終末世界の過ごし方_07 水の価値
電気のない生活は朝も早い。夜明けと共に図書館を訪れたニナとマギーだが、一通りの動画ライブラリーを見終わっても、まだ正午の鐘は鳴っていなかった。
「他に何か欲しいものはあるかな?」マギーはニナを抱き寄せてから聞いてきた。
「特に、なにも……役に立ちそうな本があったら嬉しいかな」
五十ズール通貨にどの程度の価値があるかも、ニナはまだ分かっていない。
中央市場の片隅で安価な古本などを少し見て回ったが、それほど良さそうなものも見つからない。ニナは甘いものも欲しがらず、そのまま結局、二人は午前も早いうちに
麦五キロと引き換えにした
近場とは言え、ポレシャは麦の産地であるから、ニナにとってはやや予想外だった。実質的に目減りしているのだが、マギー姉さん曰く、
元より、稼ぎの大半はマギーが働いたものなので、ニナは気にはしなかった。ニナの面倒など見てなければ、マギーはもっと沢山の麦なり、金なりを貯められた筈なのだから。
それにしても、ニナにとってだが実りある旅だったとは思う。色々な知見を得られた。幾つかの知識は多少の役には立つかもしれない。とは言え、それで生活が劇的に変わったりする訳でもなかった。
石斧は、最初の一本を作るのに半月以上掛かった。居留地には手頃な材料が見つからなかった。当たり前だが、よさげな石材などはとうの昔に居留地の住人が建材で使っていた。
かと言って曠野で探そうにも、一人で居留地の外をうろうろするのは躊躇われた。自殺行為とまでは言わないが、危険を伴う行為に違いない。居留地の傍らでも、野生動物などはしばしば目撃されているのだ。流石に入り口近くからは追い払われているが、一人で居留地の外に出たりしないのは、ニナのような子供に限った話ではない。武装した大人であってもコヨーテや野犬の群れなどに襲われては一溜りもない。
コヨーテなどは早々、人間を襲わないし、巨大蟻なども迂闊に近づかなければ無害な時もあるが、子供や単独での行動であれば危険性は跳ね上がる。なので、居留地の人間たちも出来るだけ野良仕事の時は見張りを立てるし、水汲みや薪拾いも示し合わせて人数で行動する。
マギー姉さんとニナも必ず二人一組で出かけていた。マギーとニナは、稀に廃屋やあばら家などに赴いて廃墟漁りの真似事をするが、けして単独行動はしない。
そして怪物が徘徊している廃墟群に置いては、一人が部屋を漁る際は、もう一人は必ず警戒する。これは二人が最初に決めた絶対の鉄則だった。例え、滅多に怪物を見かけないような居留地近郊の廃屋であろうとも、必ずそうしている。
気が緩んだときも、すぐに修正している。でなければ、いずれどちらかが命を落とすかも知れない。それを二人は恐れていた。
そもそも、居留地の住人にも路地裏の渡り人にも、好き好んで廃墟へと近づく者はあまりいない。時々、2~3人の無鉄砲な若者たちが度胸試しを兼ねてか、成り上がりの野心を抱いてか、廃墟に乗り込んでみたりもするが、大抵は空振りに終わってそれきりだ。
中には二度、三度と廃墟を探索する者らもいるが、ゾンビなり巨大昆虫にでも遭遇してさっさと逃げ帰るか、ごくまれにそれなりの値打ち物を拾うと、それを境にそれきり廃墟探索を打ち切ってしまう。
大金を得た場合に、武装と人数を揃えてさらに大型建造物へと乗り込む者たちもいるが、二匹目の泥鰌を捕まえるものは滅多にいない。大抵、命辛々に逃げかえるか、運が良くても、消費した弾の元手を取れない収穫に終わるのが結末で、引き際を間違えたのか。それきり帰ってこないものも少なくない。
マギーとニナは欲張らない。二人にとっては、生活の助けになればいい程度。本業ではない。大金もいらない。一度、
週に一度ほど曠野に出ては、適当な廃墟に足を踏み入れる。怪物の気配の有無を優先して探り、少しでもヤバそうなら足を踏み入れない。
食器用のナイフにフォーク、お皿に水差し、昔の新聞や雑誌で保存状態のいいもの。古びた家具を壊して釘や木材、薪を得る。
その日はついていたのだろうか。探した家屋の子供部屋に、玩具の車と人形が見つかった。とは言え、二段ベッドに抱き合った小さな骸骨と朽ちた絵本。空になった幾つかの缶詰。壁に貼られたパパ、ママと子供二人の幼い絵を見れば、持ち帰る気力はマギーには無くなってしまった。
いずれ、他の
廃墟から出て、ひび割れたコンクリートの街路を歩く。視線はさりげなく周囲へと配りながら、足早に引き返す。それでも、それなりの収穫はあった。
小さな森が横合いに茂っているが、一帯は怪物が目撃される危険地帯でもあった。仮に材木が採れるとしても踏み込む者は誰もおるまい。ニナとマギーも森から距離を保って曠野を進んでいたが、ニナがふと足を止めた。森の外れの地面に丁度、良さげな石が転がっていた。
「あの石、拾って帰ろうと思う」端的に言った。ニナはあらかじめ、石斧を作りたいとマギーに何度か伝えていた。
「分かった。用心して」とマギー。
言われるまでもなく森には踏み込まない。マギーが後ろで警戒している間に、ニナが石を素早く拾い上げると、そのまま脇目も振らずに二人は居留地へと帰還した。
コンクリートに石を叩きつけ、コンクリートで石を研ぎ、まずは石斧。次いで石槌、石のナイフなどを製作してみたが、労力に見合うかは、微妙ではあった。
兎も角も完成した石斧だが、材木になりうる大型樹木は遠来の湖畔や、怪物が巣食う危険地帯などの森林くらいにしか生えていない。
自然、伐採できるのは曠野に点在する灌木くらいとなったが、丸太と言うのは意外と重たかった。それなりの太さがある樹木だと、伐採しても得てして重たすぎ動かせなかった。特に広葉樹は比重が重く、枝を落としても一メートルあたり百キロの重量もざらだった。百キロの丸太となると流石にマギー姉さんにも、長距離を運ぶのは難事だった。だから、石斧を手に入れたし、量産にも問題はないけれども、それで材木を得られると言うのは早合点でしかなかった。
彷徨う怪物たちを考慮すれば居留地の比較的、近場の雑木林などで太めの枝を持ち帰るのが無理なくできる妥協点で、それでも薪を買う代金は大分抑えられた。
それで生活は少し楽になった。ニナにとっては、力仕事をマギーに任せきりなのが残念でもあった。それでも、毎日が楽しい。マギーはニナを可愛いと抱きしめてくる。共依存と言う単語が頭に思い浮かんだが、別に構わなかった。
雨季の前にも関わらず、その日は土砂降りの雨だった。乾燥した気候の曠野地方とは言え、稀には雨も降るが大雨は滅多にない。マギーとニナはわずかな洗濯物を取り込んだものの、屋根のない路地裏暮らしに横殴りの雨では逃げ場がなかった。
「薪が濡れるぅ」ニナが呻いた。
「薪が濡れちゃうね」ニナに肩を寄せながら、マギーは相槌だけ打っていた。
雨に濡れた服を抱えて途方に暮れてる二人の眼前では、路地裏の渡り人や流れの自由労働者たちが街路を駆けまわっている。季節外れの大雨を嘆くものも僅かにいたが、大半は歓喜して、鍋にバケツにフライパン。素焼きの壺や皿まで並べて、少しでも雨水を貯えようとしていた。中には、あばら家から浴槽を持ち出して、道路の真ん中へと引きずっていこうとしてる爺さんまでいた。
爺さん。扉の途中で浴槽の重さに動けなくなったので、シャツだけ着込んだマギーが手伝ってやった。
設置し終わった後に爺さんは、マギーに向き直った。
「助かった。独力ではいかんしがたく……まったく、歳は取りたくないものですな」
帽子を胸にあてて謝意を示す爺さんだが、雨に濡れたマギーの様相に気づいたのか。視線が露骨に、胸に釘付けとなった。
「礼を言いますぞ……このような美しい女性に助けていただき、私は幸せ者です」
改めて笑顔を浮かべた爺さんだが、ニナはふくれっ面をしている。
「エロ爺だよ!大体、雨水貯めるだけなら家の前に置けばいいじゃん!」ニナが噛みついた。
「そりゃ、あなた。皆の邪魔にならん場所で、かつ、水を汲みやすいのがここなんだね」
あんまり遠くに置くと誰か持っていってしまうんでねぇ、と身も蓋もない実情を話してから、爺さんはマギーを賞賛しながら、うっとりと眺めてくる。
「それに男は、美しい女性に自然惹きつけられるものだよ」
「し、死んじゃえぇ」ニナが呻いた。
町外れのほとんどの住処は、屋根がないか。あっても防水シートを張った程度で、土砂降りを防げるほどではない。雨を凌ごうと屋根の残った大きな廃屋に老人や子供が集まっていた。
マギーに言わせれば、何処の居留地でも水が生命線だ。路地裏や廃墟に住み着いてる大人たちは未だに駆けまわって、貯めた雨水を貯水槽に運んでいるし、帽子で受け止めている青年もいた。
水がそれほど高いものだろうか?ニナは疑問に思ったが、子供界隈における村八分が恐いので口にはしなかった。
(路地裏の他の人と感覚のズレがあるかな。修正した方がいいんだろうか?)
水は相応に貴重だとは分かる。分かるけれど、雨で得られる水の量を考えると正直、無料だからと、お祭りのように騒ぐ価値はないのではないかと疑問を抱いている。
石斧を作った後、少し薪代の余裕が出来たニナとマギーは、金でシャベルを借りて路地裏奥の日当たりのいい場所に穴を掘った。穴には金属製の盥を嵌めて、中央にコップを置き、上にはビニールを張って、コップの上の真ん中に重しの石を置いた。あとは盥に水をいれるだけで、太陽が蒸発させた水をコップに集めてくれる。これもほんの少しだけ、水を煮沸する薪代を浮かせてくれる。
誰でも出来る工夫だけれど、同じ真似をしてる路地裏の住人は意外にも見当たらない。仕掛けの労力は大してかからないのだから、綺麗な水を盗まれるのを恐れ、隠れて行っている者はいる筈だし、或いは、知識を知ってても大した節約にならないと見切っている者もいるだろう。
しかし、殆んどの路地裏の住人は、分かっていてもやらないかも知れないと、ニナには思えた。僅かばかり薪を節約しても、生活が変わらないと思ってるのだ。
だけど、それだけだ。安住の地を求めて流離い、危険な日々を生き抜いて、どれだけ働いても、
居留地の中央に住める人数は限られていて、流れ者の一家がそこに迎え入れられる事は滅多にない。そして、
単に怠けものだとか、頭が悪いとかそういう事ではなく(勿論、そうした人もいるだろうが)、それ以上に先行きの見えなさが、路地裏の人々を不安にしているのだろう。
(その点は、私たちも変わらないか……今、考えても仕方ないな)
そこでニナは思考を打ち切った。
「ため池なんかは作らないのかな?」とニナの呟きに、マギーが応えた。
「意外と難しいみたいだね。別の居留地だけど、地質次第で地面に染み込まないように工夫がいるとか。乾燥した土地は、蒸発が早いとかも……」
「そりゃそっか。誰だって思い付くし、やってないなら理由があるよね」
ぼやいてるニナの頬に雨滴が当たって弾けた。横殴りの雨が窓から吹き込んできている。大型の廃墟も百人を超える流れ者たちを収容するには手狭であるから、居留地内の他の廃墟へと別れている者たちもいたが、見知った顔も何人かはいる。
屋根の下で火を焚いているのは、自称路地裏の王女さまで、幾つかの石を温めている様子だった。
「出来たわ」
焼き石の一つを金属の盥に入れてお湯にすると、裸になって身体を拭き始めている。ご相伴に預かってる子らもいるが、ニナは話しかけずに影の下でマギーに寄り添っていた。
依然として、雨が止む気配は見えなかった。已む無く廃墟で夜を過ごすことになりそうだった。屎尿処理や排水などが、
穴を掘っただけのトイレが、路地裏の各地に作られている。ニナたちのトイレはかなり深いが、怠けたものは今頃、溢れているかも知れない。
路地裏のものらは皆、財産を鞄や背嚢に入れて避難していた。誰もが持ち歩ける程度の食料や持ち物しか持ち合わせてないと言う事でもあるが、留守にした家に持ち物を置いてはおけないと言う事情もあった。
避難所の屋根の下でも、家族か、信頼できるもの同士はより集まり、それ以外は距離を取って、体を休めていた。一人暮らしの若い女などは、寝る場所は誰からも距離を取っている。
外では、轟々と強い風が吹き荒れていた。獣に追われ、家もなく、寄り集まって過ごしている。そんな暮らしを当たり前としている者たちが大勢いた。まるで原始時代に後戻りしたようだとマギーが囁いた。違うのは、これから先の人類に明るい希望や発展の未来など何一つ待ち受けていないことだろう。マギーの淡々とした言葉に、ニナは却って物悲しさを覚えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます