第5話 大水
翌年の10月、台風がこの地域一帯を襲った。一個いなくなったと思ったら、また別の大きいのが来て、延期になっていた体育祭が中止になった。足の速さに自信のあった市子はそのことを残念がっていたが、僕にとっては首吊りの木の安否のほうがずっと一大事だった。あんなに細い幹だもの、この強風でへし折られはしないだろうか、川が氾濫して流されはしないだろうか...まだ洪水警報が出たわけでもないのに、僕の頭の中では、濁流が渦を巻き、首吊りの木を押し流そうとこちらに向かってくるのが見えた。
―あの木は、なくなってしまったかもしれない。
台風が去った翌日、僕は不安に駈られて、首吊りの木を見に行った。周りの草はなぎ倒されており、上流から運ばれてきた泥が異臭を放っていたが、首吊りの木は無事で、今まで通りそこにあった。
台風の被害は予想されていたよりもはるかに小さく済んだ。僕たちの学校はグラウンドが水没してしまったが、幸いにして人家や田畑にはそれほど被害は出なかったようだ。死者やケガ人もおらず、知り合いは皆無事ということだったが、村のある若い女性が行方不明だという。好奇心のため川の様子を見に行き、そのまま濁流に飲みこまれてしまったのではないかということだった。
そうだとしたら、バカな話だ。必要のないときに出て行って、必要のないときに死んだのだから。それでも、何に対しても興味を持つことのできない僕としては、その女性の楽天的で、行き当たりばったりな生き方が少しうらやましくも思えた。市子に話すと、確かにそうかもねと笑っていた。
[私たち、深刻過ぎ。どうせ生きるなら、もっと刹那的に、享楽的に生きようよ。花火がぱーっと散るようにさ]
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