思い出の手紙

旗尾 鉄

第1話

 三日月が美しく光る、ある夜のことです。


 王妃様のお部屋の扉が、コンコンとノックされました。


 お休みなさろうとしていた王妃様は、白いガウンを羽織ります。


「どうぞ。おはいりなさい」


 王妃様は優しい声でおっしゃいました。ノックの仕方で、相手が誰なのか、おわかりになっているのです。


 入ってきたのは思った通り、王女様でした。薄緑色のガウン姿です。


「遅くにごめんなさい、お母様。少しご相談したいことがあって」


 王妃様と王女様は、とてもよく似ておいででした。長く美しい金髪に、青い瞳。目鼻立ちはこの国の誰よりも整い、肌は白磁のように白くつややかです。


「おかけなさいな。どうしたの?」


 王女様は椅子に腰かけると、ためらいがちに一通の白い封筒を取り出しました。


「学校で、ある男子生徒からこんな手紙をもらったの。読んでくれるだけでいいって言うから、つい受け取ったのだけれど、どうしたらいいかしら?」


「あらあらあら」


 王妃様は、とても楽しそうに微笑みました。

 王女様はもう十六歳です。ロマンスがあっても、少しもおかしくありません。

 でも、平民出身の王妃様と違って、生まれながらに王族の王女様は、こうしたことに疎いのでした。


「あなたがこの国の王女だと、知ってのことでしょう?」

「もちろん。これを手渡すときも緊張して、直立不動の姿勢で、カチンコチンだったわ」

「ふふふ。その男の子、なかなか勇気があるわねえ」


 王妃様は、顔も知らない少年の勇敢さがお気に召したようです。


「やっぱりこれ、お返しするべきかしら? まだ開封してないのだけれど」

「あら、なにが書いてあるか気にならない?」

「そりゃあそうだけど、でも私、将来はアルフレッド様と」


 アルフレッド様とは、公爵家のご子息で、王女の許嫁いいなずけなのです。

 とてもハンサムで優しくて、相思相愛のお二人でした。


 王妃様は、少女のようないたずらっぽい笑みを浮かべました。


「そんなことは気にしなくていいわよ。わたくしの秘密の宝物を見せてあげるわ」


 王妃様はつと立ち上がり、引き出しの奥から薄い文箱を取りだしました。

 鍵はついていませんが、仕掛け箱のようです。

 王妃様が数か所の仕掛けを動かすと、蓋が開きました。

 中から手紙を取りだすと、王女様に手渡します。


「読んでみて」

「お父様の筆跡じゃないわ。……虹の発生する原理は……太陽の光に……水蒸気が……」

「ふふふ」

「……なんですの、これ?」

「わたくしが学生の時にね、同級生からもらったラブレター」

「ええっ!?」


 王女様は驚いて、もう一度読み返しました。


「ラブレター? これが? 難しい科学のことしか書いてないのに?」


「虹が見える原理なんですって。わたくしがね、みんなでおしゃべりしているときに、虹を向こう側から見てみたいわ、って冗談半分で言ったことがあったのよ。そしたら彼、一生懸命に調べたみたい。それで、僕は君の願いを叶えたかったけど、調べれば調べるほど不可能だとわかった、残念だ。そう言ってこの手紙をくれたの」


「な、なんだか、ちょっとズレた人ね」


「ええ。学者志望の生真面目な人だったから、歯の浮くような愛の台詞は書けなかったのでしょうね。でもそんな人が、わたくしを想って精一杯に書いてくれた手紙なの。だからこれは、ラブレター。卒業してすぐにお父様と結婚したから、わたくしの人生の中で、たった一度だけもらったラブレターよ」


 王妃様は、昔を懐かしむような目をしていました。


「結婚しても、捨てなかったのね」

「ええ。大切な思い出だもの。捨てられなかったし、捨てようとも思わなかったわ」

「お母様、なんだか楽しそう」

「ふふふ。学生時代は、永遠には続かないわ。青春も、永遠ではない。限られた時間の中で、いい思い出をたくさん作るといいわよ」

「ありがとう、お母様。おやすみなさい」


 出ていこうとする王女様に、王妃様が声をかけます。


「お父様には、内緒よ。やきもちを焼かれると困るから」

「ええ、もちろん!」


 笑いながら目くばせする二人の様子を、窓から差し込む月の光が、柔らかく照らしていました。

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思い出の手紙 旗尾 鉄 @hatao_iron

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