電脳組対四課―Hacking Soul Shadow―

刹那美吹

The First Season

第一章 クローンは同じ夢を見るのか?

第一話 洗礼

 二〇五五年、メタバースが世の中に普及した時代。VRゴーグルは骨董品と化し、体内に埋め込まれたナノマシンコネクションによって、第十世代移動通信システムによるダイブインを可能とした世界。


 大半の人間は食事以外をメタバースの中で過ごす。だが、それにより新たなビジネスが生まれた。


 生涯型接続サービス『ユニバース』だ。栄養は血液から補給されることで二十四時間、メタバースの中で暮らすことができる。


 しかし、快適な生活を送ることができる反面、重大な病気に気がつかずに治療が遅れ、寿命が縮んでしまうデメリットがある。今や六十歳時代と言われ人類連合は重い腰を動かし、対策を講じようとしている。


 だが残念なことに、全世界に広がっている無数のメタバースは、一つのフレームワークによって作られた世界だった。それを解析し根幹の部分から作り直すことができる人間はもうこの世には存在しない。


 対策を講じようにも、メタバースを改変することはできない。

 唯一残された道は、自立型脳支援ブレイン・スタンディングと呼ばれ、脳だけの存在となりメタバースの世界で暮らすことだ――肉体から解放された脳は、果たして何年生きられるのだろうか?


 その答えはまだ出ない――



「おめでとう。認定試験合格です。よくぞ試練を乗り越えましたね」


「ありがとうございます。これから即戦力となれるよう精進したいと思います」


 白い床にテーブルが置かれ、パイプ椅子が羅列されている部屋。左手の窓ガラスから見えるのは、廃墟と化したコンクリートジャングル。終末世界を題材に作られたセクタのようだ。


「氏名はアヤネ、年齢は十八歳、身長百六十五センチで、黒髪茶眼で特徴はなし。優秀な成績で訓練所を卒業……か」


 アヤネは部屋の後ろに立つ大男に気がついたのか、近づいてくる。手を差し伸べ見上げたまま話し始めた。


「私はアヤネ巡査です。警察の方ですか?」


「俺はフェニクス。あんたを迎えに来た。とりあえず外で話そうか」


 そして扉を開けて外に出ると、眼前には広大な荒野が広がっていた。アヤネは振り返りそこにあったはずの部屋が無いことに驚いている。これは誰が合格者か分からせないための対応であり、メタバースにはこのような未開発ゾーンが多数ある。


 人々はここを黒板ブラックボードと呼ぶ。それは来訪者が少ないために、ログが残される時間が長いからだ。よって犯罪者が訪れることのない場所だと言われている。


 もしも、人が多い場所に移動していたら、そのログを覗く者たちが待ち伏せしている。クラッカーと呼ばれる犯罪者たちだ。彼らはコンピューターに精通しているため、このメタバース内では神や悪魔と呼ばれる存在である。


 コンピューターに疎い政治家や警察では、手に負えない案件が後を絶たない。裁判すらできなくなってしまった世の中は無法地帯と化した。民間電脳犯罪抑止壁ジャスティス・ウォールによって、クラッカーの攻撃を抑制してはいるがなくなりはしない。


 そんなクラッカーの横暴を阻止するために長期的に教育を受けて、彼らに対抗する組織が作られた。それが電脳組織犯罪対策四課。略して電脳組対四課でんのうそたいよんか。さらに略して四課と呼ぶ。


 早速、フェニクスはゲートコネクションを開く。すると空間に緑色の文字の羅列が現れ、手で触れて接続し目的地を指定する。文字が手から侵入し、肉体の全てを侵食することで違う場所へ瞬間移動ができるものだ。


 一度開いたゲートコネクションの有効期限は五分。手動で消さない限りあり続ける。他の者が接続することで同じ場所へ瞬間移動ができる。


 そしてゲートコネクションを抜けると、地下通路に出る。やけに薄暗い空間。水が滴り落ちる音。回り続ける駆動音。点滅する蛍光灯。これらは全て作り上げられた世界。檻の向こうで椅子に座り、金属でできた拘束具を身に纏う者が見ている。


「奴がマクベスだ。幻覚には気を付けろ。危ないと思ったら助けてと言え」


「こいつが刑期三百年の犯罪者なの?」


 あれでは一ミリも肉体を動かせないだろう。十年前、圧縮電磁波暴走事件レシオ・バーストを起こした犯人だ。当時は複数犯と思われていたが、彼――マクベスは単独犯だった。それが証明された頃には、一万人以上の脳が焼き切られていた。


「驕り高ぶる者は、自身に溺れよ。

 高慢なるものは、身を焦がせ。

 欲深きものは、空を飛べ。

 天に捧げる祈りと共に、悔い改めるならこうべを垂れよ」


 低くてがさがさした声。雨路に流れる黒い雨が終末世界を思わせる。壁に書かれた落書きが、電球が揺れるごとに見え隠れする。


「私はアヤネ、あなたがマクベスね。お話しましょうか?」


 急に足元が抜け水の中に落ちた。フェニクスは水中で微動だにしないが、アヤネは大量の海水を飲みながらも必死に水面を目指して泳いでいる。水面から顔が出る瞬間――足を掴まれて深い海の底へと引きずり込まれていく。


 フェニクスは、呼吸困難で倒れそうになるアヤネを抱きかかえると、アヤネは両手を天高く上げて、生きることをまだ諦めていない悲壮な姿でもがいている。フェニクスはゲートコネクションに接続して、その場から撤退した。


「クーダ、アヤネを強制ダイブアウトだ。急げ!」


 現実世界に戻ったフェニクスは潜深仮想機器ダイブ・ギアから立ち上がり、医師たちによって処置されているアヤネの元へ行く。一定のリズムで鳴る電子音。一分間が経過した後に左腕に付けている生命証明機器ライフモジュールから、音声が発せられる。


《呼吸を確認しました。脈拍は正常値、血圧、体温共に正常値です》


 ほっとため息が漏れるフェニクス。四課に配属になり、挨拶もなしに死を遂げるなど笑い話にもならない。この生命証明機器ライフモジュールは生きていることを証明する物だ。


「わ……私は、海の中で……あれがマクベスの幻覚ですか?」


「そうだ。プログラムで作られた幻覚だということを忘れるな。特にマクベスの創り出す幻覚は危険だ。解かないと死を遂げることになるぞ」


 処置室から起き上がるアヤネは、左腕の生命証明機器ライフモジュールを見て、ほっとため息をついた。そして後から震えが全身を襲う。


 アヤネは出されたコーヒーに口をつけると、渋い顔をしている。ここのコーヒーは苦くて香りもなく、ハッキリ言って不味い。メタバース内でこんなに不味いコーヒーを作る意味がない。よってここは現実の世界なのだという実感が湧いたのか、じわりと頬を伝う。


「目が覚めるだろ。そのコーヒー」


 と言ってフェニクスが手に持つコーヒーに口をつけると、二メートルの身長から見下ろす形で話し出す。


「早速の洗礼を受けたようだな。あれでは合格とは言えない。部長に挨拶してから、また行くか?」


「はい、何度でも行きます」


 そして、部屋の奥に座っている部長の所へ行くと、敬礼をするアヤネ。部長はオールバック姿から五十代前半に見えるが、実年齢は知らない。


「本日付けで四課に配属になりました、アヤネ巡査であります」


「私はハザードだ。早速、洗礼を受けたそうだね。ここはまだ人が足りない。くれぐれも注意してくれよ」


「はい、分かりました」


「行くぞ、アヤネ」


 フェニクスは潜深仮想機器ダイブ・ギアに入ると、左腕が管に繋がれ液体が注入される。これは水分や栄養分で、最低限の健康を維持するものだ。そして床に置かれた透明な円柱の蓋が閉じる――瞬く間に広がる世界。


 メタバース内のオフィスに来たアヤネは辺りを見渡している。ここはソファーにテーブル、カウンターまで備え付けてある。


 リアルにお金を使うならメタバース内でお金を使った方がいい。劣化しない、壊れない、全てのアイテムに価値がある。いつでも暗号資産に変換できるメタバースの方がお得だと言うことだ。


 早速、ゲートコネクションに繋ぐと先程の地下通路に来た。アヤネの後ろには拘束されているマクベスが座っている。フェニクスは何も言わずに見ていると、アヤネは振り返り会話を試みる。


「私はアヤネっていうの。マクベス、お姉さんとお話ししましょう?」


 その言葉が終った時、目の前に白髪紅眼の男性が立っていた。人差し指でアヤネを指差し、笑った歯は真っ黒だった。そして、眼からぽたぽたと血が垂れている。


 アヤネは振り返り視線を外したが、胸を押さえ、屈み込み、すかさず左腕を見てロケーションを確認している。


「ここは幻覚。ここは幻覚。ここは幻覚」


「罪人よ、死を受け入れよ」


 次の瞬間、台車に寝かされており火葬炉の中に入れられる。動かない肉体。手を合せる親族。涙も燃える空間の中で、アヤネは「母さん」と叫んでいた。

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