エピローグ
夏が来る。雨マークが続いていた天気予報から、久々の晴れマークが現れた。
最高気温は三十度。そろそろ半袖のポロシャツに袖を通せそうだ。
「朝陽、今度の休みは公園に行けそうだな」
朝陽の脇腹をくすぐりながら笑いかける。朝陽はキャッキャと声をあげながら喜んでいた。
日和が亡くなってから、もうすぐ一年が経とうとしている。一歳の誕生日を迎えた朝陽は、以前よりも表情が豊かになった。
俺と朝陽の日常は、相変わらず慌ただしい。
朝起きて、朝陽を起こして、朝食を与え、保育園に向かう。俺は職場に行き、上司の顔色を伺いながら仕事をする。
先輩の迷惑そうな顔に気付かないふりをしながら定時退社して、保育園にお迎えに行き、夕飯を食べさせ、お風呂に入れて、寝かしつける。
その繰り返しだ。一日が終わることにはクタクタになっていた。
辛くないといったら嘘になる。時には全部放り出して、逃げたくなる時もある。
だけど俺は、まだ逃げていない。たまに実家の助けも借りながら、なんとか朝陽と生きている。そのことは誇りに思っている。
仕事はタウン誌のライターをやっている。長年小説を書いていたおかげか、どうやら俺には物事を分かりやすく文章で伝える力が備わっていたらしい。
正直、やりたかった仕事ではなかったけど、親子二人で生活していけるだけの給与は貰えているから、文句は言わないつもりだ。
交友関係も一年前と比べると少しだけ変化した。疎遠になっていた透矢に思い切って連絡をしてみた。透矢に会うのは、日和の葬式以来だった。
透矢には二、三発ぶん殴られることも覚悟していたが、あいつは昔と変わらない笑顔で俺に接してくれた。
日和を守れなかったことへの謝罪をすると、「誰もお前のせいだなんて思ってねえよ」と笑い飛ばしてくれた。
透矢は仕事終わりに頻繁にアパートへ訪れ、朝陽の相手をしてくれた。
朝陽はすっかり透矢に懐いている。二人がじゃれ合っている様子を見ると、微笑ましい気分になった。
小説は未だに書けなかった。何度もパソコンに向かって書こうとしたが、書きたい話がまるで浮かんでこなかった。
やっぱり俺は、日和がいないと書けないらしい。日和がいなければ、書きたいというエネルギーすら湧いてこなかった。
もし俺が物語を書くことを天命としていたのなら、こうはならなかっただろう。むしろ日和の死を糧にして、死にもの狂いで傑作を生み出していたと思う。
俺は天才なんかじゃない。日和のために小説を書いていた、ただの凡人だ。
才能のない自分に気付いたことで、俺は変われた。当面は小説のことは忘れて、朝陽を育てることに専念しようと思う。
だけど往生際の悪い俺は、すっぱりと夢を捨てられなかった。
本屋で日和が好きだった作家の新作を見かけた時、日和が興味を持ちそうな恋愛映画が公開された時、嫉妬にも似た感情が沸き上がった。
多分俺は、物語を生み出すことを諦めきれていないのだろう。そんな自分に呆れつつも、ほんの少しだけ誇らしくも思っている。
今はまだできないけれど、いつかまた小説を書いてみようと思う。今度は日和ではない、誰かのために。そこからもう一度始めたって、遅くはないだろう。
ふと時計を見ると、出社時間が迫っていた。
「朝陽、保育園に行くぞ」
俺は朝陽を抱きかかえて、軽自動車にのせる。チャイルドシートを締めてから、自分も運転席に乗り込んだ。
ハンドルを握って車を走らせると、分厚い雲の隙間から太陽が顔を出した。夏の風を感じたくて窓を開けると、どこからともなくアブラゼミの鳴き声が聞こえてきた。
夏はもうすぐそこまで来ている。
夏が来れば、否応なしに思い出すだろう。家族三人で過ごした十七歳の夏を。
了
◇◇◇
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君の未来に私はいらない 南 コウ @minami-kou
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