終末世界の過ごし方_02 仕事探し

 ポレシャの路地裏で一週間ほど暮らして、分かったことが幾つかあった。


 ポレシャで消費される薪と炭は他所から買い入れているようだ。

 2台、或いは3台の牛の引いた荷車に山積みで運び込んでくる。護衛として、単発銃やクロスボウを持った五、六人がついている。徒党を組んだ盗賊バンディットや武装放浪者ワンダラーには敵うまいが、連中にも襲うのを躊躇わせる人数と武装を備えた護衛隊。守っているのがさしたる価値のない薪の山に炭の樽と一目瞭然であれば、割に合わないと考えるに違いない。


 荷車の一団は、麦と豆を荷馬車に詰め込んで帰っていく。彼らが居留地ポレシャの殆んど唯一の取引相手と言っていい。連中は、山奥から来ているとも、船で川向うからやってくるとも噂されてるが、今のところはそこまで詳しく調べる意味もなかった。


 仕事は居留地だけでも幾つかあった。畑の水路を掘る仕事は人出不足で、常に募集している。水路は常に泥が溜まり続ける為、定期的に浚渫しゅんせつしなければならない。シャベルを貸与されて、埋まった堀を掘り返すのだが、かなりきつい穴掘り仕事で、半日仕事が終わった頃には汗だくになっていたが、その分、支払いは良かった。

 成人男性一人で妻と子供二人を養える程度の賃金が、ポレシャの水兌換紙幣で支払われている。お姉さんマギーが3日に1度、仕事するだけで二人が食べていくことは出来る。代わりにお姉さんマギーはクタクタになってしまう。


 他に畑仕事とレンガ造り。土木作業に人夫など。畑仕事以外は、たまに求人があるだけですぐに埋まってしまった。野良仕事は、食事と食料が支給されるだけで賃金は大して出ない。とにかく現金収入を得るのが、(例えポレシャ通貨の支払いでさえ!)難しいと言うのが、小さな居留地における日常らしい。


「現金収入がない」マギー姉さんが嘆いた。

 食事や食糧の現物支給が多く、僅かな現金払いも、何も買えないポレシャ通貨での支払いだった。働けば食べていくことは出来るが、貯えが出来ないし、出来てもポレシャの貨幣や紙幣では他所では何も買えない。

 つまり、ポレシャでずっと働き続けていては、他所へ行く余力も出来ないのだと、マギー姉さんは結論に至った。意図しての事か、労働力を囲い込んでいる。

 ニナは理解した。二人は話し合って、多少の物資が手に入った際にはズールまで売りに出ようと結論した。



 売ってる水と食料にも等級がある。澄んだ地下水は、値段も高い。近場の川や池から汲んできた水は、やや濁って美味しくもないが、何より手頃な価格だった。自分で汲んでくれば無料だが、大量の水を運び込むのは手間だし、買った方が楽だった。朝起きて麦粥を購入し、煮沸した湯冷ましを水筒に詰めて働きに出る。仕事は溝を掘ったり、畑の収穫の手伝い。水運びの仕事は割に合わないので、一回やってすぐに辞めた。二人は時々、近所の廃屋に出かけて、くず拾いや廃墟漁りスカベンジャーの真似事なども行っている。



 麦粥は安いが、それだけでは体がもたない。いい加減に肉も食べたかったが、麦粥以外は、随分と値が張った。これもなんとかしなければならない。


 それでも、二人はまぁまぁ楽しく日々を過ごしていた。歌ったり、物語や体験を話したり、サイコロと駒代わりのガラクタでゲームをしたり、踊ったりして特に生活に不満はなかった。


 時々、美味しいものを食べる。廃屋から釘を回収する。綺麗な石と、ついでに形のいい尖った石を拾う。廃墟の民だったニナが雑草から飲めるお茶を探し出す。


 野心に欠けてるなぁと思いつつ、マギー姉さんも、ニナも、ストレスゼロで日々の生活を送っている。


 その日、マギーは薪拾いに出た。低地に広がる湖の畔へと出かけて、薪と木材を調達してくるかなり大掛かりな仕事だった。仕事の雇い主は、ポレシャの住人ではなかった。路地裏で暮らす放浪の一家の主であったり、その若い息子や娘であったりと、彼らが荷車を調達し、大人数が遠出した森で切り出した資材を持ち帰る数日仕事だった。仕事の誘いを受けたマギー姉さんは、条件を二、三聞いてから了承した。


 放浪民でも一家を構えた者は厳しい顔つきではあるが誠実に見えたし、仕事の内容も報酬も、取り立てて気前が良くもなければ、出し惜しみされているという事もなかったからだ。食事の現物支給に斧は借り受けることが出来て、人出はあればあるほどに良い。


 そうなると、ニナは一人で留守番をしなければならない。きつい仕事に出るには、まだ年が足りず、とは言え、子供とも言い切れない微妙な年齢。と自分では思い込んでいる。


 早朝、まだ暗いうちに出発したマギー姉さんを見送った後、久しぶりに一人になったニナは、干した毛布を背嚢へと詰めてから、途方に暮れた。

2~3日とは言え、一人で過ごすこととなる。

「一人、であるか」なにか偉そうな物言いとなってしまう。なにをしようか、水と食べ物の用意に小遣いまで貰って、留守の間を遊んでてもかまわないと甘やかされた。


 しかし、普段から、余暇にはマギー姉さんと遊んでばかりいる。3日に1日は休日で日がいな一日を二人でくず拾いを兼ねた散歩しつつ地図を製図したり、ネジや金属片を駒に見立てた特殊ルールのTRPGをしたり、小刀で木工細工を楽しんで、やってない遊びが思いつかない。持ってる本は、どれも何度も読み返している。数学の問題でもやろうにもお姉さんいないと一人では進めない。


 探検はどうだろう?ニナは考え込んだ。

 探検しよう。思いつくと、もう我慢たまらなくなってきた。怪物彷徨う廃墟生まれで廃墟育ち。ようするに廃墟の民であるニナにとって、地理や地形を調べたり、建築物の位置関係から逃げ道を考えるのは、第二の天性であったし幼少からの遊びだった。


 しかし、崩壊世界では迂闊に知らない場所に踏み込むと町中でさえ命を落とすことがある。特に警備兵パトロールたちがいるような大都市以外では、ちょっとした気の弛みで郊外に出て命を落とす人が後を絶たない。


 ポレシャの郊外にもゾンビやら巨大蟻の怪物に野犬、コヨーテに巨大鼠などの野生動物がうろついている。居留地を脅かすほどの数ではないが、貧しい放浪民が振り回す錆びた包丁や棒切れが怪物どもにどれだけ役に立つかは分からない。


 最悪、野生のイノシシに巨大蠍、変異獣ミュータントと言った子供どころか、武装した大人さえ危ういような怪物も少ないものの目撃されており、ポレシャでも度々、野良仕事中の農夫が犠牲となっている。


 つい先日も無鉄砲な幼い兄妹が巨大鼠に襲われたばかりだった。巨大鼠も恐らくは未成熟な個体で間一髪、探してた大人の一人が駆けつけて、なんとか棒切れを振り回すだけで撃退できたが、保護者の助けが間に合ったからいいものの曠野が危険な世界であることに変わりはない。


 だから、郊外はなしだ。秒で結論して、ニナは代わりに町の中央を探検することにした。


 ポレシャの中央には井戸が鎮座して御座る。井戸にはそれぞれ持ち主がいて権利と使用量が法律で細かく決められている。大抵の揉め事はなあなあで片付く、どこかのんびりした居留地ポレシャで、井戸を巡る争いだけは、すぐに保安官たちが駆けつけてくる事が、井戸がポレシャの生命線なのだとこの上なく示していた。


 時折、勘違いした旅人が勝手に使用して厳重注意されるそうだ。それは厳重注意で済む。

 しかし、ならず者の放浪者ワンダラー。勝手に井戸を使い、あまつさえ持ち主の警告を鼻で笑って、武器で脅迫した者たちがハチの巣にされたのだと、路地裏で自身も放浪者ワンダラーであった老人が警告するように教えてくれた。


 曠野を流離う放浪者ワンダラーには性質の悪い者たちも少なからずいて、迂闊に手を出せば、仲間に報復されてもおかしくない。

 荒野の悪夢である略奪者レイダーや狡猾な毒蛇である盗賊バンディットほどではないにしろ、武装放浪者ワンダラーという連中は全く恐ろしい人種で、時には仲間のならず者や傭兵、乞食などと数十人で徒党を組んで、小さな居留地を占拠するくらいの悪事はさらっとやってのける。


 ならず者の放浪者ワンダラーの恐ろしさは、廃墟に暮らしていたニナも重々承知していた。武器の扱いにも慣れ、情け容赦なく振舞うならず者の放浪者ワンダラーたちほど孤立した廃墟の住人や旅をする者にとって恐るべき存在はいない。それほど危険な人種とさえ、ことを構えるのを辞さない程、ポレシャの住人たちは井戸を重視している。


 なので、町の広場にやってきたニナは井戸を眺めた。何故なら、井戸がポレシャの急所であり、要所であるからだ。

 善良な人が多く住まう、暮らしやすいこのポレシャをニナは気に入っていたが、居留地に異変がある時には、まず井戸から起こるかも知れない。なので、普段の井戸を知っておきたいなどと漠然とした思惑で、暇に飽かして観察することにした。


 井戸は、単なる井戸ではなさそうだった。機械めいた配管やダイヤルの操作盤がついており、ポンプが地下水を汲み上げているようだが、動力は電気だろうか?ついている大きなハンドルを人力で回して、地下水をくみ上げる事も出来るようだ。


(深い地層から汲み上げているのか。浅い地下水は枯渇したのかな?塩害は大丈夫なのか。あまり深い地層だと温水にならないんだろうか?)

 分からない事ばかりだった。ニナは機械にも、地質にも大して詳しくはない。

(……本が読みたいなぁ。ズールには図書館とかあるらしいけど、お金も掛かるみたいだし)

 行ったことのない図書館に思いを馳せながら、腕を動かし続ける。

(そう言えば、メンテは大丈夫なのかな?崩壊前の機械だと故障したら大変だな。直せるのかな?

 昔のゲームで、浄水装置の動力チップが故障して探しに行くクエストとかあったな)

 しょうもない事を考えながら、ニナが動力井戸をノートにスケッチしていると、背後から声が掛けられた。


「ちょっとそこの貴女」

 ちょっと幼さを残した甲高い声に、最初はまさか自分が声を掛けられているとは思わずに、ニナはスケッチを続けた。

「貴女よ。貴女」

 しつこさに振り返ると、子供軍団がいた。

 農夫の子もいれば、放浪民の子もいる。ちょっといい服を着てるのは多分、居留地ポレシャの家の子だろう。鼻を垂らしてる子。指を咥えて、屋台のお菓子を眺めてる子。片手にウサギの人形を抱え、もう片手に妹だろうか、よく似た小さな子と手を繋いでる少女。棒切れを持ってる少年に、大事そうに怪しげな変異獣の頭蓋骨を抱えている子。


(……なんだ、これ?)

 雑多な編成に面食らっていると、腕組みした真ん中の子が胸を張りながら宣った。

「暇なんでしょ」と真ん中の子。

「えっと、なに?」

 ニナの言葉は、焦ってたどたどしく幼い口調になってしまった。

「一緒に遊んであげる。仲間に入れたげるわ」

「むむ」ニナは唸った。

(なにが、ムム?ちょっとまずった)

 ニナは気持ちを落ち着ける。

(冷静さを取り戻そう)

 廃墟育ちにつきものの栄養状態の悪さから、ニナの発育は悪く、痩せているので実年齢よりも随分と下に見られがちだった。

 しかし、実際のニナは、十三、四歳の筈だ。或いは、もしかしたら十五歳くらいかもしれない。多分、おそらく。そうだったらいいな、と根拠はないがニナはそう考えた。

(この子らは精々、十歳少しだろう。私は年上。落ち着いて対処すればいい)

「いい」

 プイ、とそっぽを向いて、井戸の絵を描き始めた。

(なんだ、この反応。もっと年上らしく、忙しいのだと説明するつもりだったのに)

 脳がパニックになったように、変な挙動を起こしていた。

 真ん中の少女は、遠慮なくニナのノートを覗き込んでくる。

「何かいてんの?見せなさいよ」

 ニナは、イラっとした。が考え直した。

 廃墟暮らし。それも恐怖の【住宅街】を生き抜いてきたニナさんともあろうものが、まさか、こんなのんびり暮らしの子供たちに目くじらを立てる事もあるまい。と。

「じゃま」端的に呟いて、絵を描き続ける。

 邪険にされても真ん中の少女は怯まなかった。

 意地でもニナのノートを覗き込もうとでもいうのか。首を伸ばしてくる。

 子供軍団の他の子供たちは、木に登ったり、牛を囲んで騒いでいる。牛の尻尾が面白いらしい。

「みんな、あっち行ったよ?」ニナが言外にお前もあっちに行けと告げるが通用しなかった。

「来たばっかで友だちいないんでしょ。あたいが遊んであげるわ」

「なにさま」と相手にしないで返した。

 どうにもニナは上手く喋れなくなっていた。思考がかき乱される。

 端的な言葉しか出せない。

(……脳みそが上手く働かない。異変。なんだ、これ)


「あたい、王女様よ」

 言うに事欠いて、偉そうな少女は訳の分からない事を言い始めた。まあ、これくらいの子供には空想と現実の区別がつかない子もいるのだろう。そう本で読んでニナは知っているのだ。

 いかにもフワフワした居留地育ちの子供らしい。厳しい世界を生き抜いてきた廃墟の民としては、此処は一つ現実を教えてやろう。



「ポレシャは合議制。王侯はいない」

 ふっと笑ったニナは、ぴしゃりと言った。

「しいて言うなら、長老みたいな地主のお爺さんが町の長」

 見ず知らずのニナに、何故かキャラメルをくれた奇特な老人だった。

 崩壊世界での甘味は安いものでもあるまいし、と思ったが、なぜかマギー姉さんが貰っておきなさいと言うので、礼を言って貰っておいたが。

 その瞬間、ニナはハッとする。

 子供たちの何人かがキャラメルを舐めるかのように頬を動かしていた、と気づいて初めて、老人は子供好きであり、自分も子供と扱われたことに思い至った。


 羞恥に頬を染めたニナに、偉そうな少女が無い胸を張った。

「路地裏のよ。あたいの父ちゃんは路地裏の王さまなの」

 みんな、そう言ってるわ。この間も、怪物をやっつけて子供を救ったのよ。

 鼻高々に言う少女に、もう相手をしてられないとニナはそっぽを向いた。

「あら、あんた上手いのね。騎士の絵にドラゴンも描いてる」

 絵を描こうと無視を決め込んだニナだが、横から覗き込んだ少女が驚いたように言うと、聞きつけて子供の何人かが近寄ってきた。

「どらごんー?」

「みせてー」

 興味を示した子供たちがノートに手を伸ばしてくる。

「んあー?!」

 抵抗虚しく、ひょいとノートを取り上げられた。

 周囲の子たちは絵を見て感嘆の声を上げるが、ニナにとっては溜まったものではない。

「曠野を渡る隊商の絵ね、素敵だわ。階段に座ってるこの人はあんたと一緒にいるお姉さん?」

 勝手にペラペラとノートを捲る自称王女さまにニナは抗議した。

「返してってば」

「あたいも好きよ。ドラゴンは素敵ね。いつか、ドラゴンをやっつけて、皆で暮らす国を築くのだわ」

 ニナが不満げにうーと唸りながら手を伸ばすと、少女はノートを閉じた。

「大事なものなのね。返すわ」

 あっさりとノートが返還された。ニナは大事そうにノートを懐に抱え込む。

「すげぇ、ハンターの絵、描いて!ハンター!」棒切れを背負った子が叫んだ。

「猫ちゃん」人形を抱えた子が控えめに主張する。

 子供たちにずかずかと踏み込んでこられ、困惑したニナだが、上手く理性が働かない。いつもお姉さんと話すように流暢に話せない。

(の、脳みそが反逆したみたいに、変なことしてる。語彙が……浮かばない?なんだ、これ?)

 黙り込んだニナに自称王女さまが顔を覗き込んできた。

「照れてんのね」

(怒ってるの!)不機嫌そうに黙り込んだニナの腕を自称王女さまが掴んだ。

「ねえ、あっちに滑り台があんのよ。最初にやらせてあげるわ」

 引きずられて、まるで幼児みたいな反応を返してしまう。

「むー」

(駄目だ。こいつの相手をしてると馬鹿になる?!)

 思考と行動が一致しないのは、ニナにとって初めての体験だった。過酷で危険な廃墟に放り込まれたのなら、初めての場所でもニナは速やかに対応できたかもしれない。しかし、穏やかでふわふわした世界などニナは想像したこともなく、慣れないで脳が混乱する。

 

 ニナは助けを求めて周囲に視線を送るが、大人たちは通り過ぎる時、ほほえましいものでも見るかのように、くすくすと優しげに笑っていた。



 薄暮の淡い光が地平の稜線に亘っている。木こりの一隊と共に数日の仕事を終えて居留地へと帰り着いたマギーは、報酬として受け取った丸太を木工屋へと持ち込んだ。手持ちの貨幣を数えながら材木への加工を依頼すると、木工屋の親方は、ポレシャの通貨よりも材木の一部を欲しがったので、それを対価として製材してもらった。


 のこぎりを巧みに使う木工屋が綺麗に木材を切り出した頃には、すっかり日も暮れていた。番兵に頭を下げて門を抜け、寝泊まりしてる路地裏へと帰り着くと、ニナが横になっていた。

 声を掛けようとして、今まで人の気配に起きなかったことのないニナが、涎を垂らして熟睡しているのに気づいた。服や靴にも泥がついていたけれど、その寝顔も寝息も穏やかだった。微笑んだマギーは、月明りの下、少女の傍らで壁に背を預け、静かに身体を休めた。


 人の気配に目を覚ますと、既に宵を過ぎていた。夜空には星が瞬いている。

「……ッ!」

 慌てて身を起こすと、真横でマギーが手を休めて、優しい声で囁いた。

「よく寝ていたね」


「あ、ごめんなさい」

 マギーは疲れているだろうに、夕食の用意もなにもしていない。

 狼狽して動こうとするが、マギーが声をかけた。

「いいから、寝ていなよ」

「でも、ご飯……」

「食べてきた」マギーの言葉と同時に、ニナのお腹が鳴った。


 しばしの沈黙が舞い降りた。薄闇の中でマギーの含み笑いが低く響いた。

「今、火をつけるよ」

 マギーが、ライターを取り出した。焚きつけの木屑が燃え上がり始め、ついで薪が音を立てて燃え上がる。

 石で囲まれた焚火の上で豆を混ぜた麦のお粥の小さな鍋がコトコトと煮え始める。

 暖まった麦粥をブリキのお皿によそうと、マギーはニナに差し出した。ニナが食べてる間に、今度は薬缶でお湯を沸かし始める。


 盥にお湯を張ると、マギーが布を取り出して上着を脱いだ。

「体を拭こう、今日は汗をかいた」

「うん」

 ニナも上着を脱いだ。二人はお湯で身体を拭き始める。

 文明崩壊後、風呂は相当の贅沢となり、タオルはかなりの高級品へと後戻りしていた。それでも水力や風力、畜力などを動力源とした産業革命時代と同程度の設備は、資力に余裕がある都市などに建設されて今も稼働している。動植物を元とする天然資源の加工品は、崩壊後の世界でもそれなりに広汎な地域で流通していた。


 一心に身体を拭き続けるニナを眺めると、マギーがふと尋ねた。

「今日は、楽しかった?」

 意表を突かれたようにニナは口ごもり、それから頷いて答えた。

「あー、うん……多分」

 マギーは、穏やかに笑った。

「そう、それはよかった」

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