剣士ツバキ

 この世の中は腐っている。

腐っている世の中で生きるためには、自分もいかれていなければならない。

少なくとも隣で話していた人間が明日いなくなっても笑い飛ばせるくらいには。


 ならば自分はどうなのかと言われれば半々だと答えるだろう。

いかれていなければ、生きていけない。

けれどアタシはずっとその中間にいる。

あの時から、あの一言から、ずっと引きずっている。

痛みを知ってしまえばもう戻れない。

手足を鎖で縛られたように、どこへも行けやしないのだ。


 軽く咳をしてベッドから起き上がる。

相変わらずこの部屋は一人分には広すぎて、息苦しい。

薄暗く差し込む光が時刻を示していた。


「……じゃあ、行ってきます」


 当たり前のように返事は帰ってこなかった。



「来い!」


 外は快晴。

心地よい風を受け、鳥が気持ちよさそうに鳴いている。

イルが木刀を構えて声を出した。


「きぇぇい!!」


 顔に十字のついた金髪の少女が勢いよく飛び込んでくる。

横に大振りした木刀の一撃をさばくも、次の瞬間にはまた攻撃が飛んでくる。

相手に反撃する時間も取らせぬ怒涛の攻撃にイルは感心していた。


(けれど―――)


 少女の足元を軽く蹴飛ばしてやると、彼女は前のめりにバランスを崩した。

受け身も取れずに顔から転がる彼女の手からするりと木刀がこぼれ落ちる。

起き上がった時にはもう遅く、喉元に木刀が付きつけられていた。


「……参りました」


「そう簡単に一本取られてやるほどアタシは甘くないよ。悪くはなかったけどな」


「息一つ上がってない先生に言われても嬉しくないです」


 そう言って少女は頬を膨らませた。

まだ幼い顔つきながら、その大きな瞳には闘志が宿っている。


「で、今やられた原因が分かるかツバキ」


「……相手の足元にまで気が回らなかったことでしょうか」


「そうだな。お前はちょっと前のめりで戦いがちなところがある。それ自体は別に悪くないが、何分体がついていけてない。上半身だけの振りに意識がいきがちだから足元を揺らせばすぐに崩れる」


 イルの解説にツバキは黙って耳を傾ける。ツバキの長所はずばり、素直なところだ。自身に間違いがあればすんなりと認めるし、一部を除いて聞き分けがいい。向上心も高いからイルとしても教え甲斐がある生徒だ。


「使えるところを全部使えばその分だけ威力は上がるが隙も大きくなる。だからここぞという時に一撃を叩き込めるように鍛錬すること! じゃあそれを踏まえてもう一回やるか!」


「はい、お願いします!」


 ツバキが再び構えなおす。木刀同士がぶつかり合う甲高い音が響いた。



 外にはもうオレンジ色の空が散らばっている。

息を整えてツバキが再び切り込んだ。

先ほどとは違う、体重を強く乗せた一撃をイルが躱す。

地面には打ち込んだ効果で若干えぐれた土が顔を出していた。


 イルが反撃するもツバキはそれを木刀で受け止める。

横、横、縦。

それぞれの軌道に合わせて攻撃を受け止めつつ、反撃を狙う。

そして斜めからの斬撃を交わすと、それを右足で踏んづけてみせた。


「もらったぁ!!」


 イルは武器を動かせない。

仕留めるなら今だ。

ツバキが木刀を縦に大きく振りかぶった。


(!?)


 ツバキが目を剥いたのはこの時であった。

イルが視界から消えたからだ。

彼女が身を屈めていると気付いたのはその一瞬後のことである。

しかしその一瞬が大きな穴となった。


 ツバキの手首を襲う衝撃、そして痺れ。

自分の得物が手元から外れている。

蹴り飛ばしたのだ、イルが踵で木刀ごと。


「チィッ!」


 今度はこちらが武器を失う番であった。

ならばステゴロだ。

人差し指と中指を立ててイルの顔面目掛けて突き付ける。


「うぉあっぶな!?」


 素っ頓狂な声を上げながらイルがツバキの伸ばした手を掴む。

ぐい、と重力よりも強い何かで引き寄せられるように左足が地面から離れた。

浮遊するような感覚、正確に言えば体重を預け感覚。

それから瞬く間に衝撃が体中を走った。

ツバキの中に溜まっていた酸素が口から吐き出される。


「参りました」


 体を大の字に広げてツバキが呟く。


「お前なぁ、訓練で目を狙うなよ」


 上下反転したツバキの視界ではイルが苦笑交じりに服の汚れを払っていた。



 ツバキという少女は勝ちへの執念が異常なまでに強い。

負けん気があると言えば聞こえはいいが、彼女は少し変わっている。

勝利のためなら手段を厭わないし、そこに至るまでの判断が早い。

もし正々堂々とした勝負を重んじる戦いであれば、間違いなく彼女は糾弾されるだろう。

だがこの業界で生きていくには間違っていないと思う。

武器がいつ壊れるかなど分からないし、何だってやるという精神は生き残るためには必須だからだ。


 問題があるとすれば少し、いやかなり特異な蒐集癖があることだが。

ダンジョンから帰るころには大体彼女は鉄のような臭いを放っている。


「うーん、ツバキに関しては難しいところだな……」


 彼女の向上心の高さから来る成長速度はかなりのものだ。

言われたことをちゃんと次には修正できているし、コミュニケーションも出来ている。

ただしかし。

漠然とした不安が脳をよぎるのだ。


 勘と言うのはどうにも馬鹿に出来ない。

それが自身の命を繋ぎとめるものであると幾度となく理解しているからだ。


「……まぁ、いいか。もう少し先で」


 選んだのは保留。

今のところ目立った欠員募集も無いわけだし、とりあえずはもう少し経験を積ませることにしよう。


 紙に情報を書き残し、アタシは灯を消した。



「よーし、全員いるか? はぐれたりしてないよな?」


「大丈夫です先生。全員そろっています」


 今日もまた実習と言う名目でのダンジョンの探索を終えて引率であるイル、そしてツバキを含めた生徒3人が町の外れで立っていた。


「ツバキ……お前またそれ」


 イルが呆れ気味に視線を向けたのはツバキの首元である。

血が染みた布に何か球状のものを包んで首にかけていた。


「戦利品です。見ます?」


「いや、いい……」


 ツバキを指導しているイルとしてはもはや驚きはない。

代わりに大きなため息が口元からこぼれていった。


「身の危険を感じたらそんなものすぐに捨てろよ」


「はい。死んでしまったら意味がありませんので」


 一瞬イルの表情が曇る。

しかしすぐに何でもないかのように手を叩いた。


「じゃあここで解散。各自しっかり休みを取るように」


 そう言ってイルは生徒3人に背を向ける。

生徒の1人がどこかへと帰っていき、残すはツバキともう一人となった。


「……さて、先生を尾けますか」


「急に脈絡の無い事言うのやめてくれるかなぁ!?」


 平然と言うツバキにリアクションしたのはもう片方の生徒である。


「いいじゃないですかドラコ」


「いや良くないよ、っていうかどういう事!? 分かってないボクの方がおかしいの!?」


「それ以上喧しくするとそのうっとうしい髪を切りますよ」


「えっごめん」


 ドラコと呼ばれた生徒の手は自然と後頭部と目元に向かっていた。

解けば背中まで届きそうな髪を結び、前髪で目元が隠れている。

性別はともかくとしてドラコの側頭部からはみ出た尖った耳は、彼あるいは彼女の生物としての異質さを醸し出していた。


「でも説明してくれないと困るんだけど。というか尾けるにしてもその荷物は置いていこう? 色々と騒ぎになりそうだから」


「仕方ないですね」


「あっ投げ捨てた!」


「そんなことより。……ドラコは先生の事をどう思いますか?」


「どうって言われても。行く先の無いボクらの事を拾って育ててくれて、感謝してるけど」


「なぜそのような事をするのでしょう?」


「えーっと、お金をもらえるから?」


「そんな目的でこんな回りくどいことをするでしょうか?」


「何が言いたいのさ」


「知るべきだとは思いませんか。あの人が一体何者なのか、どうしてこんな事をしているのか」


「……それって知っていいことなの? 確かに先生は自分の事をあんまり話さないけど、話したくない理由があるんじゃないの?」


「分かりません。分からないから知ろうとしているんです」


 まずい、これじゃいつまで経っても話が進まない。

ドラコは焦っていた。

恐らくツバキは言ったところで止まる気などないだろう。

そして恐らく何かやらかす。


「というか知ったところでどうするの」


「……弱みを握って次の戦いで有利に戦えるようにしようと」


「ねぇそんな理由ならやめない? というか先生もう見えなくなったよ?」


「問題ありません。ドラコ、あなたがいれば」


「……あー、そー」


 投げやりになりながらドラコが生返事をする。

ドラコは悟った。

どうあがいてもツバキは行く気だ。

そしてそのための手段として自分が利用されるのだと。


「よし行くぞドラコ」


「やるならひと思いでお願いします……」


 もうドラコには抵抗する気も起きなかった。



「ありがとうドラコ、おかげで先生の家を見つける事ができました」


「もう二度とやらない……」


「そう言わないでください」


(また利用する気満々じゃん)


 住宅が並ぶ街の、日の当たらない陰。

げんなりとした様子のドラコの横でツバキは様子をうかがっていた。


「どうやらあの家のようですね。窓から様子を覗きますよドラコ」


「ボクもう帰っていいかな……っていうか帰らせてよ……」


「ここまで来たら共犯ですよ、ドラコ」


「そんな曇りのない目で言われても嬉しくないんだよ」


 とはいえドラコも人間である故か、興味が勝った。

ここまで来て何も手柄も無しに、はいそうですかで帰れるほど聖人ではない。


「3、2、1でいきましょう」


「……せめてバレないようにしないと」


 二人がこっそりと、窓の中へと視界を移す。


(―――ッ!?)


 その凄惨さに耐えきれず、ドラコは目を背けた。

と同時にツバキの背中を引っ張って飛び出した。


「何、アレ……」


 普通の家の形を保った外見とは全く中身が違う。

あんなところにいたら、頭がおかしくなる。

だって、だってあんなもの。


 


「『ひとごろし』って、どういう事……? 先生が……?」


「……やはり、イル先生には何かあるみたいですね」


 ツバキのひとことが、ドラコには嫌に響いて聞こえた。











 



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勇者たちの進路相談 砂糖醤油 @nekozuki4120

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