第4話 スターリングラード攻防戦

 戦いが始まり数ヶ月、廃墟となったスターリングラードは、土煙、黒煙、炎、それと咽せ返る程の鉄の匂いに支配されていた。

 既に、ドイツもソ連も夥しい程の血を流したのだ。

 そこいらには、死体が、焼け死んだ者が、殴り殺された者が、撃ち殺された者が転がっていた。

 戦車はくたばり、工兵隊の連中は、狙撃兵に撃ち殺された。

 潜り込んで来た狙撃兵を殴り、撃ち殺した。

 既に道徳感情は、形骸化していた。


「はぁ、はぁ、死んでくれるなよ。メイヤー」

 ウェストフース達とはぐれてしまった俺は、直ぐ側にいるメイヤーに声をかける。

「あっ、あぁ」

 彼は、唸るように返した。


「大丈夫だ!絶対に生きて帰れる。生きて帰ったら俺たちは、英雄だ。だから死ぬんじゃねーぞ」

 はぐれてしまった際に、メイヤーは腹を狙撃されてしまったのだ。


「死ぬな、絶対に意識を手放すな、絶対に。絶対に生きて帰るんだ。確か、お前には、彼女がいるんだろ。待たせるつもりかよ」

 彼に聞いた話を思い出しながら、俺は言った。


 最早、多少朧ではあるが、彼は、メイヤーは、金持ちの商人の一人息子だったらしい。

 親の見栄のために、志願させられ、愛していた彼女を待たせ軍隊に送られた。

 そして、その軍隊内で罪を擦り付けられ此処に送られてきたらしい。


「大丈夫だ、死ぬな!諦めるな!お前は、絶対に生還するんだ」

 声を掛けた後、

「行くぞ、分隊長の下に急ぐぞ!」

 彼に対してこう声を掛けた。


 彼は、小さな喘鳴を返した。

「行くぞ!」

 そう言い、彼を運ぼうとすると、

「も、ぅ、駄目、だ」

 途切れ途切れに彼は、俺に対して言ってきた。


 俺はその時に、諦めるな!助かるかも知れないだろう!と叫ぼうとした。

 だが、彼はもう完全に、既に何もかもを諦めていたんだ。

 彼は俺に言った。

「撃ち、殺してくれ」


「何言ってんだ!大丈夫だ!そんな事言うな!諦めんな!」

 この時点で俺は、既に数人を撃ち殺し、死に対しての認識が歪み始めていた。

 だが、彼のこの発言は、許容することが出来なかった。


「お前には、待ってくれてる女房が居るんだろ!自慢してただろ!だから、諦めるな!」

 俺は、彼に何度目かも分らない”諦めるな”という言葉を掛けた。

「もう、無、理だ。無理だ、よ。中から。ジ、ワジワ。溶かされる。っなんて、嫌な。んだ。慈悲。を、くれよ」

 彼の腹は既に、真っ赤に染まり、元々そうであったかのように更にその範囲を広げ続けていた。


「でもっ─────」

 説得をしようとすると、

「そ。うだ。これを、持って、行っ..くれよ」

 彼は、抑えていた手を動かし、ポケットに無造作に突っ込み、小さく折りたたまれた紙を取り出した

 。


「..持って。て、くれ。よ。─────かみさん。─────くれよ」

 既に、彼の声は、聞こえなくなり始めていた。

「おい。おい!寝るな!」

 彼に声をかけ続けた。

 だが、反応などは返ってくることはなかった。


「クソ!クソが!ふざけんなよ!」

 俺は、そう呟きながらも、彼の手に摘ままれていた既に血が染み込んでしまった紙を手に取り、彼の肩を支え歩き出した。


 彼の体は、まるで生きているかのように温かみを持っていた。

 だが、生きている人間とは違い、死んだ人間。

 死んだ生物独特の雰囲気を纏い、徐々に彼の体温はなくなっていった。


「メイヤー!ミュラー!」

 数分間、彼を支えながら歩いていると、辺りには、叫び声と銃声が木霊し続けていると言うのにも関わらず、叫ぶ声が確かに聞こえてきた。


「此処だ!此処に居る!」

 俺は、返事を叫び、彼らの所に走った。


「ミュラー!大丈夫か!」

 分隊とは、物陰で合流した。

 俺はメイヤーを地面に降ろした。


「あぁ、でもメイヤーが」

 俺がシュミッドに返事をすると、

「おい、どうしたんだよ。メイヤー!嘘だよな!おい、メイヤー!冗談でも許されないぞ!」

 シュナイダーが床に降ろされた元々メイヤーであった物にそう叫んだ。


「そっ、そんな。うっ、嘘ですよね。冗談ですよね。っねぇ。ミュラーさん。答えてくださいよ!ねぇ」

 分隊の中で最もメイヤーと仲の良かったウェバーが、叫ぶように俺に問いかけた。


 その後は、意味も無い呼びかけがメイヤーにされ続けた。

 死んでしまったのだ。仲間が。

 だが、メイヤーの死体は、埋葬されることはなく、放置されることになった。

 赤軍の突撃に遭ったからだ。

 この時も、この後も、俺達は、・・・俺は、何度も、何度もこれに遭い、ちゃんと別れを告げることはできなかった。



「俺達は、主に見放されていたのさ。

 “とんでもないクズ野郎たちだ”ってな」

 グスタブは、そう多少、しわがれたように呟き、

「ジョナサン。まだ、言ったほうがいいか?」

 画面に向かって、初出の名前を呼びかけた。


「あぁ、頼むよ。それに君が、記録に残して欲しいって言ったんだろう?」

 画面に人物が現れることはないが、そんな声が聞こえて来た。

「あぁ、まぁ、そうだが・・・・」

 迷う様に呟き、

「せっかくカメラを借りたんだ最後まで残そうぜ!それに、俺もあんたの話が気になるんだ!」

 と返答を返された。


「・・・そうか・・・その前に飲み物を貰ってもいいか?」

 グスタブは、眼鏡を外し、軽く目頭を抑えながら、声を漏らした。

「あぁ、分かった!」

 ガラスとガラスがぶつかり合う甲高い音が響いた。


「コーラでいいか?」

 遠くから声が聞こえて来て、

「あぁ、構わない・・・酒はあるか?」

 グスタブは、そう返事をした。


「あるにはあるが、あんた禁酒しろって言われてただろ?」

 遠くから、再度、聞こえて来た。

「別に構わないだろう?」

 グスタブは、適当に返事をした。


「あぁ、そうかい?」

 先程より、近くからその声が聞こえ、

「馬鹿だろう?この人」

 ボソッと小さく呟く声が、マイクに捉えられた。


「今なんて?」

 聞こえなかったであろう声が聞こえたが、

「なんでもないさ」

 と返事が返された。


「はい、コーラだ」

 数秒の後、青年がグスタブに瓶を渡した。

「ありがとう・・・何だ、酒じゃないのか」

 落胆した様にグスタブは呟き、

「禁酒しろ」

 と返答が返された。


「生い先短い老人には優しくしろ!」

 グスタブは、冗談めいた事を言い、

「あんたみたいな、ジジイは絶対に長生きするさ。あと、100年程な」

 冗談を返された。


 その後も少し、雑談は続き、

「さて、話を戻そうか。あんたの話を聞かせてくれよ」

 仕切り直す声が響き、

「あぁ、分かった。・・・あれは、メイヤーが死んで数週間後のこと────

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