第二話 賭け

 火葬炉の中で衣類が燃え、肉体が露わになると、枝のように関節から折れる腕や脚。蝋人形のように皮膚は溶け始め、眼球は蒸発して消えていく。


「クーダ。アヤネを強制ダイブアウトしてくれ」


 フェニクスはゲートコネクションを開き、安全な場所にアヤネを移動すると、肉体が透けて見えなくなった。


 強制ダイブアウトで助けられたアヤネは、意識を取り戻すと、水道の水を飲み、頭から水をかぶり、床が酷く濡れている。そして左腕の生命証明機器ライフモジュールを見て、ロケーションが現実となっていることに、ほっとしたのかその場に屈み込んだ。


『強い精神ダメージは、時に肉体にダメージを与える』


 誰もが訓練所で教わった言葉だ。そこに火が無いのに精神攻撃を受け、実際に火傷する事例が紹介されている。


 アヤネも思い出したのだろう。立ち上がり鏡を見て、焼け跡がないか確認している。フェニクスは鏡越しにアヤネを見ると、続けるべきかで悩み出す。


 マクベスが手を抜いているのは分かる。何故一度目で殺さないのかは、アヤネに恐怖心を植え付けて精神的に屈服させるためだ。脳を支配し現実に影響するだけの傷を作り出す。


 覚醒催眠を得意とするマクベスは、そうやって何人もの精神奴隷を作り出した。マクベスに会わせた後で、辞めていった卒業生はマクベス崇拝者の証として額に太陽のマークを描き、地下仮想空間アングラへ潜っていった。


「アヤネ、どうする? 辞めてもいいんだぞ」


「はい、大丈夫です。行けます」


 幻覚は訓練所で練習を積み重ねている。特に幻覚の解き方は時間を使って学ばされたはずだ。四課に来るということは良い成績だったはず。だが逆にそれが仇となる場合がある。


 四課に来る大抵の卒業生はエリート意識が高い。そのため隙ができ強い相手には簡単に足元をすくわれる。経験を積み欠点を補うことも大切だが、初任務で殺されていたら意味がない。



 さて、幻覚はプログラムの一種だ。ハッキングして環境を制御しているクラスにオーバーライドして、火や海水のプログラムを組み込み創り出す。そして、メタバースにダイブインしている状態は感受性が豊かになるため、表面意識と潜在意識とに影響を与える。


 実際に中脳辺縁系や中脳皮質系の経路で、ドーパミンが過剰に放出されている報告があり、薬物と変わらない幻覚を味わっていることになる。よって、これらの現象を幻覚と呼ぶようになった。


「アヤネ、幻覚であることを忘れるな。大丈夫だよな?」


「はい、大丈夫です。ありがとうございます」


 そして、潜深仮想機器ダイブ・ギアに入ると目の前が暗転し、四課の机を見ていた。しばらくしてアヤネが来るとゲートコネクションを開き、緑色の文字の羅列が浮かび上がる。接続すると先程の地下通路に出て、水溜まりを踏み前へ進む。


 するとマクベスがため息を漏らす。「遅いよ、君たち」とでも言われているかのようだ。これも覚醒催眠の手法だろう。


「なぁ、アヤネ。お姉さんなんだろっ! 何がしたいのか話してくれよ。お前の脳をプリンのようにかき混ぜて、ぐしゃぐしゃにしてやろうか?」


「マクベス、あなたは何を求めているの? わたしでよければ力になるわ」


「質問を質問で返すな。馬鹿かっ! 俺はお前のグチャグチャにした脳みそが喰いたい。力になるのだろう? なら頭の皮を剥ぎ、頭蓋骨を削り、その脳みそをぶちまけてくれよ」


 アヤネは下を向き、焦っているのが分かる。マクベスとの会話が全く成立していないどころか、ペースに引き込まれて沈黙してしまった。


 しばらくしても沈黙が続き挙動がおかしいことに気が付くと、アヤネは下を向いたまま口だけ動かしている。フェニクスはアヤネの視線の先を見た。そこには水溜まりに映る白髪紅眼のマクベスが映っていた。


「アヤネ。それを見るな!」


 するとアヤネは気が付いたのか、はっと上を向き、口を動かした瞬間だった――突然、青空が広がり風で髪がなびき、下を見ると高層ビルの屋上だった。アヤネは端に立ち両足を揃え、前のめりに飛び込むと、眼を閉じて「お母さん」と呟いていた。


 咄嗟にアヤネを受け止めると、ゲートコネクションを開いて接続する時だった。「賭けは俺の勝ちだ」そう言ったかのように聞こえたが、そのままゲートコネクションに接続し、クーダに連絡を入れる。


「クーダ。アヤネを強制ダイブアウトだ」


 準備していたこともあり、直ぐに透けて消えるアヤネ。それを追うようにダイブアウトするフェニクス。アヤネは直ぐに救護室に運ばれ、処置を施されているが意識がないようだ。ロケーションは現実 となっており、バイタルも正常。


「驕り高ぶる者は、自身に溺れよ。

 高慢なるものは、身を焦がせ。

 欲深きものは、空を飛べ。

 天に捧げる祈りと共に、悔い改めるならこうべを垂れよ」


 水中で溺れ、火で焼かれ、最後は飛び降りが結末だった。こうべを垂れよとは下を向いていろということであり、謙虚であれということだ。だがアヤネは顔を上げ、その会話はマクベスを見下していた。


 マクベスの言う賭けとはこのことだったんだ。見事に三回とも失敗している。そして、アヤネは意識が戻らない。これが覚醒催眠の可能性かは否定できない。


 マクベスは圧縮電磁波暴走事件レシオ・バーストを起こした犯人で、当時八歳だった。

 訓練所を卒業した者なら誰でも知っていることであり、エリートであることが対抗意識を燃やさせてしまう。


 マクベスは口と眼だけが動かせる状態で拘束されている。そんな状態のマクベスにすら勝てないようでは、四課は務まらない。最低でもマクベスの幻覚を回避できる奴が欲しい。


 フェニクスはガラス越しに横たわるアヤネを見ていると、警察医はかぶりを振りアヤネは集中治療室へ移される。


「アーデル」と言うフェニクスの声に、アーデル警察医は立ち止まりアヤネを見て呟いた。


「しばらく集中治療室で様子を見ます。それで帰ってこないなら電脳パーツ化に切り替えます。彼女もそれを望んでいましたからね」


 この世界の基盤を作るコンピューターは、脳細胞ブレイン伝達型電子計算機・コンピューティングと呼ばれ、人間の脳を演算に使用している。アヤネの場合は脳の破損がないため、電脳パーツ化が可能ということだ。


「二十一グラムの魂が迷子……か……」


 最悪な一日だった。配属されて一日目で意識不明となった。

 フェニクスは目を閉じて聖書の一節を呟く。


「目を開けた時、最愛の者の顔があればいい。

 目を開けた時、一切れのパンがあればいい。

 多くを望まない我らに一筋の希望を指し示して欲しい。


 すると神は仰った。『もう希望はそこにある』と。

 アドナイ旧約聖書:第二章五節」


 フェニクスは教会で生活していた頃を思い出す。ソファーに座り不味いコーヒーを飲みながら、テーブルに足を上げ天井を見ていた。すると視線に入る男が一人。


「やぁ、フェニクス。新人はどこかな?」


 とフェニクスを覗き込むのは、四課のマシューだった。

身長百六十五センチと小柄な男性で、明るい茶色の髪は染めているのだろう。そして髪型がマッシュなためマシューと呼ばれている。


「集中治療室だ。戻らなかった」


「えっ! もう?」


「マクベスにやられた」


 碧い眼が見開き、口を開けたままのマシューは唾を飲み込んだ。そしてソファーに座りコーヒーを口に含む。フェニクスの次の言葉を待つように、前屈みになりカップに両手で触れていた。


「今日はもう一人、新人が来るはずだよね?」


「ん! そうだっけか?」


 とマシューの言葉に、はっとして立ち上がり左腕を確認する。

 午後五時三十分――急いでラボへ行き、メタバースにダイブインするフェニクス。



 急いで会場へ行くと、卒業式は始まっていた。壁紙すらなく剥き出しのコンクリート、羅列するパイプ椅子。正面には会議テーブルが置かれ、相変わらずお粗末だなと感じる。


 窓から見えるのは壮大な森だった。色鮮やかな鳥が飛び立ち、陽の光によって黒い点となり空を羽ばたいていく。そんな森の中に一際大きなビルがそびえ立つ。


「男の名はアビス。身長百七十センチ。赤色の長髪で紅眼を持つ……か。成績は常にトップのエリート組」


 高そうなスーツを着こなし、光沢のある靴を履いている。敗北を知らないとでも言いたげな鼻高々な顔は、流石エリート組だといえる。


「合格、おめでとうございます。今後の活躍を期待していますよ」


「ありがとうございます。ご期待に添えるよう頑張ります」


 アビスは下を向きながら、笑っているかのようにフェニクスには見えた。

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