コップの水

桑野

生と死の境は

 私は本当に「私」という存在であるか、実のところ疑わしいと感じます。最近、よく同じ考えに至るのですが、それは長い間一人で隔離生活をしてきたからだと思います。隔離が原因だとか、そんなのはどうでもいいのです。そもそも、「最近」とは言いましたがこの思考がいつ私の脳を占領したのか、私にはわからない。時間という概念を喪失するとすべてが曖昧になるのです。とにかく、太平洋を波の気まぐれで漂流したクラゲが辿り着いたのが、私の脳内だったと、私は考えています。無駄話が過ぎましたか?交信継続。私はまだ見ぬ壁に向かって呼びかけます。こほん。クラゲは浜辺に寝転がる私にテレパシーを送ります。君自身が思想なんだから、そんな回りくどいことはしなくても良いのですがね。私は得体のしれないそれを拾い上げて焼きました。脳みそのどこにも、「火気厳禁」のポスターは見当たりませんでしたから。焼かれたクラゲ=思想は非常に美味しく、私は噯しそうになってかわりに、次のようなことを言いました、

「私は昨日までの『私』ではないこと、それが問題だ」

でも、ややこしいので、私は「私」であるのだと、そう思うことにします。今で私が思想クラゲを食したのは何回目でしょうか?壁の向こうにいるだろうあなたは、何度も過去を遡ることができるそうですね(もちろんあなた自身は遡らないのでしょうが。遡るのは私です)。ですが、そのたびに私は『私』であることを放棄しないはずです。なぜか。私はこういう哲学的なものは苦手ですから。さて、昨日の「私」と今の私が違うと気がついたのはなぜなのか、あなたは不思議に思ったかもしれません。この場合のあなたは、厳密に言えばあなただけのものではなくて、私だとどうしても思われないものすべてなので、あなたはあなたではない誰かと、「あなた」という形で輪ゴムみたいなので括られています。

 あれ?矛盾の花弁が美しく開きます。そうです。私はあなたと、別のあなたの区別がついているのに、「あなた」として巨大な対人物ひとりしか認識できないという。これはおかしなことです。昨日の秩序はみる影もありません。その「昨日」も私からしたら喪失しつつある概念なのです。これはじゃあこう考えてください、私にとってあなたは、あなたの隣に座っている人(居たらですが)も、一つのあなたの構成員なのです。私以外のすべての有機物・無機物が細胞となってあなたを形作っているんだと、私はそう考えています。そう考えられるのは嫌ですか?嫌だというのなら、あなたが、集合体「あなた」とは別個の種であることを証明してください。例えば、隣のおじさんは煙草を喫むけれど、僕は煙草を喫まない、とか。でもあなたの声は私には届きません。どうしてでしょうか。私はそれが悲しいです。私が以前の私でないと気がついたのは、実は「あなた」の声が聞こえない(或いは聴こえない?)ことを発見したからです。






 よくよく考えると私は昨日までずっとベットに寝ていました。私は流行していた病気にかかっちゃって、それを拗らせてしまっていました。喘息持ちだったのが、いけなかったのかもしれないです。私は長い期間入院していたので、ベットの隣には澄んだベージュの机があてがわれ、その上には花瓶とか家から持って来て貰った本とかが置いてありました。夜、苦しいと感じた時のためにコップに水を入れてもいました。それがどうでしょうか。目覚めた時には何もなかったのです。何も。始めはとても怖くて、泣きそうになりました(実際ちょっと泣いたと思います、注射を嫌がる子供みたいに)。でも、気が付いてみると、寧ろお母さんに抱擁されているような、温かい感覚が身体中に染み込んでくるのがわかりました。喉が痛むこともありませんでしたし、全身麻酔を打たれた時のような、途方もなく怖ろしい倦怠感がまるでなかったのです。






 でも、何もなかったのです。透けるというのはちょっと違うものだと思います。それは私が自分の目を失くしてしまったからかもしれません。とにかく世界を知覚しているのか、いないのか、そこが曖昧なんです。どこかになくしてしまった二つの目を、私はとても好きでした。彼と付き合いはじめてすぐに、彼がほめてくれたからです、

「君の瞳は宝石のように澄んでいるよ」

彼は言いました。気恥ずかしさで私は頬が林檎のように赤くなったと思います。人を愛すと馬鹿になると兄が言っていましたが、本当だと思いました。でも、それは必要の馬鹿だったのです。私は恥じらいもなく真っ直ぐにそんなことを言う彼が好きでした。






 やがて身体中が延ばされた銅板のような薄く広がっていく感覚がやってきました。私が大きくなる、というより、もとから私はこうだったよね、という感覚でした。それは不思議と気持ちよかったのですが、やはり私はもとの、人見知りで喘息持ちで怠惰で目が悪くて忘れっぽくて身体も胸も小さくて彼氏に振られたばかりで病気がちなあの身体が好きでした。だからこのままではいけないな、と思いました。段々と考えも抽象的になってきました。私の身体は、実在するのか?明らかにそれまでの私なら考えもしなかったことを、考えるようになりました。みえない私の記憶が、私であろうと必死になって抵抗してくれているのかもしれません。それとも、身体のことを早く忘れさせるためかもしれません。どちらにせよ、あたりまえのことがあたりまえで無くなったことを考えるのは格別に辛いことです。





 私の身体を取り戻す方法は、やはり一つしか思いつきませんでした。それは、「私」を証明することです。昔ある偉い人が、自分自身を証明することができたのだと高校生の時勉強しましたが、それが誰かも、どうやって証明したのかも忘れてしまいました。だって、そんなこと生きる上で必要ないと思ったからです。必要でした。迂闊でした。私は身体があったことも忘れてしまう性格だったんです。私は考えるとき、体育座りするのが癖だったので、今私は体育座りをしていると思うのですが、一向に自分らしい考えに到達できません。ある考えを思いつき、思索のピッケルを掘り進めようとしても、別の考えが二重らせんのように絡みついてくるのです。私は団子虫か石のように身体を丸めました。すんなりと丸くなることができました。見えないけれどそんな気がしました。或いは私は球体だったのかもしれません。

 私が今いる世界は優しい世界ですが、それは不気味です。まるで、冷蔵庫に入れてあったはずの牛乳を飲んだら、それが生温かった時のようです。世界は優しさだけでは創られていません。悲しみだとか怒りだとか、絶望だとか、そういうものも忘れたら可哀想です。私は大好きだった彼に別れを告げられた時、やはり悲しくて一日中立ち尽くしてしまいました。それは途方もなく悲しく、嫌な日でしたが、忘れては可哀想だなと私は思います。






 私が居るなら、私じゃない誰か(あなた?)が居ることになります。だから記憶のあるうちはお母さんとか、お父さんとか、彼とか(癪だけどね)に呼びかけたりしました。おーい、いるなら返事してよーっ、て。でも誰も返事をしてくれません。お母さんとか彼とかは悪戯するのが好きだったので、わざと聞こえないふりをしているのかもしれませんが、真面目なお父さんまで、返事をしないっていうのは、変です。彼らが居ないことの証拠であるような気がして、私は悲しくなりました。

 では、私は世界なんでしょうか。薄く広がって世界と曖昧になった私が本来の私なんでしょうか。それは違う気がするのです。確かに私は優しさに柔らかく抱擁されて、世界と同じになろうとしているけれど、私は優しい人間じゃないから、全てを受け入れる、或いは受容されるということは永遠にないような気がします。私は彼と喧嘩して、そのまま謝りませんでした。彼から貰った腕時計を失くしてしまったのです。怒った彼は、売ったから無いのだろうと言いました。私も怒ってしまいました。彼は決然とした表情で立ち上がり、そのまま私の家を出ていってしまいました。その日は雨の日で、私は何度も滑って転びながら彼を追いかけたけれど、無駄でした。別れてしまったんだろうと思います。私のせいです。私は悪い人間です。だから、世界は私をすべて受け入れてくれないでしょう。真っ白な世界に、塩の結晶のように私の一部が溶け残ります。






 私以外誰もいない世界とは、ひょっとして「死」というやつじゃないでしょうか。だとしたらそれはとてつもなく嫌なことです。私はまだ死にたくありません。別に生き続けることが幸福だとは思いません。なぜって、悲しみに溺死するのが嫌だからです。悲しみは仕事とか勉強とか薬とかと同じ役割だと思います。身体を維持するのには不可欠な存在だけど、過剰に摂取すると死に至ります。だから人は死ぬんだと思います。ただ、私は父や母や兄にも逢いたいですし、出来ることなら彼にだって逢いたいのです。キリストのように僅かばかりの復活で構わないから、もう一度逢いたいのです。でも叶わないような気がします。なぜって、私は賽の河原にたつという惨たらしいあの感覚を思い出したからです。それはこの世界にそっくりでした。私は死につつあるのです。





 生と死の境は純粋な蒼で満たされています。

 私は今までに二度生死の境を彷徨さまよったことがあります。一つは小学生の時です。両親につれられてある太平洋側の海岸に海水浴をしに行きました。兄は泳げないので、砂浜で山をつくって遊んでいました。実は城だったかもしれません。母は車酔いをしてしまって、シートの上でずっと寝ていました。私は父と一緒に浅瀬で遊びました、買ってもらったばかりの西瓜のビーチボールを大切そうに持ちながら。海はお風呂とは違ってどこまでも泳ぐことができます。浅瀬に足をつけると、巨大な動物に乗ったような不思議な感覚がしました。足指の隙間に砂が入り込んでくるたび、私は笑いました。父も笑っていました。二人でビーチボールを投げたり、息が続くまで潜ってみたり、色々なことをしたと思います。暫くすると波打ち際まで兄がやってきていました。きらきら白く泡立つ波がよってくるたびに彼は胡瓜に驚いた猫のようにいちいち飛び上がりました。私はどうして兄が海を怖がるのか分かりませんでした。海はすべてを受けとめるくれるのに。それはちょうどお母さんに抱っこされるようだと昔の私は思っていました。その時の私は甘えん坊だったので、母に抱っこしてもらう癖は治っていませんでした。抱っこをせがんでも母はいい顔をしなかったので、優しく抱っこしてくれる海を私は好きでした。

「ご飯にしようよ」

兄は言いました。私は彼が砂で遊ぶのが飽きてしまったのだと思いました。彼は来年中学生になる、そんな年だったのです。汗をぬぐったあとの彼の額には砂の粒が二三ついていました。父は陸にあがってしまいました。実のところ父も遊び疲れてしまったのだと思います。しかし私はもう少し海にいたいと思いました。穏やかで生温かい海水がそうせがむように私の足首を撫でていました。照りつける日差しが私の背中をじりじり焼いて、もう乾いていたので、まるで海にいたことが幻のような気さえしました。私は駄々をこねました。父は困ってしまって曖昧な表情を私と兄の交互に見せました。私は父が私を選んでくれないのが悔しくもあり、意固地になってもいたのでしょう、

「一人で遊ぶからいいもん」

と広く青い世界(彼方には石ころのように愛らしい島々が浮かんでいます)を向いて言いました。

「足がつくところまでしかいけないよ」

私は父の声が背中にあたって、ずるずるずり落ちる音を聞きました。私は忘れっぽい性格で、なおかつ一つの事に集中したら、周りが見えなくなってしまうのです。海に身体を浸した時、その押し寄せる波の声を聴いた時、私はその蠱惑的な囁きから抜け出そうとしませんでした。暫く片耳でこぽこぽ波とおしゃべりしていると、不意になにかを忘れていることに気がつきました。私ははっとして沖にでる帆船のような鷗の飛ぶ方を見やりました。ほんの十メートル先に気持ち良さそうに西瓜は浮かんでいました。私は遅くなる歩みをもどかしく思いながらレジャー客の藪をかき分けてビーチボールを取りにいきました。けれどさっきまでそこにあった西瓜はどんどん沖の方へ流れていきます。拗ねたんだ、私はそう思いました。どうしてか西瓜が、父や兄の顔に見えてきました。それがすこし可笑しかったので、私はとくに恐怖もためらいもなく地から足を離しました、小学校で先生からは泳ぎが上手だって褒められていたので、大丈夫だろうと思いました。波は許してはくれませんでした。きっと波も私と遊んでほしくて嫉妬していたんだと思います。気がつけば周りは青ばかりで水はくすくすはじけるように笑っていました。愚かしい犬のようにもがくこともしないで、私は沈んでいきました。鯨に翼が生えていたとしたら、こんな風に墜落するだろうと私は思いました。誰もいませんでした。私の瞳は、宙ぶらりんになった私の腕が深い蒼の世界と戯れているところをとらえていました。本当に美しく、惨たらしかった。清純な蒼白い死の香りは私の魂まで及びました。

 とたんに丸太のような腕が私を引き上げました。それは父でした。私は途端にあふれ出てしまった涙を抑えることができませんでした。私はあの時生まれたての嬰児でした。その時私は嬰児は自分のことを自分だと、赤ちゃんだと知覚しているのか、とおかしなことを考えました。多分していない。その頃は自分と他人の区別がつかないのだと授業で習いました。でも、私は自分が誰であるか知っている。それは大人だからではないかと思いました。私はコアラの子供のように父にしがみつきながら、涙がひいていく時の塩からい感覚を茫洋とかみしめていました。






 私は父と一緒にうなだれて母の説教を聞きました。母は怒ると怖いですが、その日はひとしきり怒った後、抱きしめてくれようとしました。でも私はそれを拒みました。大人だからです。私は一人で生きなければならないと思ったのです。背中が斜陽にあたってひりひり痛んだのを憶えています。






 もう一つはどしゃどしゃな雨の日のことです。高校生の私は土手を自転車で帰っていました。積乱雲はどうして遠くだと美しいのに近くになると暴れ馬になってしまうのでしょうか。その日は家に帰ってどうしてもしたいことがありました。それが何だったのかは忘れてしまいましたが、とにかくそのために急いでいました。あたりをみまわしても誰もいませんでした。時折視界が花火のようにぱっと明るくなり、激しく太鼓の唸る音が追いかけていったくらいで、あとはただ雨が弾丸のように降り注ぐ音が響いていました。私は何となく嬉しくなっていました。もし私が神様だったら、管弦楽団は積乱雲に任せようと思いました。部活で疲れていたのか、漕ぐ足は空回りして、その都度私は犬のように身体を震わせました。身体に制服がまとわりついて気持ち悪いとか、そんなことは微塵も思いませんでした。なぜって、こんなに雨や風や雷の音がきけるひなんてぇあぁぁ、、。





 気がついたら私は土手を泥まみれになって転げ落ちていました。そして撃たれた雁のような優雅さで河原に倒れていました。頭のほうが妙に温かく、傍に横たわっていた自転車はへしゃげて、車輪は蔦を絡ませながら回っていました。全身を強く打ちつけていたから起き上がることもできませんでした。不意に私は血の匂いを嗅ぎました。雨は執拗に私の身体を刺し貫いていました。私は津波のように押し寄せてくる吐き気を抑えながら、何とか身体を横にしました。こうすれば血は出ないと救命訓練で習いました。血も雨も止まりませんでした。私は携帯も友達も持っていなかったのを後悔しました。積乱雲を裏切り者だと思いました。目を開けるのが困難になっていました。閉じていようと思いました。二度と開くことはないだろうと思いました。それでも構わないと思いました。その時の世界は紺色に近い蒼でした。私は海のなかにいるのだと考え、あの時みたいに沈んでみようと思いました、誰かに引き上げられるのを期待していたわけではありません。寧ろその逆でした。「底」を私は知りたいと願ったのです。






 私は何をやっても長続きしません。勉強も、部活動も、片づけも、恋愛も毎日が破線みたいです。突き詰めてなにかをするとき、人は壁にぶつかるそうです。それは硬いんでしょう。挫折して引き返したり、その場にへたり込んで嗚咽したり。でもごく稀に乗り越えるための翼をもった人が現れて、巣立つ雛鳥が何度も転びながらついには大空へ飛翔するようにある時その壁を克服するのです。私はそういう経験をする人たちをみてきました。私は負けず嫌いです。きっと私もその人たちに追いつける、そのための翼はあるのだと思っていました。それはまやかしでした。私には体力がありませんでした。喘息で何度も入院しましたが、その時みたいな果てしない息苦しさが飛翔する彼らをみるたびに思い起こされるのです。私には何もできません。でも一つだけできそうになったことがありました。それは死ぬことです。死の壁、それは「底」であると私は思います。「底」に触れた瞬間、大輪の花を咲かせるようにして翼は私の背を破り、あっさり「底」を貫いて誰にも負けずに死ぬことが出来る気がしました。

 私は病院のベットに居ました。頭が割れるように痛く、髪は血なまぐさく固まっていて、吐いてしまいそうでした。私が大雨にもかかわらず自転車で帰っていたのを心配した先輩が後を追いかけて、血みどろをつくって倒れている私を発見したというのを聞かされました。

「水をください」

朦朧とした意識の中で私はそんなうわごとをしきりにつぶやいていたそうです。家族がいなくなって恩人と二人っきりになった時、私は彼に「底」の話をしました。それから彼をぽかぽか殴りました。そりゃ、自転車を滑らせる予定はありませんでした。けれど彼がいなければ、私は間違いなく「底」にたどり着いていたんだと私は虚しく訴えました。

「その先はどうするつもりだったの?君はただ墜落するために、生きることまで中途半端に投げ出してしまうの?」

彼は怒ることも泣くこともせずに鷹揚と言いました。一本の槍が真っ直ぐに私の心臓を貫き、私の翼はあっという間に枯れていきました。私は彼の言葉を聴いて、自分がしようとしたことの恐ろしさに気付いたのです。私は死にたくありません。中途半端に生を終えることはしたくないからです。私は先輩に抱き着いてわっと泣きました。彼は破れて傷ついた私の背中をいつまでも優しく撫でてくれました。






 私は彼が居なければまた溺死してしまうような気がしました。だから、パジャマ姿で、頭には包帯を巻き、泣きはらして柘榴のようになってしまっただろう瞳で彼に告白をしました。彼は曖昧に笑っていました、

「確かに君を放っておくわけにはいかないようだしね」

そういった彼も頬を林檎のように紅潮させていました。こんなみっともない姿で告白なんてしてごめんねと私が謝ると、彼は首を振ってから言いました、

「君の瞳は宝石のように澄んでいるよ」







 私は何かが「私」にあたるのに気がつきました。私はない瞳で泣き、ない耳でその慟哭を聴きました。私は「底」に触れてしまいました。途端に凄まじい勢いで「私」が拡がっていくのがわかりました。私の粒子はきらきら彗星のようです。そしてあらゆる「底」にぶつかって落ちていきました。私はどうしていまだ独白を続けることができるのかわかりません。「見えない壁」の向こう側で必死に私が生きていることを伝えようと努力している人がいるのかもしれません。その人が描いた私という存在の航跡を追ってくださるもの好きな方(あるいはそれが仕事なのかもしれませんが、、形象崩壊する女の子をつなぎとめる仕事?)のおかげかもしれません。でも、そんな皆さんを私は一括りに「あなた」としか表現できない。そもそもこの私の独白はいつの「私」がしているのでしょうか。濁流に湧き上がる泡のような記憶に鮮明と焼きつく彼らは、「あなた」ではないのでしょうか?「あなた」だとしたら、あなたのような不定形が対にある私が、確かに一人の確固たる「私」なはずがないじゃないですか。私は記憶を辿ることしかできない。そしてその記憶も風の前の塵のように消えていく。私は私をどうやって証明したらいいのかわからない。私は死ぬのが怖いです。なぜならその先がないから。私は私がわからない。私はきっとコップの水です。





「お、、、、、」

「おき、、、、」

「起きろ、、、」

「起きろっ、澪」

それは蜘蛛の糸のような幽かさでしたが、たしかに一つの道でした。私の名前がその標でした。誰かが私を呼んでいます。なによりも美しく、なによりも懐かしい言葉、私を表してくれる言葉が、私はなにより愛おしい。

 朝霞の空を切り拓いて真っ赤に熟れた太陽が姿を見せています。側では机に突っ伏して元彼となったはずの彼が寝ていました。きっと名前を呼んでくれたのは彼です。でもどうして彼が居るのでしょうか。謎は深まるばかりです。それだけではありません。机の周りにはお父さんのスーツ(父は依れたこの紺色が好きなのです)やお母さんのバック(褪せた色なのですぐわかります)やお兄ちゃんのリュックが散乱していました。まるで私がずっと意識不明だったかのようです。

「あ、、」

私はそれを見つけたとき少し笑ってしまいました。床にはコップが転がり、あたりは水浸しになっていたのです。彼は寝相が悪いので、きっと机にあったコップを落としてしまったのでしょう。残念ながら床にあったそれを拾い上げるほどの気力は私にはありませんでした。全身が金縛りあった時のような倦怠感があるからです。なので彼にはさっさと起きてもらうことにします(彼の寝相が悪いせいですから)。私は喉が渇いているのです。それに、私は彼に謝りたいのです。そして私が彼に時計をプレゼントするのです(別れちゃったとしても、感謝の気持ちをカタチにするくらいなら、許してくれるよね)。きっと喜んでくれます。彼が起こしてくれたように、私も彼の名前を呼んで起こしてあげたいと思います。もしかすると彼も、自分の存在を失くしてしまっているかもしれないからね。

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