三年?」マギーが首を振った。

 疑う訳ではないが、釘と木材をどうやって集めたのか。買ったり、賃金で受け取って、到底、出来るとは思えなかった。


「その頃には、ちょうど、隣の居住地が崩壊して、そこの資材を……」

 あばら家の老人は穏やかな声で事情を教えてくれた。

「ああ」

 それは参考にならない、と落胆したマギーの傍らで、あばら家の老人が淡々と衝撃的な事実を告げた。

「わたしも妻と娘を失いました」

 いきなりの重たい事実に、マギーも、ニナも真顔で沈黙した。

「当時、此方に来ていて一人助かったのです」とあばら家の老人が呟いた。

「……それは」

 あばら家の老人の巌のようにただ静謐な表情に、マギーは圧倒される気持ちだった。

「三十年も前の話です。私が居なくなれば、もうあの街のこともあの子たちを思い出すものもいなくなるでしょう」


 広場で誰かがハーモニカを吹いてた。ギターを鳴らしているものもいた。幾人かの若い男女が踊っている。苦い表情をする父親らしき男性を年配の女性が宥めている姿もあった。

 初夏の季節は、居留地ポレシャの若い男女にとって出会いの季節でもあった。夕暮れの時間、広場ではしばしばこうして焚火が焚かれ、人が集まってくる。防壁の上に立つ歩哨の傭兵も、騒がしくも楽しげな広場の気配に気持ちが浮足立つのか。景色に見入っては、気を取り直したように外への警戒に向き直っていた。


 あはは。路地裏の王女さまと子供たちが笑いながら、楽しげに駆けまわっていた。

 一瞬の光景を切り取り、ニナは絵を描いている。


 あばら家の老人も、広場の光景を懐かしむようにじっと見つめていたが、隅にたたずむ小さな二つの人影に気づいたのか。

「……あの子たちは」と微かに首を傾げる。


 フードの二つの影は、広場の人々が食べ物を食べている姿をじっと見てた。やがて片割れが躊躇うように足踏みしているのを、もう一方が袖を引っ張って列へと近づいていく。


 ニナもスケッチを描く手を止めて、子供たちを見つめた。

「並んだ」ニナが呟いた。

 並んでる。おどおどと、互いに手を握って、心細そうに見回したりしてる。


「なんだろ。あの子たち」段々と気になってきたのか、ニナがマギーの方を見た。

「……親とかいないのかな。二人だけで迷い込んできた感じがしてきたよぅ」

「まさか。いや……畑で見た二人だろうか?」

 怪訝そうに首を傾げているマギーも、まさかと言う気持ちだった。

「子供二人だけでポレシャに?」自分で言って少し信じがたかったマギーだが、保護者の出て来る気配もなく、ニナと顔を見合わせた。


「……あの子ら、お金持ってるのかな?」

 根が善良なマギーが心配し始めた。

 時々、お金を知らない人が居留地へとやってきて小さなトラブルになる。

「それは、もってるでしょ。多分」とニナが言うも、並んでる二人は前の客が金を払ってるのを見て、不安げに囁きあっていた。ニナも不安になった。

「ぶ、物々交換でもいいし。

 お粥なら曲がった釘や金属のボタンとか、コーラのキャップ一つでも」

 ニナの言葉に、マギーが首を振った。

「持ってるように見える?」

 ボロボロのカーテンみたいなフードから、素足がのぞいていた。


「あー」自分で言ってて心配溜まらなくなったマギーが立ち上がって歩き出した時、唐突にあばら家の老人が立ってマギーを追い抜き、走るようにお粥の売ってる屋台へと向かっていった。

 財布を取り出して歩み寄ると、屋台の太った店主に話しかけて粥の碗を受け取り、二つの小さなフードの前に屈みこんで、穏やかに語りかけながら、そっと差し出した。


 身の上話を聞いたばかりのマギーとニナは、あばら家の老人の姿をただ黙って見守った。

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