第7話 600回目~失恋を知る~

 私たちはあの日から一歩も前に進めなかった。

 何事もなかったかのように。

 今まで通りの関係に執着した。

 放課後はキスして、私は高校の受験勉強をして、千早は受験の必要もないのに一緒に勉強して。

 同じ学校に通えるこの時を一分一秒を噛みしめるように過ごした。


 時間を無駄に浪費した。


 私は無事に偏差値の高い進学校に合格した。

 千早との別離は確定だ。

 これで疎遠になる。

 合格の喜びを私たちは二人で分かち合った。

 一緒にファミレスでお祝いした。


 笑顔ではあった。


 そして卒業式を終えたあとも二人でいた。

 山に面した校舎裏の人気がない広場。

 三年前の入学式の日、私と千早が初めてキスをした場所だ。

 あの日から成長できただろうか。


 千早は成長した。

 心も身体も成長した。

 誰の目から見てもそれは一目瞭然だ。

 女性として高い背も後輩からの人望もある。


 では私はどうだろうか。

 背は低いままだが身体は成長した。

 友達もいる。後輩からもそれなりに慕われている。

 けれど心は止まったままだ。

 綺麗な透明のままで。

 無邪気な子供のままで。

 心の醜さから目を背けて。

 千早の変化も見ないふりをして。

 ずっと天真爛漫なズルい笑顔を浮かべ続けた。


 千早を散々傷つけ続けた私が報いを受けるのは当然だったのだろう。


「三年前は同じくらいの背だったのにね」

「千早ちゃん?」

「私はもう……摩耶の唇を奪えないから」


 六百回目のキスは唇に訪れなかった。

 優しく私の頭を抱き締めて。

 私のおでこに唇を押しつけて。


 それは長い長い親愛の口づけだった。

 千早の震えが。

 迷いが。

 葛藤が。

 力強さが。

 全てが私の抵抗と反論を否定した。

 私にはもう答えを出す機会さえ与えられなかった。

 そして私も卒業というタイムリミットを迎えても答えの準備をしていなかった。


 だから千早は正しくて。

 私は間違え続けた。


「卒業だね」

「……うん」


 泣かなかった。

 自分の殻に閉じこもることに慣れた私は泣けなかった。

 この三年で取り繕うことばかり上手くなった。

 千早も涙は見せなかった。

 でも顔には泣いた跡が残っていた。

 千早はどんな想いで私のおでこにキスをしていたのだろう。

 私は最後まで千早を傷つけて、いつも通りを装いながら帰路についた。


 ――バタンッ。


 ドアが閉まる。

 途端に足元が崩れる感覚に襲われた。


「ごめんなさい」


 自分の部屋。

 小学校の頃は互いの家をよく行き来した。

 でも中学校になってからは踏み入れなくなっていた。

 千早とは特別な関係になったから。

 余計に互いのプライベートに立ち入れなくなっていた。

 生々しくて。

 醜さを隠したくて。


「ごめん……なさい」


 千早の前では泣けなかったのに。

 瞳から涙が溢れていく。

 私はただ美しい関係でいたかった。

 女性同士の壁はある。

 けれどそれ以上に嫉妬や独占欲を穢らわしいと拒んでいた。


 恋に憧れた。

 大人になりたかった。

 恋を拒んだ。

 あんな大人になりたくなかった。


 裕福で幸せな家庭。

 仲のいい両親。

 しかし私には知らない異母姉弟がいるらしい。

 お母さんは気づかないことにしている。


 私はお母さんに似たのだろう。

 外面だけが良くて。

 綺麗で純粋を装って。

 汚い感情は気づかないふりをした。

 黒く染まりたくなかった。


「……ちはやちゃん」


 私が抱いた感情は依存だった。

 純粋な千早のようになりたかった。

 向けられる感情がこそばゆくて綺麗なだけの自分を装った。

 装い続けた。

 そして失った。


「大好きだよ。ずっと……ずっと大好きだったよ」


 私の告白は誰にも届かない。

 遅すぎる。

 中学校の卒業。

 子供の終わり。

 私は失恋を知った。

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