承句
妖精というものは、所謂人間の言う神様のようなもんだ。それぞれの特性を持ち、司った役割に伴う加護を人々へと降り注ぐ。オレたちの知っている世界たちではそういうものだとされている。それを人間が自覚しているかしていないかは、まあそれぞれ違うのだが。
オレが司る役割は、旅の加護。旅人や、新しい未来を拓く者へこれからの安全や少しばかりの運を与える、ささやかなもの。他の妖精がたと比べてちゃちい代物だが、これでも世界や国によってはオレを象って作ったお守りやら宝石やらが売られている。それなりに一応人に好かれている妖精ではあるわけだ。
旅の加護を与える妖精として、それからオレがただ好きだという理由も兼ねて、様々な世界を跨ぐように色んな世界を見て回る。それがオレの永久にも近しい存在の価値と意味だ。これは妖精として成った頃から、棄てることのできないもの。オレがオレで在るために必要なことである。
そして、時々見て回ったそれらを抱えて、仲間たちの元に帰ったりもする。
ぶくぶくと気泡を上げながら、目的の扉に手をかける。オレの帰るべき仲間たちと場所のある世界。今度は顔ぶれがまた増えているんだろうか、なんて思いながら開け放った扉の向こうに飛び込むと、急激に浮遊する感覚に襲われた。世界を跨いだ時に起こる、いつもの現象。
「ぶはっ! はー……」
呼吸をしなくっても特段死にゃしないが、水から出るといつもこうしてしまうのは昔の感覚が抜けないからなのかもしれない。ざばざばと泉から這い出て、地面に足をつけるのも億劫でふわりと浮くことを選ぶ。旅人である時はきちんと歩くことを選ぶけれども、今は妖精として仲間たちに会うのだから別に良いだろう。そもそもこの世界は一番最初に隅々まで旅をしたしな。
鬱蒼に茂った森をゆるやかに飛ぶと、木々の合間から顔を覗かせるように背の高い大木が姿を現した。今は青々とした葉を揺らしているが、もういくつか日月が過ぎれば赤い葉を落とすし、年を跨いで少し経てば淡いピンクの花を咲かせる木だ。この世界ではその成り立ちから創造樹と呼ばれているが、その命名は言い得て妙だ。オレたちというものは、確かにここから始まったものだから。
「あれ、ロンド?」
「おーう、ユア。帰ったぜ」
「久々だね! おかえり、今回の旅はどうだった?」
「いつも通り最高だったに決まってんだろ~」
「ロンドったらいつもそうじゃん。……あ、お姉ちゃん。お姉ちゃん!」
「なあに、ユア……あら、あらあら? ロンド、帰ってたの!」
「ちょうど今な。相変わらず美人だなあ、桜の妖精サマはよ」
「うふふ、ロンドも変わらず褒めるのが上手だわ」
──桜の妖精と雪の妖精は、この世界で一番古い妖精だ。彼女ら曰く遥か昔は妖精の代替えがあったそうだが、今は二対の妖精となったお陰で二人から変わることなく今に至っているのだという。『一人で悠久を過ごすのはひどくつらいのだ』と、二人は零したことがあった。だから、この妖精郷で過ごす者は二対でないと駄目なのだと。稀なのはオレの方だ。個体としては、一応一人ではあるから。
さらりと長い白銀を肩から零しながら、雪の妖精であるカサネが手招きをした。おそらくば、オレがいない間にやってきた妖精たちを紹介してくれるんだろう。以前はユアとカサネを含めて十二人だったと記憶しているが、今は何人になっているのか。そろそろ顔と名前が覚えきれなくなったらどうすっかな、なんてことを考えながら、オレは手招かれるままに大樹の麓へと向かうことにした。
「はー……十八人か。増えたもんだな……」
「ロンドは数年に一度来るか来ないかってところだものね。仕方ないわ」
「ただでさえ幾百人、それ以上の人間と知り合い続けているなら、記憶も薄れてしまうものなんじゃないかな。僕ら、記憶力が良いとはいえ限度もあるしね」
「そうなんだよなー……ユアとかカサネとか、あとコナギリとかフミナみたいにオレがいる前からいる奴ならよく覚えてられるんだけどよお……」
長い長い新参者たちの紹介を受けた後、どっかりと大樹の枝の窪みに座り込んだオレに顔なじみのコナギリとフミナが笑みを零しつつも楽しそうに近寄ってきた。コナギリが黒い手袋越しに手渡してきた銀製のコップには、ここから一番近い街の住人が備えてくれたらしい牛乳を温めたホットミルクが入っている。鼻を近づけると柔らかいはちみつの香りがする辺り、きっとそれらも入っているのだろう。相変わらず、細かいことに気が利く男だ。オレの隣に座ったフミナの手の中にも同じものが収められていたのを見るに、オレが新参者たちと話している間に準備したものなのだと伺うことができた。
顔ぶれも増えて、以前よりますます賑やかになったこの場所。確かに帰る場所であることは間違いないはずなのに、少しばかりの寂寞から来る疎外感を口の中で噛み締める。それは誰かが悪いわけじゃなく、旅人として在るなら許容するしかないものだ。旅に出会いと別れはつきものだから、それはどこに行っても付き纏うものであり──。
「ロンド」
「ロンドさん」
「……おお、おお? なんだ、ええと……」
「おれはオト」
「ぼくはリコ」
「おっと、すまん。そうだったそうだった。それでどうしたんだ、リコ、オト」
うっかり長考に囚われかけていたオレの目の前に、ひどく姿の似た二人の妖精が寄ってきた。淡緑の髪をそろえた二人は、先程新参者として紹介された、『ふたつ』を司る妖精だという。お互いの目を取り換えたようなオッドアイを四つ向けられたオレは応えるように首を傾げてみせる。すると大人しそうななりをしていたリコの方が少しもじもじと恥ずかしそうに俯きはじめた。
「ん? 何だ?」
「……」
「……リコ、ロンドの話が聞きたいって」
「オレの話?」
「そう。色んな世界を旅してきたって言ってたから、その話」
「そういうことか」
言葉を途切れさせたリコの代わりか、隣にいたオトがオレを見つめてくる。その視線から鑑みるに、リコの代弁とは言うもののオト自身も興味がありそうな雰囲気を醸し出していた。小さな背から視線を上げれば、他の妖精たちもどこかそわそわしながらオレの方を見ている。どうやら、皆して外から帰った旅人の話を待ち望んでいるらしい。それに気づいたせいか、思わず自分の口角が緩く上がってしまうのを止められなかった。
「おう、勿論良いぜ。じゃあ今回は──祭りの話をしてやろう!」
「祭り?」
「そう、この街にある豊穣祭だけじゃない。他の世界には色んな祭りがあるんだよ。オレが見てきたそれら、ぜーんぶ話してやるよ」
握っていたコップを脇に置き、少し丸めていた背をしゃんと伸ばす。それだけで妖精たちが集まってきて、きらきらした双眸をオレへと向けてきた。見たことのない、知らない世界を知りたそうに、その先にある好奇心を隠し切れない輝きだ。
──『誰しもが、旅人になれるのだよ』。そう言った、古い古い記憶の影が瞼の裏に浮かぶ。二本の足を終ぞ外へと動かすことの出来なかった影だ。ここから飛び立てなくとも、皆がまだ見ぬものを知りたいのだと感じられる。それが嬉しいと思うのは、オレが旅の妖精だからだろうか。それとも、外の光に焦がれ続けているいきものだからなのか。
それがどうであれ、オレの今の役割は、ずっと変わらないだけれども。
「それじゃあ話そう。あれは昔、オレがとある国に行った時の話だ──」
コムロウイの花火 朝河侑介 @Kyosuke_Asagawa
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