終末世界の過ごし方_03 幸せポンポン

「こんなものかな」ある日のマギーがそう言いながら、塒にしてる路地裏の入り口に設置したのは、小さな門扉だった。


 ここ数日、マギーが木材と小さな板切れに釘と縄、針金などを組み合わせて、なにやら製作していたのは知っていたが、格子状の門扉を一目見て、ニナは(ちっちゃいな)と頼りなげな第一印象を覚えた。五センチ程の材木の厚みは確かに頑丈そうではあるが、高さが六十センチにも届かないのは、どうなのだろうか?

 野犬やらコヨーテやらにもあっさりと飛び越えられてしまうのではないか、と懸念を抱いたニナが不安そうに振り返ると「……言いたいことは分かってるが、材料不足はいかんともしがたいのである」と、マギーはしかめつらしく述べたのだった。


「瓦礫で挟んで固定するのも、開閉が一々面倒だよぅ」ニナが疑問を呈する。

「寝る前に使うんだ。日没後に野生動物が入り込んでこないように」

 マギーの言葉に、ニナは首を捻った。

「小さくない?」

 分かってる、とマギーは頷いた。

「材料を調達次第、補強します。今は取りあえず、これでいい」

 門扉を物ともしないであろう怪物については、不毛なので二人とも触れなかった。


「扉の完成前に、ゾンビとか巨大鼠がやって来ないことを祈ろう」

 寝ている間に齧られたら、溜まったものではない。


 勿論、路地裏の辺りの街路は、木柵やら壊れた家具が設置されており、怪物や野生動物が簡単には侵入できないように守られている。が、これらの防御設備はやや古く杜撰な作りで、全面的に信頼するには、いささか不安を覚える代物であった。


 他の路地裏暮らしの放浪者たちは、出入り口付近に荷物を置いたり、寝る前に杭を設置している者たちもいた。母子家庭や老人などは、襲われにくい位置に暮らしてる。路地裏とポレシャの中間には何頭かの番犬を飼っている自由労働者の大家族もいて、幌付きの廃トラックに居を構えていた。


「いずれ、そのうち、もっといい所に住みたいけど、二人分養うとなると……見捨てる気はない」

 言ってる途中でニナの顔が曇ったので、マギーは口元に悪戯っぽく笑みを浮かべて、抱き寄せた。

「気にしなさんな。大丈夫。なんとかなるさ」

 危険なこの世界に呑み込まれて死ぬこともあり得ると重々承知したうえで、敢えてマギーは楽天的な物言いをした。


 マギーの穏やかな体温に包まれながら、ニナは目を閉じた。

 一人暮らしであれば、マギーはもっといい生活が出来るのは違いない。

 それでも、マギーが望んでくれる間は、一緒にいよう。とそう気を取り直したニナは、扉について尋ねてみた。

「扉が格子状な理由は?資材の節約?」

「隙間から槍も刺せるし、相手の正体を把握できるからね」とマギー。


 確かに厚みのある材木で入り口を防げば、巨大鼠や野犬の侵入くらいは防げるだろう。

 裏口となっている廃墟の方は、瓦礫を積んで塞ぎつつあった。強力な化け物に扉を破られれば、塒がそのまま袋小路になる恐れもあったが、今は仕方ない。いずれ、塒の方からは裏口へと抜けられる工夫を施す予定で、マギーは少しずつ塒を改築していた。

「いずれは大きな都市の防壁の内側に、立派な家を建てて住もうね」

 ニナを抱きしめたマギーは、楽しげにそんなことをうそぶいた。



 木材を入手したマギーが門扉を製作するまでの間、ニナは砂に砂利と炭を集め、小石と布も詰めて、ペットボトルで浄水用のろ過器を製作していた。纏まった量の砂を集めるのだけは少し手間がかかったものの、廃墟育ちのニナは、都市部におけるサバイバル技術に長けている。こうして食事の際と飲用の水が美味くなった。まあ、それだけではあるけれども、より安全な水を飲めるというのは結構、大きくて、マギーの視点からするとニナが思い煩っているほどに役に立たない訳でもない。むしろいないと困る。


 マギーとニナは、それからも、こつこつとポレシャの水兌換紙幣に麦粥用の貨幣トークン、現物支給の麦を貯め込んでは、木材を買い足したり、工夫を凝らして暮らしを少しずつ豊かにしていった。


 家賃は、無料。服は使いまわし。食費だけは二食、三食を麦粥と豆に少々の肉と野菜も食べて結構、掛かったが、それでも収入を上回るほどではなかった。賃金は安くとも僅かな貯えも出来て、生活は豊かではなくとも安定している。


 今、現在が幸せなニナは、ずっとこのままでもいいかも知れない。むしろ、平凡な日々がずっと続けばいいのにとすら願っていた。


 慎ましくてささやかな日常ほどに素晴らしいものなんてない。

(……わたしはこの年齢で世界の真実を悟ってしまった)

 天気のいい空の下、ノート片手に居留地を歩き回りながら、ニナは不敵に笑った。

「さて……平凡な日々が望みなら、それをずっと続かせるよう努力を怠っては駄目」

 自らに言い聞かせながら、居留地ポレシャを駆けまわって、廃墟の瓦礫を積みなおしたり、見えないところに足場を作った。時折、昇ったり、降りたり、押してぐらぐらしないか確かめてから、満足げに、むふーと吐息を漏らした。


 これでいざという時、コヨーテや野犬に追われても、逃げ切ることが出来るだろう。まあ、通用するのも精々が働き蟻ワーカー・アントやら巨大鼠やらの所詮、野生動物の域を出ない怪物に過ぎず、変異獣ミュータントなどに襲われたら一溜りもないだろうが。とは言え、そもそも、街の中心にまで変異獣ミュータントが侵入してくるようであれば、その居留地はお終いである。


 一瞬、居留地ポレシャの終末を想像したニナは、食堂のおばさんや椅子に座ってる地主の老人など、優しくしてくれた住人らの惨い末路が思い浮かんで、ぶんぶんと頭を振った。まったく、ろくでもない想像をしてしまった、と頭を掻いてると

「蜂にでも刺されたのかしら?大丈夫?」

 掛けられた声にハッとしてニナが振り向くと、そこには自称王女さまがいた。

「なにしてたのかしら?」

 持ってた絵本を貸してから、語尾にかしら、が付くようになった自称王女様は、ニナの弄っていた積み上げた瓦礫を見上げて、軽く突いてみた。

「なんか、面白そうな遊びしてるわね」


「遊びじゃない」ニナはブスっとしていった。

 最近のニナは、気を抜くと年相応の、いや幼い子供みたいな振る舞いや言動が表に出てしまう。物心ついた時から、廃墟で生き抜いてきた感覚まで鈍ってしまうのではないかと恐れているのだが、自称王女さまはそんなニナの心情を知ってか知らずか、ニナを子供みたいな遊びに誘ってきた。

「ブランコが出来たのよ。遊びに行くわよ」

「ブランコ!」鼻で笑うつもりだったが、なぜか上擦った声が漏れた。

「大工さんがタイヤで作ってくれたのよ。広場で順番なのよ。早くいかないと何時までも廻ってこないわ」

 狂おしいほどブランコしに行きたかった。だが、ニナには計画があった。

「だ、だめ」ニナは誘惑を退けた。

「まあ、ブランコより優先するものなんて人生にあるのかしら?」

 王女さまがびっくりして目を瞠った。

「こ……ここに逃げ道を作ってる」ニナは積み上げた瓦礫を指さした。

 足場からしっかりと組み上げてある瓦礫の山は、そう簡単には崩れない。

「お、追われた時に、よじ登って、屋根へ飛び移って逃げる」

「まあ、素敵ね!」

 脱出計画を説明すると、どうやら遂にニナの深謀遠慮に気づいたようだ。自称王女さまは感嘆に打たれてこう叫んだ。

「追いかけっこで無敵だわ!あたい追いかけっこ大好きよ!」



「それで早くこのギミックを説明して欲しいのだわ!」

 最近、努めて姫君っぽい口調で話そうと努力してる自称王女さまに、ニナは深々と頷いて見せた。

 そもそも、ニナは追いかけっこに一家言あった。変異獣ミュータントからさえも逃げ切れる俊足のニナの動きを見れば、他の子供たちも目を回すに違いない。

「でも、これはちょっと昇るのは難しいわね」

 路地裏王女さまがぴょんぴょんと飛び跳ねているが、瓦礫の奥のコンクリート壁と結んだロープに届かない。それを掴むことで瓦礫の上に上がり、そのまま廃屋の屋根へと飛び移れる。襲われたとしても野犬の類相手であれば、高い場所に陣取って高見の見物と洒落込むことも出来るだろう。

「……よっと」三、四回も挑戦して、ようやく掴んだ路地裏王女さまが、首を捻ってニナへと振り返った。

「小さい子だと手が届かないんじゃないかしら?」

 何故か、ニナの背丈を見ながら疑義を呈した路地裏王女さま。

「あんた、昇れそうもないわね」

 製造者であるニナを再び、年下扱いしてそう宣った。


 実際、失礼な物言いだった。目の前で掴んで鼻を明かしてやろうと、ニナは軽くジャンプした。以前に軽く届いた距離のロープを手中に……掴みそこなった。

「……ん?」首を捻ったニナ。

「ほら、やっぱり。高すぎる」逆に路地裏王女さまは、得たりと頷いた。

 もう一度。とニナは跳んだ。

「……んん」やはり、届かない。

 跳躍力が落ちている。しかし、以前は間違いなく届いた高さだった。確かに走ったり、跳んだりは以前ほど頻繁に行っていないが、数か月で此処まで衰えるものか。

 愕然としているニナに向かって、路地裏王女さまが指摘してきた。

「そのお腹じゃ無理ね」

 言われたニナは、自らの腹部をしみじみと眺めてみた。

「……ふ、太った?」

 お腹がポッコリしてきている!スレンダーだったのに。イカ腹に?!

「へぅううう?!」思いもよらぬ我が身の変化にニナは驚愕し、絶叫した。




 意気消沈したニナが路地裏の塒に戻ると、いい匂いが漂ってきた。

「今日はお肉を安く分けて貰えたよ」

 マギー姉さんが焚火に鍋を掛けて肉を焼いていた。両面に塩胡椒を振り掛け、油の代わりにバターを溶かして肉を炒めている。芳ばしい香りが鼻腔を刺激して、ニナの胃が音を立てて鳴った。


「……あかん」ニナは、呟いた。いかにもカロリーの高そうな肉料理と大盛りの麦粥を前にして、ニナは廃墟にいた頃の食事を思い返していた。【住宅街】に暮らしていた頃は、下手をすると一日一食。数切れの芋とコップ一杯の水だけを舐めて凌いだ日も多かった。

 それが最近は、毎日三食食べてる。満腹で動けなくなってすぐに寝ちゃうこともあった。

(……それは太るよね)とお腹を撫でた。だが、悪い生活ではない。キャラメルなど食べたのは何年振りだっただろうか。それが高価だが手の届かなくはない金額で売っている。なによりも、水が幾らでも飲める。節約する必要もない。定期的に身体を拭くことさえ出来る。最近は、濾過用の浄水器も増やしたので池の水さえ実際、かなり旨い。


 怪物に対する備えだけがやや脆弱で不安を覚えていたのだが、それは家単位で見ての話で、居留地ポレシャも外れのこの一帯でも、家に怪物が近づかない為の仕掛けが道路に仕掛けてある。他の家族や住人も暮らしているので、大規模な襲撃でもなければ、そうそう襲われないのだ。


 そもそも故郷の廃墟【住宅街】に比較すれば怪物が全然少なかった。

 よく考えてみれば、故郷では怪物を見ない日が無かった。

 数匹とか、普通に家の前を通り過ぎてた【住宅街】がおかしい。そもそも居る場所に行けば、十数匹のゾンビ群とか普通にすれ違ったり、数十匹の群れホードとか道路に群れていたりとか、数百、数千の【波】ウェーブまで目にしたことがある。どんな魔境だ。

(よく生きてたな、わたし。むしろ、なんで生きてたんだ?)とニナは思って、それから一旦、故郷の事は忘れようと、ぶんぶんと首を振った。



「……ゲッコーが牧場を荒らしていてね」

 機嫌良さそうに喋りながら、マギーが人参の酢漬けをお皿に盛り付けている。

「目当ては牛なんだろうけど、夜には小屋に引き入れるから。で、外に繋いでいた山羊がやられて、町の中心に何処から入ってきたかと……さっきまで皆で外壁の穴を探してた」

 酢は、遥か太古の時代から用いられてきた調味料で、さしたる設備を有さない居留地ポレシャでも簡単に自作され、手頃な価格で購うことが出来た。

 人参も比較的、手軽に栽培出来て、かつ荒地でも育てられるので、居留地でもいくらかの作付けがされている。


「すると、穴は見つかったの?」ニナが首を傾げ、マギーはお手上げと言わんばかりに首を振った。

「そっれが全然……広場に面した無人の建物のどれかを通って入ってきたんじゃないかって話になって。今は、それらしい建物の入り口を塞ぐことで対処しようと」

 そこで一旦、言葉を止めると、入り口の扉に視線をくれた。

「で、近いうちに、また材木を取りに森に出掛けるそうだよ」

 となると、少なくない人数が居留地ポレシャを留守にするのだろう。木材を欲しがってるマギー姉さんも、きっと募集に応じるつもりだ。

「これ、ゲッコーにやられたヤギのお肉かな?」

 目の前に置かれたお肉の小山を眺めたニナに、マギーは悪戯っぽく笑った。

「食べられる前に銃撃して追い散らした、と……なので、牧童の仕留めたゲッコーのお肉です」



「……ちょっと食べる量を減らしていい?」

 ニナの言葉にマギーは目を瞬いた。鱈腹食べさせることは出来ないけれど、マギーは毎回、それなりの量を用意していた。それでもニナは食事を欠片も残さない。

 正直、量が足りてないのかしらん、と懸念してたのでマギーはとても面食らっていた。

「あれ?爬虫類、苦手だった?」

 淡白な鶏肉みたいな味がするんだよ、とどこか呑気なマギーの感想を遮って

「実は……ダイエットしないと」と、お腹を撫でたニナが、事情を語りだした。

「運動能力が随分と落ちてる。太って瓦礫にも登れなかった」と情けなさそうに告白する。

「……前が痩せすぎてとたと思うのだけど」と、マギー。まだ痩せてる範疇に思えてならない。

「ほら、このお腹。見て。張り出してるぅ」

 体型の変化した下腹部をペロンと露出する。

「太った?お腹がポッコリしてきている!」

 本人は真剣なニナが、情けない表情でマギーを見上げた。

「……病気かもぅ」



「……第二次成長期を迎える前、多くは八歳から十歳の時期において、下腹部が張り出し……と」

 成長期に関する文章の一節を読み上げたマギー姉さんは、『子供の成長』と書かれた本を閉じてからくすくす笑う。ニナの体型の変化は、食事量が増えて胃腸が拡張されたのも原因の一つのようだ。

「栄養状態が改善されたので、消化器が成長して体型が変化したのだよ」

「……怪しい」宣うニナに驚愕の視線を向けた。

「君が持ってる本だぞ?」とマギー姉さん。


「だって、八歳から十歳って……今ぁ?」

 廃墟生まれなので正確な誕生日も分からないがニナは既に十三歳か、十四歳。多分、最低でも十二歳にはなってる筈だ。

「少し遅いけど、よかったじゃないか。もう少し栄養状態の悪い生活が続いていたら、将来に深刻な影響が出ていたかも知れない」

 穏やかに指摘したマギー姉さんが、話題を転換した。

「で、ブランコは楽しかった?」

「……見てた?」ニナが林檎のように頬を染めた。

「友だちも増えたみたいだね」ニナの反応を喜びながら、マギーは温めたタンポポ茶をわずかに啜った。

 しばし沈思したニナは、対面の冷たい灰色の壁に寄りかかると、俯き加減でぽつぽつと喋った。

「今のままでいいのかな……一緒にいると、調子が狂う。子供返りしていると自覚している」


 居留地ポレシャに幾つかある子供グループのうち、自称王女さまの集団は決して悪くない雰囲気だった。ニナは危険を感じる感覚には敏感ではあるが、世慣れはしていない。交易商人であったマギーのように他者の悪意や腹積もりを見抜く素養には欠けているかも知れない。それでも、子供たちは他愛のない悪戯はあっても、意地の悪いいじめはなく、悪意を感じたこともなかった。


「廃墟から離れて、毎日楽しいけど、どうにも感覚が衰えてる気がするし、体も鈍った」 警戒心が薄れてる、と生存能力の衰えを嘆くニナだったが、マギーは穏やかな眼差しで少女の前髪をくしゃりと撫でた。

「いいんだよ」

 こともなげにマギーは告げた。

「いずれ君は、以前よりずっと強く、賢くなる。でも、それは今でなくてもいい」

 俯いたままのニナだが、いまは別の力を培ってるのだとマギーは思っている。

「……幸せ過ぎて恐いよ」

 なにか言いたげに口を開きかけたニナが、結局それだけ短く告げた。

「今は、少しずつ、君の中にある穴が埋まってるだけ。恐い事を理解していれば、それでいい」

 焦らない、とニナの手を優しく握ると

「もう少しゆっくり生きててもいいんだ」

 マギーはそう告げた。


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