第3話 勝負

 次の日から、さっそく特訓がはじまった。

 メンバーは、ギターボーカルの亜久里龍先輩の他に、ドラム担当の草摩そうま瑞生みずき先輩と、ベース担当の影原かげはら雄大ゆうだい先輩。全員二年生だ。

 楽器の練習の仕方はさすがにわたしにはわからないから、動画サイトで基礎練習の仕方を見ながら個々に進めてもらうとして。

 一番の問題は、亜久里先輩の音痴だ。

「先輩、ちゃんと音を聞いてください! 今、わたし『ド』の音弾いてますよ? 先輩が出してるのは『ミ』です」

「お、おう」

 練習をはじめて三日目の現在地がここ。これは一筋縄ではいかなそうだ。

 わたしは、亜久里先輩に気づかれないように、こっそりため息をついた。

 試しに草摩先輩と影原先輩にも歌ってみてもらったんだけど、どんぐりの背比べ? 五十歩百歩? まあ、そんな感じだった。

 草摩先輩は、ツンツン立った赤茶色の短い髪に、制服をゆるっと着崩していて、影原先輩は、目が見えないんじゃないかっていうくらい前髪を長く伸ばしていて、表情が全く見えず無口。

 そんな三人に共通してるのは、「イケメンだけど、なんか怖そう」ってこと。

 でもね、何日か練習を見てきたんだけど、わたしがなにを言っても誰もわたしに文句を言ってくることはなかったんだ。

 あれっ、意外と素直?

 悪魔なのに。

 なんだかヘンに身構えてしまっていた自分が、逆に恥ずかしくなってくるよ。

「じゃあ、もう一回いきますよ」

 ポーンとピアノの鍵盤を叩くと、亜久里先輩がその音に必死に合わせようと迷走する。

 この辺だっていうのはわかるみたいなんだけど、パンッと一発でなかなか合わない。

「もうひと息です。『ドーーーー』こうやってしっかり安定させてください」

「すげーな、おまえ」

「べ、別に、このくらい誰でもできますよ」

 心底感心したような顔で見つめてくる亜久里先輩に、ドキッとして顔をそらす。

 そんなキレイな顔に見つめられたら、心臓のドキドキが止まらなくなっちゃうよ。

 この人は悪魔、この人は悪魔……。

 ヘンな勘違いをしないように、心の中で何度も唱える。

 ……ちょっと待って。『ヘンな勘違い』ってなに?

 わたしにとっての亜久里先輩って、一体なに?

 先輩の夢を聞かされて、脅されて、わたしの歌に救われたって言われて、歌の練習を一緒にして。

 ……それで、わたしはそんな先輩のことを精一杯応援してる。

 ただそれだけの関係。だよ?


 こんな地道な練習を、その後も一週間ほど続けたあと、音階の練習をはじめた。

 最初の頃より随分正確に音がとれるようになってきたのがわかる。

 最初が最初だっただけに、成長著しいと言える。

「亜久里先輩、今の完璧でした」

「ふふん。だろ?」

 亜久里先輩がドヤ顔で鼻をこする。

「歌までは、まだまだ遠い道のりですけどね」

「ふんっ。そんなもん、ドーンとやってババーンとクリアしてやるぜ」

「いや、わけわかんなすぎだし、その擬音」

 草摩先輩がツッコむと、影原先輩がその向こうで全力でうなずいている。

「……で、葉月はいつまで笑ってんだよ」

 亜久里先輩のムッとした声が聞こえ、音楽室の隅っこでしゃがみ込んだままチラリと振り返る。

「だ、だって……」

 目の端ににじんだ涙を拭っていたら、

「遊んでるヒマねーんだよ。さっさと続きやるぞ」

 と言って、ぐいっと腕を取って引っぱりあげられた。

「ひゃっ!」

 あまりの勢いに、そのまま亜久里先輩の胸に飛び込んでしまい、思わず悲鳴が漏れる。

「わ、悪い……」

 ぱっとわたしから手を離して距離を取る亜久里先輩。

「いえ……えと、ほら……練習。再開しますよ」

 わたしがなんでもないふうを装ってピアノの前に座り直すと、「おう」と亜久里先輩が小さく答えた。

 本当は、おかしくなったんじゃないかっていうくらい、心臓がドクンドクンって大きく打ってる。

 鍵盤の上に乗せた指が、心臓の鼓動に合わせて震えてしまいそう。

「なんだか楽しそうだね」

 音楽室の入口の方で声がして、一斉に声の方を見ると、天宮先輩が扉に手をかけて立っていた。

「てめえ。なんの用だよ」

 一瞬にして、亜久里先輩の空気が研ぎ澄まされた刃物のように変化する。

「葉月さんの労をねぎらいにね。別に邪魔しにきたわけじゃないから、おかまいなく」

 亜久里先輩に睨まれても、まったく笑顔を崩さない天宮先輩。

 この人もなかなかクセの強い人だ。

 イケメンって、こんな人ばかりなの?

 わたしはもっと……なんていうか、普通の人がいい。

 一緒にいるだけで、ホッとできるような人。

 なんて考えてから、ああ、そうだった、とひとりで納得。

 そういえば、この人たちって普通の人間じゃなかったんだ。

 天使と悪魔。そりゃあ、普通なわけがない。

「魔界の王子に気に入られるとは、葉月さんもなかなか運のない子のようだねえ」

「魔界の……王子?」

「あれっ、ひょっとして聞いてなかった?」

 わたしが首をかしげると、天宮先輩がワザとらしく自分の口を押さえる。

 亜久里先輩の方をちらっと見ると、苦々しい顔で天宮先輩のことを睨みつけていた。

 王子って……ひょっとして、亜久里先輩のこと?

「草摩くんも影原くんも大変だねえ。まさか王子の頼みを断るなんてできないから、やりたくもないバンドなんかに付き合わされて」

「黙って聞いてりゃいい気になりやがって! オレらは別にっ……」

 イスをガタッといわせて威勢よく立ちあがった草摩先輩を、亜久里先輩が手で制止させると、草摩先輩は途中でぐっと言葉を飲みこんだ。

「君たちがこんなことの手助けをしていると知ったら、龍の父上はどう思うだろうねえ? 息子がまさか……ふふふっ。こんなことで不幸になるくらいなら、葉月さんだけでも今すぐ僕たちのところへおいで。君の歌声は、まるで天使のようだ。龍たちにはもったいないよ」

 お手本のためにたまに亜久里先輩に歌って聞かせることはあったけど、他の人にも聞かれていたなんて。

 恥ずかしさで真っ赤になるのを通り越して、血の気が引いて真っ青になる。

 ここで歌うことには随分慣れてきたとはいえ、他の人には絶対に聞かれたくなかったのに……。

 わたしの異変に気付いた様子の亜久里先輩が、慌てて天宮先輩に言い返す。

「か、勝手なことばっか言ってんじゃねえ! 葉月はおまえにだけは、ぜってー渡さねえからな」

「わかった、わかった。そんなに怒らないで。今日はケンカをしに来たわけじゃないんだ。ほら、この前言ったでしょ? うちの軽音部にバンドはふたついらないって。一ヶ月後の学園祭で、対バン勝負をすることが正式に決まったから、今日はその報告をと思ってね」

「は⁉ ちょっと待て。なに勝手に話進めてんだよ!」

「ふぅん。僕たちに負けるからやりたくないって? まあ、なら仕方ない……」

「んなこと、誰が言った。受けて立つに決まってんだろ!」

「亜久里先輩! 絶対ダメです! 今すぐ取り消してください!!」

「葉月。それはできない。……こいつとは、いずれやり合わなきゃいけない運命だったんだよ」

 でも……今のままじゃ負けちゃうよ?

 そしたら、もうバンドはできなくなって、天使になるっていう夢も果たせなくなっちゃうんだよ?

 亜久里先輩は、それで本当にいいの?

「要は負けなきゃいいんだよ。だろ?」

 亜久里先輩が、腰をかがめてわたしのうつむかせた顔を覗き込んでくる。

 そうだけど……。

「ということで、その勝負、受けるから」

「わかった。それじゃあ、当日を楽しみにしているよ」

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