悪役王子は処刑台で笑う 愛するきみを、守るための婚約破棄

はづも

悪役王子は処刑台で笑う

「アリーシャ・ヒリキュア。きみとの婚約を、破棄させてもらう」

「……え?」


 婚約者であるこの国の第二王子、ヴィヒト・ロレイルの言葉に、アリーシャの笑顔がかたまった。

 アリーシャはヒリキュア子爵家の出で、身分は高くないが、幼い頃から聖女として働いてきた。

 国一番の聖女だと言われるほどの力と働きぶりだった。

 アリーシャの祈りは魔物を退け、時には天候すらも操る。

 アリーシャがその力を使えば大地の穢れは消え、豊かになった土壌は作物を実らせる。

 聖女の力は国に厳重に管理されているから、アリーシャ自身が必要だと思ったときに、好きに使えるわけではない。

 聖女の恩恵を受けることができるのは、このロレイル王国に従い忠誠を誓う者たちだけなのだ。

 本当に困っている人を助けられないことや、権力に逆らえない自分に嫌気がさしていたが、第二王子のヴィヒトが同じ気持ちを抱いていると知ってからは、この国の将来に希望を持てるようになっていた。


 二人が同じ気持ちを有していたことや、聖女としての功績から、アリーシャは子爵家の出ながら、第二王子・ヴィヒトの婚約者となった。

 身分の差こそあれど、二人の仲は良好。

 アリーシャは真面目で誠実な彼を愛していたし、愛されているとも思っていた。

 国を治める立場となったら、一緒にこの国を変えよう、民に寄り添う国を作ろうと、二人で未来を描いていた。

 第二王子のヴィヒトが次の王になれるよう、サポートだってしてきた。

 アリーシャの力がどの程度役に立ったのかはわからないが、彼はつい先日、王太子として認められたところだった。

 ヴィヒトとアリーシャが王と王妃になり、この国を、民を守れるようになるまで、あと少し、だったはずなのだ。


 なのに、彼は。

 ヴィヒトの言葉そのものは耳に届いたが、なにを言われたのかわからない。理解が追い付かない。


「……今、なんと?」

「だから、きみとの婚約を破棄するって言ってるんだ」


 アリーシャが聞き返せば、ヴィヒトは煩わしそうに、吐き捨てるようにそう言った。

 いつもアリーシャを優しく見つめてくれた青い瞳も、今は忌々しそうに歪められている。

 彼の隣には、アリーシャの親友、レイナ・サクリー公爵令嬢の姿が。

 並んでソファに腰かけ、彼にしなだれかかって、アリーシャに勝ち誇ったような笑みを向けている。


 子爵家のアリーシャと、公爵家のレイナ。

 やはり身分の差はあるが、ヴィヒトを通じて知り合った二人は、対等な友人だった。

 普通ならそうはいかないかもしれないが、アリーシャは国一番の聖女。

 レイナもアリーシャの力や人格を認め、身分の壁を越えて、友情を築いていた……はず、だった。

 ヴィヒトとレイナは幼馴染で、レイナは彼の婚約者候補だった時期もある。

 けれど、二人のあいだにあるのは恋愛感情ではなく友情に近いもので、レイナにも既に婚約者がいたはずだ。

 しかし今、彼女はヴィヒトの隣で、彼にぴったりとくっついている。


 あまりにも突然のことで、アリーシャはもう、なにがなんだかわからなかった。

 つい先日まで、アリーシャとヴィヒトは仲睦まじい婚約者だったはずだ。

 レイナも、身分差のある自分たちの仲を応援してくれていた。


 今日だって、なんてことのないように、ヴィヒトが呼んでいる、とだけ言われて、王城内の一室にやってきた。

 レイナがヴィヒトの隣にいることには少々驚いたが、二人から大事な話でもあるのだろうと思い、促されるままに彼らの正面に座った。

 アリーシャは、二人を信じていた。大好きだった。

 こんなの、なにかの冗談だと思いたかった。

 自分を驚かせるために、二人が組んでいるのかもしれない、なんて、心の片隅で思ったりもした。


「婚約を、破棄、する、なんて。どうして、ですか。ヴィヒト様」

「……どうして、だと? 自分がしたことを、忘れたとは言わせない」


 上手く言葉を発することができなくて、つっかかってしまう。

 やっとのことで疑問を口にするアリーシャとは対照的に、ヴィヒトはすらすらとアリーシャの罪状を並べていく。

 聖女や王子の婚約者としての立場を悪用しての恐喝や詐欺。

 他の聖女や貴族女性へのいじめ。

 国に黙って金を受け取り、私腹をこやした。

 果てには、ヴィヒトと親しいレイナに嫉妬して、彼女を殺すと脅した、なんてことまで言ってくる。

 どれも、全く身に覚えのない話だった。


「そんな……! 私はそんなことはしていません! なにかの間違いです!」

「だが、証拠は揃っているし、レイナも、きみが犯した罪の数々を報告している。きみの親友だからこそ知る情報を、身の危険を承知で教えてくれたんだ」


 そう言うと、ヴィヒトは当然のようにレイナの肩を抱き、甘い視線を向ける。


「きみは、本当に勇気のある女性だ。外面だけのアリーシャとは大違いだよ」


 ヴィヒトは愛おしそうにレイナの額に口づけを落とす。ちゅ、とわざとらしいリップ音が聞こえた。

 レイナも、うっとりとした表情でそれを受け入れている。

 そんな二人の姿にひどくショックを受けながらも、アリーシャは己の無実を主張する。

 しかし、アリーシャの話が聞き入れられることは、なかった。

 もう、なにを言っても無駄だった。

 アリーシャの言葉は、大好きだったヴィヒトにも、親友だったはずのレイナにも、届かない。

 ここは、一方的にアリーシャを断罪するために作られた空間だった。


「もう一度言う。アリーシャ・ヒリキュア。きみとの婚約は破棄する」

「ヴィヒト、さま……」

「多数の悪事を行ってきたきみの処分については、のちほど決定する。元婚約者としての情もあるから、僕もできる限りのことはする。処刑は免れるよう、努力するよ」

「しょけ、い……」


 大好きだった婚約者の口から放たれた、「処刑」の言葉。

 アリーシャは、目の前が真っ暗になる感覚に陥った。




 それから数日ほどで、アリーシャは国外追放となった。

 処刑にはならないよう努力する、というヴィヒトの言葉は本当だったんだな、とアリーシャは国外へ運ばれる馬車の中で自嘲気味に笑った。

 罪状は、ヴィヒトの述べた通り。恐喝に詐欺に殺害予告、その他諸々。どれも、本当にアリーシャには覚えのないものだった。

 数日間の猶予の中で、アリーシャは顔を合わせた人々に無実を訴えた。

 しかし、家族ですら、アリーシャの言葉にまともに耳を傾けはしなかった。

 アリーシャは、親族との折り合いが悪いわけではない。

 むしろ、親兄弟はみな、お前はヒリキュア子爵家の誇りだ、応援している、と言ってくれていた。

 なのに、王子に数多の罪を着せられた途端にこれだ。

 権力には逆らえない。逆らう気も、娘を守る気もない。

 そういうことだろうか。


 誰にも守られないまま、アリーシャはいくつかの国境を越えた国へと送られる。

 あまりにもな出来事ではあったが、当面は暮らしていけるだけのお金と、質素ではあるが住む場所も与えられていた。

 聖女としてのこれまでの功績のおかげか、誰かが温情をかけてくれたのか。

 なんの説明もなく、金と住処だけを渡されて放り投げられたアリーシャには、これが誰の計らいなのかもわからなかった。


 与えられた住処で、アリーシャは、ただただぼうっとしていた。

 誰も信じてくれなかったこと、助けてくれなかったこと。

 親友だと思っていたレイナに裏切られたのであろうこと。

 将来を誓い合った相手が、自分ではなくレイナを選んだこと。

 この短い期間に、なんの前触れもなく、こんなことが起きてしまったのだ。

 疲弊し、絶望して、虚空を見つめるだけになったって、無理はないだろう。

 しかし、それでも腹は減る。喉は乾く。

 心はすっかりやられてしまったアリーシャだが、空腹と乾きに耐えきることはできなかった。

 持たされた金には、それなりに余裕がある。

 彼女は、水と食料を確保するために、よろよろと外に出るようになった。




 アリーシャの故郷・ロレイル王国は、厳しい王政を敷く国だった。

 ヴィヒトの父でもある現王は特に過激で、逆らえば貴族も平民も関係なくひどい罰を受ける。処刑だってそう珍しくはない。

 国一番とまで言われる聖女のアリーシャだって、王に逆らえばどうなるかわからなかった。

 アリーシャは、王が求める通りに力を振るって民を助け、時には見捨てた。

 自分に従わない者を助ける必要はない。見せしめに放置して苦しませてやれ。忠誠を誓うなら、聖女や騎士を派遣して助けてやってもいい。

 それが、現王の方針だった。


 アリーシャは権力に屈し、人々を見捨てる聖女だったが、本当は、そんなことはしたくなかった。

 そう思いながらも保身に走る自分のことが大嫌いで、ひどく卑怯な女に思えた。

 だから、今の体制に疑問を持ち、改革を考える第二王子のヴィヒトに惹かれ、信頼した。

 彼との婚約を受け入れたのだって、彼ならばこの国を明るいほうへ導いてくれると思ったからだ。


 改革の意思があるだなんて、表立っては言えないが、ヴィヒトとアリーシャは、王に忠誠を誓うふりをしながら少しずつ味方を増やしていき、王太子とその婚約者となることに成功した。

 本当に、これから、だったのだ。

 これから、ヴィヒトとアリーシャは、圧政を敷いて人々の命を奪う国を、民に寄り添える国へと変えていくつもりだった。

 それなのに、どうして。

 与えられた住処のベッドに、力なく横たわり。アリーシャの瞳から、つう、と涙が流れた。



***



 時は、少しだけさかのぼる。


「……これで、よかったのよね」


 アリーシャを一方的に断罪してから彼女を追い出し、二人きりになった部屋で、レイナがぽつりと呟いた。

 後悔と迷いの混じる彼女の声に、ヴィヒトはしっかりとした声色で返す。


「これでいいんだ。こうすれば、きっと彼女は生きていける」

「……そうね。きっと」


 アリーシャの前ではそのように振舞ったが、ヴィヒトとレイナは、恋仲などではなかった。

 親友を裏切った女と、不貞を働く婚約者。

 そう見せたほうが、無実の聖女を追放する悪党らしく映ると思い、演技をしただけだった。

 では、今の二人はどんな仲なのかといえば。アリーシャを守るための、共犯関係であった。

 ヴィヒトは、愛する人を守るため。レイナは、1番の親友を守るため。

 結託して彼女を追いこみ、この国から追い出した。

 アリーシャに対して並べた罪状も、すべて嘘だ。

 用意した「証拠」だって、正式な調査が入ればすぐに偽物だとバレてしまう程度のものだったが、ヴィヒトはこの国の王子。

 王子の怒りに触れることを恐れたのか、誰も深入りはしなかった。

 処刑をしてはどうか、と言う者もいたが、そこはヴィヒトが「元婚約者への温情だ」と言って、国外追放にとどめた。

 しばらく暮らせる金と住処をアリーシャに用意したのも、ヴィヒトだった。


「アリーシャのことも心配だが……きみこそ、本当によかったのか? こちら側に回れば、もう逃げられないぞ」

「いいのよ。どうせもう助からないんだから」


 レイナは諦めたように弱弱しく笑う。

 そんな彼女に、ヴィヒトは「すまない」と返すことしかできなかった。



 ロレイル王国の王や貴族は、民に圧制を敷いてきた。

 もちろん民は不満をため込んだが、そのたび権力で黙らせて。

 しかし、それももう限界がきたようだ。

 近々、大規模なクーデターが起こるだろうと、王国の重役たちのあいだでささやかれている。

 現王は、それはもうメンツを気にする男だから、そんな情報、相当に上の者でないと「この国ではよくある噂」程度にしか聞くことができない。

 そんな噂は今までいくらだってあった。そのどれをも、王が絶対的な権力と暴力で封じ込めてきた。

 だから、そのような話があったとしても、多くの貴族は「またか」ぐらいにしか思わないのである。


 だが、今回は違うようだった。

 ヴィヒトも、王太子となってようやく、クーデターが間近に迫っている、これは現実の話だと、知ることができたのだ。

 どうやら、もう王である父にすら、止められないところまで来ているらしい。

 王は戦の準備をしているが、おそらく、現王政は倒されるだろう。

 国に不満を抱いているのは、平民だけではない。

 それなりの数の貴族……それも武力を有する者も、国に対し牙をむいている。

 対して、王国側の士気は低い。当たり前だ。恐怖で支配してきた王に、人望はない。

 今の王政が破壊され、力を失うことがわかれば、近衛兵ですら守りを放棄して逃げだすかもしれない。

 今の王政が倒されたら、次は粛清が始まる。

 王族とそれに連なる者、王族に近しい貴族、そして、王族の婚約者。

 今まで行ってきたことへのしっぺ返しとして、多くの者が処刑されるだろう。


 ヴィヒトは、アリーシャとともにこの国を変えるつもりだった。

 王太子となり、これからが本番のはずだった。

 けれど、彼の改革は、間に合わなかったのだ。

 変えようと思っていました、現王政に反対でした、なんて、今更言ったところで信じてもらえはしない。

 彼らは、改革派として弾圧されないよう、表向きは王に従ってきたのだ。

 そんなヴィヒトがなにを言ったところで、命が惜しくなっただけだと思われるだろう。


 ヴィヒトも、ヴィヒトの幼馴染であるレイナも、近々処刑される。

 もちろん、王太子の婚約者のアリーシャもだ。

 ヴィヒトはそれをわかっていたから、アリーシャだけでも逃がそうと思った。

 聖女としても素晴らしい力を持つ彼女だ。アリーシャが生き延び、その力を自由にふるうだけで救われる命が、どれほどあることだろう。

 ヴィヒト個人として最も生き延びて欲しいのも、無理に道を作ってでも生き延びる価値があるのも、アリーシャだった。

 しかし、ただ他国に送るだけでは、彼女にも追手がいく。

 そこで、ヴィヒトとレイナは、不貞を働いたうえに聖女アリーシャに無実の罪をきせ、国外に追放した大馬鹿者、という役に収まった。

 こうすれば、アリーシャはどうしようもないバカで悪党の王子の被害者として扱われ、民の同情の対象となる可能性がある。

 婚約を破棄され、無実の罪で追放されたことにより、アリーシャは、王と一緒になって民を虐げたひどい聖女ではなく、王政に虐げられた被害者のポジションを得たのである。

 彼女を生かすために、必要だったのだ。罪なきアリーシャをひどい目に遭わせた、悪役が。



「ねえ、ヴィヒト。アリーシャの話、聞かせてよ」

「ああ、そうだな……」


 レイナの言葉に、ヴィヒトはゆっくりと、懐かしそうに言葉を紡いでいく。

 アリーシャのいなくなった部屋で、二人は思い出話に花を咲かせていた。

 もう二度と会うことのないであろう、大切な人の記憶を、共有したかったのかもしれない。

 



 ヴィヒトとアリーシャが初めて会ったのは、5年ほど前のことだった。

 まだ子供だが素晴らしい力を持つ聖女がいると聞いて、第二王子のヴィヒト自ら彼女を訪ねたのだ。

 当時のアリーシャとヴィヒトは、まだ10代前半だった。

 その時点で既に王のお気に入りとなっていたアリーシャは、王城敷地内の教会に籍をおいていた。

 権力を維持するため、特に優秀な者はここに集められ、王に管理されるのだ。


「西で起きている魔物の被害は、聖女や騎士が派遣されれば食い止めることができます! 私に行かせてください!」

「ダメよ」

「どうしてですか!」


 ヴィヒトが初めて目にしたアリーシャは、王のお膝元だと言うのに、聖女の力を使わせてほしいと上司に抗議をしていた。

 しばらく食い下がっていた彼女だったが、上司になにか耳打ちされると、悔しそうに顔を歪ませながら静かになった。

 この国の王子であるヴィヒトには、そこでどんなやりとりが行われたのか、大体想像することができた。

 聖女を派遣しないのは王の意向だ、逆らえば無事ではすまない。そんなことを言われたのだろう。

 拳を握って唇を噛み、アリーシャはその場に立ち尽くす。


 まあ、従うしかないよな。


 そんなことを思いながら、ヴィヒトは物陰からアリーシャを観察し続ける。

 罰を受けることを恐れ、聖女の派遣を諦めた。そう、思ったのだが。

 アリーシャはきっと顔を上げると、かつかつと音を立てながら教会の外へ向かう。

 その表情が、なにかを覚悟している様子だったから。ヴィヒトは慌てて彼女の前に出て、その腕をつかんだ。


「……なんでしょうか」

「きみこそ、なにをするつもりなんだ。まさか、王に背いて動くつもりじゃないだろうな」

「……許可が出ないなら、勝手に行くまでです」

「そんなことをすれば、自分がどうなるかわかっているのか」

「さあ。処刑でもされるのでは?」


 アリーシャは、なんでもないことのように、さらりと言ってのけた。

 それから、お前も王側の人間か、と言いたげに、アリーシャはヴィヒトを睨みつける。

 アリーシャは、自分の腕を掴む少年が王子であることを、知らないようだった。

 少年と少女の年とはいえ、ヴィヒトのほうが身長は高く、体つきもしっかりしている。

 取っ組み合いにでもなれば、確実にヴィヒトが勝つだろう。

 それでも、アリーシャはひるまない。

 たとえ自分の命が危険にさらされようとも、聖女としての使命を全うする。

 彼女から感じられるのは、そんな意思と、覚悟だった。


「……見つけた」

「はい?」


 ヴィヒトの呟きに、アリーシャは訝しげに眉をひそめる。

 このときのヴィヒトは、王が絶対的な権力を持つこの国で、志を同じくする者を見つけたことに歓喜していた。


「きみが、アリーシャ・ヒリキュアだよね。僕は第二王子のヴィヒト。きみと、話がしたい」

「……話をしたいとおっしゃるのでしたら、まずはその手を放していただけませんか」

「これは失礼」


 相手が王子だと知ってもなお……いや、王子だからこそか。アリーシャの口調は、よりきついものになる。

 ヴィヒトはぱっと手を放したが、アリーシャが彼から逃げることはなかった。

 

 その後、二人は今の体制に不満を持つ者同士、意気投合した。


 アリーシャは、とても才能のある人だった。

 年齢が十に届く前には、聖女として働き始めていたそうだ。

 それから数年が経った今では、国でも屈指の実力者が集められる王城に召集された。

 最初こそ、言われた通りに力を使うことに疑問はなかったそうだが、年齢が上がるにつれて、国が人々を見捨てていることに気が付いてしまった。

 それがわかってしまってからは、国の言う通りにしか動けない自分やこの現状に、心を潰されるような思いだったそうだ。

 そして今日、その思いが爆発し、王の意思に背こうとした。

 ヴィヒトが現れなかったら、本当に無許可で西の地まで行くつもりだったらしい。


 それを聞いたとき、ヴィヒトは彼女を認め称える気持ちになりながらも、肝を冷やした。

 このまま放っておけば、アリーシャは王に背き、処刑されてしまうかもしれない。

 ヴィヒトはアリーシャという人のことをいたく気に入ったし、聖女としての力も素晴らしいものだと感じていた。

 これだけの意思と力を持つ人を、失いたくない。

 アリーシャは、ヴィヒトが目指す国作りに、必要な人なのだ。


「アリーシャ。きみの想いはよくわかった。僕も、同じ気持ちだよ。……でも、今日みたいな行動は、慎んでほしい。今はまだ、その時じゃないんだ」

「このまま、救える命を見捨て続けろというのですか」

「……そうなるね」

「……!」


 ヴィヒトの言葉に、我慢ならなくなったアリーシャが手を振りかぶる。

 彼の頬をひっぱたこうとしたが、その直前で思いとどまった。


「……今は、まだ?」

 

 ヴィヒトは頷く。


「僕は、次の王になる。そして、この国を変えるつもりだ。民を助け、寄り添う国へと。そのとき、きみの力が必要になる。今まで我慢していた分、存分にその力をふるってほしい。……でも、今の僕に、きみを守る力はない。きみの気持ちは、想いは、間違っていないよ。でも、気持ちのままに動けば、きみはおそらく処刑される」

「っ……」

「……きっと、変えてみせるから。きみが助けたい人たちを、助けられる国にしてみせるから。もう少しだけ、待っていて」


 ヴィヒトの言葉に、アリーシャはうつむく。

 しばしの沈黙のあと、「はい」と。小さな声だったが、たしかにそう言った。




 二人の距離は、どんどん縮まっていく。

 互いに恋心を抱くのに、そう時間はかからなかった。

 しかし、出会った頃のヴィヒトは婚約者決めの真っ最中。

 子爵家の生まれのアリーシャは、もちろん婚約者候補には入っていない。

 だから、アリーシャへの恋心を自覚しながらも、ヴィヒトはなかなか彼女にアプローチをかけることができなかった。


 状況が変わったのは、出会いから2年ほどが経ったころ。

 アリーシャが、国一番の聖女として、その名をとどろかせるようになった時期だ。

 聖女の力を王家のものにする、という意味もあり、アリーシャが婚約者候補の一人にまで押し上げられた。

 アリーシャを物扱いしているようで、理由は気に食わなかったが、彼女に懸想していたヴィヒトにとっては願ってもないチャンスだった。

 最初のデートの誘いは、ヴィヒトから。


「あの、さ。アリーシャ。街で評判の喫茶店があるらしいんだけど、一緒にどうかな。男だけだと行きづらくてさ」

「喫茶店、ですか……。その、私は構いませんが、ヴィヒト様の周りの方は、面白くないのでは?」


 アリーシャは、自分が子爵家の出であることを気にして答えを濁した。

 第二王子と、子爵家の娘。どう考えても不釣り合いだ。

 ヴィヒトがどんな意図で自分を誘っているのかは、この時のアリーシャにはわからなかった。

 もしも、ヴィヒトも同じ気持ちだったら。異性として、自分に好意を抱いていてくれるなら。

 そうだったらいいなあ、なんて、ちょっぴり思ったりもしたけれど、やはり身分の差がありすぎる。

 この時には既に、ヴィヒトを通じてレイナとも知り合っていたアリーシャは、女性が必要ならレイナと行ってみてはどうか、と提案する。


 レイナは、ヴィヒトと同い年の公爵令嬢。

 容姿、家柄、能力のどれをとっても、王子の婚約者として申し分のない女性だった。

 彼女はアリーシャよりもずっと早くに、ヴィヒトの婚約者候補となっていた人でもある。

 最近になって候補に押し上げられたばかりの、身分の低いアリーシャは、他の女性たちに遠慮した。

 しかし、ヴィヒトだって、アリーシャの気持ちや立場は理解している。

 理解したうえで、アリーシャを誘っているのだ。

 そのくせに「男だけでは」なんて、逃げの言葉を使ってしまったことを、ヴィヒトは反省した。

 アリーシャと恋仲になりたいのなら、彼女を婚約者としたいのなら、もっとストレートにいくべきだ。


「……さっきは、男だけだと行きにくいだなんて、言い訳を使ったけど。本当は、きみと一緒に行きたいんだ。アリーシャ。他の誰でもない、きみと」

「ヴィヒト様……」


 ヴィヒトの言葉に、一瞬、ぽうっとしてしまったアリーシャだが、すぐに気を取り直す。


「ヴィヒト様。あなたにそのようなことを言われたら、多くの女性は勘違いをしてしまいます。トラブルの元になりますから、異性に向ける言葉には、もう少し気を付けていただけたらと……」

「……きみがどう感じたのかは、わからないけど。多分、勘違いじゃないよ。きみ以外には、こんなふうに言わない」

「で、ですから! そのような言葉、王子のあなたが気軽に言っては……」

「勘違いじゃないし、気軽に言っているわけでもないよ。アリーシャ」

「……!」


 ヴィヒトの言葉に、アリーシャの瞳が驚きで開かれた。


「それは、その……。つまり……えっと……」

「僕とデート、してくれるかな?」

「はい……」


 デートだとはっきりと言われ、アリーシャは耳まで赤く染め上げる。

 そんな彼女を、ヴィヒトは愛おしそうに見つめていた。

 互いの言葉や反応から、気持ちの確認はできたも同然だった。

 以降も、二人はデートを重ねていく。


 国一番の聖女とはいえ、アリーシャはぽっと出の子爵令嬢。

 ヴィヒトとの仲が深まったことで、他のご令嬢からの嫌がらせはそれなりに受けた。

 そんなとき、アリーシャを助けてくれたのが、公爵家のレイナだ。

 あくまで婚約者候補だったとはいえ、長年の付き合いの王子を身分の低い聖女に奪われたのにも関わらず、彼女は優しかった。

 聞けば、家柄の関係で候補にはなっていたが、レイナにはヴィヒトとは別に想い人がいるらしい。

 アリーシャがヴィヒトを奪ってくれたら、むしろ自分は助かるのだと、彼女は笑った。



 二人が両想いだったこともあり、婚約者候補になってからの展開は早かった。

 この国でも特に力を持つ公爵家のレイナの後押しもあり、ヴィヒトとアリーシャは無事に婚約。

 第二王子と国一番の聖女の婚約は、それはもう盛大にお披露目された。

 強大な力を持つ聖女を王家に取り込めたことに、王も機嫌をよくしていた。

 王の「祝福」を受けたからだろうか。他の貴族からアリーシャへの嫌がらせは、ぴたりとやんだ。

 ヴィヒトとアリーシャの婚約に反対し、アリーシャを貶めることは、二人の婚約を祝福した王への侮辱ともなる。

 現王のやり方にはついていけない、この国を変えたいと思っているのに、王の後ろ盾のおかげで攻撃されずに済むようになったのだから、アリーシャも苦々しい気持ちになった。


 王が望む形になってしまったことは気に食わないが、ヴィヒトとの婚約が実現したのもたしかだ。

 これでアリーシャは、婚約者として堂々と、ヴィヒトを支えることができる。

 彼との約束のため。この国のため。アリーシャは、彼が王太子となれるよう力を尽くした。

 この国には王子が三人おり、後継ぎは指名制だ。

 王太子となるには、王に気に入られなければならない。

 複雑な心境ではあったが、この先の未来を信じて、アリーシャは王に従った。

 その甲斐あってか、二人が婚約を結んでから数年が経つころには、ヴィヒトが王太子として認められた。


 王には到底届かないが、この国において、王太子の権力は絶大だ。

 ヴィヒトとアリーシャは、改革への第一歩を確実に踏み出していた。

 アリーシャはもちろん、ヴィヒトだって、彼女と見る未来を信じていた。

 だが、しかし。王太子となったヴィヒトの耳に、大規模なクーデターの話が届く。

 見栄っ張りの王が、息子である王子たちにすら伏せていた、すぐそばに迫る危険の話だった。


 ヴィヒトは、どうするべきかと悩みに悩んだ。

 王太子の地位は、王に擦り寄って得たものだ。

 改革派だなんて言っても、誰も信じやしない。

 王政が倒されたあと、ヴィヒトも粛清の対象となるだろう。

 王太子である自分は、もう逃げられない。


「ならせめて……。アリーシャ、だけでも」


 彼は、婚約者のアリーシャを、この国から追放することを決めた。

 ヴィヒトは、アリーシャを愛していたし、彼女の力も認めていた。

 彼女の力と人柄なら、他国でもやっていけるはずだ。

 こんな国の縛りからは抜けて、自分の望むままに人々を救ってほしい。

 ヴィヒトはそう願い、アリーシャの親友となったレイナとともに、彼女を一方的に断罪した。

 彼がこれから起こるクーデターについて話したのは、幼馴染で、付き合いの長い友人でもあるレイナだけだ。

 彼女は、アリーシャを守るために一芝居うつと、自ら申し出てくれた。

 レイナはレイナで、望むことがあったのだ。

 アリーシャを国から追い出したあとは、レイナと婚約した。

 レイナにもすでに婚約者がいたが、王太子であるヴィヒトがレイナを欲しがれば、誰も逆らうことはできない。


 ヴィヒトとアリーシャの婚約後、レイナは想い人と結ばれていたが、レイナもまた、愛する人を守るために、婚約者を裏切った。

 こうして捨て置けば、少しは彼の生存率が上がるかもしれない。そう思ってのことだった。

 ヴィヒトとレイナは、偽の情報に踊らされ、婚約者を断罪した愚かな王太子と、王太子を手に入れるために親友と婚約者を裏切った卑しい公爵令嬢の、お似合いのカップルだった。



***



 追放から、いくらかの時が経った。

 アリーシャは今も、追放先でぼうっと暮らしている。

 一緒にこの国を変えよう。そう約束した婚約者にも親友にも裏切られ、国を追われて。

 ヴィヒトとともに見ていた希望があまりにも眩かったからこそ、アリーシャは立ち直ることができずにいた。

 いっそ全てを諦めることができたら楽なのかもしれないが、幸か不幸か、アリーシャの体は、空腹と渇きに耐えられるようにはできていなかった。

 身も心もぼろぼろになったアリーシャは、身だしなみを整えることもせず、食糧を求めてふらふらと町に繰り出す。


 今のアリーシャに、新しい店を開拓して楽しむ余裕などなく。

 彼女は、与えられた住処のすぐ近くの、いつもの店に向かう。

 生気のない瞳で、ふらふらと進む彼女は俯きがちで。町の景色も、人々の話し声も、アリーシャにはほとんど届いていなかった。

 そんな状態が続いていたアリーシャだったが、広場から聞こえるどよめきと、叫びにも似た声には流石に顔をあげた。


「号外! 号外だよ!」


 アリーシャが広場に向かうには至らなかったが、その「叫び」のほうから近くにやってきた。

 号外だと大きな声で叫びながら、新聞をまく少年だ。

 そんなものはどうでもいいと言わんばかりに、再び俯き、目的の店へと歩を進めるアリーシャだったが、盛大にまかれたビラは、彼女の足元にも滑り込んでいく。

 下を向いていたせいで、見えてしまった。その号外の、内容が。


「……クーデター? 処刑?」


 それまでほとんど表情を変えなかったアリーシャの瞳が、大きく開かれる。

 ロレイル王国、クーデター、倒された王政、王族や貴族の処刑。

 そんな文字と、処刑台を描いた絵が、見えてしまった。

 アリーシャは、自分の足元にある薄っぺらい紙を、震える手で拾い上げる。

 処刑台の絵には、処刑直前のヴィヒトの姿が描かれていた。

 記事によれば、処刑寸前の彼は、笑っていたらしい。

 その異様な光景が注目され、圧制を敷いた王ではなく、王太子の彼を前面に押し出す記事が作られたのだろう。

 号外には、処刑された者の一覧まで載っていて。

 アリーシャは、その中に、元婚約者と親友の名前を見つけた。




 この日、アリーシャは理解した。

 自分が、ヴィヒトとレイナに守られたことを。

 王太子となったヴィヒトは、クーデターのことを知り、ろくでもない男のふりをして、アリーシャを国外に逃がしたのだ。

 王に従って民を見捨てていた、王太子の婚約者アリーシャだって、処刑されてもおかしくはなかったが、彼女の元に、追手はこなかった。

 正確に言えば、元ロレイル王国からの使いの人間は来たのだが、アリーシャに対して同情的だった。


 王に従うよう強要され、王太子にも使い捨てられた、哀れな聖女。

 それが、ヴィヒトの計らいによってアリーシャが得たポジションだった。

 使者はアリーシャが国に戻ることを望んでいたが、少し考えさせて欲しい、と返すにとどめた。

 きっと、ロレイルにはアリーシャの力を必要としている人がたくさんいる。

 けれど、改革を望んでいたヴィヒトを処刑した国に、すぐに戻る気にはなれなかった。


 自分が守られたことを知ったアリーシャは、ヴィヒトが最期に処刑台でみせた笑顔について、考えるようになった。

 けれど、彼の婚約者であった彼女にも、ヴィヒトが笑った理由はわからなかった。

 









――どうか、きみだけは、笑っていて。


 誰にも伝わることのなかった、愚かな王太子の最期の想い。

 愛する人の幸せを願い、彼は処刑台の上で笑った。

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悪役王子は処刑台で笑う 愛するきみを、守るための婚約破棄 はづも @hadumo

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