第1話 天使と悪魔がいる学校
私立
わたしの住んでいる街からは随分遠く、同じ小学校からこの中学に進学した子は、わたし以外誰もいない。
それが、この中学をわたしが選んだ大きな理由。
「
当時まだ怖いもの知らずだったわたしは、小三の四月に転校してきたばかりの楓魔くんにこそっと耳打ちした。
『楓魔くんのヒミツ、わたしは知ってるから安心して』って言いたかっただけなのに。
そんなわたしのことを、楓魔くんは憎悪に満ちた目でギロリと睨みつけたんだ。
そして、次の日からわたしは、クラスでひとりぼっちになった。
みんながいないところで、わたしが楓魔くんのことをいじめてるって言いふらされて。
わたし、そんなことしてないよ!
いくらわたしがそう叫んでも、信じてくれる子なんか誰もいなかった。
それまで仲のよかったヒナちゃんも、マキちゃんも。みんな楓魔くんの言うことを信じちゃったんだ。
だって、相手は悪魔なんだもん。そんなの、敵う訳ないよ。
だから、それ以来わたしは、人間じゃない存在に気づいても、気づかないフリをするって決めたの。
悪魔だけじゃない。天使だっているし、妖精だっている。
その人の影を見れば、いくら上手に人間に化けていたとしても、わたしには正体がわかっちゃうんだ。
だけど、わたし以外は誰も、人間じゃない存在がこんなに身近にたくさんいるだなんて、気づいていないみたい。
どうせなら、わたしだってそんなもの見えない方がよかった。
そうしたら、みんなみたいに普通に楽しく暮らせるのに。
「はぁ~、やっぱり『特別推薦組』は最高すぎでしょ」
「見た目で選ばれてるってウワサ、きっと本当だよね」
今日の午後の部活動説明会のことをしゃべりながら下駄箱で靴をはきかえているこの子たちは、きっとわたしと同じ「一般受験組」なんだろうな。
この学校には、わたしみたいに普通に受験して入学した「一般受験組」と、特別に学園長の許可を得て入学してくる「特別推薦組」の子たちがいる。
特別推薦で入学した子たちはみんな、学園の裏手にある寮で暮らしているんだ。
エンジェルス寮とデビルス寮。
寮の名のとおり、エンジェルス寮には天使、デビルス寮には悪魔が暮らしているんだって気づいたのは、入学してからだった。
知ってたら、こんな学校絶対に受験しなかったのに!
でもそんなことに気づいた受験組の子は、わたし以外きっと誰もいないんだろうな。
「おい」
昇降口を出たところで、わたしの前に大きな影がぬっと現れた。
目の前に立つその人の顔を見あげ、ハッと息を呑む。
真っ黒な髪は少し長めのくせっ毛。前髪の間から見え隠れする眉はキリッとつり上がっていて、しゅっとした切れ長の目が印象的。わたしよりも頭ひとつ分背が高くて、細身ながらもがしっとした体つき。
名札のラインの色が青だから二年生だ。
名前は……
間違いない。さっき、ステージからわたしのことを睨んでたギターボーカルの人だ。
「おまえ、なんで途中で出てった?」
地を這うような低い声に、ビクッと体が震える。
「えっと……」
さすがに「演奏が気持ち悪くて逃げだしました」なんて、本人に言う勇気なんかあるわけない。しかも相手は悪魔なんだから。
「あっ。ねえ、あの人って、さっきのバンドの人じゃない?」
「わわっ、ほんとだ。きっとあの人も『特別推薦組』だよね。だって超イケメンだも~ん」
コソコソしゃべりながら、女の子たちがわたしの脇を通りすぎていく。
わたしもできることならそっち側に行きたかったよぉ。
思わず助けを求めるように手を伸ばしかけたわたしを、亜久里先輩がギロリと鋭い目で睨みつける。
「俺たちの演奏の、どこが気に入らなかったんだって聞いてんだよ。さっさと答えろ」
「あ~怖い。ほら、そんなに野蛮だから君たちはせっかくのお客さんに逃げられちゃうんだよ」
「んだと!」
クスクス笑いながら現れたもうひとつの大きな人影に向かってガンを飛ばす亜久里先輩。
茶色がかった髪は、亜久里先輩とよく似たくせっ毛。だけど亜久里先輩と大きく違うのは、その優しげな目元。さらに口元には柔らかいほほえみをたたえていて、見ているこっちまで思わずほほえんでしまいそう。
亜久里先輩と同じく二年生で、名前は
ああ、この人も見覚えがある。
亜久里先輩たちの前に演奏していた、メンバー全員が天使のバンドのボーカルの人だ。
亜久里先輩たちと違って、天宮先輩たちの演奏は、聞いているだけで心が洗われるような、そんな爽やかな演奏だった。
「天使の歌声」なんて言ったりするけど、まさにそのもの。
っていうか、そもそも本物の天使だし。
「天使の歌声」——その例えに、ズキッと胸が痛む。
わたしのもうひとつのトラウマ。
実はわたし、小一の頃に歌手デビューしたんだ。『瑠璃』って言う芸名で。
親が動画投稿サイトにアップしたわたしの歌がバズって、あれよあれよとデビューの話が決まったの。
当時はあちこちのテレビ局にも引っ張りだこで、それこそ「天使の歌声の少女現る!」なんていってもてはやされた。
だけどね。そんなブームは、一瞬で終わるものなんだよ。
爆売れした一曲目と違って、二曲目は全く売れず、あっさりわたしは芸能界を去ることになった。
そんなわたしのことを、「一曲売れたからって、調子に乗んなよ」って陰で笑う子もいた。
だから、わたしはもう人前で歌ったりしないって心に決めたんだ。
それまでは歌うことが大好きだったのに、あの出来事のせいで大キライになっちゃった。
そうそう。もちろん芸能界にも、人間じゃない人たちがたくさん紛れ込んでいるんだよ。
イケメン俳優のあの人とか、美少女アイドルのあの子とか。
もうトラブルに巻き込まれるのはゴメンだから、名前は言わないけど!
「正直な君の感想を聞かせてくれる? 僕たちの演奏と、
天宮先輩が、ほほえみを浮かべたままわたしの顔を覗き込んでくる。
顔は優しげなのに、すごくイジワルだ、天宮先輩。
わたしが亜久里先輩たちの演奏の途中で退出したのを知ってて、あえてこんなことを聞いてくるなんて。
わたしは、肩にかけたカバンの紐をぎゅっと握りしめた。
「お、音楽の好みは人それぞれだと思うので。わたしの意見だけ聞いても、参考にはならないと思います」
「たしかに。龍たちの演奏がいいというやつらがいるのも事実だからね。でも、この学園の軽音部にふたつもバンドはいらないと思うんだよ。お互いに出演時間を削りあうことになるんだからね」
「だったらおまえらが手を引けよ。俺らが先にはじめたんだからな」
「たしかにそうかもしれないけど、その考え方は少々荒すぎるんじゃない? いいものが残る。これが自然の摂理だ。ねえ、君はどう思う?」
また突然天宮先輩に話を振られ、オタオタするわたし。
「え、えっと……わわわたしは一般人なので、せ、先輩方で話しあって決めていただければよろしいかと」
わたしは引きつった笑みを浮かべると、ぺこっと頭をさげてその場を離れようとした。
「ねえ。気になってたんだけどさ、ひょっとして君って——視える人?」
「な、なにがですか?」
おもいっきり目が泳ぐ。
「聞いたことがあるんだ。人間の中には僕たちの真の姿を見破ることのできる者がいるって。そういう人間には魅了も効かないんだってさ。龍、自分らの演奏のヘタさを隠すために、さっき使ってたでしょ?」
天宮先輩がクスッと笑う。
「お、おまえに関係ねえだろ」
天宮先輩の指摘に、耳まで真っ赤になって目を泳がせる亜久里先輩。
亜久里先輩、そんなズルいことしてたんだ。
でも、これでやっとわかった。だからみんなは平気だったけど、わたしだけ……。
「ねえ、君には僕たちのことがどう見えているのかな?」
「そ、それは……」
天宮先輩が、じっとわたしの瞳の中を見つめてくる。
すべてを見透かされてしまいそうで、目をそらしたいのにそれを許してくれない。
過去のイヤな記憶が、ばーっと頭の中にリフレインする。
わたしはなにも見てないし、なにも知らない!
一歩あとずさりしながらなんとか視線をそらすと、天宮先輩の影が目に入った。
え……?
天使のはずの天宮先輩の影が、一瞬悪魔の形にゆらりと揺れる。だけど、まばたきをしてもう一度確認しようとしたときには、すでに影は元の形へと戻っていた。
今のはなんだったんだろう? ただの見間違い……?
と、とにかく、この人たちに深く関わっちゃダメだ。頭の中で、さっきから警告音が鳴り響いている。
わたしは唇をきゅっと噛みしめると、先輩たちを振り切って校門に向かって駆け出した。
「あーあ、逃げちゃった」
おもしろそうに言う天宮先輩の声が聞こえたような気がしたけど、わたしは一度も振り返らずに校門を出て、駅までの坂道を駆けおりた。
正直あの学校で三年間もやっていく自信なんか全然ない。
クラスメイトの四分の一は天使と悪魔。人間らしくしてはいるけど、みんなやっぱりどこか人間離れしている。
わたしが警戒しているのをなんとなく肌で感じるのか、人間じゃない子たちはあまりわたしに近づいてこない。
それはそれでありがたいんだけどね。
ヘンなトラブルにだけは巻き込まれたくないから。
それなのに、よりによってあんな目立つ二人に目をつけられちゃうなんて!
わたしの平穏な中学校生活を返してぇ~!
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