第三話 自惚れ

 一人の大男が部屋の後ろに立って生命証明機器ライフモジュールで身分を確認している。と、言うことは警察関係者だろう。


 黒髪でショートモヒにラウンド髭。茶眼に二メートル級の大男で、胸板と腕の太さから筋肉質だと分かる。


「君が新たなメンバーかな? 俺はフェニクスだ。よろしく」


「アビスです。よろしくお願いします」


「早速だがマクベスに会いにいく。危険だから注意しろよ」


「あのマクベスですか? はい、分かりました」


 アビスは訓練所でマクベスの脅威を教わっている。だがエリートのアビスにマクベスが勝つことなどできない。対抗意識を燃やす必要すらない。


 フェニクス警部補がゲートコネクションを開くとアビスは接続をする。視界が暗転すると眼前には噴火している山、溶岩は煙を出し、川には沢山の遺体が流れている。それを喰らう餓鬼どもは、こちらに気がつき近づいてくる。


 咄嗟に幻覚を解いて、どうですか? と自信満々にフェニクス警部補を見る。すると満足した顔でアビスを見ると歩き出した。


 アビスたちは段々とマクベスの檻へと近づいていく。歓迎されていないようだなと思いながら、檻に近づくとマクベスが見える。


「僕はアビスだ。君がマクベスだね。初めまして……、ずっと君に会える日を待ち望んでいたよ」


「ア……ビ……ス……」


 アビスはマクベスを見て、たいしたことがないと拍子抜けした。恐ろしいとされる幻覚も直ぐに解けたし、こちらの幻覚にかかり抜け出せないようだ。マクベスは今、黒いローブを纏った骸骨顔の死神に囲まれて、口を縫われ、瞼を縫われ、首に鎌が当てられている。


 アビスは勝ったと思った。訓練所でも教官すら抜け出せない幻覚を作り出し、誰もアビスに勝てる者など存在しなかった。目の前のマクベスですら例外ではない。


「これから協力的に情報を開示して欲しい。今は僕の幻覚の中だろうけれど、話しはできるようにしてあげるよ。なっ、マ……ク……ベ……ス」


「今すぐ幻覚を解け! 何故、そんなことをする。命令には従えアビス」


 次の瞬間、椅子に座り拘束されているのはアビスだった。鎌の刃が首筋をかすめ、血がゆっくりと滴り落ちる。口を縫われ、瞼を縫われ、一ミリも動けなくなっていた。


 マクベスの幻覚にはまったことを理解したアビスは、幻覚を解くために舌を噛んだ――次の瞬間フェニクスの横で屈み込み、額から大量の汗を流す。


「大丈夫かアビス?」


 と駆け寄るフェニクス警部補の腕を掴み、立ち上がると血に染まった唾を吐き、下を向いて演算を繰り返す。


「793238462643 383279502884 179169399375 105820974944」


 アビスはマクベスがどうやって幻覚を解いたのか分からないでいた。肉体は完全に拘束し、口と耳だけが解放された状態だったにも関わらず、一瞬で解いてみせて、仕返しとばかりに同じ幻覚にはめてきた。


 そして一歩遅ければ殺されるところだった。演算を止めて両足で立つと下を向いたまま対話に持っていく。


「話しをしようじゃないか、マクベス」


「クックックックック」


 マクベスは薄ら笑みを浮かべているが、アビスは視線を合わせずフェニクス警部補と会話をする。それはここで何をするのかといった、ごく当たり前の質問だった。それを訊いて笑い出すフェニクス警部補。


「マクベスを前にしても尚、冷静でいられる度胸は流石だよ。合格だ」


 と言ってフェニクス警部補はゲートコネクションを開き、後に続いて接続すると、そこは警視庁の四課のようだ。重苦しい気配もなく、殺気も威圧も感じない安全な場所。力が抜けたアビスはソファーに崩れるように座り込むと、コーヒーがテーブルに置かれ左手でカップを掴んだ。


 アビスはマクベスとの対話を思い出していた――あのままやっていたら勝てただろうか?

 負けていたかもしれないと思うアビスは、コーヒーを持つ手が震え出し、零す前に両手でテーブルに置いた。思い出す度に恐怖心に襲われる。汗が止まらない。足まで震え出し、寒気がし始める。


「生半可に幻覚が上手いと、恐怖を感じるだろう? どうやったのか? これからどうされるのか? 生きられるのか? それとも死ぬのか? 全てマクベスの意のままだ。頭の中を覗かれる感覚を体験すると、数カ月は眠れなくなるぞ」


 とフェニクス警部補はアビスを見て言い、コーヒーに口をつけ飲んでいる。

 するとフェニクス警部補の隣に座ってきた男性はマシューと名乗り、コーヒーをテーブルに置き、アビスを見て静かな口調で話し出す。


「大抵の人間が、それで辞めていく。数カ月眠れなくなっても、毎晩もがき苦しんでも、立ち上がり任務を熟す奴も見てきた。君はどっちだろうね」


 アビスは遠目のまま考えていた。今は人の目があるからいい。だけど一人になった時、冷静でいられるか分からない。言われた通りもがき苦しむのかもしれない。


「沢山辞めていった。沢山死んでいった。もちろん強制ではない。でも、それに耐えられるくらいでないと、この四課は務まらない。それだけのことだ」


 そう言うとフェニクス警部補は立ち上がり部長の所へ行く。アビスは考えていた。果たして務まるのだろうかと……。訓練所では成績トップで卒業したからエリート組と呼ばれていた。そんなアビスが辞めるかで悩んでいるとは誰も思わないだろう。


 コーヒーを静かに見つめ、テーブルの中央にある砂糖とミルクを入れると、黒の領域を汚染していく白い液体が、混ざり合って茶色に染まっていく。


「えっ、誰かに見られている!?」


「クックックックック」


 マクベスの声が四課に響き渡ると同時に、暗転した世界はマクベスが収容されているあの地下通路だった。一瞬で鳥肌が立ち屈み込むと、フェニクス警部補が肩に手を当てて「大丈夫か?」と訊いてくる。


 アビスは左腕の生命証明機器ライフモジュールを見ると、ロケーションは仮想となっていた。今までずっと幻覚の中だったことに、脳の中を覗かれるだけではなく、記憶さえも覗かれていたことに、勝負なんて思い上がっていた自身を悔やんでいた。


「今度は耳かきを使った脳のえぐり方でも教えてあげようか?」


「地下通路に入ってから、ずっとマクベスの幻覚の中にいる。一度も抜け出せなかったな、アビス」


「幻覚はこうやって使うんだよ。ア……ビ……ス。自信過剰な奴は嫌いでね」


 アビスは屈み込んだまま、大量の汗を流し震えている。命令無視による挑発行為は減点、そして幻覚戦において完全にアビスの完敗だ。だがエリートなだけあって生存しているのが奇跡的だ。


「ず……、ずっと幻覚の中ですか?」


「そうだ。マクベスの幻覚の中だった」


「廃人の出来上がりだ。これから長い夜が始まる。泣け、叫べ、我が名にひれ伏すがいい」


 アビスは口が震えて話せない。足が震えて立ち上がれない。これがマクベスなのかと今更後悔してももう遅い。


「アビスは俺の顔をいつまで覚えていてくれるかな?」


「一旦、帰るぞ、アビス」


 とフェニクス警部補は言ってゲートコネクションを開いた。急ぐように接続すると、そこは四課のオフィスのようだ。先程とは違ってソファーにテーブル。カウンターまで備え付けてある。アビスは咄嗟に左腕を見ると、ロケーションが仮想になっていることに、力尽きて座り込み安堵のため息を漏らす。


「どうした? 顔が青いぞ」


 とフェニクス警部補がアビスを見て肩に手を当てる。すると我慢していたものが弾け飛び、ハンカチを出された意味が分からなくて、フェニクス警部補を見ると歪んで見えなくなって、泣いていることを始めて知った。


 先輩たちとの会話が、どこまで正しいのか分からない。だけど数カ月は眠れなくなるぞと言われた言葉は真実のようだ。しかも記憶までも覗かれたのだから、毎晩、恐怖にうなされ長い夜を過ごすことになりそうだ。


「とりあえずソファーに座れ、ここは安全だから心配するな」


 何度も左腕を見てロケーションを確認してしまう。仮想の文字だけが今のアビスを支えている細い命綱だった。ソファーに座りコーヒーが出されたので、同じシチュエーションに立ち上がり、足の震えが止まらない。


「相当やられたようだね……、彼は」


 とマシューと名乗る男性を見て驚いた。

 アビスは男性を指差し、口が震え上下の歯が何度も当たるのが止まらなかった。


「な……、なんでここに……」


 幻覚の中に現れた男性が目の前にいる。


「クーダ、アビスを強制ダイブアウトだ。急げ!」


「彼、駄目かもね……」

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