虹の向こう側

 その日は、朝から雨だった。

 灰色の雲に覆われた空を見上げながら、優佳は父親と傘を差しながら歩いていた。

 今日は日曜日なので、いつもより人通りが多く賑わっている。

 しかし、そんな中を歩いていても、どこか違和感を感じていた。

 その正体はすぐに分かった。

 なぜなら、行き交う人々は皆一様に同じ顔をしていたからだ。

 誰もが同じような服装をして、同じように笑顔を浮かべている。

 まるでコピー&ペーストをしたかのように、同じ行動を繰り返す。

 それが、当たり前のことのように。

 まるで、人形のように。

 だが、そんなことはありえないはずだ。

 優佳は思う。

(なんだろう……? なんだか変な感じがする)

 ふと、立ち止まって辺りの様子を窺う。

 その時、父親が声をかけてきた。

 振り向くと、心配そうな目でこちらを見ている。

 どうやら、ずっと黙っていたことを気にしているようだった。

「優佳。帰ったら何が食べたい?」

 優しい口調で尋ねてくる父親。

 それに対して、優佳は笑顔を浮かべる。

 それは、作り笑いではない。

 本心から出たものだった。

 だから、自然と答えることができた。

 優佳は、元気よく答える。

「私、お母さんの作ったカレーライスがいい」

 それを聞いた瞬間、父親は表情を歪める。

 声を震わせ、息を震わせる。

 そして、目に涙を浮かべた。

 優佳は戸惑ってしまう。

 なぜ、お父さんが泣いているのか分からなかった。

 お父さんの泣く姿を見るのは初めてだ。

 どうして良いのかわからず、優佳は父親を見上げることしかできなかった。

 すると、父は傘を手放し、両膝を地につけ幼子である優佳と同じ高さまで腰を落とす。

 そして、両手を広げ、まるで我が子を包み込むように抱き寄せた。

 優佳は驚く。

 同時に戸惑いを覚えた。

 お父さんの抱擁はとても暖かくて、優しい。

 でも、お父さんはなぜか震えていた。

 まるで何かに怯えるように。

 そして、大粒の涙を流し始めたのだ。

 その光景に優佳は言葉を失う。

 周りの人達も足を止め、ざわつき始めた。

 お父さんが何か悪い事をしたのだろうかと不安になる。もしかしたら、自分が知らないだけで、お父さんが誰かに怒られているのかもしれない。

 優佳は恐る恐る尋ねる。

「誰かが、お父さんをイジメるの?」

 すると、父親は首を横に振った。

 否定の言葉を口にする。

 それから、彼はゆっくりと語り始めた。

「もう。お母さんのカレーは食べられないんだ……」

 それを聞いて、優佳は困惑してしまう。

 言っている意味がよく理解できない。

 父親は言い聞かせるように言った。

「お母さんは、虹の向こう側に行ってしまったんだ」

 それは、あまりにも唐突な出来事だった。

 母親が病気で亡くなったという。

 優佳は、その事実を受け入れられずにいた。

 いや、受け入れたくなかったという方が正しいだろう。

 優佳にとって母親は太陽のような存在であり、この世で一番大好きで大切な人だった。

 だからこそ、その死を受け入れることができなかった。

 それは、優佳だけではない。

 家族全員が同じ思いを抱いていた。

 優佳は、胸の奥底にぽっかりと穴が開いたような感覚に襲われていた。

 おかしかったのは周囲ではない。

 優佳の心が哀しみのあまりに周囲が、おかしく見えていたのだ。

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