心中告解

梅枝廸

心中告解

 赫灼と、あたりは燃えているのでございます。

 


 峻厳なる深山の奥ふかく、訪うものは畜生か、はたまた化生か──到底ひとが住む場所とは思えぬ秘境にひっそりと、落人どもがつくった隠れ里がございました。

 

 そこに棲まいますのは、尊き御上のご威光に平伏さぬ、まつろわぬものども。その存在が許されることなど、到底ありえますまい。ゆえに、御上はわたくしに討伐をお命じになったのでございます。


 わたくしといたしましては、たかがひとつの集落ごとき、潰そうと潰すまいと大差なし。意味無き行為と存じます。

 

 それよりも御上の御恩寵をさらに遍くしろしめすべく、民を慰撫する方が先。そうお諫めいたしたのでございますが、ぎらぎらと猜疑に目を血走らせた御上は、お聞き届けくださりませんでした。


「吾が命に逆らうか」


 疑心暗鬼に苛まれ、もはや眠ることすらできぬのでございましょう。べったりと隈を貼りつけて、御上は癇癪を起こされました。

 金切り声をあげ、ひとしきりわたくしども臣下の不調法を詰り、仕舞いには手元の水差しや杯などを投げ付けて来られる始末。

 

 這う這うの体で御前を辞しますと、わたくしは不承ぶしょうではありますが、自らの配下を率いてくだんの隠れ里へと向かったのでございます。



 いかに深山幽谷、人里離れた地といえども、棲まうものあれば痕跡が残る、自明の理と申せましょう。わたくしと配下たちにとって、僅かな足跡や焚火のあと、狩人の鏃が樹の幹につけた傷を追うのは、造作なきことでございました。


 集落に辿り着きましたら、なすべきことはただひとつ──鏖殺でございます。


 御上はおのれに帰順しないものどもをたいそうお憎みになっておられますゆえ、ひとたび存在を知ろうものなら、年寄りからみどりごに至るまで悉くこの世から消さねば気が済まぬご様子。その意を汲み、手足として動くのがわたくしと配下の役割なのでございます。



 容易いことでございました。

 然程広くもない集落、家屋は木組みに藁葺き屋根の粗末な普請ばかり。歩哨に立つものもなし。


 手始めに納屋とおぼしき一棟に火を放ち、夜闇に紛れて火事を知らせてやりながら、一箇所へ追いたてるのでございます。


 隠れ潜むものどもといえど、動転してしまえばただの烏合。殲滅は難しい仕事ではございません。


 やがてわたくしと配下以外動くものはなくなり、集落にあるすべての家屋を燃やしつくすよう配下に指示したところで、不意に──凄まじい殺気を感じたのでございます。

 同時に、わたくしの傍にいた配下二人の首が、音もなく離れて地に落ちました。


 わたくしが咄嗟に動くことがかなったのは、身に浴びたそれが馴染み深いものだったからでございましょう。腕に仕込んだ刃で宙を払えば、ぷつりと何かが切れる感触。眼には映らぬほどほそく練られた天蚕糸を確認し、わたくしの胸中に去来しましたのは、紛れもない歓喜でございました。


 急く気持ちを堪え、ゆっくりと背後を振り返りますと、そこには想像した通りの姿があったのでございます。


 煮える憎悪を滾らせ、その奥底に絶望を込めたまなこ。ああ──最後に見えたときと同じもの。慕わしく愛おしいお方!


「お久しうございます、我が師よ! 斯様な場であい見えますとは、まこと僥倖にございます」

「黙れ、貴様を弟子とは最早思わん」

「非道なことをおっしゃいますな。わたくしほど、貴方さまのわざを修めたものはありますまいに」


 返答のかわりに飛んできた礫を躱し、わたくしは一息で師に肉薄致しました。利き手とは逆に仕込んだ刃で師の急所を狙いましたものの、あっさりと弾かれてしまいます。そののちも、手を変え品を変えて師の首を狙うもその悉くを防がれ──師は師であったのだ、と畏敬と歓びが胸の内を充しました。


「楽しうございますな! 貴方さまは歳経てもなお、冴え渡った技量をお持ちだ!」

「貴様は随分と変わったな。よもや誰ぞの狗に成り下がるとは思わなんだ」


 皮肉気な師の御言葉に、わたくしは思わず笑みを溢してしまったのでございます。


 成程、確かにわたくしは御上の御下命で動くもの。御上に逆らうものどもを、陰から始末してまいりました。

 ですが、それはわたくしほんらいの目的のため、副次的な行動にすぎぬのでございます。


「何がおかしい」

「いえ……貴方さまは誤解なさっておいでです。御上はわたくしを使わんがため、わたくしの進言にしたがってひろく諜報の網を敷かれました。

猜疑心がお強い御方で、大変都合がようございました──おかげさまで、わたくしは都にいながら欲する情報とみずから動かせる組織を得ることができた」


 訝しむように眉根を寄せておられた我が師は、突如何かに感づいたかのごとく、息を呑まれたのでございました。


「──真逆」

「御察しくだされた通りと存じます、我が師。今宵、わたくしの目的は果たされました!」


 全ては、師の消息をつかむため。幾度もあてが外れては臍をかんでまいりましたが、今宵このときをもって、わたくしの望みは叶ったのでございます。


 この隠れ里がほんとうに逆賊どもの巣窟か否か、ほんの瑣末ごとでございました。

 御上は諫言がお嫌いでいらっしゃいますゆえ、里の存在を仄めかし、その上で少々諌めて差し上げましたら、案の定討伐を強くお命じになったのでございます。


 諫言いたしました手前、少々不満気な姿を見せましたものの、内心では我が師に見えることができるやも知れぬ期待に打ち震えておりました。

 あまりにも殲滅が容易いため、此度も外れかと諦めかけた矢先の再会であったのでございます。これを歓ばずにいられましょうや!


「この……外道が」

「師をお慕い申し上げているだけでございますれば。貴方さまがわたくしをお見捨てになられる前も、後も、わたくしのこころは変わっておりませぬ」


 ぎり、と我が師が奥歯を強く噛みあわせたのがわかりました。


 最早語る言葉もないとばかりに、仕込み杖でもって打ち掛かってこられます。この武器を使われるということは、真っ向からの殺し合いであるという意思表示でございます。わたくしか師か、どちらかの命が尽きるまで止まることはないのだと。


 これほど──これほど心踊るお誘いはございません。我が師が、ただわたくしだけをご覧になり、わたくしの命を求めてくださっているのですから。


 斬撃を受けては流し、流しては受け、時には突き、払い。まるで舞踏しているような心地でございました。このまま永遠にふたりで踊っていることができるような──そんな瞬間を切り裂くようにして、近くの叢を踏む微かな跫音が耳に入ったのでございます。


 わたくしの配下がこのような無作法をするはずがございません。それに、我が師に首を落とされた側近を除き、始末を終えたら速やかに去るよう命じておりました。


 ちらとそちらを流し見ましたら、郷の生き残りでありましょうか、ようやく歯が生え変わった否かの歳頃のこどもがひとり、怯えに身体を震わせている姿があります。


 わたくしは、我が師との仕合いを邪魔されて少々腹を立てておりましたゆえ、早急に処理すべく暗器を放ちました。弾いた鉛粒がこどもの頭を爆ぜさせるはずでございましたが、身を呈して庇った師によって、それは叶いません。


「何故、それをお庇いになったのでございましょう? 師の御身内というわけでもありますまいに」

「おのれ、……そこまで堕ちたか」


 わずかに震えを帯びた師の声音には、怒りでも憎しみでもないものが宿っていたのでありますが、わたくしにはそれがいかなる感情か、読み取ることはついぞできぬままでございました。


 後ろ手にこどもを庇い、先程の優雅なわざとは比べものにならぬほど無様に杖を振るう師は、わたくしの攻め手を捌くのが精一杯といったご様子。最早、これまででございましょう。


 わざとらしい所作でこどもを狙ってやる振りをすれば、あっさりと師は意識をそちらへ向けてしまうのです。その隙を逃さず袈裟がけにいたしますと、ついにはその場へ倒れ込んでしまわれたのでございました。



 気がつけば、轟轟と天をつく勢いで、火柱が上がっておりました。


 かつて集落だったものは、明け方には炭と灰のかたまりになっているのでございましょう。周囲の樹々には水気を存分に与えてから火を放ちましたゆえ、延焼する心配もありますまい。


 わたくしは、地に臥す師に歩み寄り、かたわらにしゃがみこみました。

 まだ僅かに息がある御様子で、胸元が小さく上下しておりました。


 いつの間にかこどもの姿が消えておりましたが、わたくし自身が追うつもりは、既にございませんでした。

 こどもひとり夜の山を越えて人里に辿り着けるとは思えず、かといってこの場に残れば、ただ焼け死ぬだけでございます。態々手を下すまでもありません。


 わたくしはしゃがみこんだまま、ぼんやりと師を眺めておりました。


 死をもって、この御方はわたくしの──わたくしだけのものになったはずでございました。のぞみは叶った……それなのに、不可思議なほど高揚がないのでございます。


 我がことながら、こころとは摩訶不思議なものでございます。


 この場にいても、最早すべきことはなにもありますまい。師の首を取り、御上に御報告申し上げねばなりません。


 わたくしが立ちあがろうとした、そのときでございました。

 とん、と背後から軽く突き飛ばされて、思わぬことに体制を崩し、師の身体に向かって倒れ込んでしまったのでございます。

 慌てて受身をとろうとしたわたくしの胸元から、ひとふりの刃が生えたのでございました。


「……え」


 わたくしは、ひどく間の抜けた顔をしていたのだと思います。


 閉じていたはずの師のまなこは力強く開いていて、動かぬはずの腕は、わたくしの背──仕込み杖の柄をしっかりと押し込んでいるようでございました。


「お師、さま……?」

「お前をそこまで歪めたのは、きっと我なのだろうよ──だから、お前は、我が泉下につれてゆく」


 最後の最期まで手のかかる弟子だ、と、師はちいさく笑ったようでございました。


 そのまま師はわたくしの頭を撫で、わたくしの背後に立った小さな影──わたくしを突き飛ばしたのは、あのこどもであったようでございます──に向かって、何やら声をお掛けになった御様子でありましたが、わたくしには聴き取ることがむつかしうございました。


 痛みは、何故か感じません。身のうちからせり上がった血の塊を吐き出して濡れた口もとを、師は指で軽く拭ってくださったようでございました。


 消えゆく師の体温を追いながら、わたくしもとろとろと解けてゆく意識に逆らおうとはいたしませんでした。


 死にゆくさなかであるにもかかわらず、わたくしのこころはたいそう高揚していたのでございます。遅まきながら──ほんとうに遅かったのでございますが、ようやくわたくしは、わたくしがほんとうに希うことに気付いたのでございました。



 あたりは、緋色と金色に縁取られ、赫灼と、それはそれはうつくしく燃えているのでございます。それが、わたくしの意識が失われる前に見た、最期の景色でございました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

心中告解 梅枝廸 @kouhukuron8836

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ