思慮

「言うと嫌がるから、着くまで内緒なんだけどさ」

 友人の車に乗り込んでから10分ほどたっただろうか。小高い丘に登る道の先には二階建ての横に広がった大きな建物が堂々と建っている。駐車場に車を止めると友人は笑顔で言った

「俺の彼女がここで働いているんだよ。誘って来てくれるのは、お前ぐらいだからさ」

「ここは何?なんか病院みたいだけど」

 入口に向かって歩き始めると、友人はおもむろに財布を取り出した

「これ、券な。中で使うのに必要なんだわ」

 私は友人が手渡した物を手に取り、パラパラと弾いてみた。大きく額面「百円」と印刷された券が10枚綴りとしてホチキスで止めてある

 入り口には町でよく見かけるカラフルなのぼりが立っており、何かのイベントであることは察することができた

「会場は二階なんだ」

 友人は私を二階へと誘った

 階段を登りきると目の前には大きな広間があり、中には様々な店が出店されていた。ただ想像と異なるのは胸にネームプレートを付けた私服の大人と子供のペアで各店を運営していることだ

 私はそこそこ賑わっているお祭り会場へと足を踏み入れようとすると、友人が私を止め、久しぶりに見るような真顔で言ってきた

「今日、ここのお祭りなんだ。ってか、見てわかると思うけど、あまり嫌な顔を見せないで欲しいんだよ。楽しそうにして欲しいんだけどさ」

 私は頷き、友人と会場へ進んだ

 中に入ると友人と目が合った女性がこちらに駆け寄ってきた。笑顔が素敵な女性だ。友人が私に彼女を紹介すると、私も照れながら自己紹介を兼ねて挨拶をした

「ゆっくりしていって下さい」

私はそのつもりだったが、この会場に知り合いがいなければ、まあいても三十分が限度ではないかということは理解できた

 友人カップルの後を追うように会場奥に進むと一つの店の前まで来た。すると言葉を二つ頂くことができた。「いらっしゃいませ」と「いらあしゃああまあせ」だ。

「たか君。綿あめ1つね」

店主のたか君は返事にならない声を上げ、隣に立ってる大人男性に手を添えられながら綿あめを作り始めた。と言ってもたか君は八割がた身を任せているといった状態だ

「たか君は私の教え子なの。ね、たか君」

たか君は返事もせず、モクモクと形成されていく目の前の綿を、隣の大人男性に身を任せながら割りばしにグルグルと巻き付けていく

 その時だった。私は間違いなく見た。たか君の口から垂れたものを。それは綿あめ製造する機械に間違いなく垂れた。だが、そのことについて誰も何も言わない

「お待たせしました」

付き添いの大人が言うと、たか君も言った

「おまあてました」

 私は小さな綿あめを受け取ろうとした。

「さっき渡した券があったろ?あれ、使って」

友人の言葉通り、綴られた券を一枚切り離し、たか君に手渡した。たか君はそれを黙ってゆっくりと受け取ったので、私は綿あめを引き換えに受け取った

「たか君、何っていうんだっけ?」

可愛らしい声で問う友人の彼女の言葉を受け、たか君は聞き取れるか微妙な発音で「ありがとう」と言ったようだった。ただ、私にではなくそれは友人の彼女にだった

 私はたか君に手を振って別れを告げた。たか君は手を振ってはいなかったが、付き添いの方が笑顔で手を振っていた

 「良かったら他も見て回ってください」

友人の彼女の屈託のない笑顔で言われた言葉を拒絶することはできなかった。

 会場の端に置かれた無料配布のビニール袋に綿あめを入れ、一人で色々な屋台を回った。たこ焼きで券三枚、金魚すくいで券二枚、缶ジュースで券一枚、紙粘土で作った置物で券一枚、水風船ヨーヨー釣りで券一枚を使った。手元には残り券一枚。ただ、その券一枚はなぜかキレイに折り畳んでズボンのポケットにしまった。私は友人を探した。友人は会場を出てすぐのベンチに彼女と座り話し込んでいた

「今日は有り難うございました」

一分ほどの会話のあと、私は友人と車に戻った

 友人は車をファミリーレストランへと走らせた。元々、夕飯を一緒に食べる予定だったからだ。車を走らせて最初の信号待ちの際、私は財布から千円札をとり出して言った

「ってか、言ってくれればよかったのに。はいこれ」

 友人は言った

「金なんていいって。元は俺が無理やりお前を連れてきたんだから」

 無理やりきたつもりはなかった。どちらかといえば楽しかったかもしれない

 私と友人はファミリーレストランで軽い食事をしながら二時間ほど楽しいひと時を過ごした。もちろん、先ほど行ってきたお祭りの話もそこには含まれていた。

 友人は車で私の住んでいるアパートの前まで送ってくれた

「今日はありがとな。楽しかった。お祭りもさ」

 私が言うと友人は申し訳なさそうに言った

「彼女の手前、行かなきゃいけなかったんだけど。なんか、誘って悪かったな」

「いや、俺は楽しかったよ。こっちこそ連れて行ってくれてありがとな。今度は前もって言ってくれよ」

 私は車を降りると、車の後部座席に置いてあるお祭りの戦利品が入っているビニール袋を手に取った。

「置いてっていいよ。それ、別にいらんだろ?」

 私は一瞬固まったが、そのままビニール袋を手にしたまま、後部座席の扉を閉めた。

「さっき、軽くしか食ってないから後で腹減ると思うし。夜食にでも食うわ」

 私は友人を見送った後にアパートの自室に入った。たこ焼きを電子レンジで温めながら、缶ジュースをコップに移し替え氷を入れる。金魚をどんぶりに移し替え、水風船ヨーヨーを台所の流し置いて、紙粘土の置物をテレビ台の隅に置いてみる。猫なのか犬なのかは分からない

 ビニール袋の中からさらにビニール袋に入った綿あめをとり出す。少し溶けたようで大きさは明らかに小さく萎んでいる。私は十秒ほど考えてビニール袋に戻し、そっとゴミ箱に入れた


「みんなにはね、先生が今話した『私』ってひとが良い人なのか悪い人なのかをこれから議論してもらいます。ハイ。席を移動してください」

 担任教師は当時二十代半ばのカッコ良い男性だった。小学六年生だった私は先生のことが好きで、クラスメイトの殆どもそう思っていたのではないだろうか。担任教師の合図で教室は悪い人、好い人、どちらでもないに別れ、コの字型で議論が開始された

辛かった。私は良い人の席に座った。私の横には誰もいない。残りのクラスメイトは三割が悪い人。七割がどちらでもない人

 二十分ほど議論しただろうか。私は担任教師の話の「私」を必死に擁護し続けた

「ハイ、終了。ベルが鳴るまで残り五分。席に戻って」

 動かしていた机を元に戻し終わることを確認した担任教師は最後に言った。

「実はね、この話の『私』って、先生のことなんだ。これ、先生の話だったんだよ。先生って良い人?それとも悪い人かな?どうなんだろうね?」

 教室内は何とも言えない空気に包まれた。

「家に帰ったら、おうちの人ととも話し合ってみてね。先生って何者なのか」

「先生はどう思うんですか?」

 誰かが尋ねた。

「先生は大人だけど、まだ分からない。だからみんなに話し合ってもらったんだ。みんなももっと考えてみてな」

 ベルが鳴り授業は終わった。私はあの時、担任教師を良い人として擁護していた。もし、私が六年生のあの時に戻って議論をするとしたら、今でも良い人の立場で担任教師を擁護するだろう。ただ、それが正しいことなのかは未だに分からない


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