出来合いの溺愛

津川肇

出来合いの溺愛

「また来てたな、あのサブカル女」

 向かいに座る隼斗が、生ビールをぐいと飲み干して言った。

「今日も絶滅危惧種みたいな格好だったな」

 その隣の優希もそれに同調し、乾いた笑いを浮かべた。

「相手にしたらだるいタイプだよ、あれは」

 隼斗がそう言って、「な?」とこちらに視線を向ける。俺はそれに気付かないふりをして「生でいいか?」と空いたグラスを指差した。

「ああ、頼んどいて。俺ちょっとしょんべん」

 隼斗が席を立つと、隣の席の女子大生らしきグループが少しざわついた。女たちの会話の内容は想像がつく。ねえ、あの人かっこいい。バンドマンかな。きっとボーカルだよ、華があるもん。そんなところだろう。実際、隼斗はボーカル兼ギターだし、その顔は整っている。抜けた青山の代わりにボーカルになったのも、単純に女にウケるからだ。

 

 隼斗の生ビールと俺のレモンサワーを注文すると、「にしてもさあ」と優希が切り出した。そのあと始まるのはいつも決まって隼斗への文句だ。

「俺ら、もう潮時だよな」

 予想外の言葉に、俺は枝豆が喉に詰まりかけた。

「は?」

「いや、高校から続けてきたけどさ、もう二十五だろ? 周りはもう子供産んでまともに働いてさ」

 三人とも心のどこかで思っていたが、決して口にはしてこなかったことだ。重ための前髪に隠れて、優希の表情はよく見えない。

「思えばさ、青山が辞めたときから、俺ら終わってたんだよ。隼斗の歌なんて正直聴けたもんじゃねえよ。馬鹿な女が何人か、顔目当てで来てるだけだろ」

 優希はロックグラスの氷を指で弄りながら話し続ける。仲間の悪口をねちねちと言うところも、長い前髪も、弱気なところも、女っぽい奴だ。青山が抜けた時にめそめそ泣いていたのも優希だが、当の本人は自分の名前は女っぽくて嫌だという。

「そんな大事な話、隼斗がいない時にすんなよ」

「あいつがいないからすんだよ。隼斗は器用だしどこでもやってけるだろ。俺たちはどうだ。履歴書に書くこともないまま、一生バイトで食い扶持繋ぐはめになんぞ。こんな生活、いつまでも続けられっかよ」

 隼斗が戻ってくるのが見えて、優希は「真剣に考えろよ、お前も」と最後に声をひそめた。確かに、人懐っこい隼斗はバンドを辞めたらコネで就職でもするだろう。今は遊んでばかりだが、いい相手を見つけて結婚するかもしれない。優希は俺を同類のように扱ったが、優希だって高校から付き合っている彼女と助け合えば何とかやっていけるだろう。だが、俺はどうだ。自分の未来だけは、いくら想像しても暗闇があるだけだった。

 

 鬱屈とした気持ちを蹴散らそうと飲みすぎたせいか、家に着く頃には酷い吐き気に襲われていた。部屋にはまだ明かりがついていた。

「しゅうちゃん、顔真っ白じゃん!」

 玄関を開けると、朱里がふらつく俺を慌てて支えた。

「飲みすぎだよ」

 朱里は化粧も落とさず俺を待っていたらしかった。肩上で切り揃えられた黒髪に、眉上で同じように切り揃えられた前髪。頬と唇は毒々しいピンクに塗られている。大きめのパーカーからは、棒のような脚とごちゃごちゃとネイルをした指先が覗いている。

「わり、トイレ」

 俺は吐き気を抑えられず、その細い腕を振り払いトイレへ駆け込んだ。

「大丈夫?」

 朱里が背中をさすりながら声を掛けてくれるが、俺は便器から顔を上げることができなかった。あのサブカル女に今俺が介抱されていると知ったら、隼斗と優希は笑うだろう。ましてや、俺が自分で家も借りられず、この女の家に転がり込んでいると知ったら。

 

 吐き気が落ち着いてソファに横になると、朱里はテーブルに水を置いて、そそくさと出て行った。

「何か買ってくるから、お水ちゃんと飲んでてね」

 世話好きな女だ。告白の返事を曖昧にしたままの俺に、あれやこれやと尽くすのは、どういう心境なんだ。ペットがそっけなくても構わず溺愛する飼い主のようなものだろうか。


「しゅうちゃん、起きてる?」

 朱里の声に、落ちかけていた意識が戻った。

「ほら、胃薬買ってきたから。あとは栄養ドリンクと、ゼリーと……」

 朱里がコンビニの袋から取り出した品を目の前に並べていく。

「これはお野菜いっぱい入ってる雑炊、出来合いだけどね。なんかお腹に入れた方がいいし、あっためる?」

 甘ったるい声を出しながら朱里が首を傾げる。胃もたれしそうな一方的な愛に、吐き気がする。それなのに、俺はこの間に合わせの恋人のような関係に甘えている。それはぬるま湯に浸かっているようでもあり、冷たい水底に溺れていくようでもある。

「ありがとう、でもあとでいい」

 急いで帰って来たからか乱れたその髪を撫でると、朱里は体をくねらせた。俺は、テカテカのピンクの唇に口づけをする。朱里は胃酸の臭いも気にしない様子でそれに応えた。

『こんな生活、いつまでも続けられっかよ』

 優希の言葉が頭をよぎった。俺の生活は、虚構の上に成り立っている。愛も、夢も。叶うことのない夢を追っていることに、好みではないが愛してくれる女がいることに、俺は縋り続けている。この間延びした生活を終わらせる勇気は、今の俺にはない。思考を放棄するように、俺は華奢な体を強く抱きしめた。

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出来合いの溺愛 津川肇 @suskhs

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