終末世界の過ごし方_06 知恵の泉

 文明の崩壊以降、他所の土地に暮らす友人の暇乞いは、しばしば、そのまま今生の別れともなりかねない。マギー姉さんは、くせ毛の娘さんだけでなく、前からの顔見知りであろう。店の男性店員や用心棒とも別れの挨拶を二言、三言と交わしてから店を出た。


 食料品店で麦を幾らかのズール紙幣へと換金したニナとマギーは、行きと帰りでは歩く経路を変更した。用心の為である。店舗から出たマギーが周囲の街路を見回し、一瞬だけきな臭そうに眉をしかめたのにニナも気づいた。


「さて、図書館にでも行く?それとも商店街を歩いてみる?色々面白いものもあると思うよ」

 歩き出したマギー姉さんが、ニナに話しかける。

 両方とも魅力的な提案だったが、ニナは躊躇している。

「……ズール紙幣で六十ってどのくらいの価値があるのかな」

 なにか言いたげにマギーを見上げていたが、少し考えてから問いかけた。

 マギーは穏やかな声で応えた。

「残念ながら、大した金額じゃないよ。壁の内側だと5日分の食費になるかどうか」

「やっぱり、そっか」落胆するでもなくニナは頷いた。

 原材料の麦よりも加工した食事の方が当然に高くなる。麦の値段からするに高い食事は相応に。安い食事でも日々積み重なれば、馬鹿にならない金額が掛かる。

「……本来なら、壁の内側で強盗を試みる程の価値はないと思うけどね」

 そうつぶやいたマギーに、ニナはもう一つ質問を投げかけた。

「壁の外だと、どれくらい食べられるかな?」

 ちょっと意表を突かれたマギーが、なぜか、軽く舌打ちしてから頷いた。

「ああ、それはそうだね。貧民窟スラムなら、よく分からない食べ物や濁った水でひと月食い繋げるかもね」

「それは充分に命を懸ける価値があると思います」とニナが言うと、マギーはじっと見てから、悲しげにため息とともに「……私もそう思う」と同意した。


 それからしばらくの間、マギーはニナを連れて商店街を歩いて回った。店舗に並んでいる品々は、大崩壊以前の遺跡や廃墟からの回収品も多かったが、例えば産業革命初期などの電気が無い時代でも、人類は水力や畜力でそれなりの工業製品を製作するに至ってたのだ。

 自由都市ズール程度の規模の都市であれば、石炭や石油などをエネルギーとした蒸気動力で機械を動かす工場があってもおかしくはない。それは確かに高度産業文明の時代から比較すれば稚拙であっても、人類から全ての英知が失われた訳ではなかった。


 店舗を覗き込んだニナがはしゃいでいた。

「釘が売ってるね。ノコギリにトンカチも。バール!レンチ!」

「手持ちがもう少しあればねぇ」とマギー。


「服が売ってるよ。コートにズボン、下着類にタオルもあるね」

「……うへぁ、高ぁい」


「抗生物質だって。包帯にモルヒネも。血清と消毒液、針と糸。メス。生理用品に石鹸、シャンプー」

「……いいなぁ、これ」


「懐中電灯と電池!ラジオ!エアコン!冷蔵庫!」

「……大型の電源はどうするんだろ」


「カートに自転車、リヤカー、バイク。バイクにリヤカーつけて四輪自動車だって」

「……嘘はついてないね」


 いずれにしても、商店街の品揃えは、その悉くがニナにとって実際に初めて見たり、触れたりするものばかりで、玩具の山を前にした子供のような無尽蔵の活力を発揮して商店街を堪能しつくしたのであった。


 一時間後、体力切れを起こしてベンチにへたり込んだニナを、マギーは膝枕していた。電池切れを起こしたように唐突に動けなくなったニナは、眠気に襲われた様子でベンチでうとうとしている。

 問われたニナは、聞いているのか、いないのか。眠たげな表情で船を漕いでいる。マギーはお茶の屋台を出してる顔見知りのお婆さんに幾らかのお金と共に言伝してニナを預けると、伸びをしてから、近くの街路をプラプラと一人散策し始めた。


 十分ほど歩き回ったマギーが気まぐれに細い路地に入ってから程なく、急な足音が背後から迫ってきた。


 振り返ることなくマギーは駆け出した。足音が入り乱れながらも追いかけてくる。

 角を曲がって振り返った直後、陰惨な顔つきの男女が三人。飛び込んできて狭い路地でマギーと相対した。

「……3人」とマギーはつぶやいた。

 まあ、そんなものだろう。店の中から見えた人数はもう少しいたようにも思えたが、何人か引き返したのかも知れない。よそ者があまり大人数で練り歩けば、警備兵に目を付けられるし、裕福な地域であれば自警団にも警戒される。


「あまり走らせるんじゃねえよ。姉ちゃん」

 男が嫌な目つきで睨みながら、笑っていった。馴れ馴れしく自分の都合を押し付ける一方的な物言い。チンピラ特有の意思疎通が困難な鳴き声だった。

「さっさと金を出しな」それなりに綺麗な顔をした若い女が喚いた。


 マギーは困惑したような表情を見せながら、淡々と喋った。

「……渡せる金なんてないよ」

「嘘はいけねえな。姉ちゃん。さっきの店で取引しただろ?」

 なにが可笑しいのかニヤニヤ笑いを浮かべながら、歩み寄ってくる男から、マギーはバックステップで距離を取った。

「こいつ、ビビってるよ!たんまりと持ってる筈だよ!さっさと出しな!」

 女は唐突に笑ったかと思えば、キンキン声で猿みたいに喚いている。可愛い顔が台無しだった。


「……ねえ、北の広場で人足を募集してる。私を脅かすよりもよっぽど……」

 マギーは宥めるように話しかけながら、説得を試みた。まぁ、無駄だった。

「分からねえ、女だな。馬鹿かてめえ?馬鹿なんだな?人をどんだけイラつかせるんだ!?お前にそんな権利があるのか?俺の時間を無駄に使いやがってよぉ!?」

 男は嗜虐的な表情で怒鳴りつけた。

「低能なのさ。人間様の言葉も理解できないらしいね」女が愚弄する。

「もういい。さっさとやっちまおう」

 先頭の男が、容赦なく鉄棒をマギーの頭目がけて振り下ろした。

 筋肉の緊張。視線の向き、体の動き方。歩測。予備動作の起こり。

 男の攻撃の軌道も、速度も、力も、マギーの予想範囲内を一歩も出なかった。

「ふっ」マギーは短く呼気を吐いた。鉄棒を振り下ろした賊に対して、マギーは円を描くように自らの左に動きつつ、伸ばした左手で賊の右手を抑え込んだ。

「てめ……」

 言いかけた賊が、喉から鮮血を迸らせて倒れた。

 マギーの右拳。素早く喉を掻き切ったそれの指の間から、猫の爪のように突き出た鉄製の刃が血に濡れていた。


「頼むから、もう帰ってくれないか?」マギーが丁寧に、或いは相手には慇懃無礼に思えたかも知れないが。兎に角、真剣に頼み込むが、眼前の二人は沈黙し、地面に崩れ落ちて死の痙攣に捉われてる仲間を目を引ん剝いて凝視していた。

「こ、ころしやあがった!こいつ、アンガーを殺しやがったぞ!」男が喚き。

「てめえ!」女が懐から銃を取り出して、ほぼ同時に頭蓋が破裂させた。

 銃声が狭い回廊に響き渡り「……へ?」最後に残った男は、女の脳漿を浴びて間抜け面を晒していた。


 横合いの建物の屋上。皮鎧の男がボルトアクション方式ライフルの排莢を行っていた。次弾の狙いをつけて、引き金に指を掛ける。


「お前たちが只の悪人でよかったよ」

 眼前のマギーの冷たい眼差しに、唐突に己の最後を悟った男は、何か喚きながら背を向けて逃げ出し、肩を撃ちぬかれた。

 男は、泳ぐように手をばたばたとさせて地面に倒れた。血だまりが広がっていく。苦痛に動けず、何かを懇願するようにパクパクと口を動かした男が、マギーを涙目で見上げた。

「屑でも本当は殺したくないんだ」

 言いながらマギーは素早く屈みこみ、男の髪を掴んで無造作に刃で喉を切り裂いた。


 最初の男を絶命させ、最後の一人にとどめを刺すまでの一連のマギーの動作は、一部始終を目にしていた食料品店の用心棒が思わず口笛を鳴らすほどに、僅かな遅滞も一瞬の躊躇もなく、猫のように俊敏で欠片の無駄もない見事なものだった。


 強盗の一団も、恐らくは近隣を歩き慣れておらず、地理にも詳しくなかった。マギーに引きずり回された挙句、食料品店の裏手に出たことにも気づかなかったし、獲物を囲むのに夢中になって、茶店の婆さんからの言伝を受けて待ち受けていた用心棒の姿も見落としていた。


「あとは、強盗を始末したとこちらで警備に届け出ておきます」

 用心棒の言にマギーは礼を言った。

「お願いします」

 それからニナを預けた屋台へと戻る途中の、角を曲がって人けのない裏道へと出た途端に立ち止まって顔を抑えた。

「ああ、もう。もうっ!……畜生!畜生め!馬鹿ッ!」

 策略と技術で強盗を撃退したにも関わらず、やりきれない風にマギーは怒鳴った。

(あいつらがただの悪人でも、誰か嘆いてる奴がいるかも知れない。

 糞ッ……私はいつもこうだ。人を傷つけるのを思い煩ってる。人殺しのくせに)

 激しい感情の発露も、しかし、数秒で抑制したマギーはため息一つをつくと、再び足早に歩きだした。

 仲間を取り逃がした。これから先、機会があれば命を狙ってくる奴が増えた。

 悪人の身内より考慮しなければならないのは、報復の可能性だった。最悪、自分だけでなくニナも巻き込む可能性がある。すぐに自由都市ズールを離れるべきだろうか?だけど、農婦風の衣服で黒髪の女なんて幾らでもいる。追ってきた奴らがカメラなどを持ってたとも思えないし、遠距離で見ただけなら顔は曖昧かもしれない。それほど気にするべきでもないと思うが……


 屋台で客にレモネードを入れてた婆さんと客の男が、近くで響いた銃声に用心深そうに辺りを見回した。

 ベンチで半身を起こしたニナは目を擦っていたが、歩み寄ってくるマギーに気が付くと、そっと声を掛けた。

「終わったん?」

「終わったよ」端的に告げたマギーは少し疲れたように俯いていたが、隣へと腰を下ろして、ニナへと寄りかかった。

「……今日は自由都市ズールに泊まっていこうか?」口元にほろ苦い笑みを浮かべたマギーの表情に何を読み取ったのか。

「ん、そうしよう」ニナは頷いた。

 

 

 翌日のニナは、早朝から映像ライブラリーを鑑賞していた。市営の図書館では、料金を払うと一定時間、動画を見ることが出来る。隣では子供たちが大昔の映画を見ては猿の群れのごとく悲鳴と絶叫を繰り返していた。

 今、画面の中では、ヒーローが邪悪な宇宙の帝王を追い詰めている。

貴様?!何者だ!わっとあーゆー

「貴様にとっての悪夢だ!」

 きぎゃああああああ!子供たちが発狂した。


「……うるさ」ニナは小声で呟いた。

 こちらは遊びではないのだ。なにしろ、時間当たりで料金が発生する。だが、隣のブースで騒いでる子供たちは十人以上もいるし、ハイテンションになって必殺技の真似をしている。迂闊に刺激すれば、悪の帝王の役割を勝手に割り振られた挙句、ゴブリンの洞窟に単身突入した初心者冒険者の末路みたいになりかねない。


 救いを求めるように図書館員に視線を送るが、ニナは頑丈だが質素な服装をしている。廃墟時代のような襤褸着ではないが精々、郊外の農夫の子にしか見えないだろう。

 助けてくれないかな、と期待半分、不安半分のニナだったが、図書館員は歩み寄ってくると、ニナの前の時計式タイマーをいじった。

「三十分延長してあげるね。料金は最初に払ったままでいいから」

「ありがとう」素直にお礼を述べた。


 ニナの見てる動画の中ではハンサムなイギリス人がサバイバル技術に関して教えていた。

「海岸でダクトテープを見つけました。しかし、今回はダクトテープを入手できない不幸な人たちのために、原始的な道具のみを使用して石斧を製作します」

「石を石に叩きつけて割ります」

「棒の上部を木炭で焼きます。穴が開きました。刃を嵌めたら、完成です。伐採には時間が掛かります」

 食い入るように眺めては、ニナは手元のノートに書き写してる。


「俺の名はキャプテン・ジョン!お前たちにゾンビと戦う術を教えてやろう!まずはバリケードの作り方だ!」

 バリケードに使える各種素材。木材の調達と加工。針葉樹と広葉樹の強度と重さの違い。机とロッカーなどの障害物にロープを使ったバリケードの構築方法とロープの張り方による衝撃力の分散の違い。


「やあ、ボーイスカウトにようこそ!今日は、火のつけ方を……」

 切り欠き付きの材木の製作。火種から、おが屑の燃やし方。火起こし弓の製作。火付けにかかる時間。早送りと巻き戻し、静止を行い、ノートに要点を書きとめる。


「リア・カーの発祥は、当地日本の暦で大正11年。それまで主流であった大八車に……」

 制作の原材料。必要とされる技術力。揃えておきたい工具。製作過程は穴だらけだが、設計図の青写真。運べる重量。ゴムタイヤの調達方法。


猫車Single Wheel Hand Cartの作り方と役割。猫車Single Wheel Hand Cartの発祥は古代中国に遡るが、現在のデザインが完成したのはキリスト暦13世紀にイギリス、フランス、そして……」


 時間は限られている。ニナは、番組を変え、検索し、必要と思う情報と次回の為に思い付いた関連事項を出来るだけノートに写し取った。


 タイマーが鳴る。あっさりと動画を止めてニナは立ち上がった。ノートを閉じて、んふー、とニナは大きく背伸びをした。

「堪能したぁっ!」

 収穫は十分だった。同時に、今はこれ以上調べてもさしたる意味がないとも判断している。実際にやってみて欠けた部分に気づかなければ、足りない部分を埋める事は難しい。だから、そこは次回以降に期待している。


 隣のブースでは、視聴半ばでアニメが終わった子供たちが、親たちに猛抗議していた。中には泣きわめいている子供もいる。昨晩のニナとマギーは、僅かな紙幣と引き換えに、知り合いの老婆のあばら家の隅を借り、毛布に包まって寝た。それでも寄る辺ない流れ者の家族や故郷を失った流民の子よりはまだ安全で快適な寝床ではあるけれど。


 いい身分だなぁ、とはニナも思った。ただ不思議と羨みもしなかった。一瞥だけすると、図書館員に借りた鉛筆、消しゴム、ペンを返却しながら、お礼の言葉と共に真鍮貨幣1ズールつうかを渡した。

 図書館員も微笑んで頭を下げる。どうやら、礼儀正しさは一定の好印象を与えられたようだ。


 映像ライブラリー近くの椅子に腰掛けて自由都市群ズールの新聞を捲っていたマギー姉さんだが、妙齢の女性が話しかけてきた。

「大人しい妹さんですね」と女性の声に、マギー姉さんは穏やかに微笑んだ。

「手が掛からなくて助かります。むしろ、わたしの方が助けられているかも知れません」

「マギー」

 珍しく名前を叫びながら、立ち上がったマギー姉さんの腰にしがみ付いた。

「では、これで」

 まだ何か話したそうにしている女性との会話を打ち切って、マギーとニナは歩き出した。


 隣を歩くニナの耳元の髪を指先で弄りながら、マギーは微かに首を傾げた。

「……アニメや映画もあったんだよ?」

「興味はある。でも、それは今度でいいです」

 そう告げてから、ノートを胸元に抱えたニナは、目を輝かせてマギーを見上げた。

「あのね……色々と役に立ちそうな話が仕入れられました。早く試してみたいな」

「偉い、賢い。きっと人物になる」

 図書館の入り口を抜けながら、マギーは微笑んだ。

「また子ども扱いして」

 膨れるニナを見ながら、マギーは穏やかに告げた。

「でも、ね。君は、もっと楽しんでもいいんだよ」

「楽しいよ?」

 言ってから、マギーの言いたかったことを察して、ニナは発言の意図を修正した。

「マギーと一緒で毎日が楽しい。余裕が出来たら一緒に見にこようよ」

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