第2話 おばあちゃんの鏡
「ふー」
私は二階へ続く階段をかけ上がって、部屋に入ってパタンと扉を閉める。そして、カチャンと扉に鍵をかけた。これでもう誰も私をわずらわさない。
「やんなっちゃうなー」
私はそうぼやいて、勉強机の椅子に腰掛ける。そして、大好きなおばあちゃんがくれた銀色のコンパクト型の鏡を手に取って、それを開いた。
鏡の中に、私が映る。
茶色のくせっ毛と、ソバカス。そして口をへの字に曲げた私が映る。
「あーあ。ひどい顔」
そう言うと、鏡に映る私の眉根がよって、ますますひどい顔になる。私はその顔のまま、指先でくるくるとしたくせっ毛の髪の先を指に絡みつける。
くせっ毛の髪を眺めていると、それを愛おしそうに撫でてくれた優しいおばあちゃんを思い出した。
◆
「美羽は可愛いねえ。若い頃のおばあちゃんにそっくりだよ」
「そうなの?」
田舎の深い森の中に住むおばあちゃんの家に行ったときの思い出がよみがえる。
おばあちゃんは、夏休みになると必ず行く私を、それは可愛がってくれた。小学生の頃は、おばあちゃんの膝の上は私の特等席で、そこに座らせてもらった。そして、おばあちゃんがよく私のクセのある髪をすいてくれたのだ。
「ああ、可愛いよ。このクセのある髪もね、大きくなれば今はまっすぐに出来るようになるらしいし、気にしないでいいよ」
そんなおばあちゃんは白い髪を、うしろでお団子にまとめていた。私とおんなじ茶色の髪だったのかは、今じゃもう解らないくらいきれいな白だ。
おばあちゃんは、丸眼鏡の下で皺だらけの目元をくしゃりとして私に笑いかける。
「でもね、おうちにいると、みんなお姉ちゃん、お姉ちゃんって。みんなお姉ちゃんが大好きなの。きれいで、頭も良くて。そうじゃない私なんてどうでもいいのよ」
当時小学生の私は、口を尖らせておばあちゃんに愚痴をこぼす。
「そういえば、愛里沙はしばらく来てくれないねえ」
「お姉ちゃん、学習塾で忙しいから。……出来の悪い私とは違うもの」
私は頬をふくらませた。
校内でも優等生だったお姉ちゃんは、将来を期待されていて、中学校の頃から学習塾に通っていた。そして私は違う。私は夏休みになると逃げるように一人で田舎のおばあちゃんの家に逃げ込んだのだ。
「あらあら。それは寂しいねえ」
なにを寂しいというのだろう? お姉ちゃんが来られないことか。私が、出来が悪いとこぼすことか。避難場所として、私がおばあちゃんの家に逃げ込んでくることか。
「美羽。ちょっと待っておいで」
そう言うと、おばあちゃんは「よっこらしょ」と口にして座っていた縁側から腰を上げて部屋の中に入っていき、鏡台の引き出しを開ける。それから私の元に戻ってきて、隣に腰掛ける。
「美羽に、魔法の鏡をあげよう」
そう言って、おばあちゃんの手の中で鈍く銀色に光る小さな丸いものを、私の手にのせた。
「これ……鏡なの?」
「魔法の」という言葉に首を傾げながら、私は手にのせられたコンパクトをパコンと開ける。開くと中に鏡がついていて、私のソバカス顔が映る。
「もしね、どうしても辛くなったら、この鏡にお願いしてごらん」
「お願い……」
うーんと考えて、ふと思いついたことを口にする。
「お姉ちゃんみたいに、可愛く、頭を良くして!」
だけど、その鏡には、ソバカス顔の私が映るだけ。
おばあちゃんは、そんな私を見て穏やかに微笑むだけだった。
◆
そんなおばあちゃんとの懐かしい夏の思い出を頭の片隅に追いやる。
そして、おばあちゃんからもらった鏡を見ながら、私は呟いた。
「……もうこんな家にいたくない」
この家はお姉ちゃんが主役だ。私の居場所は、その隅っこだけ。
「誰か私をこの家から連れ出して」
今はまだ冬。おばあちゃんの家に行ける夏までずっと遠い気がした。それが気の遠い先のように感じた。
だから、誰かに私をここから連れ出して欲しかったのだ。
私は、鏡の縁をなぞり、それから、鏡自体に触れる。
本来、固い鏡が、なぜか水に触れたように弧を描いて、私の指がそこに吸い寄せられる。
「えっ!?」
私は目を点にして、鏡を凝視する。
けれど驚いたことに、その小さな鏡に私の手はどんどん吸い込まれていって、やがて手首まで食い込んでしまった!
「ちょ、ちょちょちょ、これ、どうなっているのよ!」
しかも、鏡の向こうで誰かの手に私の手を握られた感触がした。
「やだ、気持ち悪い! 誰か助けて!」
私は恐ろしさにぎゅっと目をつむる。まぶたの裏が光で酷くまぶしくなったかと思うと、私は気を失ってしまった。
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