第2章 隣国騒動

第29話 嵐の前

 帝国の侵攻を妨げたことで、ただでさえ頂点に達しているヴァリアント軍の評価はうなぎ上りとなり、王国内ではどんちゃん騒ぎであった。ただその半分は、長年の戦争状態からくるストレスからヤケクソになっているだけの者もいるが、国全体の士気が低くなるよりはマシだろう。


 そんなヴァリアント軍も、あれから訓練ばかりの日々が続いていた。

「ヴェリエルさーん。起きてますかー?」

 今日は昼から訓練であるが、いつも朝が早いヴェリエルの姿を見ていないということで、真詩義が様子を見に来ていた。兵舎とはいえ、女性の部屋に男が入るのは本来禁止なのだが、真詩義ならば無害だろうという独断と偏見で遣わされて来たのである。

「ヴェリエルさーん。入りますよー」

 万が一のためにノックをして、ゆっくりとドアを開ける。

 中に入ると、殺風景な部屋が広がっていた。とは言っても最低限の家具は置かれていて、凝った意匠がなされている。

 目的のヴェリエルはというと、ベッドの上にいた。特徴的な金髪が見えてはいるが、体はシーツに覆われている。顔もドアとは逆に向けているため、表情を見ることはできない。

「あの、ヴェリエルさん? 起きてますか?」

「………」

 返事がない。女性の寝顔を見たり体に触れたりするのはマナー違反だと、鬼のような教育のおかげで教わっている真詩義としては無理やり起こすことに抵抗を感じたが、一度として寝坊したことがないヴェリエルが起きないことはそれなりに事件である。

「ヴェリエルさーん」

 仕方ないということで、肩を持って揺らした。

「ヴェリエルさーん、起きてくださーい」

「うぅ……」

「もうとっくに朝ですよー」

「はぁ……はぁ……」

 真詩義の方を向いたヴェリエルの顔は、かなり赤くなっていた。呼吸もだいぶ乱れていて、ただ事ではないことがうかがえる。

「ヴェリエルさん? ヴェリエルさん!?」

「あ、ぐ………マシギか……」

 ようやく目を開いたヴェリエルだが、瞳の周辺が着色されたかのように真っ赤になっている。

「これって……」

「すまない……ヘンネを、呼んでくれ………」

「わ、わかりました」

 弾かれたようにヴェリエルの部屋を出て行った真詩義とは対照的に、ヴェリエルは横になったまま血を吐いた。






「アーデスト病だな、こりゃ」

 真詩義に呼ばれてやって来たヘンネは、ヴェリエルの様子を見るなりそう断定した。

「アーデスト病?」

「ああ。高熱、目の異常な充血、吐血。この三つがアーデスト病の代表症状でな。三つが同時に出てるってことは間違いない」

「治るんですか?」

 ヘンネは血がついたシーツを持っていくために、小さく折りたたみながら真詩義の質問に答える。

「まぁ、特効薬はあるし、飲ませて安静にしてりゃ治る。だが、マシギが呼びに来る前にちょっと前に、特効薬の在庫が少ないって聞いてよ」

 ヘンネは盛大なため息を吐くと、苦しんでいるヴェリエルの額に手を当てた。

「ダリウスの話じゃ、王国内で流行してるらしい。そっちに薬を回してるせいだそうだ」

「薬は簡単に作れるんですか?」

「まぁ、材料さえあれば作れるんだが、最近戦争続きだろ? うちの国だけじゃない。それぞれ国境で小競り合いが起こってる。薬草の群生地が戦場になって、焼野原になってる場合も多い」

 こうなってしまうと、残った薬を誰に使うかを考える必要がある。ただ、その薬草はアーデスト病の特効薬だけでなく、多岐にわたる薬品の材料でもあるため、様々な薬品が品薄状態である。

 ヘンネとしては貿易で他国からの輸入で解決できるだろうと考えているが、列強の国と隣接しているせいで、他の国との貿易にも支障が出ている。下手に貿易内容の変更や量を変えると目をつけられかねない。

「マシギ。医務室で薬をもらって来てくれ」

「わかりました!」

 苦しそうなヴェリエルが心配で、真詩義は再び弾かれたような勢いで部屋を出て行った。




「全く……お前は相変わらずだな」

 真詩義が開けっ放しにしたドアを閉めたヘンネは、苦笑を浮かべながらヴェリエルの首筋の汗を拭いた。

「済まないな……どうも、私の体はアーデスト病を容易く発症してしまうようでな」

「流行病は定期的に来る。今回は時期がわかってて対策してなかったお前が悪い」

「返す言葉も、ない……」

 ヴェリエルはアーデスト病に対する免疫力が低い体質で、この時期になるといつも特効薬を個人的にストックしておいて体調には万全を尽くす。だが、今年は何度も帝国の襲撃があり、すっかり忘れてしまっていた。

「さてヴェリエル。絶賛病気に伏しているアンタに言うのは気が引けるが、議会からの連絡がある」

「……なんだ?」

「『ヴェリエル・キーレイを王国の代表としてロンダード公国の大貴族、ナスタード卿との婚姻を結ぶこととする』だと」

「政略結婚か……」

 男性経験のないヴェリエルだが、恋愛に対しては一般女性並みに憧れている。長い歴史を紐解けば、政略結婚や偽装結婚によって表面上だけでも国同士の友好を作り上げていたことは知っている。

 必要なことだとは分かっているが、本人の意思を無視して顔すら知らない男と結婚をしろと言われても、ため息しか出なかった。

「……ヘンネ。それは本当のことか?」

「いくら国に仕える者だからと言って、純潔を交渉材料にするのはふざけるなとは思うがな。残念だが、期待に添えられない」

「はぁ………」

「そうガッカリするなって。本当の目的は二つ。一つ目はロンダード公国との貿易で薬草ないしは薬品の輸入量を増やしてもらう。二つ目はロンダード公国の貴族たちが、リーゼライド王国との協定を無視して帝国に軍事的援助をしているらしい。その証拠を掴むためだ」

「裏切り、か」

 議会では、帝国に対抗するためになりふり構わないという流れがある。それが自国の兵士をも差し出す覚悟でこの策を打ち出した。

 そして、ロンダード公国と協定を結ぶ際、当時新米のヴェリエルも同席はしたいた。ただ、ナスタード卿と面識はなく、一方的に知られているような状態である。身分、名声、容姿において非の打ち所がないヴェリエルに白羽の矢が立ってしまった。


「まぁ本当に結婚する必要はない。最悪証拠が掴めれば全ておじゃんだ。それに現地には協力してくれそうな奴らもいるから、何も収穫なしで晴れて花嫁、なんてことはないだろうさ」

「協力者か……」

「ロンダード公国に流れた流民と奴隷だ。一応の統治者であるメルクリード・ブラン・スコーピオンの圧政に対して、かなりの反感を抱いているらしい」

「民を煽動しろと?」

「そういうことだ」

 ヴェリエルとしては、裏切りや偽装、煽動などという行動はやりたくない。だが、軍人である以上は命令であれば拒否できない。

「まぁ、なんとか護衛を連れて行くように話をつけてきた。お前が信頼する奴を二人まで連れて行っていいことになったぞ」

「二人か…流石にヘンネを連れて行けるわけはないだろう」

「流石にな」

「なら、マシギとミリアムを連れて行く。それなら、軍にも大きな穴は開かないはずだ」

 真詩義は驚異的な戦果を挙げたが、まだまだ新米ということで、軍のデータとしてはまだ主戦力としてカウントされていない。ミリアムに関しては、単純に実力が低い。

 そんなヴェリエルの判断を聞いて、ヘンネは急に笑い出した。

「随分とマシギに入れ込んでるな。恋情でも抱いてるのか?」

「ば、馬鹿なことを言うなっ…ゴフッ」

 冗談に対して反論した拍子に、再び吐血をした。

「悪い悪い、軽い冗談だ。じゃ、薬飲んでしっかり休め」

「あ、あぁ……済まない」


「割と、脈ありって感じなんだがな……」

 部屋を出た後、ヘンネはヴェリエルに聞こえるような声で言った。








 雲一つない快晴に恵まれたある日。

「お願いします!!」

「来なさい」

 ツイレンとラヴィニアが素手による組手をしていた。

 先日の帝国侵攻時における真詩義の活躍に触発されたツイレンは、密かに伸び代がないと言われていたにも関わらず、メキメキとその実力を伸ばしていった。

「せいっ」

「はっ」

 ツイレンの拳は以前とは違い、真っ直ぐなだけではない。動きの変化や牽制、フェイントも入れるようになり、ヴァリアント部隊でもトップ10に入るほどの実力者であるラヴィニアに有効打を与えそうになっていた。

「随分上達したわね」

 しかし、ラヴィニアはまだまだ余裕の表情を浮かべている。牽制と本命を見分け、受け流しと体捌きで対応している。

「でもね」

 防戦に徹していたラヴィニアのハイキックが、ツイレンの側頭部に炸裂した。

 まさかいきなり蹴りが来るとは思っていなかったのか、そのまま数歩よろけた。その間、ラヴィニアは追撃はしない。

「射程内なら、いろんなことを考えないとね」

「このっ」

 ツイレンも真似をするように蹴りを放つが、それを軽く受け止められ、鳩尾にストレートを食らう。

「まだまだ馬鹿正直ね。そんなんじゃ、戦場では役に立たないわよ」

 七年も戦場を経験したラヴィニアからすると、ツイレンは馬鹿真面目で馬鹿正直。戦場では格好の獲物となる。

 それでも筋は悪くない。あとは実践を積めばそれだけ化けるはず。

「まだまだぁ!」

 急所に一撃をもらったにも関わらず、ツイレンの動きのキレは落ちていない。むしろ鋭さが増し、ラヴィニアを後退させた。

 人間が成長するにはそれなりの時間がかかるが、こうして目に見えて成長が垣間見えると、先輩としては嬉しいものである。

「若いっていいわね」

 ラヴィニアは小さく微笑み、容赦ないアッパーでツイレンを気絶させた。

 










「グランツ中将! 偵察部隊より伝令です!」

「何だ?」

「ラクドル共和国との国境線にて、所属不明のヴァリアントを一機発見! 現在、ラクドル共和国の前線部隊と交戦中!」

 現在、国境遊撃大隊が侵攻してくるラクドル共和国の軍勢と交戦を開始し、大隊の半分が迎撃のために準備をしている。

「そのヴァリアントの種類は?」

「偵察部隊の報告では、ジルベルト型と予測されますが、戦況から見るにギリアム型の可能性も有り!」

「ならば、陣を敷いて警戒しておけ。敵の敵は味方というわけではないが、交渉次第では引き込めるかもしれん」

「了解しました!」

 伝令兵はすぐさま部屋から出て行った。


「ふぅ……」

 国境遊撃大隊を指揮する将校は、盛大なため息を吐いた。

 頻繁というわけではないが、ラクドル共和国も絶えず侵攻は続けている。その度に兵士の数が減り、戦線おを維持することに難儀する。そして、王国軍に人員補充を要請するのも気が重い。

「ヴァリアントへの対処か……」

 大隊で保有しているヴァリアントは、ほとんどがリオーズ型。ジルベルト型も保有はしているのだが、ほとんどが戦闘後の鹵獲品である。

 理由としては、ヴァリアントの製造にはかなりの資源が必要となり、戦争中では新たなヴァリアントの製造が困難であるためである。鹵獲品であるリオーズ型はそれほど性能は高くなく、気休めと言っても過言ではない。相手が生身でも達人レベルならば、簡単にその差を覆されてしまう。

 資源の関係から修理もできない使い捨て。敵の侵攻に合わせて出動するため、気が休まらないこともあり、兵士の士気は低い。

「さて、例のヴァリアント兵が味方であることを祈るか……」

 今は下手に動かず、こちらの被害を減らすことを最優先にすることを考えていた。

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ヴァリアント・マキナ ~異世界転移の小さな勇者~ 軋木 三三三 @gllimbell

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