3★見えない会話の着地点

「ぬわッ! 閃光魔法? 誰だ魔法使ったの! マナ違反だろーが!」

 放たれたまばゆい閃光の光に、モンスターはたじろいだ。

「どこのどいつだ! 捕まえて喰ってや……わっ」 


 よろよろと後ずさりしたけれど、背後にある手すりに気づかずゴツンと右肩を打ちつけ。

 ギャウと悲鳴を上げて、その場に崩れ落ちてしまう。


「マナ違反はおまえだろ、この無免許野郎!」

 怒鳴ったのはなんと、ツバキくん。

 右手をピストルの形にして、敵の顔に向けている。


「外での変身魔法の使用は禁止! 『変身』スキルを持ってる人は、公共の場でそれを使ってはいけない。学校で習ったんだ。最近は免許を取ってない悪い大人が、運転士を名乗って勝手に運転してるって。ホントだ、びっくり」


「お、おいやめろ、やめ。が、学校に訴えるぞ! 制服のデザインで学校がわかるからな。その服は多分アカシア総合ア」

「うわ、さいてー。閃光ボム……」

「わ、わかった、わかったから降ろせ! その手を降ろせ!」


 ツバキくんの人差し指の先からは、静電気が発生してる。

 電気を帯びた光は集まって、小さな光の球を形作る。

 球は時間の経過と共に、ゆっくりゆっくり、膨らんでいって……。

 どういう仕組みなのかは全く理解できない。あれがなんなのかもぼくは知らない。

 

 だけど球は淡く光っていて、夏に光る蛍みたいで。

 ……すごくきれいだと思ったんだ。


「逃げよう! 今しかない! 早く!」

 ツバキくんは慌ててこっちに駆け寄る。


「え、あの、なにがどうなって」

「急いで! このままじゃおまえ、捕まるよ!」

 ぼくの右手に自分の指を絡めて、グイッと手元に引き寄せた。


 ちょ、ちょっと!

 急に引っ張らないでよ。こけちゃうから!


 手のひらから伝わる体温に困惑する暇もなく、彼はぼくの手を引いて電車を降りる。

 

 そのついでに運転士さん―モンスターにアッカンべをしたことを、ぼくは多分、一生忘れないだろう。

    

  

  ■□■

 


 ハア、ハア、ハア、ハア。

 も、もう限界……。

 顎から滴る汗を手の甲でぬぐい、地面にしゃがみこむ。


 ぼくたちがいるのは、駅から数メートルほど離れたとある歩道橋。三車線からなる道路の上に架かっていて、オレンジ色のペンキで全体を塗ってある。

 

 オレンジは元気を与える色。

 すみません。こっち二人、クタクタに疲れていてすみません。


「ねえ。なにも走んなくても……」

 

 息を切らしているのは自分だけじゃない。

 敵に攻撃をしかけ、ぼくを助けてくれたツバキくんもまた、目の前で肩を揺らしていた。


 逃げることに集中していた彼には、「歩く」という選択肢がなかったみたい。

 とにかく逃げよう、あの電車と距離をとろう。目的地は決めてない。走ればどこかに着くだろ。

 その結果がこれ。おたがい体力切れでバタンキュー一歩手前。


「ご、ごめん碧。めっちゃ飛ばした……」

 

 ツバキくんは猫背気味だった背筋を伸ばし、目を伏せる。

 セリフの最後のあたりは、ほぼ聞こえない。

 蚊の鳴くようなか細い声は、夕焼けの空を飛ぶカラスの鳴き声と車の音に、あっさりかき消された。

 

 本人もそのことがわかったのか、言葉を反芻はんすう

「めっちゃ、飛ばした!」

「大丈夫。おかげで助かったよ。ありがとうね」


 ツバキくんは多分知ってたんだ。運転手さんの違和感を。

 あえて気づかないふりをしていた。目をそらすのが一番安全だとわかってた。

 だから、ぼくが運転席に行きかけたとき、わざわざ忠告してくれたんだよね。危ないぞって。

 

 それなのに、怖いはずなのに、必死でぼくを守ってくれて。

 名前も知らない、話したこともない相手のために、一時間も走ってくれて。


「すっごく、嬉しかったよ」


 聞かなきゃいけないこと、話したいこと。

 そりゃあもちろん、いっぱいあるけれど……。

 まず先に、感謝はしっかり伝えないと。

 

 ツバキくんは照れくさそうにうつむきながら、「あの運転士のことなんだけどさ」と話題を切り出す。


「さっきもちょっと言ったけれど、あの人は無免許で電車を運転してたんだ。どの乗り物でも、運転するには資格がいるでしょ。あの運転手は、それを持ってなかった」

「どうして、そんなことがわかるの?」

 

 免許ってたしか、車の中に入れなきゃいけないんだよね。

 まちがったスピードで運転してしまったり、交通事故を起こしてしまったときに、警察の人が確認できるために。

 

 ふつうの乗客であるぼくらは、電車のどこに免許の紙をしまっているのかまでは推測できないし、そもそもしようとも思わない。

 なんで、ツバキくんは。


「え、おまえМCカードのこと、しらないの?」

 

 МCカード?

 それって運転士さんが見せてくれた、紫色のカードのこと? 

 ええと、マジック・チップ・なんちゃらって名前の。

 スキャナーにかざして使う……。


 ツバキくんは肩から提げているトートバックから、紺色の定期入れを取り出し、軽く振った。


「マジック・チップ・カードな。自分はこんな魔法を持っています、こういう系統のスキルを使いますっていう、学校が配ってる身分証だよ。公共機関―バスや電車とか―そういうものに乗るとき、切符代わりになるんだ」

 

 ま、魔法? 系統? スキル? 

 

「側にいる人の魔力の量に反応して色が変わるから、危ないやつにも気づきやすい。今回もそれで気づけた」

 

 うすうす感づいていたんだ。

 自分が、現実世界とは違う場所に迷い込んでしまったことをね。


 認めたくなかった。だって認めたら、現状を受け入れるしかないんだもん。

 見知らぬ場所にひとりぼっち。解決の目処も立っていなくて。帰れるのかすら曖昧で。


「あ、あのさ。変な質問なんだけど。ここってドラゴンとかいるの?」

「ふぁ?」

 ツバキくんは肩眉を上げて、素っ頓狂な声を出した。

 

 そりゃそうだ。ぼくたちは自己紹介もついさっき交わした間柄。「逃げよう!」がファーストコンタクトなのだ。

 くわえて、「ありがとう」からの「ドラゴンっているの?」。

 会話の着地点が斜め上すぎる。


「ドラゴンはいないよ。数百年前に、勇者が倒したきり。だから亡龍国ぼうりゅうこくって呼ばれてんじゃん。さっきからなんなのあんた。カードのことも街のことも全然理解してないじゃん」


 う。さすがに説明なしは難しいかな。



 ぼくはツバキくんに、これまでのいきさつをかいつまんで伝えた。

 電車に乗って学校に通っていること。入鹿小学校の五年生だということ。下校のため、電車に乗っていたら、なぜか「宵濱駅」に電車が停まってしまったこと。カードを持っていなくて、死にかけたこと。これからのことを考えて、途方に暮れていること。


「え? マジの異世界人なの? やばくね?」と尋ねられ、ぼくはホッペを膨らせる。

 失礼な。マジだから困ってるんじゃん。


「なんだよ、その言い方。ぼくは本気で悩んでるんだよ! そんな、どうでもいいことみたいに片づけないでよ!」


 ぼくは頭三つ分高い彼を、下からキッとにらみつけた。

 不安、悲しみ、苛立ち。三つの感情は合体して大きくなり、頭の中を駆け回ってく。

 両目から涙があふれる。熱い水滴は、歩道の地面にポタリとこぼれ落ち、しみをつくった。

 

「ひどいよツバキくん。ひどい。だって、そうだもん。いつの間にかそうなってたもん。帰れない。マジで帰れない。ひとりぼっちになっちゃう……!」

 

 ツバキくんは突然泣き出したぼくに驚いて、ピタッと動きを止める。

 何を喋ろうかと口を開いたり閉じたりしていたけど、それも数分で。

 

「……ごめん」

 今度ははっきりとした声。それは空気を伝ってぼくの耳にスウッと入りこむ。


「あのさ。実は俺も、ひとりぼっちなんだ。コミュニケーション下手で、友だちできなくて。クラスメートにも先輩にもからかわれてて。それで、こんなことを聞くのは大変申し訳ないんだけど、こっちも色々ヤバくて……。あの、嫌じゃなければっ。というかぜひお願いしたいんだ」


 一息に喋ったあと、ツバキくんはぼくの両肩に手を置く。

 きれいな顔が近づいてきて、ぼくは焦る。ち、近い。近い近い近い近い!

 夕焼けに反射して、澄んだ瞳がキラキラ輝いて。


「い、一生のお願い! 碧、俺と一緒にダンジョン行ってくれない?」

 

   

  

 


 ……は?


     


 

  

   

  

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