終末世界の過ごし方_09 マギーちゃんは可愛い

 レモネードを呑み終わった二人は、食料品店へと向かった。ここは居留地の店舗でも、古くからある大型店舗を再利用した建物だった。店内は広く、酒場も兼ねており宿泊もできる。比較的に安価で様々な品を買えるので、利用している渡り人オーキーや自由労働者も少なくない。時には、近隣の小村落からも住人や放浪者らがやってくる為に、女店主は居留地ポレシャの情報通としても知られていた。


 バーテンダーを兼ねた女店主の背後の棚には、パンが並んでいた。奥の方では酒瓶が置かれているが、店舗の入り口近くは、ほぼ食料品店として扱われている。

 小麦を只焼いた保存用からイースト菌を使って膨らませたもの。大量のバターを混ぜた甘いパンも僅かに売っているが、買うのは居留地でも裕福な住民だけだった。他にはトマトにジャガイモ、人参、キャベツにトウモロコシなど。何処で仕入れてきたのか、居留地では作ってない野菜や穀類、ワインにラム酒も売られている。一年中売っているのは、大麦のビールと豆類。幾らかの豚とヤギの肉。チーズとバター。包み紙に巻かれたキャラメルやチョコレートも小さな欠片で売っている。本物のコーヒー豆は高価で、ニナたちにちょっと手が出ない。


「キャラメルを買う?」マギーが聞いてきた。

「待って、これは長老の罠だよ」ニナは小声で言い張った。

 居留地ポレシャの長老は、会った子供に最初にキャラメルを与える。

 キャラメルは、誰にでも手の届く金額で食料品店に置かれている。

 甘味の乏しい時代に、キャラメルの味を知った子供は病みつきになり、機会があれば親にねだる。キャラメル自体は廉価だが、食料品店に誘われた親は、ついでに色々と買い物してしまう。なので、キャラメルは釣り餌に違いない。陰謀論で善良な長老に濡れ衣を着せて、罠だ、と結論付けた二人は、またくすくすと笑った。


 マギーは、安い肉を買った。脂身の多い部分だけど肉は肉。野菜も人参やキャベツ、ジャガイモなどは時々、購入するが今回は豆だけで済ませた。

 残り少ない塩や胡椒などの調味料が欲しかったが、それは高価だった。

 買うなら、ズールで買うべきだろう。それまでは節約。出来れば、メリーの店で買おう。


 店舗の奥に飾られたコーヒー豆を見て、マギーが喉を鳴らした。

「タンポポのコーヒー淹れるよ」とニナが慰めてみる。まだ砂糖が少し使えるし、体も暖まって、代用コーヒーとしては決して悪い代物ではない。

「何時か、本物のコーヒー飲みたいね」マギーがため息を漏らす。

「紅茶がいいなぁ」とニナ。

「ズールに言った時ね」本物の紅茶を手に入れる伝手をマギーは持っている。


 会計に移ったマギーの前に、コーヒーと紅茶が差し出された。

「あなたなら、ツケでもいいわよ。マギー」

 妙齢の女主人が艶やかな声で微笑みかけてくる。


「有難いけど断るよ。お金を貯めて自分たちで買う楽しみがなくなるからね」

 マギーが婉曲に断った。女主人は拘泥するでもなく、頷いた。

「いい心がけね」

 紅茶とコーヒーを引っ込めた女主人だが、外からのお客が訪れる酒場の二階は個室付きの宿泊施設となっており、若い女性も指名できる。

 マギーに親切なのも、従業員募集の一環ではないかとニナは疑念を抱いている。

「……迂闊に身の丈以上の買い物をするとツケで首が回らなくなる事もあるよ」

 ニナが言い張った。それから、ハッとしてマギーの後ろに隠れて言い訳する。

「勿論、親切な店主さんがそんなことは目論んでないのは良く知ってるけど……」

「あら、手酷い評価ねぇ」

 こましゃくれたニナの言動に怒気を見せるでもなく、女主人はくすくす笑いながら二人の買った商品を籠に入れてくれた。


 そうして日々を送るマギーとニナだが、冬に向けた蓄えもほぼ万全であったし、冬を過ごす為の居場所についても心当たりと約束を交わしている。

 身の丈に満足してる二人の日常生活は、なんの問題もなく順調であった。


 塒に帰ったマギーは、【玄関】と称する木製バリケードをどかしつつ、考え込んでいた。高さ一メートル弱の木製バリケードは、野犬やコヨーテ、巨大蟻など、おおよその野生動物の体当たりを防いでくれる。

 とは言え、いまだに高さ一メートル弱。大型の野犬などは跳躍して飛び越えてくる事もあるだろう。が、少なくとも路地裏の入り口に【玄関】を設置しておけば、無防備に寝ている時にいきなり襲われることはない。それだけでも就寝時には、随分と安心できた。他の路地裏には、まともな荷物や障害物も置かないで寝泊まりしている者たちもいるのだ。木柵や木杭が設置してあるとは言え、居留地の防壁の外側。何時、巨大蟻や巨大鼠などに襲われても、路地裏生活はおかしくなかった。


 多少、増強して90センチ程の高さを持つ玄関だが、しかし、大雨を防ぐにはまったく役に立たなかった。むしろ流れ出る水を堰き止めて、酷いことになったのだ。

 先日、雨後の排水には大変な苦労した。泥濘と化した中、水たまりを皿で掬って、雑巾で搾り取り、二人が一日掛かりで路地裏から排水した。


「……排水溝を作る?」とニナ。

 こうパイプを地面に通して。とノートに簡易な図面を描いた。

「まず土台を高くしないと。排水路なんかも外に掘らないと」マギーが考え込む。

 しかし、土台を作るには、シャベルや猫車などが必要だった。借りると高くつく上に、ただの二人では、労力に見合う成果を出せるかも分からない。


「……なんだかな」とマギーが首を振った。

「現状は、難しいよ」とニナ。

 何とも言えない表情で、二人は顔を見合わせる。

 元から乾燥して気温も高い。雨もあっという間に蒸発して悪臭も残らなかったが、これから雨季に差し掛かると、また同じ苦労を繰り返す羽目に陥るだろう。

「……せめて屋根のある生活がしたいよぅ」ニナが嘆いている。

「モップが欲しいな。モップが」とマギーが言う。

 モップであれば、幾ばくかの貨幣を払うことで借りることは出来るだろう。しかし、作るにしろ、買うにしろ、木材すら中々に手に入らない。

 流れ者の生活とは、得てしてそんなものであったが、安全と食べ物が手に入ったら、次に快適さを求め始めるのも人の常だった。


 ふと、他の人はどうなのだろう、とニナは気に掛かった。路地裏の住人の顔ぶれも最近になってかなり入れ替わってきた。木材や防水シートで器用に屋根を作った渡り人の家族もいるようだが、大半の人はやはり似たような暮らしぶりを営んでいる。

 とくに新参の人々などは、不便な暮らしを送らざるを得ないのだろう。


 冬小麦は、秋に植えて、春。または初夏に収穫する小麦の品種であった。冬を越えるので、冬小麦と呼ばれている。

 初夏の収穫期と、冬越えの前である晩秋に、居留地ポレシャの食糧庫は開かれる。普段は、日に1キロまでと制限の掛けられているポレシャ紙幣と麦が一斉に引き換えられ、或いは訪れた麦商人によってそのまま近隣でも強い通貨へと両替される。


 そうして貯めた金で財布を膨らませ、或いは背嚢に食料を満載して、安住の地を求めて流離うのか。自分たちの土地を切り開くために旅立つのか。或いは、ただ単に待たせている家族のもとへと帰っていくのかも知れないが、少なからぬ人々が路地裏を立ち去って、それと入れ替わりのように仕事と食事を求めた渡り人オーキーや流れ者が一人、二人と、或いは家族連れで、数日ごとに居留地へと流れ込んでくる。


 路地裏の界隈も、そうして随分と住人が入れ替わっていた。二人が特に親しくしている人間が去った訳でもないけれども、4カ月も掛けて、やっと誰が信頼出来て、誰が警戒するべきかが薄々、分かってきたと言うのに、また一からご近所関係のやり直しであった。


 新顔の中には、集団での薪採りや水汲みに合流せず、自分たちだけで行っている者たちもいる。これは必ずしも人嫌いとか、後ろ暗い事情を抱えた者ばかりとは限らず、赤子を抱えて遠出できない。知り合いがおらず、他人に預けるに不安がある若い夫婦や、やっと木柵や木杭の内側に逃げ込めたのに、怪物が出没するような森や湖まで赴くなど御免だと言う者たちなども含まれる。或いは、単に孤独な暮らしを長く続けたため、集団行動に馴染めないものや、言葉や文字での意思の疎通が苦手なものも幾らかはいる。


 そして、また、集団での割安な薪や水に頼らずとも、その分を必死で働いて、居留地内で全てを購って生活しているものたちもいるので、必ずしもどの生き方が正解とか、効率がよいと言う訳でもない。人それぞれの事情であった。


 安全を重視して防壁内に寝泊まりすれば、どうしたって金は掛かる。町はずれなら、滞在費は抑えられる。栄養とカロリーさえ取れれば充分と割り切るものもいるし、他は質素に暮らしながらも、食事を楽しみとする者もいる。



「大分、慣れてきたんだけどなぁ……」とマギーが愚痴を漏らした。

 仕事にも慣れたし、人間関係にも慣れていた。それがリセットされるのは残念だった。必ずしも気安い相手でなくてもいい。互いに仕事に慣れた同士であれば、ツーカーで通用するやり取りも多い。まったくの素人が入ってきた場合は、また一から説明してやり方に慣れて貰わないとならない。


 とは言え、居留地の仕事は、大半が野良仕事に家畜の世話。柵の修繕や防壁の補修などで慣れてるものが多い土木作業や、レンガ造りに水路の浚渫などの力仕事。新顔もよほどの変人か盗人にでも当たらなければ問題あるまいとマギーも踏んでいた。



 午後からは、浚渫の仕事だった。六人の作業員中、三名が知らない顔。防壁の外に広がる水路に溜まった泥などをシャベルと人力でひたすらに掘り続ける。きついが、賃金は悪くない。


「人間はよ。骨惜しみをしちゃなんねえ。サボってんじゃねえぞ」隣で働いてる中年男が先刻からうるさかった。別に雇い主でもなんでもない。マギーと同じ雇われ人夫で、しかも新入りだった。なぜか、他の者に対して偉そうにマウントを取ってくる。

 上から目線のおっさんが先刻から煩い。物言いに我慢できなくなったか。こちらも新入りの青年が言い返した。

「おっさんこそ、手を動かせよ。うちの班が進んでないのは、おっさんが口ばかり動かしてるからだぞ」

(……雰囲気良くないなぁ)聞き流しながら、マギーはひたすら手を動かした。

 偶にはこういう日もある。人間なので、合う合わないは仕方ない。


 嫌な相手と分かれば、仕事もずらせる。数人の新顔との初顔合わせで、避けられなかった。変なのは一人だけ、今日だけ我慢すればいい。

 ため息を漏らしたマギーは、雇い主の娘さん。椅子に座ってる若い農婦と視線が合ったのだが、苦笑を浮かべていた。苦笑を返したマギーも、肩を竦めて作業を再開した。


 椅子に腰かけた農家の娘さんだが、足元の椅子には飼い犬の縄を結び、鉄パイプを組合わせたようなライフル銃を抱えて目を光らせていた。作業を監督している訳ではない。それは、農地の持ち主である親父さんの仕事だった。娘さんが対処するのは、もっと危険な相手だ。


 居留地の内側にも幾らかの野菜畑と家畜の為の草地はあるが、麦畑などは防壁の外に広がっている。そして農地と食料の価値も、大崩壊前の何倍にもなっていた。


 農地は居留地の外に無防備に広がっており、野生動物や怪物も彷徨っている。猪や大型の鼠が食い荒らすこともあって、柵や低い塀で囲まれているが、大した効果はない。犬や銃を持った見回りで辛うじて対処しているものの、収穫が打撃を受けることも儘あった。


 問題は、野犬の群れにコヨーテの群れ。どちらも脅威だった。斥候か、迷子になったかの単独の働き蟻やら、巣離れしたばかりの巨大鼠だって、無防備になった人間には危険だった。一カ所で長時間の作業をしていれば、変異獣ミュータントやゾンビが寄ってくることもあった。一匹や二匹なら見通しのいい場所である。ライフル型の銃で、容易く仕留められる。銃を持った人間がいれば、基本的に殆んどの脅威には対処できる。


 農作業中も、怪物に襲われるかも知れない。なので作業中、常に誰かしらは見張っている。居留地の内部にも畑はあるが、居留地ポレシャの口を養うにはまるで足りない。野外での農作業や土木作業には、見張りと警戒する為のマンパワーが取られる。ひどい話と思うが、見張りがいるのでポレシャはまだマシなのだ。


 小さな村落や家族単位の暮らしとなると、見張りを立てる余裕すらない。武器を携えながら作業して、襲撃を受けたら自分たちだけで対処しなければならない。


 シャベルで畑の用水堀をひたすら掘っている。

 溝の底から泥を除ける。作業も大分、終わりが見えてきた。

 畑の栄養をたっぷり含んだ肥沃な黒い泥。勿体ないとマギーは思う。

 きっといい畑の土になる。土地を持っていれば。

「これ、きっといい畑の土になる」

 ポツリと洩れたマギーの呟きに、持ち主の農夫の親父が頷いた。

「なるぞ」

「小さくても土地をもってればぁ、土買うのにな」

 嘆息したマギーに、新入りのおっさんがまた口を挟んできた。

「おめえみたいな小娘が土地なんざ、百年早いわ」

 一々、神経を逆なでしてくれる。流石のマギーがイラっとした。

(……なんだ、こいつ。偉そうに)


「……なんだ、こいつ。偉そうに?」

 我慢が効かずに剣呑な声を漏らしたマギーを、それまで黙っていた別の青年が宥める。

「まぁまあ。落ち着いて。あと少しだ」

 時間的にも、作業的にも、あとわずかだった。おっさんと睨み合ったマギーだが、かぶりを振るとさっさと作業に戻った。

「分かってますよ」と手を動かしながら、吐き捨てるマギー。

「新しい環境にも不慣れだし、家族もいて、養わないといけない。舐められないように必死なんでしょうよ」

 怒りを叩きつけるように大きな土をどさっと横の地面に吐き捨てて、マギーは言った。

「頭には来るけど。相手にしませんよ。頭にくるのは変わらんけど、仕事さえしてくれりゃあいいんです」

 ぷりぷり怒りながらラストスパートで掘ってるマギー。自分の気持ちを落ち着ける為のおっさん分析だったが、幾人かが声を出して笑った。いやな笑いではなく、マウントおっさんは顔を真っ赤にして怒ってたが、それからは他のものもそれとなくおっさんの口上を受け流す雰囲気となって仕事も上手く進んだものだ。


(……次回からは、このおっさんと仕事するのは避けよう)真面目に仕事をしていれば、仕事仲間を選り好みできる程度の信用は、マギーだって築いている。おっさんは多分、他の労働者にも敬遠されるだろうが、そこまでは知った事じゃない。


「今日は、もういいで」

 時間と進み具合を見た雇い主の親父が打ち切って、作業がやっと終わった。

 作業時間の終了に合わせてやってきたニナが、駆け寄ってくる。他の作業員の家族も傍らのあぜ道で簡単な軽食を作ったり、火に当たっていた。

 きゃうきゃうと腰にしがみ付くニナの前で、水路の水で顔を洗った。

「ああ、マギーさん。いい人っすね。惚れますよ」

 作業員の若者の一人が口にした。

「冗談でもそういう軽口やめときなさいよ。君。

 路地裏で、子供養うのに必死になってる寡婦とか大勢いるから」

 マギーの返した言葉に、見張ってた農婦の娘さんが大きく頷いた。

「ああ、この時期はね」

 どうやら農家の娘さんにとって、興味ある話題だったらしい。

 薬缶に口をつけて水を吞んだ後、相槌打つと話し出した。

「……美人もいるからね。うちなんかは拘りないけど、大きな土地やお店の居留地の奥さんたち。旦那方や若様方に睨みを効かせてるね」

「最初来たときは、なんだと思いましたよ」とマギー。

 初めて農地に働きに来た時は、雇い主の青年に木で鼻をくくるような対応をされたものだ。

「美人は当たり強くなるね。マギーさんがそれ狙いと違うのは早めに分かったね。

 うちの兄きが最初の塩対応後悔してました。駄目かな?」

 マギーは働き者だし、性格も悪くない。だけど、流れ者にはとんでもないのがいるので、まず距離を取る兄の対応が悪い訳でもなかった。

 マギーとニナを家族に迎え入れて、ずっと一緒に暮らす相手として想像した娘さんは、悪くないと頷いた。

「駄目」ニナが言い張った。

 農民の娘さんはだろうね、と首を捻ったが、哀れな兄の為にもう少しだけ粘って、ニナを懐柔しようとした。

「三人姉妹にならない?お姉ちゃんって呼んでもいいよ」

 うぅー、とニナが威嚇した。

「揶揄わないで」ニナを抱き寄せながら、マギーは苦笑して農家の娘さんを窘めた。


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