第3話 招かれ人

「うーん」


 まぶたの裏がまぶしい。


 そのまぶしさに耐えかねて、私は手の甲を目にかざしながら目を開けた。


 瞳に映るのは、一面の緑と、その木々から差し込む明るい日差し。


 ──あれ、私自分の部屋にいたんじゃなかったっけ?


 頭には問題がないようで、頭に気を失う前の記憶が戻ってくる。


 ──じゃあどうして私は森の中にいるの?


 私は草むらに寝ているようで、「よいしょっと」と上半身を起こす。そして当たりを見回す。


 見渡す限り、木、木、木。


 木がたくさんだから三つ重ねて森になると言ったのは誰だったろう。


 そんなことはどうでもいいが、私はなぜか明るい森の中にいた。


「えっ、えっ……なんで!? 私自分の部屋にいたよね?」


 私は自分の身なりを確認する。すると、部屋で着ていたセーターとスカート、ニットのタイツを着ている。屋外だというのに、靴は履いていない。


 まあもちろん、記憶の上では自分の部屋にいたはずなのだから、それもそうか、と思い直す。


「ええっと……。ここ、どこ……」


 私は混乱しながら辺りを見回す。すると、近くの草むらからガサッと葉擦れの音がした。


 ──えっやだ! オオカミとかそういうのじゃないよね!


 自然に防御反応が働いて、手近な所にあった木の枝を握りしめる。そして、キッと音のした辺りをにらみつけた。


「ちょっと待った待った! ボクはなにもしないよ!」


 そう言って現れたのは、ウサギ。白いウサギだ。


 だが、洋服を着ているし、なにより喋る。そして二本足で立っている。


 そして必死になにもしないと言わんばかりに、両手を左右に振る。


 ──なんだ、これ。


 私は目を点にする。


「えっと、ここ、どこ……」


 私は、頼る術もないので、ものは試しとそのウサギに尋ねてみることにした。


 すると、ウサギはその場でぴょんと跳ねてから得意げに答え始める。


「ここは魔法の国ファリス。君はその鏡をとおしてこの国にやってきたんだよ」


 そう言われて、ウサギが指さした先に視線をやると、私の座る脇に見覚えのある銀の鏡が落ちていた。


「あっ! おばあちゃんの鏡!」


 私が叫ぶと、ウサギが不思議そうに首を傾げた。


「おばあちゃん? サクラはおばあちゃんじゃないだろう?」


 ウサギは眉間に皺を寄せる。


「……桜」


 私は呟いた。


 それはおばあちゃんの名前。この鏡をくれた、桜おばあちゃん?


「おばあちゃ……、いや、桜は、その……ファリス? に来ているの?」


 私は鏡を手元にたぐり寄せて握りしめ、ウサギに尋ねた。


「来ている……っていうより、来ていた、という方が正しいかな。彼女にはしばらく会っていないよ。……『オトナ』っていうのになると、これなくなるんだって」


 バーニーが少し寂しそうに髭を下げて呟く。


「それにしても君、サクラにそっくりだね」


 トコトコと二本足で歩み寄ってくると、ウサギが私の顔を覗き込んだ。


「……うん、よく似ている。その綺麗な茶色の髪。綺麗な白い肌。そのソバカスも懐かしいな」


 ウサギの漆黒のキラキラした黒曜石のような瞳に、私が映り出される。それから、ウサギの瞳が懐かしげに細められた。


「……綺麗、なの?」


 私は、今までそんなこと誰にも言われたことがなかったので、思わず聞き直す。すると、さも当然といった様子でウサギは頷いた。


「ああ、サクラは招かれ人の中でもいっとうの美人だった! 君は、そのサクラにそっくりだからね! 美人だよ!」


「美人」と言われて、私は照れでちょっと頬が熱くなるのを感じた。


 ウサギはというと、自分のことでもないのに、さも自分事のように自慢げに鼻息を荒くしている。そのあと、ウサギは白い毛の生えた指先で私のあごをクイ、と持ち上げた。


「君が手を差し出したから、ボクが君をこちらに招いたんだ。ボクは魔法の国ファリスの案内人バーニー。……で、君は?」


 ウサギでバーニー。


 まさか、ウサギ、英語でバニー、……バーニー?


 思わず吹き出しそうになるのを、かろうじて堪えながら私は答える。緩む口元をなんとかきゅっと一度引き締めてから私は口を開いた。


「……バーニー、私は美羽よ」


 私は私の顎を持ち上げる白い指先をそっと退ける。それから、彼に右手を差し出した。


「よろしく」


 私がそう挨拶すると、バーニーがにかっと笑って小さな手を私の手の平の中に差し出した。私はそれをそっと握る。


「よろしくな、ミウ」


 握った手を一振りしてから、私たちは手を離す。

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