第50話 ブルーエンジェル

 朝早くから、王都で人気のサロン『ブルーエンジェル』のスタッフが水の離宮にやって来た。


私は応接室でスタッフの人達と打ち合わせを始める。


そもそも、採寸の経験など無い私ではあるけれど、今後のことも考えて、スタッフに言われるがままにならないように気を付けないといけない。


「アリスティア様、ご確認なのですが、宰相様の任命式とご婚礼衣装以外に、夜会用ドレスが10着、外出用ドレスが20着、来客に対応出来る普段着が20着、自室用普段着が10着、ナイトウエアが5着で数は合っていますでしょうか?」


え?早口過ぎて何を言われているのかが分からない、、、。


「そうね、ええっと、数を後から増やす事は出来ますか?」


こういう場合は下手に減らして足りない方が困るよね。


必死に考えながら返答をする。


「はい、お増やしになられる時はいつでも仰ってください」


「はい」


目の前のマダム・ベルガモットは、ジルのお母様の専属デザイナーだったそうで、今回ジルが結婚すると聞いて、とても喜んで下さった方の1人と聞いている。


彼女は30代後半で大人気のデザイナーの上、スラっと手足も長く、モデルの様な姿もカッコいい。


そして顎のラインで切り揃えたシャープな髪型も素敵だ。


オシャレなお姉様という雰囲気である。


さて、今回この『ブルーエンジェル』の皆様を呼び寄せたのには理由がある。


まず、社交界の殆どの方から、品定めと嫉妬を買う覚悟を私は決めた。


何故なら鉄壁の皇子をあっさり射止めたからである。


しかもジルは、人前で私にベッタリしている姿を晒していくスタイルだ。


また父が宰相に抜擢され、何も知らない人達はロダン家にいい感情は湧かないだろう。


ジルから、戦闘服は一切ケチらなくていいと断言された。


戦闘服って、、、。


どれだけ社交界が戦場なのかは想像したくも無い。


楽しくモナの街でデートをして、首都に戻った私達を待っていたのは山のように積み上げられたスケジュールだった。


父の宰相任命式はともかく、私達に関わる行事がもう間近に迫って来ている。


ジルは王宮に行ったまま、すでに5日ほど水の離宮に戻ってない。


父の任命式は明後日なので、それまでには一度は帰って来て欲しい。


そして、私は水の離宮に戻ったらザザに根掘り葉掘り聞こう!と思っていたのに、ジルに『まだ話してはダメ!』と口止めされた。


故にロダン領で見聞きした事を何一つ話せて無い。


ジルの慎重さが恨めしい。


「アリスティア様、ご用意するドレスの色はどうされますか?お好きな色が有れば多めにいたします。また、私共にお任せ下さるのなら、お似合いになられる色を揃えてご準備いたします」


目の前のマダム・ベルガモットは瞳を爛々としながら私に尋ねてくる。


「そうですね、場面にあった装いをしたいので、お任せします。夜会用はジルと揃えるのでしょう?」


ジルが呼び名は普段もそのままでいいと言うので、私のジード様呼びは封印された。


「ええ、ジルフィード皇子殿下と揃えます。その際はお二人の瞳の色などを互いの装いに取り入れるというのが定番なので、アリスティア様の装いにはライトブルーのアクセントや小物を用意いたしますね」


「はい、よろしくお願いいたします」


「それから、アリスティア様、採寸に移りたいのですが、実は皇子殿下から、、、」


急にマダム・ベルガモットは小声になる。


「アリスティア様のお背中に大きなケガの跡があるとお聞きしまして、皇子殿下が『本人が気にしているから、採寸時は見えない様にしてあげて』とご要望を受けました。宜しければ、こちらを着ていただけますか。その上から採寸いたしますね」


全てを言い終わるとマダム・ベルガモットは私に小さな巾着袋を差し出した。


あ!すっかり忘れていた。


私の背中にはジルの付けた王家の紋章があるのだった。


ジルー!抜け目ないな!


「マダム、ありがとうございます。助かります」


私は笑顔でその巾着袋を受け取った。


マダムに促され、隣室に移動する。


そこで巾着袋を開くと、中には透けない濃い赤色のキャミソールとペチコートが入っていた。


しっとりとした薄手の生地は上手い具合に肌へ吸い付いて、王家の紋章がヒラッと間から見えたりもしない。


とても優秀な肌着だった。


流石、マダム・ベルガモットと感心する。


赤い肌着を着た私が応接室に戻ると、メジャーを持ったスタッフたちは一斉に寸法を測り始める。


採寸ってこんな感じなのねと驚いた。


測っている人の隙間から、私の肌に様々な布を当てて、良い悪いと判定していく人、少し離れた場所からスケッチブックを開いて、デザインを描くマダム・ベルガモット。


「マダムはいつ頃サロンをオープンされたのですか?」


手持ち無沙汰な私は彼女に世間話をしようと話しかけた。


「アリスティア様、実はわたくしは4代目なのです。王都でサロンを開いて「ブルーエンジェル」は80年程になります」


むむむ?80年。


何だか多いわ80年と水龍というキーワード。


「そうなのですね、代々王家に仕えていたのですか?」


「はい、最初はこの水の離宮に住まわれていた王女殿下からのお付き合いと聞いています」


あれ?コレはかなり有力な情報源なのでは?


だけど、ジルに確認しよう。


余計なボロを出したら大変な事になりそうだもの。


「同じ水の離宮でマダムと出逢えて良かったです。どうぞよろしくお願いしますね」


どうにか上手く纏めて、次はマルリの話をした。


マダムも猫好きだそうで、シャム猫を3匹飼っているらしい。


何とか話しも盛り上がってホッとする。


結局、採寸は半日がかり、貴婦人って大変なのねと実感した。



 日も傾き始めた夕方、疲れ果てた私はお行儀悪くソファーに横向きに座り、脚を投げ出してボーっとしていた。


そこへ、ジルが突然目の前に現れた。


「うわっ!」


ドシン!!


驚いた私は床に落ちる。


ジルは駆け寄って、私を抱き上げた。


「アリス、大丈夫?」


「いきなり目の前に現れるのは驚くからヤメテ!!せめてドア裏とかカーテンの裏とかでお願い」


「えー、裏はヤダ」


ジルは不服そうな顔だった。


「それじゃ、今から帰るとか何か魔法で合図出来ない?」


ジルは私を抱き上げたまま、明後日の方向を見て考える。


「じゃあ小鳥を飛ばそうか?」


「あ、出来るのね。じゃあ、それでお願い」


「分かった」


「おかえりジル!!久しぶりだね」


私は彼の胸に擦り寄った。


ジルは私をギュッとしてから、スタスタ歩き出す。


そして、私を抱っこしたまま、ソファーに腰掛けた。


「ただいま、アリス」


私に軽くキスをする。


「お帰りなさい、ジル」


「僕が居ない間に問題とか無かった?」


「あ!今日ね、『ブルーエンジェル』のマダム・ベルガモットに聞いたのだけど、『ブルーエンジェル』は80年前に創業したサロンで、王族の最初のお客様はこの水の離宮の王女殿下だそうよ」


「えええ、そうなの?」


おっ、ジルも知らなかったのね。


「でもね、ジルに聞いてからと思って、特に詳しく話をしたりはしなかったの」


「気をつけてくれてありがとう。そうか、それなら当時の話を知っている人がいるかも知れない」


「うん、そう思う」


私は話しながら、久しぶりにジルに会えて嬉しかったので、ギュッと抱きついた。


ジルは優しいキスを私の額や頬へと降り注ぐ。


私もお返しをする。


そんな恋人達の時間はあっという間に過ぎて行った。


「もう戻らないと行けない」


悲しげな表情をするジルに、私も寂しい気持ちになる。


「アリス、しるしを付けてもいい?」


「あまり大きくないものなら、、、」


私の言葉を聞いたジルは、私の胸元を少しめくって、唇を当てた。


チクッと刺す様な痛みが走る。


ジルは顔を上げて、私の唇にもキスをした。


「アリス、明日も時間を作って戻るから」


そう言って立ち上がり、抱き抱えていた私を床に下ろした。


「うん、分かった。気を付けてね」


と、私は消えゆくジルを見送った。


ジルが去って、気になる胸元を覗いた。


あー、しっかり跡がついている。


ん?明後日の式典のドレス、、、。


見えたら、どうするのコレ。


今日のマダムが見せてくれたドレスを思い浮かべる。


いや、この位置は絶対に見えるじゃん!!


もうー!ジルーのバカぁ!!

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