黄昏の淵を歩む
猫弾正
第1章 終末世界の過ごし方
終末世界の過ごし方_01 路地裏暮らし
マギーお姉さんとニナが転がり込んだポレシャは、色々と過ごしやすい町だった。
曠野の居留地としてはそれなりの規模を誇っていて、人口は三百人たらず。地下水を井戸からくみ上げ、僅かばかりの豆と麦を郊外で生産している。
水や食べ物は、自給自足で交易商人が立ち寄ることも少ないが、代わりに
ポレシャはいいところだよ、と告げたマギー姉さんの言葉に嘘はなさそうだ。
少なくとも、食べ物に困ることが無いと言うのは素晴らしいことだ。
ポレシャには【大崩壊】以前の文明の痕跡がまだ僅かに残されていた。
町はずれの路地裏。崩れかけた古い廃屋と廃屋の隙間に潜り込み、毛布を纏って夜を過ごした。彼方此方の路地裏には、他にも似たような貧しい風来坊や、安住の地を求めて曠野を彷徨う
流れ者たちの中には、一カ所に寄り集まって身を休める者たちもいた。
ポレシャの周辺にも、野犬やら巨大鼠やらがうろついている。飢えた動物やら彷徨うゾンビに襲われても、大勢いれば袋叩きにして追い払えるし、犠牲が出ても一人か、二人の怪我人で済んだ。代わりに、見知らぬ者同士が集まれば、持ち物を盗んだ、なんだと揉め事も起きるだろう。
だから、ポレシャについた夜、ニナと
路地裏の中でも一番の外側。両隣の建物は床まで屋根の瓦礫が転がっていて眠るところではない。ゾンビやら野生動物が襲ってくれば、多分、最初に襲われる場所だった。
ニナたちは持ち物を背嚢に詰めて持ち歩いている。背嚢に入っているのが、二人のほぼ全財産だった。大した財産ではないが、揉め事になるのも御免だった。流れ者たちに顔見知りがいる訳でもなく、一方で怪物に襲われるのも恐ろしい。
ニナと
二人ともにちょっとした特技はあるけれども、食べていける程の一芸は持っていない。
満点の星空の下、焚火を前に「壁のあるところで眠りたいね」とニナが呟くと
「仕事を探さないとね」とお姉さんもうなずいた。
夜明けと共に起床した二人は、歯を磨いてからポレシャの居留地を見て回った。
居留地の外側は、木柵や木の杭が備えられている程度だが、重要な通りは、廃車やスクラップを積み上げた防壁で守られている。
往時の面影を留めたビルが立ち並ぶメインストリートは、出入り口をコンクリート防壁と歩哨が守っており、周囲の建物の堅牢さも相まって、さぞ、安全だろうと思わせてくれた。
「良さそうな町だね」
見かける人々の顔は穏やかで、のんびりと時間が流れている印象を受けた。
「何時かは、こんなところに住みたいねぇ」などとマギー姉さんも呟いている。
ただ、居留地の大通りにも拘らず、店舗が少ない。食堂と酒場、木工品店、草の生えた空き地に牛が放牧されてる。何処からか豚の鳴き声が聞こえてきた。閉まっている木造の小屋、街路に幾つかの露店。それだけである。品ぞろえも乏しい。
麦粥がかなり安く売っている。マギー姉さんが銀貨幣で支払うと、露店の女将が大鍋から二人分の麦粥をブリキの深皿によそってくれた。
「ほぉい、商業ギルド貨幣かい」
にやっと笑った女将から、数枚の打刻貨幣でお釣りをもらう。
ベンチに座ったニナは、麦のお粥をスプーンで食べる。
味は濃い。不味くはないが「……塩味だぁ」
地下水が枯れない限り、個人の行う売買程度での価値は保障され続けるだろう。
「いつ無価値になるとも知れない村貨幣や商会の手形よりは、幾分かマシかな」
以前、交易商人の端くれだった
貨幣を弾いて、空中でつかみ取るとポケットに仕舞い込んでお姉さんはぼやいた。
「さて、なんとか稼がないと……」
「ズールでなにか仕入れて、売るのはできない?」
「……オーの伝手も潰えちゃったしなぁ。独り立ちが予定より随分と早かった」
マギー姉さんは、無念と天を仰いだ。
眼前の空き地では子供が駆けまわっていた。綺麗な服の子もいれば、簡素な服装の子もいた。襤褸を着た子はいない。駆けっこをして遊んでいるようだ。ペンキを塗った木製だが、滑り台やブランコなども設置されている。公園なのだろうか。
豊かな居留地だ、とお姉さんは周囲を見回した。子供たちが遊んでいる。貧しい居留地では、子供も労働力として、薪拾いや水汲みへと使われている。ゆとりがある証拠に思えた。
それとも町の中心だからか?稼げる仕事は、居留地の昔からの住人に廻されているかも知れない。だとしたら、よそ者に仕事があるとも限らない。
マギーお姉さんは、空に浮かぶ雲を眺めて、焼き鳥みたいな形だな。しばらく食べてないなと思った。
「大きな居留地での商売には、伝手も準備も足りません」お姉さんが宣った。
「はい」と
「小さな居留地と取引して、何を仕入れるか、です。ポレシャの通貨を受け取っても、仕入れにも事欠くだけだし。
売り物になるのは麦くらい。仕入れても嵩張るから、あまり量も運べない」
身も蓋もない結論に、少女は悲しげに頷いた。
「商売にならない」
「この町の事情もよく分からない。もしかしたら何かあるかも……もうすこし調べてみよう」と前向きな
「お金は大丈夫かな」手持ちは乏しい。
「……取りあえず、稼げそうな仕事はある」渋々と言ったマギーお姉さん。気が進まない様子で、背嚢から曠野の地図を取り出した。
赤茶けた地面のところどころに灌木がぽつぽつと生えていた。時折、野生の二足イグアナの群れが奇怪な鳴き声を上げながらなだらかな平野を駆け抜けていく。さして凶暴な生き物ではないが、岩陰に隠れてやり過ごすとニナは水筒の水を口に含んだ。
ポレシャから二時間ほど、ニナとマギー姉さんは曠野の道なき道を進んでいた。
遠くの空を鳥が飛んでいるのが見える。
そういえば、故郷の空には鳥も滅多に飛ばなかったな、とニナは思い返した。
怪物に遭遇しないよう気を張ってこそこそと動きながら、いざ襲われた時の為に対処を決めておく。野犬や巨大鼠であれば、逃げの一手。怪我をしても面白くない。巨大蟻相手なら、さっさと立ち去る。面倒くさい。小型の変異獣や鉄の蠍相手であれば、逃げの一手。逃げ切れるように地理も調べておく。
徒歩の人間が往来して大地に刻まれたのだろう細い道を進み、やがて二人がたどり着いたのは、ひとけの失せた居留地の跡だった。
数家族が暮らしていたとおぼしき小さな居留地。家屋の焼け跡だけが佇んでいる。
「これは……?」
訝しげに辺りの廃屋を見回したニナに、マギー姉さんが説明する。
「以前、ここには小さな居留地があってね。怪物と
廃屋に足を踏み入れた
「まだ使えそうな品を探してみよう」
「……
力の抜けたような口調でニナが呟いた。
「で、売れそうなのは?」とニナ。
「金属製品とか傷ついてない食器。本はどうかな。ポレシャじゃ売れないかも」
「はぁい」本なんで何処でも誰でも欲しがると思い込んでいたニナには意外な答えだが、世の中広いので、本を読まない人種も何処かにはいるかも知れぬと思い直した。
壁も崩れ、屋根も残ってない廃屋を一軒、一軒。槍とバットを構えて慎重に踏み込んでから、調べていく。見ればゾンビなんかいないのは、丸わかりだと思ったが、壁の後ろや床など死角に寝転んでいて奇襲されるのも嫌だし、余裕があるので念には念を入れて行動した。勿論、ゾンビはいなかったけど、普段から用心深く行動するのを習性にしておけば、何処かで生きてくるかも知れない。
値打ち物を探してみた二人だが、売り物になりそうな代物すら大して見当たらない。誰かが乱暴に漁った後もある。
「そりゃ、
しゃがんで作業していたニナは、伸びをして背中の骨を鳴らした。
「この廃墟、枯れてるぅ」
住人たちが立ち去る時に値打ち物は持ち去るだろうし、残ったものも誰かが通りすがるたびに減っていったに違いない。
当てが外れたお姉さんは、がっかりした様子で天を仰いだ。
「こんな小さな居留地だから、見逃してくれると思ったけど……」
「通りすがりの旅人だってめぼしいものがないか探すよ」ニナが突っ込んだ。
結局、見つかったのは、幾らかの空き缶とブリキの皿。陶器のコップが割れて転がっている。焼けた木にぶら下がったブランコの古いタイヤは、残念ながらひび割れていて、リヤカーや馬車につける車輪としてはいささか不適合だろう。燃料代わりで小銭にはなるだろうが、持ち帰る手間暇に引き合うとも思えない。
お姉さんは廃屋の床を叩いてみたが、特に何もなさそうだ。床に転がる写真入れを見つけて拾い上げる。綺麗な仕上がりの写真入れだが、中に入った家族写真を見るに売り飛ばすつもりには成れずに、ため息をついて焼け残ったテーブルに乗せた。
「中々、楽しては稼げそうにないね」
怪物に遭遇することもなく、小さな冒険で少しだけ背嚢を膨らませて、二人はポレシャの居留地へと戻った。
広場にあるクズ屋へと立ち寄って、戦利品を値付けしてもらう。
「ズールまで行けばギルド通貨で換金できるだろうけど、しばらくポレシャに滞在するつもりだから、あまり安く買い叩かれないなら此処で換金しようと思ってね」
鉄の塊を天秤に乗せたお爺さんが、マギー姉さんの言い分に苦笑した。
空き缶や空き瓶、それに拾ってきた鉄塊を買い取って、ポレシャの食料チケットで支払ってくれた。厚紙に黒インキで印刷された数枚の紙幣。二人で3~4日は食い繋げるだろう。麦粥に飽きなければ。
「割に合わない!……当たり前だけど」
その夜、路地裏で毛布に包まった
「当たるところもあると思うよ」慰めの言葉を口にしたニナは、目の付け所は悪くないと考えている。
しかし、お姉さんは首を横に振った。
「元々、割に合ったとしてもやるべきじゃない。何時、怪物と遭遇して怪我するかも分からない」
「うん」ニナは頷いたが、しかし、何も頭に思い浮かばないので尋ねてみた。
「でも、どうする?」
「なにかしら、探してみるよ」お姉さんは楽天的だった。幸い、手持ちのお金と食料にはまだ余裕があった。これが無くなるとギスギスしだす恐れがあった。それも恐かい。
「ギスギスする前に仕事を見つけて。あと、互いに良い考えがあったら話し合おう」
「うん」ノートに日誌を纏めながら、ニナが頷いた。
まだ移り住んできたばかり、二人にとってポレシャの生活はこれから始まる。
外では、冷たい風が吹きすさんでいる。路地裏では、ないよりましな壁が幾らかの風を防いでくれた。
丸まっていると、近くから野犬の遠吠えが響いてきた。ハッとした二人は、槍とバットに手を伸ばして、無言で様子を窺った。
流れ者たちが暮らす一帯を守るよう日没後の街路は封鎖されているものの、設置された古い木柵はひどく劣化しており、野生動物すら阻止できるか怪しい代物に過ぎなかった。
ゆえに守ってくれる壁を持たない路地裏の住人にとって、最も恐れるべきものが夜の闇だろう。月明りだけが照らす街路を、二人は息を呑んで見守っている。
よほど用心しないと、新生活も始まった途端に終わるかも知れない。
しばらく沈黙して入り口を眺めていたが、特になにかが入り込んでくる気配もなく、バットを抱えたまま、マギー姉さんは息をついた。
「怪物への備えも、早めになにかしら考えないと」
生あくびが湧き出てきたニナは、毛布に包まって寝転んだ。
「おやすみ」もう少し、見張っているつもりのマギー姉さんが、ニナの髪をくしゃりと撫でて囁いた。
「おやすみなさい」明日は何をしよう。そう考えながらニナは目を閉じた。
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