第六話 二十一グラム
先日、捕まえた四人から幻覚系麻薬GODの反応が出た。特に鎧を纏うカイトからは異常な数値が出ており、精神科へ緊急搬送されることになった。フェニクスは四人の内の一人、マシューになりすましたマーベルの取り調べに立ち会うために、現実に来ている。
「相変わらず。不味い空気だな」
人類連合が
フェニクスは電子タバコを内ポケットから取り出し吸い込むと、灰色の煙を吐き、狼煙のように立ち昇り消えていく。もう環境にも体にも悪い影響を与えるタバコは存在しない。依存性もない。ただ暇つぶしに吸っているようなものだ。
すると一台の護送車が駐車場に入る。窓は一切無く、完全防弾の装甲は黒く、赤いラインが引かれ、白文字でPOLICEと書かれている。新たに発見された鉱物アダマンタイトを使用して作られており、先の戦争で猛威を振るった核ミサイルですらびくともしない。
「やっと来たか」
と言って建物に入ると、拘束された三人が取調室に入れられる。フェニクスの目当てはマシューになりすましたマーベルだ。彼女が話す内容を訊きたい。茶色いロングの髪は手入れがされて艶がいい。前髪は眉の位置で揃えられ、定期的に現実に来ていることが分かる。
フェニクスは仮想で見たマーベルの姿から、攻撃型ではなく偵察型だと分かる。警察が来るのをいち早く察知して運び屋を逃がす。それがマーベルの仕事だろう。知りたいのは誰の指示かということだ。
「男の顔が現れて毎晩言うのよ。『お父さんよ、お母さんよ』ってさ。すると知らない所から通信が入り、前金を振り込んだから手伝えって言うのよ。ただ運び屋を護衛すればいいだけの簡単な仕事って言うからさ……」
前金は二百万だそうだ。成功報酬に二百万と言われて引き受けた。もともとは
フェニクスが欲しいのは現れた男の顔の映像だ。フェイスマンと名付けておこう。そして、録音された音声から何か探れないかと考えている。残りの二人も同様に男の顔を見ており同じ言葉を訊いている。きっと病院送りのカイトも同じだろう。
全員が脳にメモリチップを搭載しているため、フェイスマンの顔が判明した。三十代男性で黒髪茶眼、特徴的なのは左目の下のホクロだろう。
フェニクスは四課で窓から外を眺めていた。その左手にはコーヒーが入れられたコップを持ち、口に近づけると鼻で香りを楽しみ、喉で味わいを楽しんだ。
すると窓ガラスに当たる雫が垂れると、他の雫と重なり大きくなって、その分だけ早く落ちてしまう――群れれば犠牲が増えるだけ。
そう思いながら窓ガラスに右手を当てると冷たくなっている。
部下を育てるのは上司の役目だが、幻覚を使う相手と戦う四課にとっては、役立たずはいらない。犯人を取り逃がしてしまえば、また犠牲者が増えるだけだからだ。
「今日は出たくないな」
そう呟いた。その視線は遥か彼方を見て、もう一度コップに口をつける。メタバースの世界に雨は必要なのだろうかと考えて、そこまでリアルにこだわったのは何故だろう。製作者の考えることは分からない。
「フェニクス警部補。アビス巡査であります」
振り返るとアビスが敬礼している。そして黒いチップを受け取ると、手の平に置いて人差し指で触れる。すると中から精神科医の診断書と薬物反応の結果が書かれた電子カルテが現れた。
エアーディスプレイに映し出される電子カルテをタップすると、早速診断結果を見る。精神に異常なし、睡眠障害もなし、薬物反応もなしと健康そのものだった。ここまで証明されたのなら望む通りに任務に復帰させるしかない。
「アビス、今日から任務に出てもらう。いつでも出動できるようにしておけ」
「はい、分かりました」
瞳は輝き、生気のある声、希望に満ち溢れる顔は恐れすらも避けて通りそうだ。新人はどうしてこんなにもやる気に満ちているのかね。と、愚痴を零しそうになり、コーヒーを飲んで口を塞いだ。
「あれ、アビス。もう体調はいいの?」
とマシューがやってきてアビスに声をかける。眼鏡をかけ、灰色のトレンチコートにショートブーツを履いている。マシューは定期的に衣装を変えるが、フェニクスは面倒臭いのでいつも黒いスーツを着ている。
「一日がかりで診断してもらいました。正常って結果です」
マクベスによって廃人にされそうになったのに、数日で復活するのは妙だ。大抵の奴が眠れなくなり、
それぐらいマクベスの幻覚は恐ろしいものなのだが、アビスを見ていると、顔色も良く仕事にも前向きで診断結果も良い。
「フェニクス警部補。現実に来てください。来客者です」
直ぐにダイブアウトすると、四課の第一会議室に呼ばれた。十数名が入れるだけの小型の会議室で、パイプ椅子に会議テーブルとホワイトボードがある。フェニクスはドアノブを握り、扉を開けると二人の男性が椅子に座っていた。
中に入るとストライプの入ったスーツを着た男性が一人。天然パーマの髪に、伸ばし放題の黒い髭、四十代後半の見た目。一体何者だろうな?
そして対面する形で席に座ると、隣に座る紺色のスーツの男と目が合った。黒髪茶眼で整った歯が白く輝いている。白くし過ぎだろうと思いながら、話し出す彼の言葉に耳を傾ける。
「私は護衛をしているカトウです。彼はマハート。彼が持つ記憶を観てください」
と言われ、黒い八角形の機械の上に人差し指を乗せる。これはメモリスキャンと呼ばれる機械で、脳内のメモリチップを読み取る機械だ。するとデータが一時保存され記憶が再生される。
それは手術台で右を下に寝かされている女性と男性の裸体だった。そしてマスクをした男性がメスで切り裂いていく。左胸から喉へ切っていき、耳の下から首の後ろに回り脳まで切る。頭の皮をはぎ、頭蓋骨を電ノコで切り裂いていくと、脳と心臓を取り出していく。
これは学生でも学ぶ内容だし、どこも不思議なところはないとフェニクスは思った。それより富裕層に見えるマハートが、こんな研究に携わっていることが不思議で仕方がなかった。
「これは事件か? 通常の脳と心臓の摘出手術だと思うのだが。
「もしもです。これを他人の肉体に入れたらどうなると思いますか?」
カトウの質問にフェニクスは無意識に唾を飲み込んだ。脳と心臓の二つが必要なのは、心臓が第二の脳と呼ばれているからだ。昔は脳だけの摘出で記憶が不完全なままの状態だったが、今は心臓も摘出することで完全な
それを違う肉体に移植する意味が分からない。肉体から解放され、メタバースの中で生活していた方が、遥かに過ごしやすいからだ。
「拒絶反応という危険をおかしてまで、肉体を入れ替える必要があるのか?」
「これは実験です。新しい肉体を手に入れた人物は誰になると思いますか?」
昔、心臓移植を行った患者に、心臓の持ち主の記憶や性格が現れるという報告がある。今の医学では当たり前のこととして学ぶことだが、心臓が第二の脳と知らなかった時代では不思議な現象だっただろう。
「脳と心臓の持ち主になる……だろ?」
「はい、その通りです。心が入れ替わったかのように、二人は自分自身の肉体を見て驚いていました」
「これで魂と記憶は移せました。DNAはどうなると思いますか? 血液型は? 性染色体は?」
考えさせられる内容に興味が湧いてきた。こんなあべこべの状態で安定するとは思えない。しかし全身の痛みは薬物の投与で回避できるとするのなら、二人はどうなるのか知りたくなった。
「脳と心臓が男のものなら生体電波は男のものとなる……だろ? そうでなければ
「その通りです。そして私たちは驚きました。女性の肉体が男性化し始めたのです。どこまで男性化するかは不明ですが、性染色体は魂が持っていると確認できました」
「ちょっと待て、DNAが書き替えられたということか?」
「流石ですね。その通りです。即ちDNAは魂が持っていると証明できたのです。そしてDNAが変われば人の肉体は急激に変異し始める」
魂とは何か? 未だに不明な領域だが、居場所は脳付近にあると言われている。脳の一部ではと推測されているが、それは憶測に過ぎない。
「二十一グラムの魂はどこにあるのだろうな?」
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