朽葉姫
藤泉都理
朽葉姫
「朽葉姫。このまま朽ちさせるのは惜しい。ゆえに。私が命を与えよう」
この紙の魔法でおまえに命を与えよう。
そう言って薄く笑った魔女は背に、繊月を負っていた。
とても細い紫の月を負っていた。
「魔女よ。話を聞いていたか?」
「ああ。私の弟子が私を喜ばせようと魔法でパンを分裂させたんだろう。朽葉姫」
朽葉姫と呼ばれた男性は、常に刻まれている眉間の皺をより深くさせた。
「俺の名前は朽葉だ。姫は外せ」
「外さない。君の名前は朽葉姫だからな」
ソファに寝そべっていた魔女は服をたぐりよせて露にしていた肩を覆おうとしたが、服はまたずれ落ちて肩はまた露わになった。
だらしない。
心底冷めた目で魔女を見ながら、朽葉姫は違うと言った。
「おまえがちょっかいをかけたパン屋の少女が分裂し続けるパンを止めてくれと頼んで来たので、弟子が対処に向かっていると言ったんだ」
「パン屋の少女?」
「首を傾げるな。おまえがちょっかいをかけたんだろうが」
「君、その時一緒に居た?」
「居ない。だから自力で思い出して、対処方法を考えろ」
「えー。弟子が向かったんだろう。ならば解決「おっししょうさまー!!!」
「………解決できなかったみたいだな」
「そうみたいだ」
やれやれ。
けだるげな表情のまま、魔女はソファから立ち上がって泣きべそをかく弟子の元へと向かうのであった。
「おい」
「何だい?」
「このパンは無限に分裂し続けるのか?」
「無限にではないよ。パン屋の少女の心が満たされるまでだ」
「満たされる以外に止める方法はないのか?」
「まあ、無きにしも非ずだが」
朽葉姫と魔女の視界の先には、今にも爆発しそうなほどぱんぱんに膨れ上がる店があった。分裂し続けるパンが店を圧迫し続けているのだ。このままでは店は破壊。どころか、町もパンに埋め尽くされるだろう。
今はまだ、魔女の弟子の植物の魔法と朽葉姫の紙の魔法で、店を支えつつ、店の中で分裂し続けるパンをぎゅうぎゅうに抑えつけているが、流石は魔女の魔法だ。二人の魔法を以てしても完全に抑えつけるのは無理らしい。
「ならさっさとしろ」
「う~ん。それには彼女の満たされない心を消すしかないかなあ」
「そもそも何故満たされないんだ?」
「そんなの知らないよ。ただ何かを喪失した。喪失した心を満たそうとして仕事に、パン作りに没頭した。満たされたい。満たしたい。その気持ちが込められたパンはどんどん分裂し始めた」
「おまえが魔法でちょっかいをかけて、パンを分裂させ続けているんじゃないのか?」
「いや。私はここのパンが大好きで、でも、数量制限があるから、分裂したら食べ放題なのになあと思い続けただけだよ」
「………つまり、おまえのせいでもあるわけだな」
「えー。魔法をかけてないのに。思い続けただけなのに」
「それだけ強力だという事だ。魔女よ。なんせ、紙の束だった私に命を与えて、人間の姿に変えたのだからな」
「でへへ。パン食べる?」
「どこから取り出した?」
「え?あの店から?」
「………おまえが全部食いつくせば、事は収まるんじゃないのか?」
「ああ。確かに。うん。そうしよう」
「おい」
朽葉姫の戸惑いをよそに、魔女が魔法を使って家の中へと一瞬で入ったかと思えば、ものすごい勢いで吸収する風の音が鳴り響き続けた。
三十分間。
その時間が過ぎると、突然、音が止んで、店の扉から魔女は出て来た。
とても満足した顔で。
パンの分裂は止まっていた。
「あ~幸せだあ。ありがとね。パン屋さん」
「は、はい」
魔女はパン屋の少女にウインクすると、朽葉姫の肩を軽く叩いた。
「じゃあ、私は先に帰るね。店の修復魔法は弟子に任せたから。君は夕飯の食材を買って来てね」
「まだ食べるのか?」
「パンは別腹だからね」
ひらひらと手を振って歩き続ける魔女を見ながら、パン屋の少女はすみませんと、朽葉姫に話しかけた。
「パンが分裂し続けたの、魔女の、せいだと思っていたんですけど。違っていたんですね。パンの分裂が止まったと分かった時。まだ胸はスースーしているんですけど、焦り、強迫観念のある強い衝動が消えたんです。魔女が、分裂するパンを、私の心を、全部受け止めてくれたんですね」
(いや。恐らく、魔女のパンを食べたいという想いがこの事件を引き起こしたと思うが)
「父が亡くなって、私。とても、悲しくて。でも、店も続けていかないと。って。平気な振りをして。悲しいのに。心がぐちゃぐちゃになって。苦しくて。でも誰にも。言えなくて。魔女に伝えてください。ありがとうございます。でも、お代はきっちり頂きますよって」
ニカっと笑ったパン屋の少女を見て、朽葉姫は目を細めて、ああと言った。
「寝てやがる」
魔女に言われた通り、夕飯の食材を買って邸に戻って来た朽葉姫は自室のソファで寝ている魔女を見下ろした。
『親父と一緒にこのきれいだった紙も朽葉色に変わっちまった。金にもならねえこんな紙束はもう不要だ』
そう言って道端に捨てられた自分を綺麗だと言って拾い、命を与え、人間の姿にしたのだ。この魔女は。
「おい。金を稼がないとパン代を払えないぞ」
朽葉姫は呟くと、衣を翻して自室を出て、台所へと向かったのであった。
紙の魔法で、朽葉色の紙で作った桔梗の髪飾りを魔女の頭に添えて。
(2023.6.2)
朽葉姫 藤泉都理 @fujitori
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