第2話 思い返しただけでも憎たらしい可愛さ

ほんっと、思い返しただけでも憎たらしい可愛さだ、あの女。

リンスを指に纏わせて肩口に掛からない自分の髪に触れながら、思う。

やってることが本当にねちっこくて嫌らしいくせに、風になびく髪は一本一本毛先まで滑らかで、多分手でつかんで思いっきり引っ張っても、さらりと淀みなく流れてまた彼女の綺麗さを際立たせるために整列するんだろうなっていう予測が立てられる。


そもそもがね、何なんだよあれ。多分、いい歳した大人よね?

少なくとも高校生ではないんだ、年下ではないんだ、表情は大人っぽいくせに童顔だけれど。

そんないい歳した大人がね?あんな髪型してるのにね?

いや、絶対フリフリした服着てるでしょって雰囲気なのにさ、というかそもそも超がつく田舎の駅前でさ……グレーのスーツ着込んで、鳥に名前つけて屈んで「おいで~」なんて遊んでたらそりゃ、目立つでしょ。

私じゃなくてもガン見するわよね。別に可愛いとか度外視しても。そりゃそうでしょう。

学校帰り――今日、たまたまホームの中じゃなくて駅前のベンチに座って本読んでたのは、何の偽りもなく偶然で。や、強いて言うならグループと時間帯が被ったから離れていたかったなんて理由こそあれど、それはそれ、本当のたまたまだよ。


あんな美人、その場にいたらすぐ気づきそうだし、実際私が来る前から駅前に不通にいたのに、気配を消すのがうまいのかな、何をしてたのか思い出せない。それで、電車が着くまでもうあんまり掛からないだろうなって時に、私にわざと存在を気付かせるようにして、そんなことをやりだした。後から思えば謎の技術使って私によからぬことをしていたんだからもっとスマートな方法があるでしょと思わなくもないんだけれど、私程度の気を引くには確かに、そんな単純な手で十分だったのよね。

最初、私はぼぅっと、綺麗な人だな何してるんだって見惚れたのはまぁ、今思えば腹が立つけど仕方ないとして。それで、すぐ目が合ったんだ。意識を奪われるかと思った、きっとほんとはせいぜいそれこそそこら辺を飛んでる雀の毛色くらいの色味なんだろうけれど、どういうわけか見慣れたツツジの方が近いんじゃないかって思うくらい艶やかに煌めいていた。おかしいな、夕陽差してなかったのに。


そこで話が終わればいいんだけれどな、なんて考えながら身体を洗っていたのだけれど――まあその、正直怨みをぶつける相手がいなくなるからそれもそれでしんどい。それにもうあんなことを言われたんだから、現実はどうあっても変わらないし。


こんにちは、夾花ちゃん。体調はどう?悪くなったりしてない?


急に名前を呼ばれて、困惑する私がいた。私はコミュ障だけれど、そこらの小学生に「こんにちは」って言われて言葉を返せないことはないの。けど、見たこともない可愛い人から名前を呼ばれて、心底心配してるんだって具合に上目遣いで、まるで私の寝不足(もちろん例のあれのせいでだよ)を知ってるみたいにね、耳が溶けてしまわないかってくらい甘ったるい声で、そんな風に言われて。言葉はすぐに出てはこなかった。目をぱちくりさせながら、せいぜい、「……はい」なんて、気の利かない一言を発するのが関の山だった。

けれど彼女はそれで結構満足だったらしい、にこにこしながら、すごいね、夾花ちゃん、なんて言いながら、私の隣に座ってきた。正直言って人に名前を呼ばれるのがあんまり得意ではないのだけれど(逆はもっと苦手だ)、こんなの心臓のスピードはちょっとした持久走状態。目立つのは避けたいし色んな人に対して憎しみを抱えこそすれど、そうはいっても初対面は単純なのが私だ。人間は矛盾ばっかりだ。身の危険に対して鈍感だったと今になって思うけれど、いやいや、あんな馬鹿っぽい鳥とのやり取りを見たら油断しちゃうでしょ。私は悪くないから。

目には見えないのに脳を鷲掴みにされたみたいに、ほろ苦くて甘くて病みつきな匂いとの挟撃だった。人通りはちょうど無かったけれど、あったとしても気にしてなんていられなかった。私には彼女の存在それ自体がある種の物語の魔法のようで、一体何がこの次に起こるのか、そう、ドキドキしてた。


湯船に唇が浸かるか浸からないかのぎりぎりくらい身体を丸めて、眼をつむる。

なんで私があの女に振り回されないといけないんだ。めちゃくちゃだよ、情緒がめちゃくちゃだ。


実はね、夾花ちゃんにあの夢を見せたの、私なんだ。

すごくうれしかったよ、待ってたの、夾花ちゃんみたいな人と出会えるの。


顔面に一発もらったかもしれない、なんてものじゃない。

私からしたら誰にも話したくないし触れられたくない、悩みの種というには大きすぎる問題だ。そもそもが私、自分を誰にも知られたくない、だって間違った「私」の人間像が他人の中に存在するのが吐き気がする程嫌だから。けれど、私にとってどうでもいい人間風情が、「私」を理解なんてしないで欲しいとも思ってる。要するに、誰も私を認知するな、私の理解者は私の特別だけなんだ、なのだ。

それを土足で玄関に……どころか、走り幅跳びでもやってるのかって勢いで部屋の奥まで一足飛びなんだから、たまったものじゃないって。

それでもお淑やかを貫こうとした私は「はい……?」って、精一杯頑張って返したのだけれど、追い打ちをかけるのが非常にお上手なようで。


たくさん辛い想いをさせたと思う、折れずにいてくれてありがとう。ごめんね。でもどうしても、必要だったんだ。夾花ちゃんみたいに戻ってこれる人ばかりじゃないから、私もあきらめるところだったの。でもね、夾花ちゃんは今こうして、この現実にいてくれてる。私は救われたんだよ。


重ねて。ありがとう、そう言う彼女の言葉に――あぁ、この人は、この女は、なんてひどいことを言うんだろうと思った。

あなたは、一体何人、その可憐な笑顔の裏で人を壊してきたの。それこそ私みたいに――人のことをただの物語としてとらえられない人間が強制的に見つめ続けさせられて。私には人の気持ちは理解できないけれど、それでもきっと苦しいのは間違いなくて。カラクリはわからないけれど、それでも単純に、心理的に耐えれたから誰でも大丈夫、なんて類のものじゃないのは直感的にわかっていて。

それでも、半分くらいの人ならその問題をほだしてしまえそうなかわいさで傍にやってきて。


そして、とにかくカンに触った。なんで私が、人を憎むことを辛く感じてるなんて決めつけられないといけないんだ。事実しんどかったよ、私は人間は嫌いだ、大嫌いだ。でもね、そんな奴らのせいでなんで私が折れるかもしれないって思われないといけないんだ。確かに憎い人間は憎たらしい、そんな価値観のタガを外された怒りはある。けれど、私はそんなことで自分が折れるなんて思わないし、自分の人生を嘆くことなんてしない。私は自分の大事なことの為に生きてるんだ、小説を書くために生きてるんだ、そんな他人への憎しみに負けたりなんかしない、勝手に私の価値観を決めつけるんじゃないって――っ!


頭が急激に加熱し始める。

私をこんな暴走列車にしたのは?いま、お前がしたって言ったよね。

私は別にこうなって良くなかったとは思わないよ、だって人間をもっと知れたから。

でも、それでも、私をこんな歪に仕立て上げた、私に干渉した事実は変わらない。

そっちが許せない。他人に自分の事知られるのも恥ずかしいし、知られたくもないのに、急に自分の庭みたいに心の中を踏み荒らして、それが許せない。

そしておまけに、めちゃくちゃタイプな顔して寄ってきたのが心底許せない、私はそんな単純な女じゃないってば。


ばっ、と、彼女の方を振り向きながらベンチから立ち上がった時みたいに――浴槽から立ち上がる。出よう、上がったら牛乳飲んで、今日はなんか小説の資料探しの作業に没頭して、早いこと寝てしまおう。

私の怒った顔を見て、また会えるからって、微笑みながらふわりと消えていった彼女の横顔をこれ以上思い出したくなかった。これ以上私のスペースを占有するのはもう、やめてほしい。

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