第6話 まぼろし

 それから何日か経った頃、市子は学校を休んだ。続けて5日と長めの不在だったため、後で訊いたところ、身内に不幸があったということだった。彼女の普段と変わらない様子からすると、亡くなったのは親族とはいえそれほど親しい相手ではなかったようだ。おそらく一度も会ったこともないような遠い親戚といったところか。また、そのときはあまり気に留めなかったのだが、例の川に流された女性の遺体が遠い河口の町で引き揚げられたという知らせも、ちょうどこの頃耳にした。

 女性は、紺色のワンピースを着用し、川に仰向けの状態で浮かんでいるところを発見された。目立った外傷もなく、ポケットには遺書と思われる手紙が入っていたそうなので、もしかすると自殺だったのかもしれないと人々は噂した。

 

 僕は首吊りの木の下で出会った彼女のことを思い出した。風にたなびく黒い髪と、陶器のような白い肌、手元の文庫本を見つめる黒い瞳。あのとき、彼女は何の本を読んでいたのだろう。

 そして、ページをめくるあの白い指が、そっと僕の唇をなぞる。彼女はこれと同じ手で遺書を書き、死んでいったのだろうか。夢想の中で、唇から首筋へ、首筋から胸へと下りていくその柔らかい感触が消えたので目を開けると、そこに彼女はもういなかった。


 彼女...市子の遠縁にあたるその少女は、僕と初めて会う何年も前に、あの木のところで首を吊って自殺している。首吊りの木の前にお供え物が置いてあるのはそのためだった。

 すでに死んでいる人間に僕が出会うというのはおかしな話だが、僕にとっては、確かにあのときの、木の下の彼女は生きていて、台風の日に亡くなったあの若い女性こそが彼女だったような気がしてならないのだ。


[あれ、また来たんだ]

 首吊りの木の下、彼女は初めて会ったときのように本を持って佇んでいた。しかし、その輪郭は以前ほどはっきりしていなかった。

[今年の春から大学行くんだって? よかったじゃん]

 そう言って、彼女は笑った。

[離れても、市子のこと、大事にしなよ。将来のお嫁さんなんでしょ]

―だから、市子はただの友達なんだって...

 そう言おうとしたとき、彼女は幻のように消えていた。残されたのは僕と首吊りの木だけで、周りには何もない草地が広がっていた。

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首吊りの木 紫野晶子 @shoko531

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