「敵地…」

低迷アクション

第1話

 食糧と水の入った荷が残存兵士全員の肩で賄えるとわかった時点で、現地徴用された南洋人達の運命は決まった。


部隊で最高位の階級を持ち、実質的な指揮官である“佐竹(さたけ)中尉”は、彼等に菊門入りの煙草を配り、火をつけてやる。


下士官、まとめ役の“増本(ますもと)”軍曹がこちらを見て、突き出した腹をゆすったのを合図に(食糧不足に関わらず、1人だけ樽のように太った増本は食糧を隠しているとの噂が隊内で常にあった)


“久杉(くすぎ)二等兵”以下6名の兵士達は彼等からそっと距離を置く。


「装弾実包よし、射撃開始」


規則的な軍曹の号令一下、機関銃手の“山沢(やまさわ)上等兵”が96式軽機関銃の引き金を絞り、7・62ミリの機銃弾を発射した。


連続する銃声が森に響き渡り、現地人達の悲鳴を掻き消す。そして、音が止んだ後は十数名が折り重なった、物言わぬ屍となる。


「銃声が米帝を呼ぶと不味い。総員、速やかに撤収」


佐竹の言葉に、全員が骨ばった顔と異様にギラつく目で頷きあい、足を動かしていく。


終戦直後、大東亜圏の陸軍兵のほとんどが各地の島に取り残され、生き残りをかけた行軍は凄惨を極めた。


物資運搬の目的で、人夫として雇われた現地人達を始末する事は、どこの部隊でも行われる行為…彼等を生かせば、敵に自分達の居場所を知らせる可能性がある。これは、疑心暗鬼ではなく、事実と言う現実だ。


久杉とて、何度も見てきたし、経験もしてきた。ただ一つ、気になるのは…


少しぬかるんだ土を踏みしめ、死体の山に近づく。村から彼等を連れ出す時、老婆が、恐らく孫か、息子である1人に何かを渡していた。


死体となり、南洋特有の陽気で、早くも虫たかりと死臭を放ち始める死体の1つがお目当ての人物だとわかり、衣服を探る。


「オイッ、久杉。ボサッとするな!行くぞ」


増本の声に、遺体から手をどけ、久杉は移動を始める。その手には、草で固めた丸い塊が握られていた…



 「聞け!ここは敵地のど真ん中…玉砕しようにも、陛下からもらった自命を、何もせずに、捨てる事は出来ん。加えて本隊からの連絡、手段もない事を踏まえ、我々が出来る事はただ一つ。海岸に潜伏し、味方の救援もしくは、増援をもってして、敵に対し、突撃を敢行する事。よいか?」


切羽詰まったと言った感じの佐竹の声に、9名全員が頷く。誰もが考えてはいたが、本音は“玉砕”を拒否し、本土への帰還…


だから、どうみても言い訳じみた指揮官の提案に、全員の意思が縋りついたと言う形だ。


部下達の頷きに、少しホッとした顔の中尉が、懐から地図を広げる。


「ここが現在地、港まで通じる本道のすぐ側だ。整備されたアスファルトの整地…そこの草むらを抜けた先に広がる道だが、遮蔽物も何もない、敵から丸見えの状態…


空、陸、両方から撃ってくれといわんばかり…そうはならないようにしたい」


全員の目が地図を食入るように見つめる中、佐竹の骨ばった指が海まで伸びた道の両脇にある2つの細い線を示す。


「左側は沼地も多い湿地帯、我々側だな。向こうは薮の密集地、どちらも行軍には向かないが、敵に見つかる確率は一気に下がるだろう。我々は2隊に分かれ、この道を進む」


話し合いの結果、佐竹、増本、山沢、久杉の4名が湿地帯…残りの5名が薮の方を行く事が決まる。


更に2隊は敵軍から奪った無線機を携行し、密に連絡を取る事で、目的地を目指す事となった。


短距離での通信は可能だが、本土との連絡が取れない、この無線機を海岸沿いに持っていく事により、何か変化があるかもしれないと言うのが、中尉の狙いでもあった。


「移動は夜に限ると言いたいが、全員の食糧も体力も僅か…現地民を避けた、この辺りは村も、補給できるような食い物もない…よって、我々は、現刻正午を持って、移動を開始する」


全員が装備の点検を再確認した後、行軍を始める。


久杉も足下まで浸かる泥を拭い、ゆっくりとだが、歩を進めていく。定時連絡に異様な内容が入り始めたのは、行程の半分もいかない所でだった。


「こちら、熊野(薮を進んだ方の指揮官)後方より、接近するような音あり、姿は見えません。あっ?足柄、吉造!くそっ、撃て!撃て!」


「待てっ!熊野、敵か?」


焦る佐竹の言葉に、全員が反対側を仰ぐ。道の横幅は100メートル、隠れて進む友軍の姿が見える事はないが…


続く数発の銃声が、只ならぬ事態を伝えてくる。


「熊野、熊野!どうした?返事をせい!」


「……敵は、わかりません。足柄の話では、地面が、草や薮が襲ってきたと…そして、足柄も、吉造も死にました。我々は残り3名…そちらに合流する許可願います」


「イカン、熊野!敵に発見される」


「しかし、相手はすぐ側です。我々の…今も…クソッ!撃て!…助けて…助けて下さい、中尉!」


無線を切った佐竹に、6つの目が集中する。


「……熊野は混乱している。敵の正体がわからない以上、こちらは救援に行くが事できん。このまま進むぞ!」


全員が理解していた。敵が米英軍でも、地面から生えてきた正体不明の何かでも、とりあえず、相手は向こうに狙いを定めている。


その味方を殺している時間だけ、自分達は生き残る事が出来るのだ。仲間達の足が嫌でも早まったのは言うまでもない。


時折、反対側から響く銃声は、味方がまだ生きて、抵抗を続けている証拠…自分達の生存をより高める、保証の音…


疲労と恐怖で混乱する頭は、ただひたすらに生を求めて、道とは言えない悪路を進む。だが、このまま行けば助かる…と言うのは、あまりにも甘い考えであった。


「ちゅ、中尉!あれをっ!!」


増本の声に、全員が、広い道の方を見る。兵隊服を真っ赤に染めた熊野が、鬼のような顔で、2隊を分けた道を横断し、こちらに歩いてきていた。


「熊野、生きていたのか?…」


「ヒドイ傷だ。すぐに手当を」


「‥…‥…山沢、射撃用意!」


「中尉っ!?」


驚くほど、冷たい声の佐竹が、山沢の96式軽機に視線を動かす。


「敵に、我々の位置を知られる訳にはイカン。射撃用意!」


全員が固まる中、背後を気にするように顔を動かした熊野が喚声を上げる。


「そうか。アイツはここに来れないんだ。地面はコンクリ、湧き出る事も這い出す事もできねぇ。ざまぁみろ!ざまぁ…」


吠える彼を遮るように卵の割れた音と飛行機の爆音…


が響いた直後に、熊野の体は飛び去った敵戦闘機の機銃弾により、アスファルトの染みへと姿を変えた…



 熊野達が全滅した後の、沼道の変化は矢継ぎ早だった。まず、足元が生物のように、のたくり、久杉達の行軍を嫌が応にも、止めさせる。


「泥が吸い付いてくる」


山沢の悲鳴に、彼を見れば、蛭のようにのたうつ泥達が、吸い込まれるように、ゲートルと軍用ズボンを土色に変え、しばらく蠢動した後、


前触れなく、山沢の下半身を爆ぜさせる。


「イ?イイイイッーイイイイイイッ」


歯ぎしりと苦悶の顔を泥に沈める山沢の最後を見届ける事なく、久杉達は走り出す。


「地面が…道が山沢を食った。喰いやがった。喰ったぁあああ」


これだけ叫べば、敵に見つかりそうな程の絶叫を上げる増本が、手にした小銃を辺り構わず、撃ちまくる。


久杉も負けないくらいの声で吠え返す。


「軍曹(錯乱している様子を改めて見て)…駄目か…ちゅ、中尉!あれはいったい何ですか?」


「わからん。とにかく走れ!走るんだ。久杉…!?」


Ⅿ1910自動拳銃を足元に撃ち込みながら、走る佐竹の顔が露骨に歪む。それに気付いた久杉が行動する前に、銃声と左足に激痛を感じ、生臭い泥へ顔面を埋めてしまう。


どうにか起こした顔で懇願するように、白煙上げる拳銃を、こちらに向けたままの中尉に声をかける。


「ちゅ、中尉…?」


「スマン」


短く敬礼を返した佐竹が立ち去った後の地面に、顔面を割られた増本の遺体が転がり込む。


痛む足の周りに蠢く土、いや、久杉の体全体が海面のように波打ち、そこから何かが這いあがってくる感覚を全身で体感する。


震える手でポケットから探り出した草の塊は黒く変色している。恐らくこれを持たせた老婆の呪術のようなモノが道を変容させる結果となった。そう、考えるしかない。ならば、足元全てが敵地…逃れる術などない。


いや…


死んだ熊野は何と言っていた?


「コンクリだから出れない…奴等が現れるのは、自然のモノだけ…なら!」


血走った久杉の視線は、横に突き出る増本の腹を捉えた…



 上記に記載したのが、1945年7月〇〇諸島下における米軍の交戦記録の一端である。


戦争当時、制圧下の軍用道路に突然、日本兵が飛び出したとの、偵察機からの報告を受け、部隊が駆け付けた所、大声で救援を叫ぶ日本兵1名(久杉二等兵)の身柄を確保し、彼の証言を記録した。


尚、救出時、久杉二等兵は、味方兵士、増本軍曹の遺体の上に全身を預け、救援を要請しており、彼を死体から引き離した後、軍曹の遺体収容の際、背身…つまり、泥に接していた部分がそっくり亡くなっていた事から、久杉に尋問を行った次第である。


増本と久杉二等兵、それ以外の死体は、道路で射殺された熊野以外は見つからず、久杉を撃ち、逃走した佐竹中尉の行方も査として知れない…


最後に久杉二等兵だが、軍の病院を退所した後、通常の捕虜収容所に戻された。当時の収容所は野外に葉っぱや竹、丸太等で組まれた簡易的な作りであり、熱帯の気候に適したモノであった。


捕虜達の寝床は土に筵を敷いただけで、久杉はこれに強い拒否を示すも、聞き入れてもらえず、半ば強制的に入所させられたとの事である。


それから数時間後に捕虜達の間で悲鳴が起こり、駆け付けた憲兵は、久杉の寝ていた場所に巨大な血だまりが広がっていた事を確認し、近くにいた捕虜から、悲鳴を上げた彼が突然叫んだ後、全身が破裂したとの報告を受ける。


血痕は鑑定の結果、本人の血液型と一致し、米軍上層部では、久杉の証言に信憑性を持たせるモノとしつつも、本件に関しての調査と記録を終了した。


唯一、生存の有無が不明な佐竹中尉に関しては、他の兵士達の最後から察する事しか出来ないが、彼が本土の土を無事に踏む事ができたかは、正直言って怪しい…(終)

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「敵地…」 低迷アクション @0516001a

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