旅は道連れ

丸井まー

旅は道連れ

 爽やかな初夏の風が吹く中。

 チュイは公園のベンチに座り、ぼーっと煙草を吸っていた。チュイは壁塗りの職人をしている。六十が近くなり、体力的に厳しくなってきたので、そろそろ引退を考えている。しかし、引退をしてもやることが無い。今でさえ、休日はやることが無くて、公園で煙草を片手に暇潰しをしているくらいだ。女房や息子の嫁は、チュイが一日中家にいるのが、あまり好きではないようだ。家に居場所が無いので、いつもこうして一人で公園で日がな一日暇を潰している。趣味らしい趣味は無い。ずっと仕事ばかりをやってきた。たまに飲み友達と酒を飲む以外は、煙草くらいしか楽しみがない。

 我ながら寂しいもんだと思う。女房とは見合い結婚で、別に仲が悪い訳ではないが、特別仲がいい訳でもない。女房からは、『稼ぎが少ない』とよく言われるし、飲み友達と酒を飲みに行くと、いつも顔を顰める。自分だって主婦友達とよくお茶会や食事会をしているのに。お互いに多少の不満はあるが、この歳で離婚する気はない。面倒だし、世間体もある。


 チュイが吸い終わった煙草を携帯灰皿に入れていると、近くにいた鳩がパタパタッと飛び立つ気配がした。なんとなしに顔を上げれば、飲み友達のセリノが歩いて近寄ってきた。『よっ』と片手を上げたセリノに、チュイも『よっ』と片手を上げた。



「また日向ぼっこか?」


「おうよ。珍しいな。お前が此処に来るなんざ」


「まぁ。俺も暇潰しの日向ぼっこをしに来た。嫁が死んでから、一人で家に居るのがどうにもしんどくてなぁ」


「あー。もう半年くらいか?」


「おう。ま、二年も闘病生活して苦しんでたからな。本人はやっとお迎えがきたって喜んでるだろうよ」


「長患いはしんどいよなぁ。嫁さん、よく頑張ったな」


「まぁな。……なぁ」


「ん?」


「旅行に行かねぇか?二人で」


「唐突だな」


「まぁな。でも、どうしても旅行に行きたいんだわ」


「なんでだ」


「嫁とは結局旅行なんざ行かなかったからよ。死ぬ前に一度でいいから旅行がしてみてぇのよ。でも、一人旅は寂しいし、危ねぇだろ?だから、お前を道連れにしようと思って」


「あー。女房がいい顔しねぇな。多分。……でも、旅行は俺も行ったことがねぇ。引退をよ、考えてるんだわ」


「お。ついにか」


「おう。体力的に厳しくなってきててな。かといって、辞めても家に居場所がねぇ。どうせだ。旅行に行くなら、ちょっと遠出しねぇか。なんかよー。少し、女房とか家族から離れてぇ気分なんだわ」


「いいぜ。ナニーニ地方辺りはどうだ?綺麗な滝があるらしいぜ」


「いいな。行くか」


「行こうぜ」



 チュイはセリノと顔を見合わせて、ニッと笑った。旅行に行くなんて言ったら、女房はいい顔をしないだろうが、どうせ家にいても邪魔者扱いされるだけである。予定より少し早いが、息子に跡を継がせて、長期の旅行に行こう。ナニーニ地方なら、片道半年はかかる。約一年の長旅だ。金は一応女房に内緒でこっそり貯めたものがある。長旅をするには少し心許ないが、無くなったら日雇いの仕事でもして稼げばいい。

 チュイはセリノと夕方まで、ある程度細かい打ち合わせをしてから、軽やかな足取りで家に帰った。


 それから一ヶ月後。

 チュイは大きなリュックを背負って、乗り合い馬車乗り場に立っていた。案の定、女房からは嫌な顔をされた上にギャンギャン言われたが、チュイはさらっと流して、仕事を辞め、いそいそと旅行に行く用意を整えた。チュイが子供みたいにワクワクしながら待っていると、同じように大きなリュックを背負ったセリノがやって来た。



「悪い。待たせたか?」


「いや?そんなに待っちゃいねぇよ」


「よし!じゃあ行くか!」


「おうともよ!」



 チュイはセリノと一緒に乗り合い馬車に乗り込んだ。


 セリノとは、かれこれ三十年程の付き合いだ。セリノは不動産屋で働いていて、仕事関係でも顔を合わせることが多かった。馴染みの飲み屋が一緒で、気づけば飲み友達になっていた。セリノの方が三つ歳上だが、なんでも話せる仲である。


 セリノと二人で馬車の窓を眺めながら、年甲斐もなくはしゃいでいると、同じ馬車に乗っている老夫婦がクスクスと微笑ましそうに笑って、声をかけてきた。



「ご旅行ですかな?」


「えぇ。ナニーニ地方まで行きます」


「おや。それは随分と遠い所まで行かれるんですね」


「ははっ。これが初めての旅行でして。野郎の二人旅ですよ」


「仲のよいご友人なのですなぁ」


「えぇ。まぁ。お二人もご旅行ですか?」


「いえ。隣町の娘夫婦の家に遊びに行くのですよ。最近、孫が生まれましてね」


「それはめでたい。おめでとうございます」


「ありがとうございます。お。もう着きますね。それでは、よい旅を」



 隣町に到着すると、老夫婦が愛想よく笑って、馬車から降りていった。

 チュイはなんだか嬉しくなった。こうしてすれ違う人々との出会いも旅行の醍醐味な気がする。それをセリノに言うと、セリノも笑顔で頷いてくれた。

 チュイは宿泊予定の街に着くまで、のんびりセリノとお喋りをしながら、馬車の移動を楽しんだ。


 宿泊予定の街に到着した。初めて訪れる大きな街は、チュイ達が暮らしていた小さな町よりもずっと建物や人が多い。田舎者丸出しでキョロキョロしながら今夜の宿を探し、なんとか無事に宿を見つけると、チュイはセリノと一緒に夕食を食べに出かけた。

 適当に入った飲み屋で、甘辛い味付けの肉を齧りつつ酒を飲んでいると、セリノがふと真顔になった。

 チュイは訝しく思って、セリノに声をかけた。



「セリノ?どうした」


「お前に先に言っておかなきゃいけないことがあるんだ」


「なんだよ」


「嫁からさ、死ぬ前に言われたことがあってな」


「遺言か?」


「まあ、ある意味?」


「どんな内容だよ」


「『貴方の心にはずっと誰かがいるわよね。私が死んだら、絶対にその人に想いを告げて』だと」


「ちょっと反応に困るな」


「だよな。で、だ」


「おう」


「こうも言ってたのよ。『私の居場所はあげないけど、反対側になら居てくれていいわよ』って」


「ふーん」


「さて。チュイや」


「なんだ」


「話の流れで察してくれてもいいと思うんだが、俺は昔からお前に惚れてる」


「……マジか」


「残念ながらマジだ」


「男同士だぞ?」


「そうなんだよなぁ。まぁ、墓まで持ってくつもりだったのよ。俺としては。でもよ、嫁から遺言みてぇに言われたら、そうするしかねぇかなって思って」


「俺は女房と別れる気はねぇし、今更裏切るつもりもねぇ」


「お前がそういう奴だってのは知ってるさ。いつだって真面目で、真摯で、人を裏切らない。そんなお前だから惚れたんだ。まぁ、なんだ。一応言っておいただけだ。お前とどうこうなる気はねぇよ。変な事もせん。安心しろ。ただ、思い出をくれ」


「お前はそれでいいのかよ」


「あぁ。お前と楽しい思い出ができたら、それで満足だよ」



 チュイは酒をちびりと飲んで、少しだけ考えて口を開いた。



「お前の気持ちはありがたく受け取っておく。でも、俺からは気持ちを返せねぇ。その代わり、精一杯旅を楽しもう」


「……ありがとな。それで十分だ」



 セリノが皺くちゃの顔で、今にも泣きそうな不細工な笑みを浮かべた。


 チュイとセリノは、道中の色んな観光名所を楽しみながら、着々とナニーニ地方へ近づいていった。初めての街でセリノに惚れていると告げられたが、だからといって何もない。ただ、二人で子供に戻ったみたいに、毎日を楽しんでいる。


 街の子供達が何人も楽しそうに眺めている屋台の飴細工を、子供達と一緒に二人で眺めていると、セリノが悪戯っぽく笑った。



「おじちゃんが飴ちゃんを買ってやるよ。なんの形がいい?」


「おじちゃん。俺、鳥がいい」


「ははっ!親父さん。鳥を一つ頼む」


「まいどぉ」


「ははっ!『おじちゃん』っつーか、もう『おじいちゃん』だろ。孫までいるし」


「気持ちはまだまだ若いのよ。恋だってしてるしな」


「そうかよ」



 セリノがとても楽しそうに笑うので、つられてチュイもヘラッと笑った。鳥の形をした細工飴は、とびきり甘かった。


 季節の移ろいも楽しみながら、二人は半年ちょっとかけて、目的地のナニーニ地方にある滝が有名な大きな街に着いた。観光名所があるだけあって、活気があって賑やかな街だ。懐具合は少しずつ寂しくなってきているが、まだ問題無い。いつも宿は二人部屋を取っている。その方が安いし、セリノは宣言通り、何もしてこないからだ。

 宿をとったら、早速滝を見に行く。二人でヒィヒィ言いながら、ちょっとした山を登り、美しい滝がある場所に着くと、二人揃って、ほぅと感嘆の息を吐いた。本当に美しい滝だ。チュイでは上手く言葉に表せないが、自然の雄大さと美しさを感じる。

 隣のセリノが、なんだか残念そうな溜め息を吐いた。



「どうした?」


「俺に絵心があればよかったのに。こんな綺麗なもん、初めて見たわ」


「あー。確かに。絵なら土産屋に売ってるんじゃねぇかな」


「小さめのがあったら買って帰るか。旅の思い出を残しておきたい」


「俺も買うかな」


「……なぁ。折角だ。お揃いのを買わないか」


「いいぞ」


「ははっ!やった」



 セリノがほんのり頬を赤く染めて、本当に幸せそうに笑った。

 チュイはセリノとのんびり滝を眺めながら、こんな小さな事で喜ぶくらいなら、いっそ自分に手を出せばいいのに、と思った。お揃いの絵を買うだけで、あんなに幸せそうな顔をして笑うセリノが、少しだけ哀れで、少しだけ羨ましかった。


 恋をしたことくらいある。チュイは見た目が厳つくて、恋が実ったことはないが、女房と見合い結婚をしてからは、女房だけを見るようにしてきた。他の女に情を持つのは不誠実だと思っていたからだ。とはいえ、老いて尚恋をしているセリノが少し羨ましい。セリノはもう六十を超えているのに、キラキラと輝いている。自分の人生を楽しんでるのが、側にいるとよく分かる。チュイも確かに初めての旅を楽しんでいるが、セリノ程キラキラとはしていない。今はいいが、家に帰れば、また居場所が無い生活に戻る。女房を裏切る訳にはいかないが、セリノを見ていると、チュイだって恋がしたくなる。


 その日の夜。

 宿の部屋で寛ぎながら、チュイはセリノに話しかけた。



「なぁ」


「んー?」


「まだ恋してんのか?」


「してるなぁ」


「楽しいか」


「楽しいよ。今は。昔は苦しかったけどな」


「そうか。……なぁ」


「ん?」


「俺も恋がしてみてぇ」


「……嫁さんがいるだろ」


「おう。……なぁ。このまま帰りたくないって言ったらどうする?」



 チュイの言葉に、セリノがふと真顔になった。



「……俺には好都合だな。二人で適当に働いて、一緒に暮らせたら、間違いなく幸せになれる」


「……女房を裏切る俺を軽蔑しないのか」


「別に。お前が家に居場所がないのは知ってる。帰っても辛い毎日になるんだろうなぁって想像はつく。なぁ。俺と恋仲にならなくたっていい。お前が望むなら、俺と一緒に此処で暮らさないか?」


「……ヤバイな。魅力的過ぎる……無責任っつーか、最低だなぁ。俺」


「人生を楽しんで何が悪い。嫁さんとはそれができないのなら、俺と楽しんだらいい。人生は一度しかない。最後の最後まで全力で楽しめよ」



 チュイはセリノの言葉がじわぁっと胸に染み込んでくるのを感じた。女房には申し訳ないと思う。非常に無責任だし、これは裏切りだ。でも、邪魔者扱いされる毎日は嫌だし、セリノと一緒に残りの人生を楽しみたい。灰色の暮らしはもう沢山だ。彩り溢れる日々を送りたい。小さな事で笑いあって、お互いに気遣い合って、寄り添っていきたい。

 チュイは真っ直ぐにセリノを見つめた。



「俺は多分、お前に恋はできん。でも、お前と生きていきてぇ。お前と一緒にいると楽しい。……女房を裏切ってでも、お前と一緒に暮らしたい」



 セリノがくしゃっと泣きそうな顔で笑った。



「恋なんてしなくても構わない。ただ、側にいてくれ。一緒に生きよう。残りの人生、一緒に笑っていよう」


「おう」



 チュイはジクジクとした罪悪感を覚えながらも、セリノに向かって拳を突き出した。セリノも拳をつくり、コツンと拳をぶつけた。


 それから、二人はこの街で暮らし始めた。小さな古い家を借り、二人で土産物屋で働きながら、のんびりと暮らしている。女房には手紙を書いた。自分は帰らないことと、俺は好きに生きるから、お前も好きに生きろと。女房からの返事は来なかった。

 セリノとは相変わらず何もない。チュイはセリノに恋はしていない。でも、側にいるのが当たり前で、二人で一緒に笑い合うのが楽しくて、生まれ故郷の町にいた時よりも色鮮やかな毎日を送っている。


 秋が深まってきたある日の夜。

 チュイはセリノと狭い庭で月見酒を楽しみながら、何気なく呟いた。



「なんか幸せだわ」


「俺も幸せだなぁ」


「セリノ」


「なんだい?」


「どっちかが死ぬまで、ずっと一緒にいようぜ」


「勿論。そのつもりだよ。チュイ。俺はお前にずっと恋してる」


「俺は恋はしてない。でも、お前がいねぇともう駄目だわ」


「ははっ!それでいいさ。俺は果報者だなぁ」


「月が綺麗だな」


「そうだな。ほら。こうしてみると、酒に月が映る。まるで月を飲むみたいだろう?」


「ははっ!豪気だな。月を飲むなんぞ」


「一緒に月を飲もうか」


「おうよ」



 チュイはセリノと二人で、酒に映る月を飲み干した。




(おしまい)


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旅は道連れ 丸井まー @mar2424moemoe

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