ピュアだなと思った。
作者の問いかけに対し「如何にもその通りだ」と思う方と同じくらい「何を言っているのか?」と思う方も出るだろう。そういう意見が書かれている。
「人は生まれながら善なのか、それとも悪なのか」に対して結論が出ないのと同じことだと思われる。
「文化人類学の思考法」(世界思想社)に以下のような一文がある。
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技術は、ただ便利な道具であるとか、身体機能を拡張させる人工物というだけではない。また、人は、技術を作ることが出来る優れた知性を本来的に備えているから人なのだというわけでもない。
技術を手にすることで「ヒト」から「人」になったのであり、人と技術は、何重にも折り重なった相互的因果の連鎖のなかでしかとらえることができない存在なのである。
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古代のヒトは石器を作ったことによって、自分よりも大きな動物を仕留めることが出来るようになった。これによって「狩猟」という選択が取れるようになり、集団での社会的な生活の実現へとつながっていった。
社会的な生活⇒石器を作った⇒狩猟を始めた なのではなく、
石器を作った⇒狩猟を始めた⇒社会的な生活 なのである。
人という生物は道具(技術)を使い、それを研鑽すると同時に、道具(技術)によって使われ、研鑽させられている存在でもあるのだ。
「カネ」や「武器」「スマホ」を始めとした道具(技術)は、人の社会様式を変えていった。その中で階層社会、権力、闘争、差別……現代社会の悪い点が発生したのは事実である。
だが、「命の重み」が大きくなり、見知らぬ人たちの境遇を想い、孤独に生きる私(一昔前なら間違いなく一族の恥扱いだろう)であっても生きるのに苦労しない環境や思想が出来たのは、
その「汚らわしい」人と道具(技術)の相互的因果による賜物であることもまた、事実なのである。
……
とはいえ、無垢な理想郷への願望自体は誰しもが少なからず持っていると思われる。
その問いかけを無下にすることも出来ない。
読んでみて確かめてほしい。