ハピネスライト
朝倉春彦
「ねぇ、おばさん。あの光は、何ですか?」
「ねぇ、おばさん。あの光は、何ですか?」
隣に住むおばさんに、そう尋ねた。
ここへ引っ越してきて、まだ1夜を過ごしただけ。
分からないことだらけで迎えた朝。
早い時間に目が覚めて、何気なく窓の外を見ると、遠くの空、光の柱が降り注いでいた。
神々しいと言う表現がピッタリハマる光の柱。
それを見て、パッと身なりを整えて外に出て、偶然そこに居たお隣さんに尋ねてみると、彼女は柱の方に見向きもしない。
「あぁ。あれはね、幸せを運んできてくれるのさ」
「幸せを…?」
「そう、幸せを。あの光が降って来た後は、この辺り一帯が幸福に包まれるのよ」
少し怪訝な顔を浮かべて見つめると、優しい笑みを返してくる隣人。
その笑みに、上層階に生えた木々の影が重なった。
「幸福って?」
「幸福は幸福さぁ。人も物も増えて、生きるのに困らなければ、幸福と言えるだろう?」
「えぇ、まぁ。確かに。それで、あの下には、一体何があるんですか?」
「さぁ…わからないよ。遠い遠い場所だから」
「へぇ…ありがとうございます」
おばさんに一礼すると、部屋に戻る。
外は、夏らしい快晴の空だった。
まだ、この地で何をするかも決まっていない状況。
周囲の探索がてら、あの光の柱に近づいてみるには、丁度いいかもしれない。
部屋に置かれた発電機を動かすと、煩いエンジン音が部屋中に響いた。
日当たりの良くない、暗く寂れた部屋に明かりが灯る。
一時的に電気が通った部屋、設備が動くのを確認して、朝食の準備に取り掛かった。
「幸福、ねぇ」
乾いた食パンをトースターで焼いて、それに紫色のジャムを塗り込む。
それに合わせるのは、沸騰処理をした飲料水で淹れた、苦いだけの人工コーヒー。
どれも、昨日、露店で買って来た品物だった。
露店のおじさん曰く、"滅多に出回ってこないんだぜ!"との事らしい。
他所から来た僕を揶揄っているのだろうか?と思ったが、そうじゃないという事は、昨日中に思い知っていた。
発電機のエンジン音をBGMに、いつもより早い朝食を摂る。
紫色のジャムは、甘いだけで味が分からないし、コーヒーは、ただただ苦いだけ。
「うへぇ…慣れるまでには、時間がかかりそ」
何時もより時間をかけて食べきって、食器類を片付ける。
初日から、前の土地が恋しくなったが、その土地は、今頃はもうただの荒地だ。
朝食を終えると、改めて外に出る準備を始める。
髪を梳かし歯を磨き…寝間着から、青いワンピースに着替えて…小物入れを首から下げる。
ひとしきり準備を終えて、姿見の前に立てば、そこには、まだ15にも届かない年程の女の子が立っていた。
「はぁ…」
どうも見慣れない、ワンピース姿の自分。
鏡越しの自分に、何とも言えない苦笑いをプレゼントすると、そのまま外へと歩き出した。
発電機を切って、黒い保護靴を履いて外に出て、部屋の扉に鍵をかければ準備万端。
夏らしい、ムッとするような、それでも何処か心地よい風が、肩まで伸びてしまった髪をかき混ぜていく。
ここは、古びたコンクリートマンションの中層階。
所々を植物が覆い、何処かサビ臭くて、何故か懐かしさを感じる、今の住処。
廊下をあるいて端まで歩き、崩壊しそうな位に錆びついた階段を降りて地上に立つ。
雑に舗装された通りは、色々なモノで溢れかえっていた。
家電に植物、家具に絵画…統一感のないそれが、道の左右に溢れかえっている。
そこから、今も見える光の柱の方へ向かって歩みを進めた。
周囲を行く人を横目に見つつ、時には彼らをかわしつつ、前に前に進んでいく。
周囲の景色は、何処まで行っても大差が無い。
古びた、そして植物に侵食されたコンクリートマンションが並ぶ通りが延々と続いていた。
右に左に、階段を上がって下がって、どこまで進んでいっても、その光景は変わらない。
光の柱だけが、徐々に徐々に大きく見えてくるだけ。
周囲の人は徐々に疎らになっていく。
家を出た時には、それなりにすれ違っていたと思うのだが、今となっては、この場所に1人で居るみたいに、誰とも会わず、誰ともすれ違わない。
徐々に、光の柱が放つ光が、こちら側に届くような距離になってきた。
マンションに囲まれた、狭い路地、光の柱に続いていそうな階段の前で、ふと足を止める。
「綺麗…」
夏の快晴に、優しい光が混じって、辺りを照らしていた。
心地よい風が通り抜け、木々が微かに揺れる音が耳に入ってくる。
誰もいない路地…光の柱の光、錆びついた、どこか懐かしい景色。
ここだけ、世界から取り残された様。
深く溜息をついてから、階段を登って行く。
階段の先、まだまだ柱までは遠いだろうけれど、届かない距離でもないだろう。
ただ、真っ直ぐ、柱に向かって進んでいく。
やがて、周囲のマンションは姿を消していき、代わりに木々が生い茂ってきた。
空は木々に覆われて、木漏れ日が微かに差し込んでくるだけ。
それも、夏の青い空の光ではなく、光の柱の淡い黄色の光だけ。
「あっ…」
木々の間を歩いていると、突然、目の前に真っ赤な壁が現れた。
さっきまで生い茂っていたはずの木々は、もう1本も生えていない。
朱色のペンキで塗られた高い高い壁が、目の前に唐突に現れたのだ。
その壁の一部から隙間が見えたが、どうやら扉らしい。
今歩いてきた道は、その扉に繋がっている。
隙間は狭く、奥の様子を覗くことは出来なかった。
だから、更にその道を進んで先に行く。
さっきまで遠くに見えていた、光の柱は何処にも無い。
空を覆いつくしていた夏の青空は消え失せて、淡い黄色が空を覆っていた。
きっとここが、光の柱の足元だ。
壁に出来た扉の隙間が徐々に大きさを増していく。
背丈の何十倍もの、朱色の壁に出来た扉。
黄色い光に包まれた、未知の世界の先。
「……」
その前に立って、足を止めた。
いつの間にか、空は青い空に戻っている。
さっきとは違う、無機質で、暗く感じる青い空。
扉の隙間から見えた景色は、昨日、別れを告げたはずの機械都市。
「この方角じゃ、無かったと思うんだけど」
その都市は、もう死んでいる。
煌びやかな摩天楼を作り出していた様子は何処にも無い。
見えたのは、崩壊していく機械文明と、その下に群がる人の醜い姿だけ。
「あぁ…幸福を運んでくるってのは、そういうことかぁ…」
ハピネスライト 朝倉春彦 @HaruhikoAsakura
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