第4話 300回目~真っ白なキャンバスで~

 三百回目のキスは甘かった。

 千早が買ってきてくれたイチゴオレの味だ。

 女子バスケットの全国大会をかけた戦いも本格的な夏を前にして終わった。すでに代替わりが進んでいる。

 千早は女子バスケ部の部長に就任した。練習も一番最後まで残っている。

 迎えに来る時間も遅いのだが、開き直った私たちは下校時間ギリギリまで美術室に残ることが多かった。一年以上美術室にこもっているので先生方の信頼もある。

 もちろんあまりに遅いと怒られるけど。


「千早ちゃん。描きづらい」

「もう少しだけこうさせて」

「別にいいけど。やっぱり部長って大変?」

「大変だけど。私がこうしている理由は違うというか……って摩耶も部長だよね?」

「半年前から私が所属部員の中で最上級生で部長の弱小部だし。それに後輩はみんないい子だし。私たちみたいに遅くまで残ろうとする子はいないし」

「そうなの?」

「みんな千早ちゃんが来そうな時間になると帰り支度終えているから」

「……さすが摩耶姫ファンクラブ」

「なにか言った?」

「なんでもない」


 千早が後ろから私をぎゅっと抱きしめながら、私の頭の上に顎を乗せた。

 わずか一年半。

 一年半は同じくらいだったのに、今では収納されてしまう体格差。

 男子の並みの身長と身体能力。足の長いモデル体型。今年の一年生女子にモテている。もちろん同級生の同性にもモテているが。

 近藤さん曰く「お姫様に一途な姿が王子様のモテる秘訣」らしい。

 この場合のお姫様は私だ。

 他称箱入り姫様を守る近衛騎士の近藤さんからそんな説明を受けている。

 私もいつの間にか劇団女子バスケ部の一員だ。


 これで女子バスケ部の秩序が守られるのであれば問題ない。

 私も女子バスケ部の試合の応援に行くことがあるし、千早を慕う後輩とも顔見知りだ。

 本当は女子バスケ部のマネージャーになろうとしたこともある。けれど千早からあまり体育館に来ないように。

 そう厳命されているのでできなかった。


「部長業疲れじゃないなら、くっつき虫になっている理由はなに?」

「……摩耶は」

「うん?」

「摩耶はモテるよね?」

「千早ちゃんほど後輩から慕われてないと思うけど」


 一年生の女子がわざわざ先輩の教室を覗き込みに来るほどモテる人は他に知らない。

 近藤さんもモテるが先輩としても慕われている気がする。

 千早のような王子様扱いとは異なる。


「そうじゃなくて男子から」

「男子……そうなの?」

「そうなのって、ついこの前も告白されたって聞いたよ」

「こくはく?」


 そんなことは記憶にない。

 ないはずなのだが。

 千早の呆れ混じりの視線はなにかを確信している。


「……摩耶は本当に自覚ないんだ。何回もさりげなく告白されているけど、お姫様のスルースキルが高すぎてヤバイって近藤が苦笑いしてたよ」

「えっ? 本当に!?」

「……強引に言い寄る輩は近藤が護衛してくれているからいないけどね。明らかに好意を持たれているのに一切気付かず、撃沈させる摩耶姫の守りの堅さは騎士として誇らしいって」

「お……おう。男子からの好意とか全く気付かなかった」

「やっぱり摩耶は目立つよね。体育館やグラウンドにあまり顔を出さないように言っていたけど意味なかったかも」


 千早の腕の力が強くなり、頭に乗せていた顎が肩に置かれた。

 諸々人間関係に疎い私のことを心配してくれているのだろう。

 私の学校生活は千早と近藤さんに守られている。

 それでは悪いので勉強面ではお返ししているが。


「摩耶は誰かと付き合ったりするの?」

「今はそんな気ないかな。恋愛とかよくわからなくて」

「そっか。わかっていたけど残酷だね……摩耶は」


 誰に対して残酷なのだろう。

 千早の言葉が私の胸に突き刺さる。

 突き刺さったはずなのに私は気づかないことにした。

 今のこの関係が心地よくて。

 変えたくなくて。

 透明でいたくて。

 私はなにも気づかない。

 千早の変化にも気づけない。

 もう少しだけ子供でいたかった。

 今日もまた真っ白な絵の具でキャンバスを塗りつぶしていく。


 また淡くて透明な絵を描くために。

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